1960年代に登場した教育用コンピューターシステムの先祖「PLATO」とは?
by University of Illinois Archives
1960~1970年代にかけて、当時としては美麗なグラフィックやタッチスクリーンなどの近代的な機能を備え、画期的なコンピュータ支援教育(CAI)システムとして活用された「PLATO」について、IT系ニュースサイトのArs Technicaがまとめました。
PLATO: How an educational computer system from the ’60s shaped the future - Ars Technica
https://arstechnica.com/gadgets/2023/03/plato-how-an-educational-computer-system-from-the-60s-shaped-the-future/
1950年代後半のアメリカでは、スプートニク1号の打ち上げによってソ連に宇宙開発で後れを取った焦りから、科学技術が優先課題となっていました。このような中、イリノイ大学の物理学者であるダニエル・アルパートは、コンピューターを使った「自動教育」の概念を実現しようと教育者や技術者と会議を重ねましたが、当時の教育者たちにはそのような技術が理解できず、逆に技術者たちには教育現場が何を必要としているのかを理解することができませんでした。
アルパートが諦めかけていた矢先、電気工学の博士課程に在籍していたドン・ビッツァーが、軍の古いレーダーをコンピューター教育のインターフェースに使うことを提案します。
アルパートから2週間の時間と予算を与えられたビッツァーは、プログラマーのピーター・ブラウンフェルドと協力して開発したソフトウェアと、大学にあった「イリノイ自動コンピュータ(Illinois Automatic Computer:ILLIAC)」、そしてアメリカ軍が使っていた海軍戦術防衛システムから転用したディスプレイを使ってプロトタイプを完成させました。
これが「自動教育オペレーション用プログラムロジック(Programmed Logic for Automatic Teaching Operations)」ことPLATOです。
by The Wide World of Computer-Based Education (Bitzer, 1976)
1960年代に登場した初代PLATOは、ビッツァーとブラウンフェルドが「電子黒板」と呼んだ画面に図や文字を表示し、双方向的でインタラクティブな「自動教育」の基礎を築きました。
さらに、翌年の1961年には後継機のPLATO IIが開発されます。PLATO IIは先代から引き継いだ英数字キーボードや、授業中にひらめいた学生がすぐさま回答するときに使う「AHAキー」などの特殊キーを備えていましたが、最大の進歩はタイムシェアリングによって複数の学生が同時に学ぶことができるようになった点です。ただし、ILLIACのメモリ容量の都合で1度に使えるユーザーは2人に限定され、インタラクティブ性にも制限がありました。
by A Little History of e-Learning (preprint, Cope & Kalantzis, 2021)
1963年から6年かけて開発されたPLATO IIIには、ILLIACではなくコンピューター会社・Control Data Corporationから寄贈されたCDC 1604が採用され、最大20人が同時に教育を受けることができるようになりました。
特に、プログラミング言語「TUTOR」により、専門家ではない教育者でも教材を開発できるようになった点は画期的で、「作者モード」と呼ばれる編集機能で教師がプログラムを入力したり、学生の学習状況を途中保存したりすることもできました。
勉強に疲れた学生が対戦ゲーム「Spacewar!」などのゲームで一息付けるようになったのもこの世代からです。
by X-4 Tutor Manual (Avner & Tenczar, 1969)
1972年に登場したPLATO IVは、ブラウン管ではなく512×512ピクセルのガス・プラズマ・ディスプレイによる鮮明なグラフィックと、16×16マスの赤外線タッチパネルを搭載し、学生が画面を直接触って操作できるようになりました。
また、磁気ディスクに保存された最大17分のオーディオ再生機能による音声解説での学習機能や、NTSCケーブルを介したネットワーク機能などをサポートしていたほか、掲示板システムや「PLATO Notes」や最初のマルチプレイ可能な3DフライトシミュレーターのAir Raceなどにより、PLATO IVは現代のオンラインシステムの先駆けと位置づけられています。
by The PLATO CAI System: Where Is It Now? Where Can It Go? (Eastwood & Ballard, 1975)
PLATO IVまでは重要な処理をサーバーが担っていましたが、Intel 8080 CPUと8K ROMでアップグレードされた端末は、スタンドアロンで動作することができました。
技術的には既にマイクロコンピューターと言えるものだったスタンドアロン版のPLATO IVは、ファンの間で「PLATO V」と呼ばれており、フロッピーディスクドライブによるオフラインレッスンに対応するなど、メインフレームベースのシステムとスタンドアロン型の教育プラットフォームの架け橋となりました。
by Computer-Aided Instruction with Microcomputers (Moore et al., 1979)
Ars Technicaは、PLATOが後世に残した影響について「PLATOがコンピュータ支援教育(CAI)にもたらした貢献はいくら強調してもし過ぎることはありません。PLATOのグラフィックディスプレイ、ネットワーク、ユーザーインターフェースは多くの技術分野に重要なイノベーションをもたらしました。また、画期的な学習コンテンツや大流行したゲーム、先駆的なメッセージング機能などは現在使われているアプリケーションの概念的な先駆けであり、ユビキタスネットワーク化した今日の世界の文化的基盤を動かすきっかけとなっています」と述べました。
・関連記事
Appleより早く世界初のパーソナルコンピューターを作った男とは? - GIGAZINE
「Apple II」や「IBM 5100」といった名機の中で世界最初のPCは何なのか? - GIGAZINE
これまでどんなOSが開発されてきたのか&どう派生したのかが見てわかる系図が公開 - GIGAZINE
・関連コンテンツ