リンカーンからトランプまで共和党は160年かけてどのように変化してきたのか?
2016年現在の共和党は白人層からの支持を多く得ているアメリカの政党で、2016年の大統領選ではドナルド・トランプ氏を候補に立てています。トランプ氏と言えば強硬な姿勢の移民政策を掲げていることで知られていますが、実は共和党はもともと結成当時に黒人奴隷制反対を掲げていたリベラルな政党でした。しかし、時代の流れとともに保守的な傾向を強め現在に至るわけで、その経緯がよくわかるムービー「How the Republican Party went from Lincoln to Trump」をVoxが公開しています。
How the Republican Party went from Lincoln to Trump - YouTube
共和党は白人層からの支持がとても強く、現在のアメリカの中でも特に南部から多くの支持を得ている政党。
2016年に行われる大統領選に共和党は、その強烈なキャラクターから多方面で批判を受けているトランプを大統領候補に立てています。
現在は保守的な姿勢を持っている共和党でしたが、もともとは奴隷制度廃止を訴え、1860年にはエイブラハム・リンカーン氏を初の共和党出身大統領に送り出しました。一体リンカーン氏からトランプ氏まで、共和党はどのように変化してきたのでしょうか。
共和党が誕生した1854年のアメリカにはホイッグ党と民主党という2つの政党がありました。当時のアメリカでは、新しく設置されるカンザス準州とネブラスカ準州で奴隷制を容認するかどうかに注目が集まっていました。
奴隷制に賛成の姿勢を示していた民主党は、奴隷所有者が数多くいる南部からの支持を得て、奴隷制に反対の姿勢を示していたホイッグ党は主に北部から支持を得ており、アメリカの政治は南北で分断されているような状態だったそうです。ホイッグ党を支持していた人の多くは奴隷制が政治に及ぼす影響を恐れ、このまま奴隷制を容認された州が増えれば白人の雇用環境に影響がでることを危惧していました。
新しい州で奴隷制を容認するかの議論は長きにわたって続けられましたが、最終的には奴隷制を認めるかどうかは州内の人が決めるカンザス・ネブラスカ法が成立。このカンザス・ネブラスカ法成立を不服としたホイッグ党は1854年に解散することになります。そして、解散したホイッグ党の意思を受け継ぎ共和党が同年に誕生します。
ホイッグ党の党員を吸収し共和党は1860年までに支持エリアを拡大し北部ではほとんど無敵の状態になります。
共和党は1861年にリンカーン氏を大統領候補に送り出し見事に勝利し、共和党初の大統領が誕生しました。
しかし、リンカーン大統領が誕生したことで、南部の奴隷州の11州はアメリカから脱退しアメリカ連合国を結成。
1861年にアメリカ合衆国とアメリカ連合国の間で南北戦争が勃発。南北戦争ではリンカーン氏の手腕によりアメリカ合衆国が勝利し、アメリカ全土に奴隷制の廃止が広がっていくことになります。
南北戦争に負けた南部の諸州は占領下におかれ、黒人に投票権が与えられるように。リンカーン氏は1865年に暗殺され、その1年後には元奴隷がアメリカ市民であることを明確にする公民権法が議会に提出されました。
しかし、このときの共和党の若い党員の間では意識の変化があったそうです。南北戦争の戦争特需により、北部のビジネスマンたちは戦争中に一気に裕福になり、裕福になった一部の金融人や工業関係者の派閥が共和党内で幅をきかせるようになったとのこと。しかし、こういった人たちは権力を維持するのが共和党にいる目的であり、奴隷制廃止のために力を尽くすのは自分たちのためにならないと考え始めました。
また、同時期には奴隷制廃止を受け入れられない南部の州から強力な反対を受けていて、共和党内では「黒人のために政策を行うのはもう十分ではないのか」という声が上がり始めたそうです。
この結果、共和党は南部に介入するのを諦め、南部は民主党の支持者がどんどん増えていくことになりました。
結成から60年以上が経過した1920年代の共和党は企業優遇策をとり続けアメリカに好景気をもたらしましたが、1929年にウォール街で株が大暴落し世界恐慌が始まります。
世界恐慌を皮切りに、私企業救済に乗り出さなかったフーバー大統領率いる共和党に代わってフランクリン・ルーズベルト氏や民主党の党員がその勢力を強め、政府内での役割も変化してきたとのこと。共和党は急速な対策を推し進める民主党の姿勢に反対の姿勢を示し、自分たちを「より大きな政府と相対するもの」と定義付けました。これは今も続く共和党のスローガンになっているそうです。
1950年から60年代になると、南部が再びアメリカ政治の表舞台に出てきます。南部では黒人差別を完全になくそうという公民権運動が頻発し社会問題へと発展。
公民権法に対する議会の支持率は以下の通りで、民主党は支持率が北部96%・南部7%、共和党は北部84%・南部0%でした。
しかし、民主党のリンドン・ジョンソン大統領の働きかけにより公民権法が制定され、南部の支持は一気に民主党に集まることに。公民権法に反対していた共和党は黒人たちからの支持を得られなかったというわけです。
その一方で南部の白人たちは共和党を支持するようになり、かつては北部で力を示していた共和党は南部で支持されるようになっていきます。
1980年には共産主義の脅威を撃退する「力による平和」と大規模減税による経済活性化を公約に掲げた共和党のロナルド・レーガン氏が大統領選で勝利。
1980年以降はヒスパニック系の不法移民が増加し問題化。民主党は移民法を見直し、10年以上不法滞在を続ける1000万人以上の不法移民に対して法的な地位を与えようとする民主党と、不法移民に対して厳しい姿勢を保持したい共和党で争いが続きます。
2012年にはミット・ロムニー氏を大統領候補に送り出した共和党でしたが、ロムニーはヒスパニック系有権者からの支持を得ることができず、バラク・オバマ現大統領に惨敗しました。2012年の大統領選でオバマ現大統領はヒスパニック系市民の71%から支持されていたそうです。
ヒスパニック系からの票を失い、白人支持者だけでは大統領選に勝利することは難しいのではないかと危惧した共和党でしたが、同党のマルコ・ルビオ氏がヒスパニック系有権者の共和党離れを防ぐべく、アメリカで暮らす不法移民に市民権を付与する移民改革の計画を提案し、移民に緩和な姿勢を見せる党員が現れてきました。
しかし、これに反対したのが共和党を支持する白人の有権者たち。
移民に対する政策で分裂していた共和党と支持者たちの上に突如としてやってきたのがトランプ氏です。
トランプ氏は伝統的な保守主義を推進しているわけではありませんが、保守的な党員に対するうらみや信用性のなさを全面的にアピールし、かつ、不法移民への強硬な姿勢を押し出すことで大統領選に選出されるまでの支持を得ました。
このようにして、共和党は大きな変化を経て今に至っているわけで、共和党の歴史を理解してから大統領選を見てみるのも良さそうです。
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