生き方の歪としての鬱
江戸時代にも「うつ病」はあったのだろうか。似たような病はあったと考えられる。
当時の文学や医学書を読むと、心身の不調を、「気」で捉える身体観が浮かび上がってくる。気遣いしすぎると、気疲れする。散歩などでうまく気を晴らし、気を軽くすることが必要となる。ただでさえ気が重いのに、他人に気配りし続けると、疲弊しきって「気鬱症」にもなりかねない。このように、江戸時代の人々は当時の心身一元論に基づいて、いかに日々の健康を保つべきかを論じている。
これは現在の「うつ病」にも通じる考え方であり、当時の人々が「気」のイディオムを通じて、仕事や家族、人間関係で疲れた自己を労わろうと心掛けていた様子が浮かび上がってくる。
翻って前近代の西洋を見てみると、うつ病の前例とされるメランコリアは、古来より、自己の生き方を振り返る病として重視されてきた。アリストテレスの時代から、怜悧な理性や創造力の徴(しるし)としてロマン化して語られる一方で、これまでの生き方の矛盾が蓄積し、自己と直面することを逃れられない病として、弁証法的(つまり、葛藤を経て自分のなかの矛盾を解消するような)病ともされてきたのだ。
この思想的伝統を近代にも受け継いだのが精神分析だ。悲哀や不安、怒りといったネガティブな感情を無視し続けると、徐々に心身が疲弊し、鬱にさえ陥ってしまうとして、心に耳を傾けることを説いたのがフロイトだった。
このように「振り返りのない人生は生きるに値しない」と捉える西洋的思想の伝統の中では、うつ病は長い間、自己との対峙への機会を与えてくれる、「実存的」な病として位置付けられてきたのだ。
2000年代初頭、日本のうつ病の状況
医療人類学者として筆者が、当時うつ病が流行し始めていた2000年代初頭の日本で、森田療法を基盤とした自助グループに参加した時も、そこで語られていたのは「生き方」としてのうつ病に他ならなかった。
特に、何度かうつ病を繰り返していた人々は、病に至る背景に、自ら気苦労をため込むといった傾向がなかったかを互いに確かめ合っていた。鬱は積年の苦労の産物であるのだから、その回復には、苦労した年月の倍かかったとしても仕方ない、といった想いがしみじみと語られた。
「鬱にどっぷりつかる」ことで、自分の弱さを認め、無理な生き方を振り返り、「あるがまま」の自己を受け入れることで、回復にもつながるといった知恵も共有されていた。この場では、鬱を生物学的異常や認知の歪みを超えた、いわば身体的洞察の源泉とみなし、あらたな「自己の物語」を紡ぎだすことで、回復を目指しているようだった。