朝日新聞はなぜ麻生太郎からの「朝日叩き」に沈黙を守るのか

「麻生節」を常態化させてはならない

麻生が朝日を叩くワケ

思わずギョッとした記事があった。

『昭和のサマータイム廃止「朝日新聞の責任」、麻生氏「記者が飲みに行きにくくなるからだろ?」』(産経ニュース8月15日)

という記事である。

麻生太郎財務相が、昭和23年に導入された夏の時間を繰り上げるサマータイム(夏時間)が4年間で終わった理由について、「(終わったのは)朝日新聞の責任だぞ」と言ったというのだ。

ああ、またかと思った。

呆れるが、でもこれをスルーしてはマズい。その理由は後述するとして、まず記事から麻生氏の発言を抜粋してみよう。

朝日の記者がサマータイム導入検討について麻生氏に質問すると「確か俺の記憶だけど、違ってたらごめん」と付け加えた上で、

「(当時の朝日新聞はサマータイム導入を)あおって書いたんだ。だけど良くないから止めた方がよいって(報道した)」

「(止めるべきと)書いた最大の理由は、新聞記者が明るい最中だと夜に飲みに行きにくいから。それが事実だろ?」


このやりとりを聞いた産経がいちはやくネットに流したのだ。

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「新聞を読んでない」と公言する麻生氏だが、昔は熱心に新聞を読んでいたんだねという茶々はさておき、ちょっと調べれば朝日だけでなく当時の読売も毎日も(つまり他の新聞も)導入後のサマータイムについて批判していたことがわかる。つまり麻生氏の言ってることは事実ではない。

もしかして麻生氏は新聞を読んでいないのではなく朝日新聞以外を読んでいないのだろうか?「麻生太郎、朝日新聞しか読んでない説」である。

それにしても、ちょっと調べればわかることなのに麻生氏はなぜ事実を曲げて言うのか。

それは朝日を叩くと喜ぶ人がいるからである。

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ここからは朝日について私の実体験を書く。私は新聞を12紙購読して論調の差を楽しんでいるが、週刊誌やスポーツ新聞だけしか読んでいなかった私が一般紙をあらためて読み始めたのは「朝日」がきっかけだった。

というのも週刊誌にはとにかく朝日ネタが多いのだ。昔も今も。朝日の記事にツッコミを入れたり、社員のスキャンダルを書いたり。

私はそれを面白く読んでいたが、あるときふと思った。「ここまでネタにされているなら、まっさらな状態の原本(朝日)をまず読んだほうがよいのではないか?」と。

ネタにされる前の朝日新聞を読んでおけば、週刊誌が噛みついたら「ああ、あの記事か」とか「あれに食いついたか」といろいろわかる。元ネタを知っているから楽しめる。

すると大事なことに気づいた。「おじさんたちにとって新聞の象徴は朝日」という事実である。

朝日という権威があるからこそ、そこに噛みつく芸が成り立つ。

野球で言えば、強かった頃の巨人を熱心に見たアンチ巨人と同じ。下手なファンよりアンチのほうが熱量がある。

同じように朝日の悪口で記事や特集が成り立つというのは「朝日=新聞の代表」をいみじくも証明しているのだ。

あなたたちの“大好きな”朝日新聞がいなくなったら…

こういう状況をみて、私は『芸人式 新聞の読み方』(2017年・幻冬舎)で次のように書いた。いわゆる「W吉田」について書いた項である。

W吉田とは、朝日の慰安婦報道での「吉田清治証言」を虚偽と認めた件、そして「吉田調書」スクープでの「福島第一の原発所員、命令違反し撤退」という内容が誤報であったという件(2014年)だ。

朝日が大バッシングにあい、廃刊せよという罵声も飛んでいた頃。その極論をみて思った。

《もしも本当に『朝日』が廃刊してしまったら、生き甲斐をなくして嘆き悲しむのは、当のアンチの側ではないかと私は思うのだ。アンチ朝日の論陣は、その「アンチ芸」で飯を食っている側面もあるということを認めたほうがいい。想像してほしい。あなたたちの“大好きな”朝日新聞がいなくなったときの喪失感を。それはまるで、ボケがいなくなったときのツッコミの寂しさだと思う。》

これは今も同じと実感する。

先日、自民党の杉田水脈議員が月刊誌『新潮45』に「『LGBT』支援の度が過ぎる」という寄稿をした。このあと杉田氏への批判が多く集まったが、まず知っておきたいのは『新潮45』の特集は「日本を不幸にする朝日新聞」というものだった。

そのなかの一つに杉田議員の「言説」があったのだ。あの号は朝日批判特集が売りで今もなお朝日叩きは有効という証拠であった。

しかし。

慰安婦報道で謝罪という大きな事件では朝日叩きには十分な需要があった。しかし毎度毎度、毎月ごとに朝日叩きをするとなるとネタ切れになる。そうなると「ネタをつくる、仕掛けていく」しかない。

するとどうなるか? 今回のように天下の新潮社に載るようなレベルではない言説が載ることになる。

(原本を読まないとわからないから)私も実際に『新潮45』を購入したのでステマという点では成功だったが、それって新潮社がやることですか?

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言っておくと、朝日新聞叩きはやっていい。それは伝統芸だからだ。

でもそのメンツに杉田議員みたいなのを入れるとその伝統芸は終わってしまいますよ、と言いたいのだ。

それこそプロレスの名勝負のように「朝日」対「新潮」、「朝日」対「文春」という互いのプライドを持った技の応酬は見ごたえがある。実際に今まで幾多の名勝負があった。

でもそこに杉田氏のようなものを載せてしまうとそれは美しい言論プロレスではなくなってしまう。

朝日叩きであれば何でもオーケーではつまらない

いま、ネットでの言説がピンキリにある時代だからこそ、人はますます「文藝春秋」だとか「新潮社」だとかの看板を信じる。少なくとも私はそう。

それは目利きに頼る気持ちと同じ。あそこが載せるのなら品質保証されてるだろうという。でも今回は伝統ある出版社が売らんがためにああいう言説を載せてしまった。

朝日批判をやるなら、朝日の記者が参りましたというようなきちんとしたものを書いてほしい。そのほうがよっぽど「生産的」ではないか。朝日叩きであれば何でもオーケーというのは野次馬としてもつまらない。

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そして話は麻生氏に戻る。

特定の新聞を叩けば喜ぶという強固な支持層がある限り、事実ではなくとも叩いてみせるという手法は今後も続くだろう。しかもこれを大臣、権力者がやるのである。

私は冒頭で『ああ、またかと思った。呆れるがでもこれをスルーしてはマズい』と書いたが、これは「また麻生太郎か」とか「麻生節」などと言って常態化させてはダメなのである。

フェイクでも刺激があることを言ったほうが効果的という戦法を認めてはダメだ。

ビーンボール(故意死球・危険球)を投げても「観客」(自分の支持者)が大喜びなら有効と思わせてしまうのはダメだ。

わざわざビーンボールを投げる側はその効果を重々承知しているからこそ、「それはダメですよ」といちいち声をあげていかなくてはいけないのだ。

しかし、私が気になるのは麻生氏のあの放言を報じたのは産経ニュースだけだったということ。他紙は報道していないのである。当の朝日を含めて。いや、実は産経も紙面では報じていない。

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つまり報道するに値しない出来事だと各紙は判断したのかもしれない。でも、それは間違いである。

なぜならSNSでは麻生氏の発言(『昭和のサマータイム廃止「朝日新聞の責任」、麻生氏「記者が飲みに行きにくくなるからだろ?」』)は結構な話題になっていたからだ。

私は思う。麻生氏に対し、なぜ朝日は反論しないのか?

そもそも麻生放言の場面をいくつか映像でみると周囲の記者は反論していない。沈黙している。調子づいた麻生氏がまた追い込みをかけるという風景をよく見る。それをネットニュースとして一部媒体が流して多くの人は眉をひそめるが、麻生氏の「メディア批判」に喜ぶ層も少なくない。毎度この繰り返しなのである。

朝日の腰の引け方はなんなんだ?

そんなくだらない発言なんて相手にしない、という態度は受け手の常識を信じるという前提があるから成り立つ。しかしその前提が無い場合は麻生氏の放言が垂れ流されることになる。

これでよいのだろうか?

正直私も麻生発言はくだらないと思うが、新聞側が反論していない状況をみるとこれこそ大問題だと思うのだ。

折しもアメリカの新聞社はトランプ大統領に一斉に抗議した。

『300社、トランプ氏抗議社説 報道の自由訴え』(読売新聞8月17日)

《全米の新聞社が16日、メディア批判を続けるトランプ米大統領に抗議し、報道の自由を訴える社説を一斉に掲載した。呼びかけた東部マサチューセッツ州の日刊紙ボストン・グローブ紙によると300社以上が賛同したという。》

《ボストン・グローブ紙は、トランプ氏が政権に批判的な報道機関を「米国民の敵」と呼んだことを踏まえ、「Journalists are not the enemy」(ジャーナリストは敵ではない)と題した社説を掲載。「持続的な報道の自由への攻撃が重大な結果をもたらす」と断じた。》(読売8月17日)

朝日も『トランプ節に対抗 米紙一斉社説』(朝日新聞8月18日)と大きく扱った。トランプ氏に抗議するアメリカの新聞については報じるのに、なぜ麻生氏の「挑発」についてはスルーなのか。

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朝日は8月18日の「天声人語」で「社説400本の怒り」と書いた。

『足並みをそろえることを潔しとしない米新聞界では画期的なことだろう。「記者連中は米国民の敵」。飽かず報道機関を論難するトランプ大統領に抗議して批判の社説を一斉に載せた。』

アメリカのメディアについて長々と書いていたが後半に突然、

『「新聞とるのに協力なんかしない方がいい」「新聞読まない人は全部自民党(支持)なんだ」――。麻生太郎財務相の最近の発言である。こちらも新聞批判に余念がない』

という一文が出てきた。しかしすぐにまたトランプ大統領の話になる。何度読んでも違和感がある部分である。

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ハッキリ言うが、一体この腰の引け方はなんなのだ?

トランプ氏とたたかうアメリカの新聞について書きつつ、麻生氏を一瞬登場させる。セコい。朝日は堂々と麻生氏について書けばよいのだ。

フェイクを仕掛けてくる権力者には新聞はいちいち反論してほしい。それがどんなにくだらない放言でも。

新聞の沈黙は、フェイクを野放しにするという意味では同罪である。

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