今日開催「キリスト祭」とは何か?
6月3日(日)、青森県で「キリスト祭」が開催される。しかも、第55回目だ。日本屈指の奇祭といってよい。
なぜ、青森県でキリストを祀らなければならないのか。観光イベントにすぎないのだろうか。この不思議な祭りの背後には意外と深い歴史がある。
八戸から十和田湖へ向かう国道454号を走っていると衝撃的な看板を見かける。誰かが勝手に作ったものではなく、正式な道路標識だ。しかも、十字架が2つ描かれている。
看板にしたがって行くと新郷村(しんごうむら)にたどり着く。人口は2500人程度、過疎化・少子化・高齢化が進む典型的な地方の村だ。1955年、戸来村(へらいむら)と野沢村の一部が合併してできた。
キリストの墓があるのは国道沿いの小高い丘の上だ。駐車場を含めてしっかりと整備されており、「キリストの里公園」と名づけられている。
丘の上のさらに小高くなった場所に2つの丸い塚があり、どちらにも大きな十字架が建てられている。
説明板によると、イエスは21歳の時に日本に来て12年間神学の修業を重ねた。33歳の時にユダヤに戻り伝道を行なったが、ユダヤ人に受け入れられず、十字架刑に処されそうになった。
だが、イエスの弟イスキリが身代わりとなって死に、イエス本人は再び日本に戻り、戸来村で106歳まで生きた。
2つの墓のうち、一方はイエスを葬った十来塚で、もう一つはイスキリの遺髪を祀った十代墓だという。
墓のそばには「キリストの里伝承館」もある。
村の歴史と民俗を紹介する資料館だが、昔使われていた農耕具や古い家の再現スペースと並んで、今も村で暮らすキリストの末裔の写真、村とユダヤのつながりを示す数々の証拠、そして日本語で書かれた「キリストの遺言書」などが展示されている。
それによれば、十字架刑を逃れたキリストはシベリアを経て八戸港に上陸し、戸来村で暮らすようになってからは名前を十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)に変える。そしてミユ子という20歳の女性と結婚して3人の娘を育て、106歳で亡くなったというのだ。
伝承館には、キリスト祭のポスターも貼ってある。丸塚の十字架を囲んで着物姿の女性たちが踊っているが、いったい何事だろうか。
伝承館前に置かれた古代ユダヤに由来する装束の顔出しパネルやピラミッドパワーを体感するための装置も、とにかく衝撃的である。
墓の向かいには「キリストっぷ」というお土産やさんもある。キリストの墓焼酎、キリストのハッカ飴、キリストの遺言手ぬぐいなどを買うことができる。