「なんでウチがビール会社に呑み込まれるんだ!」「なだ万」買収 ——老舗がのれんを売り渡すとき 創業184年の歴史は、いともあっけなく

江戸時代から続く日本屈指の老舗料亭がアサヒビールに買収される。それは、時代を越えて築き上げてきた伝統と技術が大企業に呑み込まれる瞬間だ。なぜ「なだ万」は、その決断に至ったのか—。

誇りが奪われた

「今、社内には動揺が広がっています。今回の買収について、現場はなにも聞かされていませんでした。

184年間も伝統と技術を守り通してきたウチが、なんでビール会社に呑み込まれるんだと、悔しく思います。私達の仕事は、いかにして質の高い料理を作り、行き届いたサービスを提供して、お客様に満足いただくか。現場はそのために身を粉にしてきました。大企業のような画一的なサービスではなく、お客様それぞれに合わせた接客こそがウチの真骨頂だと思っていたのに」(現役の「なだ万」料理人)

アサヒビールが12月に老舗料亭「なだ万」の株式51・1%を創業家などから取得し、買収するという発表は、日本中に衝撃を与えた。

今後は事実上、経営権はアサヒビールが掌握し、「なだ万」ののれんは売り渡されることになる。

「なだ万」の楠本正幸社長は当面現職にとどまるが、代表権を持つ会長や幹部社員はアサヒビールから派遣されるという。

「老舗料亭が大手飲料メーカーに経営を委ねる。これは歴史上、例を見ない買収劇です。今回のケースは、高級外食店はもちろん、『老舗』と呼ばれるあらゆる企業のあり方を変えてしまうほどのインパクトがあります」(全国紙経済部デスク)

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「なだ万」社員が戸惑いを隠せないのも無理はないだろう。同社は創業以来、日本を代表する老舗料亭としての地位を築き上げてきた。その誇りが突然、奪われてしまうのだ。

「なだ万」の歴史は古く、江戸時代、天保元年(1830年)にまで遡る。

神戸夙川学院大学教授で、料亭事情に詳しい河内厚郎氏はこう語る。

「創業者である初代灘屋萬助が大阪ではじめた料理店から生まれた『なだ万』は、これまで多くの政財界の要人に親しまれてきました。文化人にもファンは多く、夏目漱石や森鴎外も『なだ万』に足しげく通ったといいます。同社は典型的な創業家経営で、現在の社長・楠本正幸氏は6代目にあたります」

その楠本家が経営する「なだ万」は、輝かしい歴史を築いてきた。

たとえば、3代目楠本萬助は第一次世界大戦後の1919年に西園寺公望がヴェルサイユ条約を結ぶためにヨーロッパを訪れる際、随行料理人として指名されている。

「なだ万」帝国ホテル店に勤め、衆参両議院議長公邸や外務省などへの出張料理を担当した丹下輝之氏(現OB会長)は、当時をこう振り返る。

「今でも覚えているのは、『アドミラルズ・カップ』というヨットレースの壮行会が帝国ホテルで開かれ、『なだ万』が料理を出した時のこと。壮行会の壇上には石原慎太郎さん、裕次郎さん兄弟が並んでいました。そこに笹川良一さん(元日本船舶振興会会長)が登場し、あの慎太郎さんが深々と頭を下げた光景が印象的でした。

俳優のアラン・ドロンさんの来店時には混乱を避けるために厨房を通って裏口から店を出るという一幕がありましたが、その時、彼を先導したのは同席していた三船敏郎さんでした」

東京・紀尾井町のホテルニューオータニ庭園にある本店「山茶花荘」にはかつて連日のように政府要人が集まり、「記者にとっては張り込み場所の代名詞だった」(全国紙政治部デスク)という。

囁かれていた危機

各界の著名人が集う「なだ万」は、誰もが「いつかは行ってみたい」と憧れる存在だった。

だが—。

その栄光と伝統は、買収という形で大転換を余儀なくされることになった。

なぜアサヒビールは、このタイミングで買収に踏み切ったのか。

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早稲田大学ビジネススクールの長沢伸也教授は、こう解説する。

「アサヒビールは、『なだ万』の『歴史』を買ったのでしょう。同社は現在外食事業にも積極的に進出していますが、客単価の高い高級レストランへの展開を考えた場合、新規に出店すると莫大な資金が必要になる。ところが『なだ万』を子会社化すれば、既存の店舗もあるし、『なだ万ブランド』も一緒に付いてくる。まさに一挙両得です」

アサヒグループHDは今年2月に本格展開した高級志向ビール「ドライプレミアム」が大ヒットし、10月末には今年1~9月期が増収増益になったと発表。ライバルのキリンHDが通期営業利益見通しを前年比16%減と下方修正したのに比べ、好調を維持している。そんな中、「なだ万」を買収することで、高級路線を加速させる狙いがあるのだろう。

「昨年末、和食が世界無形文化遺産に登録され、世界中の注目が集まっています。『なだ万』が出店する海外店舗で自社商品を出せば、アサヒビールの認知度アップにも繋がると踏んでいるのでしょう」(岡三証券ストラテジストの小川佳紀氏)

そもそも、「なだ万」はこれまでも扱うビールの9割をアサヒ商品が占めるなど、両社の繋がりは深かった。アサヒビール経営企画部の担当者はこう説明する。

「今回の買収で『なだ万』さんを子会社化することで、長年培ってこられたノウハウを吸収し、今後さらに弊社の商品を外食企業に取り扱っていただけるような『提案力』を身に付けたいと考えています。株式を過半数取得するのも、我々自身が責任を持って『なだ万』さんを運営し、経験を積もうという目的のためです」

一方の「なだ万」も本誌の取材に対し「アサヒビールさんという大企業が後ろにつくことで、より一層、社としての信用が高まると期待しています」(同社総務部)と答える。

国内屈指のブランド力を誇る「なだ万」と、外食産業に打って出ようというアサヒビール。外野がどう言おうと両社にとって、今回の買収は明るい出来事のように見える。

しかし、この買収劇の裏には、「なだ万」の深い苦悩が隠されていた。

「以前から、『なだ万』の経営が厳しいという話は社内のあちこちで囁かれていました。直近の'14年4月期は売上高150億円に対して、営業利益は5億円ほど。従業員約1300人を抱える規模の企業にしては、心もとない金額だと言えます。

さらに、オーナー企業だからか、一部では一般企業に比べて経理が不透明だという指摘があるのも事実です。その点でも、『なだ万』は不安要素を抱えています」(「なだ万」元社員)

のれんのデフレ化

同社はここ数十年、料亭の売り上げ不振を惣菜・弁当などの多角経営でカバーするというパターンを繰り返してきた。

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現在、「なだ万」は料亭を国内に27店舗、海外でも中国やシンガポールなどに7店舗を出店している。だが、全国の百貨店やデパートで惣菜・弁当を販売する「なだ万厨房」は37店舗と、料亭の数を上回る。この構図が、まさに「なだ万」の体質をあらわしている。

「今振り返ると、事の発端はやはりバブル崩壊でした。'93年以降、料亭に来るお客さんは目に見えて少なくなってしまった。『なだ万厨房』が次々に出店されはじめたのは、それからです。特に'96~'98年にかけては、約20店舗もの新規店を出店する、まさにラッシュが続きました。

当時、『なだ万』ブランドの食品が料亭よりも格安で味わえる、ということで『なだ万厨房』は人気を博し、料亭の失速をカバーしました」(「なだ万」関係者)

その後も「なだ万」には経営危機が訪れるが、窮地を救ったのは、またも惣菜・弁当事業だった。

「'07年に『船場吉兆』で食品の偽装表示が発覚し大問題になりましたが、その影響は業界全体に波及し、どこも客数が激減しました。

さらに'08年には『なだ万・グランドハイアット福岡店』で食中毒事件が起きた。同時期に発生したリーマン・ショックの影響もあり、経営はますます苦しくなった。そこで再びオーナー一族は『なだ万厨房』の新規出店に力を入れ始めたのです」(前出の関係者)

それ以降も、「なだ万」ブランドでラッピングされた惣菜・弁当が、「本体」である料亭の不調を補塡する経営体質は、変わらなかった。現在はおせちなどのインターネットでの取り寄せサービスも行い、通販にも注力している。

料亭だけでは経営が成り立たない以上、「なだ万」を企業として存続させるためには、多角経営や拡大方針は止むをえない選択だったのかもしれない。

しかし、売り上げのために廉価な商品を販売し、ブランドを安売りするかのような経営手法は、同時に老舗料亭をむしばむ「諸刃の剣」にもなった。

「『なだ万厨房』は料亭部門に比べて利益率が圧倒的に低い。労多くして実入り少なしで、社員も次第に疲弊していきました。

そもそも『なだ万』に入社してくる料理人には、修業を積み、いつか自分で店を持ちたいという志を持った人が多い。それが厨房部門に配属させられ、弁当を詰めるだけの仕事しかできなければ、嫌気がさすのも当然でしょう。そんな経営を続けると、料亭にとって『命綱』である料理人の腕を落とすことにも繋がってしまう。実際、今の『なだ万』に幻滅して辞めていく板前は多いんです」(前出の関係者)

つまり、「なだ万」は上流階級御用達のブランドから一般大衆化し、「のれんのデフレ」を起こしてしまったのだ。

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「たとえば今、コンビニで『なだ万』監修の味噌汁が売られていますが、それが本当に『なだ万』のためになるのだろうかと疑問に思います。

老舗料亭の味というのは、その店でなければ味わえないところに価値がある。料理の味はもちろん、盛られた器や店の雰囲気、料理人との会話を通して五感で楽しむものです。ルイ・ヴィトンは決してコンビニで商品を売ったりしません。デパ地下やコンビニ、インターネットへの事業展開が結果的に『なだ万』の格を下げ、ブランドの劣化を招いたのは否定できないでしょう」(前出の丹下氏)

「なだ万」が経営多角化に方向転換したのには、オーナー一族の世代交代も大きな転機となったという。

「大阪の商家というのは、通例として長男は跡を継がないケースが多い。現社長の正幸さんも、妻であり女将である祐子さんの婿養子です。'89年に先代から彼らの代になって、良くも悪くも『なだ万』は変わった。先代は事業展開といってもホテルへの出店にとどめていました。次々に拡大戦略を仕掛けるようになったのは、今の社長と女将になってからでした」(「なだ万」出身で、現在独立し料理店を営む元社員)

そこには、経営者として企業を生き残らせなければならないという、苦渋の決断があったはずだ。

「おそらく、正幸さんや祐子さんらオーナー一族は、『なだ万』ののれんを切り売りして生き延びるような方針に、限界を感じていたのでしょう。

今や高級料亭の需要は縮小し、さらに惣菜・弁当販売でブランド力が低下するなかで、将来的な先細りは目に見えています。200年近く続く伝統は守っていかなければなりませんが、単独で打てる手はもはや限られている。その狭間で出した結論が、『のれん売り渡し』だったのでしょう。大企業の傘下に入り、庇護を受けることで、将来へ一縷の望みを繋いだのかもしれません」(前出の関係者)

何を守るべきなのか

そんな「なだ万」とは対照的に、「質」にこだわることでどん底から這い上がり、復活を果たした老舗料亭もある。前出の河内氏はこう語る。

「『船場吉兆』は、食品偽装問題を起こしてから大阪・北新地で再出発していますが、味がいいと評判になり、再び注目を集めています。『吉兆』は現在、経営者一族の本名である『湯木』という看板を掲げ、それまでの多角経営をやめている。事業を絞り込み、『味』を追い求める本来の姿に集中したことが功を奏したのでしょう」

伝統を守り通すのか、大企業の買収に応じ、生き残りをかけるのか—。今、多くの老舗は「なだ万」と同じような境遇に置かれている。河内氏は続ける。

「老舗と言われる企業は、ただ漫然と同じことを繰り返すだけではじり貧になってしまいます。これからの時代、経営多角化や買収など、老舗は会社の将来を左右するような厳しい判断を迫られる状況に立たされることになるでしょう。

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そんな時代にあって、『なだ万』は経営を大企業に委ねるという選択肢を選びました。日本を代表する料亭が売り渡されることに関しては、個人的に一抹の寂しさを禁じ得ません」

「なだ万」は今回の買収劇で、そのブランド力だけでなく、長い時間をかけて蓄積されてきた職人技をも失いかねない決断を下した。それでもなお、会社の存続を優先させたのだ。

江戸時代から続いた184年の歴史をかなぐり捨てて新たな道を歩む名門料亭。その舵取りが正しかったのかは、これから明らかになるだろう。

「週刊現代」2014年12月6日号より

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