生徒が自分の行動に責任を持たなければいけないドイツに比べて、子供をうまく独立させてやれない日本の教育の問題

 ドイツの学校は、特に4年間の小学校が終わると、勉強をするだけのところとなる。教師は、生徒のプライベートな事柄には一切かかわらないので、日本のように、クラスがコミュニティー性を持つこともほとんどない。学校では、まず成績がものを言い、人間性を育むといった二義的な機能は重視されない。義務教育の最中でも落第がある。当然のことながら、勉強ができない子にとっては、学校は憂鬱な場所となり、教師と生徒の関係もあまり発展しない。

 その点、日本の小・中学校のクラスは、コミュニティー性が高い。教師と生徒の結びつきも強い。学校は、もちろん勉強をする場だが、その他にもいろいろなことが営まれるので、たとえ勉強が苦手な子供でも、それなりに活躍する場所を見つけることができる。

 体育が得意な子は各種スポーツ大会の花形になれるし、各部活動の場では、勉強以外の序列が出来上がる。責任感の強い子、統率力のある子はクラスや部をまとめて、それなりのステータスを持てるし、また、目立たなくても優しい子、あるいは、人を助けたり、人の相談に乗ったりといった社会的能力のある子は、友達の信頼を勝ち取る。ユーモアに富んだ子は人気があるし、教師に刃向う子はちょっと尊敬されたりもする。

 勉強だけがすべてではないということを、子供たちは、明確に意識してはいないかもしれないが、身をもって体験している。日本人の、他人を認める気持ちと協調していく能力、それはよく「和」という言葉で表わされるが、それは、まさしくこの小・中学校時代に養われるのだと思う。

 昔、長女が日本の中学校に体験入学させてもらったことがあった。私の友人の娘と共に、制服を着て、数日間学校に通ったのだが、そのときの感想は、「日本の学校の先生は、友達みたい!」 アットホームな雰囲気が心地よく、楽しくて仕方がなかったようだ。

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 確かに、日本の学校では、教師と生徒が共に過ごす時間が長く、特に小学校では一緒に給食を食べたり、清掃をしたりと、その関係は家族のようになる。ドイツの学校では、教師と生徒が一緒に昼食をとることはない。

 清掃も生徒がいない間に為される。生徒に清掃などさせると、不快に思う親がいるのだと思う。子供を学校にやるのは、勉強をさせるためで、掃除をさせるためではない、自治体が予算不足だからと言って、子供を使うのは何事か、とかなんとか。清掃は、仏教では重要なお務めの1つだが、他の宗教にそういう考え方はない。

 自分の家をあれほど念入りに掃除しているドイツ人だが、学校は自分の家の範疇には入らない。だから、市役所や病院の清掃を自分たちでしようと思わないのと同様に、学校も自分たちが掃除するところだとは思わない。人の家の掃除など、下人の仕事と思っている人もいるだろう。

 ドイツの小学校は、原則として午前中で終わる。朝は、必要とあれば7時45分ごろから始め(1,2年生は授業時間が少ないので必要ではない)、10時過ぎの「第2の朝食」の20分ほどの休憩のほかは、5分間の休憩で授業を詰め込む。「第2の朝食」は、各自が家から持ってくる。ちゃんとサンドイッチのようなものを持ってくる子もいれば、りんご1個の子も、お菓子の子も、また、何も持ってこない子もいる。そして、昼食は原則として自宅。

 ただ昨今は家へ帰っても、親が働きに行っていてちゃんとした昼食をとれない子供は多い。しかし、給食などという面倒でお金の掛かることを始めようとする自治体は無いし、教師も勤務時間が増えるので敬遠する。たまにギムナジウムで簡単な学食が整備されているところがあるが、それは、熱心な父兄のイニシアティブで機能している。学校は、補佐程度の役割しか果たさない。結局、子供の食生活はかなり犠牲になっている。

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