NPO法人『福祉広場』代表の池添素さんは、不登校や発達障害の子どもと親にかかわり続けて40年、子どもの不登校に悩み苦しむ親たちを支えてきた。
前編【ある日突然不登校になった小2息子…新卒23歳担任が告白した「原因になったかもしれない」出来事】では、小学校2年生の9月にある日突然不登校になった息子と向き合うマサトさん(仮名)についてお伝えした。不登校になった理由がわからず、池添さんに相談したマサトさん夫婦は、自分たちの発言や行動を振り返り、行動を変えていく。しかし学校は「連れて来てくれたら、こちらでやります」と言いスタンスを変えず、発達障害に詳しい池添さんや発達の専門医らの相談機関とスクラムを組みたがらない。次第に息子のアキラくん(仮名)は学童に通うようになる。そんなある日、いつもの面談で担任の先生が「不登校の原因になったかもしれない」と半年前の出来事について話してくれた。
担任の先生の告白を「ターニングポイント」と語るマサトさん家族は、学校と話し合い、何を考えるのか。そして、池添さんが不登校児の親たちを勇気づけ、闇から救い出した言葉とは。ジャーナリストの島沢優子さんがレポートする。
池添 素(いけぞえ・もと)
NPO法人「福祉広場」理事長。京都市職員として保育所や児童福祉センター療育課などで勤務した後、1994年に「らく相談室」を開設。2012年にNPO法人福祉広場へ移行し、相談事業を継続している。子育て相談、発達相談、不登校相談、ひきこもりや親子関係の相談など内容は多岐にわたり、年齢も多様な相談を引き受けている。著書に『ちょっと気になる子どもと子育て―子どものサインに気づいて』『いつからでもやりなおせる子育て―子どもといっしょに育ちを振り返る』『笑顔で向きあって-今日から始める安心子育て-』『子育てはいつもスタート―もっと親になるために』『いつからでもやりなおせる子育て第2章』(いずれも、かもがわ出版)『育ちの根っこ―子育て・療育・つながる支援』(全障研出版)『子どもを笑顔にする療育―発達・遊び・生活』(全障研出版)『連れ合いと相方―介護される側と介護する側』(共著=かもがわ出版)立命館大学産業社会学部 非常勤講師、京都市保育園連盟巡回保育相談員。
学校の対応と息子の変化
学校への要望が少しずつ通るようになった。
まず、池添さんや発達の専門医らと連携をとってくれるようになった。そのおかげで、アキラくんは学校の外にある学習障害(LD)の子どもをケアする「LD教室」に通えるように。勉強のサポートをしてくれ、学校以外の居場所にもなりうるところだ。特別支援の教員とも連携をとってくれたり、チームで動いてくれるようになったことで、3年生で担任になった教員らも理解を持って寄り添ってくれるようになった。
アキラくんは、読み書きが難しかったり、例えば漢字の書き順が困難だった。文章の理解やとらえ方が他の子どもと少し異なる。話し言葉の理解も、とらえ方が違ったり、理解がうまくできないこともある。池添さんからは息子に合ったアプローチの仕方を考えてあげたほうがいいとアドバイスされた。
能力に凹凸があるため、漢字がスムーズに書けない一方で自分の好きなことに関する知識の吸収は凄まじかった。魚が好きで、図鑑を読みふけった。世界の海域ごとに生息する魚を言えた。見ただけで魚の名前もパッと出た。LD教室のスタッフに魚好きを伝えると、興味に合わせて魚を使った教材を作ってくれた。おかげで、学習の遅れが少しずつ解消された。
魚好きになったのは、2年生で不登校になった時期からだ。同居する祖母と近所の魚屋に行って興味を覚えた。もともと生き物が好きな子だったがより興味が広がったようだった。不登校で家にいた時間を使って、魚屋をはじめ水族館にも通うようになった。祖母や母親と一緒に魚を調理。2年生で包丁を持ち、魚をさばけるようになった。最初にさばいたのはサバだ。
マサトさんが帰宅するとテーブルに塩サバが。祖母に「これ、アキラがさばいたんだよ」と言われて驚いた。学年が上がるごとにさばける魚は大きくなり、鯛やマグロもさばけるようになった。買ったものでは飽き足らず、保育園時代に経験のある釣りに行く頻度が増えた。マサトさんは魚をさわれないほど苦手だったが、息子に付き合って休日は海に向かった。