『行政マンとして図書館員が忘れていること』(樹村房)という本が刊行された。図書館は行政サービスの一環であり、公共図書館で働く人は行政の一翼を担っている――言われてみればそうなのだが、しかし、筆者はそういう視点で図書館を捉えたことがなかった。
茨城県鹿嶋市、長野県塩尻市で図書館長を務め、現在は古書店を経営する編著者の内野安彦氏は、図書館側が「行政マン」だという認識を欠いていることこそが、公共図書館が年々予算を減らされていく要因になっていると語る。どういうことなのか。内野氏に訊いた。
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図書館員は今使っている「利用者」の声は拾うが、「市民」全体のことは考えていない
――「図書館員は行政マンである」という認識はなぜ乏しいのでしょうか。図書館員自身に限らず、利用者や政治家にもその認識は薄いですよね。
内野 なぜそのことを訴えるようになったのかについて、少し私自身の話をします。私は昭和54年に鹿嶋市役所に入って以降18年間、本庁で総務、企画、人事畑を歩いたのちに教育委員会への出向が命じられ、長年望んでいた図書館で働くことになりました。
私は同じ「行政」のなかで仕事をしているつもりであったのですが、いざ図書館で勤めはじめるとスタッフは本庁で起きていることにあまりにも関心がない。図書館に来られる「利用者」にしか耳を傾けていませんでした。たとえば7万人いる市なら7万人の「市民」みなさんのために働いているはずなのに、来館者のほうしか向いていない。これは行政マンの態度としてはまずかろうと思ったわけです。
多くの自治体で公共図書館を年1回以上利用される方はおおよそ2~3割です。図書利用カードの登録者は5~6割ですが、実際は小さいころに作ってもらったきり長い間図書館を利用していない方を削除せず、そのままにしている図書館もある。もちろん、公共施設のなかではもっとも使われている場所ではありますが、しかしそれでもたとえば市民プールや体育館では、行政側の目線は特定の「利用者」ではなく「市民」全体のためにあります。
7割も図書館に来ない、来られない人がいる。であれば、7割の方の声にも耳を傾けないといけない。図書館は「来館者」に対してはよくアンケートを取っていますが、よく来る人の満足度は高いに決まっています。「満足していない」という声を拾わずに、利用率や資料、開館時間の「満足度が高い」と言っても市民に対する行政サービスとしては意味がないわけです。ただの自己評価ですから。