政府の見解は本当か
5月10日に発表された2019年1-3月期のGDP第一次速報値の内容は衝撃的であった。
実質GDP成長率自体は、季節調整済み前期比(年率換算)で+2.1%と予想外のプラス成長だったが、このヘッドラインの数字をもって「景気が底堅い」と判断した人は、ごく少数だった。
最近はあまりにミスリーディングな報道内容が多いメディアも今回のGDP統計の内容はむしろ悪かったという方向性で報じていたので、むしろ日本経済の実態はそれほど悪いのかと驚いた。
とはいえ、政府は、このGDP統計の内容から、10月の消費税率引き上げを見送るという判断には至らなかったようだ。「内需は底堅く推移しており、世界経済にもリーマンショック級の危機が来る可能性は極めて低い」ということがその理由のようだが、果たして本当にそうなのだろうか。
先週の当コラムでも指摘した通り、今回の2019年1-3月期のGDP統計では、①民間消費、②民間設備投資、③輸出、の主要3項目がそろって前期比マイナスを記録した。
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現在のGDP統計は、「2011年連鎖価格基準」で作成されているが、この基準で作成された1994年以降で、この主要3項目がそろって前期比マイナスを記録したのは今回も含めて100四半期中13回だけであった。
今回とその前の2018年7-9月期はまだわからないが、それ以外の11回については、いずれも比較的大きな世界的な景気悪化に見舞われた時期であった。さらにいえば、今回のGDP統計では輸入の大幅な減少も話題になったが、この13回中、12回で輸入は減少している。
すなわち、今回のGDP統計は、日本経済が、世界的な景気の悪化に巻き込まれつつあることを示唆するような結果ではなかったかと思われるのである(図表1)。
全く異なる2つの問い
次に、その世界景気の状況だが、オランダのCPBという政府機関が毎月発表している「World Trade Monitor」によれば、世界全体の貿易量は、直近(2019年2月)時点で前月比-1.7%の減少であった。
この世界貿易量の減少だが、ピークだった2018年10月から累計すると、-3.5%の減少である。この「3.5%の減少」をリーマンショック前後の世界貿易量の減少局面と比較すると、当時のピークである2008年1月からの計算で、ちょうど2008年9月(-3.1%)と2008年10月(-4.1%)の中間くらいの減少幅ということになる。
2008年9月が、リーマンショックが発生した月であることを考えると、現時点の世界貿易量の減少は、ちょうどリーマンショック発生直後の状況と類似していることがわかる(図表2)。
ちなみに当時の政府の見解は、「日本経済にとってリーマンショックは蚊に刺された程度である」というものであった。
また、世界の輸出量の伸び率の推移をみると、足元の伸び率の低下幅が、2001年のITバブル崩壊時、もしくは、2008年半ばのリーマンショック時の減少パターンに酷似していることがわかる(図表3)。その中でも特に、新興国からの輸出の伸び率の急激な低下はリーマンショック時と酷似している。
「今後、リーマンショック級の経済危機が起こりうるか」という問いに対する答えを考える場合、多くの人が陥りがちな失敗は、この問いを「今後、リーマンショックと同じパターンで同じ規模の経済危機が起こりうるか」という問いに置き換えてしまうことではなかろうか。
一見同じようにみえる2つの問いだが、実は全く異なる問いである。
リーマンショックとは、証券化商品に対する行き過ぎた投機によって金融機関が破綻したことによって、網の目のように複雑化した銀行間の資金のやり取りに齟齬が生じ、これをきっかけに金融機関の資金仲介機能が麻痺したために発生した危機である。
最終的には、金融機関の資金仲介機能の麻痺によって、貿易信用が機能不全に陥ったことで、世界貿易量が急激に収縮したために、金融市場だけではなく、実体経済にも深刻な影響が生じた。
このプロセスだけを考えると、今回は、リーマンショックにおける「サブプライムローン」のような投機的取引が世界中で蔓延しているわけではなく、従って、金融機関の破綻による銀行間市場の崩壊とそれによる資金仲介機能の毀損というリーマンショック型の危機が発生する可能性は、現段階では非常に低いのは確かである。
(経営状態が思わしくない大手金融機関が全く存在していないわけではないので、何らかの要因でその金融機関が経営破綻した場合にリーマンショック型世界危機が発生する可能性が完全に否定されるわけではない。ただし、リーマンショックの教訓を含む政府による救済の可能性が高いので、現時点でそのリスクを考えるのは早計であろう)
したがって、後者の問いにすり替えてしまうと、当然のように、「今回はリーマンショック級の経済危機が発生する可能性は極めて低い」という答えになる。
だが、本来の問いである前者の答えが同様になるとは限らない。世界貿易が急激に収縮していくパターンは、なにもリーマンショック型の貿易信用収縮だけではないためだ。
考えてみれば当たり前だが、今回のケースでいえば、米中貿易戦争の激化によって世界貿易量が激減するシナリオも想定されなくもないだろう。
意図せざる負の連鎖
米中貿易協議は5月のゴールデンウィーク明けにも妥結、というのが多くの人が描く4月までのメインシナリオだったが、見事に覆された。
米国トランプ政権側が中国の要求を撥ね付け、一転、中国からの輸入品全品に25%の制裁関税を課すという事態になり、中国側もこれに対応して、金額は米国より少ないものの、対抗の制裁関税を課すという。
米国は、中国の通信機器に対する締め付けも強化していることから、廉価ということで市場シェアを拡大しつつあった中国製の通信機器の売上は急激に減少することが懸念される。
この中国製通信機器を中心としたサプライチェーンに組み込まれている東アジアの関連製造業(日本のメーカーも含まれる)の取引量の減少、そして、それにともなう意図せざる在庫調整、生産調整という負の連鎖が今後、さらに強まる可能性が高い。
このような事態に陥ると、当該企業の設備投資も減少せざるを得なくなる。関連する設備の多くを日本企業が生産・出荷していることを考えると、すでに工作機械や産業用機械の受注は激減しているが、これ底打ちするタイミングはますます見通せなくなる。
こうした米国トランプ政権の制裁に対し、中国習近平サイドも黙っておらず、強硬な姿勢を続けるならば、今後、米国側の制裁と中国側の報復はさらにエスカレートすることも考えられる。場合によっては、制裁関税の引き上げから輸出規制などへエスカレートするかもしれない。
リスクはそれだけではない。米国のイランに対する制裁は、中東諸国からアフリカ、場合によっては欧州諸国をも巻き込むリスクをはらんでいる。
従って、金融危機が起きなくても、今後、世界貿易量が急激に縮小していくストーリーを描くことが可能ではないかと考える。
荒唐無稽とはいえないストーリー
もう一つ、今後の世界貿易量の急激な減少の要因となりうる懸念材料がある。それは「中国の外貨(ドル)不足」の懸念である。
中国の米国債保有残高の推移をみると、米中貿易摩擦が激化した昨年半ば以降、減少傾向にある(図表4)。
このところ、減少ペースは鈍化しているが、この先どうなるかは不透明である。過去において、この中国の米国債保有残高が急激に減少する局面では中国経済が非常に大きな減速を経験している。
2015年半ばから2016年にかけての「チャイナショック」がその代表例である。当時も、中国の米国債保有残高が急激に減少したが、同時に米国長期金利が上昇し、これをきっかけに世界のマーケットが大きく動揺した。
中国企業のドル不足、もしくは、ドル建てで発行した社債の償還資金(ドル)の調達に苦慮する中国企業の話などがメディアで出てきており、中国がドル不足に直面するようであれば、これをきっかけに中国経済が急激に悪化し、世界全体の景気を悪化させる懸念もある(その他、中国が膨大な金額の資金提供をしているベネズエラの情勢も気になる)。
以上のように、現段階では「リスクシナリオ」に過ぎないが、世界経済がリーマンショックとは異なるプロセスで「リーマンショック級の危機」に陥るリスクを、荒唐無稽とはいえないストーリーで想定することが可能になってきている。
一方、世界経済が順調に成長率を回復させていくストーリーを、説得性をもって描くことは段々と困難になってきている。
このような世界経済の下で、内需の悪化をもたらしかねない消費税率引き上げを断行するというのはあまりにも危険極まりないのではなかろうか。