今回の【SPOTLIGHT】シリーズでは、『アイドルマスター』シリーズを筆頭に、『エースコンバット』シリーズや『テイルズ オブ』シリーズ、『鉄拳』シリーズなど、幅広い自社IP(※1)の商品展開やイベント企画運営にさまざまな形で携わってきたマルチプレーヤー・梅木馨さんに焦点を当てます。
「誰でもやりたがる仕事は、やれる人がたくさんいるから代わりも利きやすいし、多くの人がノウハウをもちやすいのかと。でも、やりたい人が少ない仕事はその分専門性が高くなり、やる人の価値も高くなると思うんです。」(梅木)
2024年で30年を迎えたキャリアを振り返っていただき、『アイドルマスター』シリーズ立ち上げ当時と現在の思いや、仕事への向き合い方を伺いました。
※1 IP:Intellectual Property=キャラクターなどの知的財産
【SPOTLIGHT】とは?
ファンファーレ編集部が、今気になるバンダイナムコエンターテインメントの社員に話を聞く連載企画。仕事に取り組む社員の素顔に【SPOTLIGHT】を当てて、これまでの経験や思い、本人のキャラクターを紐解きます。本シリーズを通して、これからのエンターテインメントが作る未来を照らします。
自社IPの商品・サービス展開やイベント企画など、幅広く活躍する梅木馨さんにインタビュー。2025年に20周年を迎える『アイドルマスター』シリーズの立ち上げ参加時に抱いた作品への印象、同シリーズが長年にわたり愛され続ける要因、仕事で大事にしている当事者意識などについて伺いました。
梅木 馨さん
バンダイナムコエンターテインメント
AE事業部 プラットフォームプロダクション 上級スペシャリスト
数々の部署移動を経て、初代『アイドルマスター』立ち上げに参画
――まずは現在のお仕事について教えてください。
梅木:自社IPのイベントや商品化、各種サービスに関する企画制作、販売、運営などを行っています。座組や商的流通など土台がすでにできあがっているものは担当者のサポートを、新たに構築する必要がある場合は自分が直接担当する場合が多いです。
近年だと、自社のチケット販売システム「ASOBI TICKET」や、ライブイベント「異次元フェス アイドルマスター★♥︎ラブライブ!歌合戦」、直近では「THE IDOLM@STER M@STER EXPO」の企画運営などを担当しています。
『アイドルマスター』シリーズのライブでは2024年から、リサイクル可能なケミカルライトを販売・回収するといった、環境問題への取り組みとしてファンも気軽に参加できるサステナブル活動を行っておりますが、このような施策にも参加してきました。
――入社されてから現在に至るまでを、簡単に振り返っていただければと思います。
梅木:1994年にナムコ(当時)に入社したので、もう30年になるのかと感慨深いものもありますね(笑)。学生時代はアナログ、デジタルを問わずゲームを遊びまくっていて、PCの知識もそれなりにあったためか、入社して最初は商品部というところに配属されました。当時のナムコはアミューズメント施設を運営していたんですけど、その施設に設置するために他社さまの筐体を買い付けたりする部署ですね。
部署内に数台のPCとワープロしかない時代でした。
――最初は、現在とはかなり異なるお仕事をされていたんですね。
梅木:3、4年ほど経つと、生意気にも仕事がルーチンワークのように思えてきて。元来オタクだったのもあり、キャラクターライセンスやゲーム音楽の許諾を扱っていた隣の部署への異動を申し出たんです。異動できたのは、ちょうど『テイルズ オブ デスティニー』がリリースされたころでした。
最初は自社IPの使用を他社さまに許諾するライセンスアウトを担当していましたが、しばらくすると、他社さまのIPをお借りしてアミューズメント施設の景品を作るような、ライセンスインも担当するようになっていきました。
ライセンスビジネス全般を扱うようになって1年ほど経った1999年。キャラクタービジネスやPCゲーム、海外コミックなどの許諾を管轄していた複数の部署が統合され、その新しい事業部でライセンスの業務ではなく、部署内の計数管理などを主に担当することになりました。少し不本意な部分もあったのですが、結果的に収支の予想・実績といった計数管理や、社内稟議の起案・審査、備品発注、資産管理といった部内の庶務、そして実務担当者のさまざまなサポート業務を学ぶきっかけになったかなと思います。
――再びキャラクターを扱うことになるきっかけは何だったのでしょうか。
梅木:管理業務を担当していた傍らで多少はライセンスの業務もやらせてはもらっていたのですが、大きな転機となったのは、2003年に発売された『ゆめりあ』というナムコ(当時)初の恋愛アドベンチャーゲームです。これはゲームだけではなくメディアミックス展開も視野に入れたタイトルだったため、キャラクタービジネスを扱ってきた人を入れたい、ということで私にお声がかかったのではなかったかと思います。
『ゆめりあ』は3Dモデルを活かしたコンテンツだったのですが、立ち上がりつつあった『アイドルマスター』ともお互いに何かできないかというお話をいただいたんです。
――そういった流れがあって『アイドルマスター』シリーズに関わっていくんですね。
梅木:そうなんです。当時、『アイドルマスター』の企画者であり、アーケード版のディレクターを務めていた石原章弘さんから、キャラクターデザインの候補に挙がっていた窪岡俊之先生とコンタクトが取れないか、と伺ったんですよ。それで『ゆめりあ』にも関わっていた同期のツテを通じて窪岡先生を紹介いただいて、石原さんといっしょに窪岡先生とのお打ち合わせの場に臨んだこともありました。
その後、「アイドルだから音楽CDを出したいよね」ということで『トラック狂走曲』や『ミスタードリラー』などでご縁のあった日本コロムビアさまにご提案したところ、CD化を快く引き受けてくださり、発売されたCDが非常に好評だったので日本コロムビアさま側からリリースイベントをやりましょうとお話をいただき、さらにそれも好評だったのでライブもやりましょう……と次第次第に発展していきました。
『アイドルマスター』立ち上げの詳しい話はこちらの記事で読めます!
――ライブイベントまで手がけるようになっていったと。
梅木:当時と今とではイベントの座組も違いますが、『アイドルマスター』シリーズのライブイベントを参考に「テイルズ オブ フェスティバル」の立ち上げに協力するなどしました。そのほか『テイルズ オブ』シリーズや『ゆめりあ』などのアニメに関わってきたこともあり、『アイドルマスター』シリーズのアニメ製作委員会の運営などにも携わってきました。そういったもろもろを経て、会社の組織変更などもあって今に至る、という感じですね。最後はだいぶ駆け足でしたが(笑)。
『アイドルマスター』シリーズは愛情・知恵・運に支えられてきた
――立ち上げ当初の『アイドルマスター』に対して、どのような印象を持たれていましたか?
梅木:当時のナムコでは、『ワルキューレの伝説』や『ワンダーモモ』といったヒロインが登場するゲームはありつつも、『エースコンバット』シリーズや『テイルズ オブ』シリーズ、『鉄拳』シリーズのような、どちらかというと硬派でヒロイック(英雄的)寄りの作品が主流だった印象です。
そういったなかで生まれたIPでしたし、自分の好きな作品に関わっていらっしゃった窪岡先生が生み出されたアイドルたちにも愛着はありました。このアイドルたちがデビューしていずれ大物になったらいいな、その手助けがしたいな、くらいに思っていました。
――多くの自社IPに携わってきた梅木さんにお聞きしたいのですが、『アイドルマスター』シリーズが20年愛される作品となった要因は何だと思いますか?
梅木:いろいろな要因があると思うんですけど、個人的に挙げられるかなと思ったのは愛情と知恵、そして運ですかね。プロデューサーさん(『アイドルマスター』シリーズではプレーヤーのことをプロデューサーと呼ぶ)や、声優さん、関係スタッフなど関わる皆さんに『アイドルマスター』シリーズへの並々ならぬ愛情があふれています。
ライブイベントでは担当するアイドルのパフォーマンスを見て泣き崩れる方がいたり、ステージに向かって「ありがとう!」と言っていただいたりして、強く愛されているなと感じます。運営関係者の皆さんも、さらに喜んでもらおうと力を注いでくれていて、愛情にあふれている現場だと思いますね。
梅木:お客さまからの問い合わせ対応にも携わっているんですけど、ときにはやっぱり厳しいご意見をいただくこともあるんです。愛情ゆえの厳しい意見にスタッフ一同身を引き締めたりするのですが、そういった生の声に触れても愛されているのが伝わってきます。
2つ目の知恵については、立ち上げ当時は主流のジャンルではなく予算も限られていましたし、社内の注目度も高くはなかったので、「お金を使うより知恵を使う」というのを自主的なスローガンとして言っていたんですよ。そういったなかで、先ほど触れた日本コロムビアさまのように協力してくださるパートナーさまと「どうやったら楽しいことができるか」をスタッフ一同で知恵を絞ってきたつもりです。
あとは運……ですかね。例えば、錦織敦史監督のアニメ『THE IDOLM@STER』が放送されてシリーズが勢いづくきっかけになったことも運がよかったと思います。また、アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』のように、2期の放送中にゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』が配信されて、結果的に弾みがついた例もあります。
――自分はニコニコ動画でファンの方が作ったMAD動画から『アイドルマスター』シリーズを知ったのですが、そうした動画サイトが盛り上がってきたタイミングと噛み合っていたのもよかったですよね。
梅木:そうですね。プロデューサーさんたちがオリジナルのMVを公開されていたり、歴史上の武将や戦略シミュレーションゲームのキャラクターをアイドルたちで再現した、いわゆる架空戦記ものみたいなのがあったりして。ニコニコ動画というプラットフォームの人気と、家庭用ゲームソフト『アイドルマスター』のリリースが上手く重なったのもあるかと思います。
自主制作物に関わるなどされていた方々が、今ではバンダイナムコグループの社員になっていたり、取引先に勤めていらっしゃったり。愛され続けている作品だと感じます。
人生を振り返ると、いろいろなことが仕事の役に立っていると思える
――ここからは梅木さんの仕事観についても伺っていきます。これまでのお仕事を振り返って、特に苦労された経験を伺えますか。
梅木:印象深いのは、やはり新型コロナウイルス感染症に伴う諸々の対応ですね。
過去にも新型インフルエンザの影響で公演を延期するなどはあったのですが、この時は規模と影響が桁違いでした。緊急事態宣言なんて誰しも初めての体験です。次第に深刻になる環境に対して、どのように打ち手を講じて、社内確認をとり、お客さまにご案内するか……といった対応が後手後手になりそうだなと感じていました。
しかし、誰かが率先して行動しないと話がまとまりませんから、特に大きな影響を被る有観客のリアルイベントを担当している自分が積極的に動くことにしました。コロナ禍における対応フローやマニュアル、お客さまへの対応や告知内容といったものをまとめて、社内で役立ててもらえるようにしたんです。
お客さまや出演者、スタッフの皆さんのおかげで開催できる、生身の人間が関わりあって創られていくのがイベントだと思っていますので、もとより開催あたってはさまざまな責任と相応の覚悟が必要なのですが、より一層、そうした意識が高まった経験でしたね。
梅木:2024年12月開催の「THE IDOLM@STER M@STER EXPO」でも、会社にとって新しいことをたくさんやろうとしていて、決めないといけないことがものすごく多いんですよ(※本取材は2024年10月に実施しました)。それこそイベントを何本も同時に走らせているような忙しさで、これまでの一生で決めてきたことよりも、この1年で下した決めごとの数のほうが多いんじゃないか、とすら思えます。
そこで間違えるようなことがあっても、人のせいにはせず、当事者として自分が責任を持つ覚悟を決めるようにしています。苦い経験を経て当事者意識が高まったからこそ、自分が率先して動かなくちゃ、と思えているのかもしれないです。みんなが受け身だと何も進まないので、とにかくやるぞと。
――受け身にならず積極的に何でもやってみるのは、梅木さんのポリシーなのでしょうか。
梅木:そうですね。よほど忙しいときでなければ、相談や依頼もいったんは全部聞くように心掛けています。
これまでにいろいろな職種やIP、トラブル処理に携わってきた、要するに何でも拾ってきたつもりですけども、その結果、自分自身の価値・存在感が向上して今があると思えるんですよね。
誰でもやりたがる仕事は、やれる人がたくさんいるから代わりも利きやすいし、多くの人がノウハウをもちやすいのかと。でも、やりたい人が少ない仕事はその分専門性が高くなり、やる人の価値も高くなると思うんです。ですので、これから社会に出る方には、「何でもやってみる」といいんじゃないかと思います。
――社内でさまざまな相談を受けるといいますが、人との接し方で心掛けていることはありますか?
梅木:これは昔から自然とやっているつもりですけど、乱暴な言葉を使わないとか、丁寧に対応するとか、相手を尊重する、といったことは意識しています。それぞれに立場や考えに違いがあるなかで、自分の立場や主張を一方的に通そうとしても理解は得られにくいじゃないですか。
交渉ごとにしても、どういう背景や立場があってその条件が出てきたのか、何が譲れてどこは譲れないのかなどを会話の中で紐解き、論点を整理し着地点を見出して、最終的に合意することも大事だと思うんです。そこでよろしくない態度を取ってしまうと話がまとまりにくくなることもままあるので、みんなひとりの人間なんだから、年齢や性別に関わらず、等しく尊重して接するのがいいんじゃないか、と思っています。
大学生のころにテーブルトークRPGやボードゲームで培った会話術・交渉術が仕事に活きているかも? 当時熱中していたのは『ソード・ワールド』や『クトゥルフの呼び声』『トラベラー』『ルーンクエスト』『JAMES BOND 007』『NAVAL WAR』『タンクハンター』『フンタ』など。
――最後に、エンタメ業界で30年以上働いてきた梅木さんが今感じているやりがいを教えてください。
梅木:インターネットやPC、スマートフォンが普及したことで、表現手法や連絡手段は多様になりましたけど、根本にある人の思いはパソコン通信やインターネットの黎明期からそれほど変わっていないのではと思います。例えば絵を描いたときに、どのSNSにアップしようかといった選択肢は増えましたが、自己発信とコミュニケーションがしたい点は、あんまり変わらないのかな、と。
ファンの皆さんと同じく自分もそういう発信をやっていたことがあり、それはなぜだろうと振り返ると、やっぱり自己承認欲求があったのかなあと思います。評価されたらうれしかったんですよね。
同じことが現在の仕事にも言えると思います。人がやったことがないような新しいものを企画して、それで届いた人に喜んでもらえたらすごくうれしい。それが、やりがいになっていると思います。
【あなたは未来のエンターテインメントをどのように照らしますか?】
梅木:いっしょに楽しんで創る
“あの作品“を支える、バンダイナムコエンターテインメント社員の素顔を覗いてみる!
【取材後記】
多彩な業務を経験し、今なお幅広いお仕事をされている梅木さん。ひとつひとつの質問に対してしっかりと考え、丁寧に回答されるところにもご本人の誠実さがあふれていました。上司にいてくれたら働きやすそうだと感じざるを得ません。
個人的には“涙のハリケーン”、“仮面舞踏会”などのカバー曲でオリジナルのMVが制作されて投稿されたあたりに『アイドルマスター』シリーズと出会ったのですが、作品への愛を感じるという点では当時も今も変わらずで、20年変わらずに(あるいはより強く)愛されているシリーズというのはシンプルにすごいの一言。本稿を執筆しているのは「THE IDOLM@STER M@STER EXPO」が開催される前ですが、こちらでプロデューサーさんたちがどのような自主制作物を出すのかも気になるところ!
取材・文/村田征二朗
1989年生まれのライター。しゃれこうべ村田、垂直落下式しゃれこうべライターMなどの名でも活動し、コンシューマータイトルやスマートフォンアプリのゲーム関連記事を執筆。原稿料の8割はプロレス観戦のチケット代に消える。
THE IDOLM@STER™& ©Bandai Namco Entertainment Inc.
©Bandai Namco Entertainment Inc.
初代『アイドルマスター』や恋愛アドベンチャーゲーム『ゆめりあ』の立ち上げ、『アイドルマスター』シリーズや『テイルズ オブ』シリーズのアニメ化、「テイルズ オブ フェスティバル」や「THE IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD!!!!! 2023」といったイベント運営などに携わる。現在も『アイドルマスター』シリーズの商品・サービス展開、楽曲の権利調整、ライブイベント関連を担当。