2025年03月04日
第三回住吉能楽殿講座 住吉神社能楽殿見学と「博多古図」に描かれる岩礁・大筑紫と住吉神社
昨年、市重要文化財に指定された、座席を有しない平桟敷・音響を舞台下に埋められたカメに頼る・貴人座を持つ、など、古形を伝える能楽殿を見学。その後の教室では、住吉神化成神話まで遡る、住吉神社伝来の「博多古図」に描かれる「大筑紫」と同社の関係を学ぶ
日時 :令和7年6月7日(土)13:00〜16:00
集合 :13:00 住吉神社能楽殿
Googlemap住吉神社
参加費:¥3,500-(当日)
問い合わせ・申し込み
那国王の教室
Tel. 090-9404-4299
mail: [email protected]
住吉神社
https://www.nihondaiichisumiyoshigu.jp
福岡市政だより情報BOX
住吉神社能楽殿見学と「博多古図」に描かれる岩礁・大筑紫と住吉神社

「博多古図」住吉神社蔵

平座敷の住吉神社能楽殿。舞台の奥には貴人座が見える

能楽殿舞台下

能楽殿舞台・客席全景
日時 :令和7年6月7日(土)13:00〜16:00
集合 :13:00 住吉神社能楽殿
Googlemap住吉神社
参加費:¥3,500-(当日)
問い合わせ・申し込み
那国王の教室
Tel. 090-9404-4299
mail: [email protected]
住吉神社
https://www.nihondaiichisumiyoshigu.jp
福岡市政だより情報BOX
住吉神社能楽殿見学と「博多古図」に描かれる岩礁・大筑紫と住吉神社

「博多古図」住吉神社蔵
平座敷の住吉神社能楽殿。舞台の奥には貴人座が見える
能楽殿舞台下

能楽殿舞台・客席全景
2025年03月04日
教室「黒田シメオン官兵衛・ミゲル直之・ダミアン長政の教会」 と、〜老松花見弁当〜で福岡城花見歴史散歩
令和7年4月1日(火)
Am10:00福岡市美術館レクチャールーム集合
Google map 福岡市美術館
参加費:5,000円(1日保険・老松花見弁当代、など、、)
申し込み:電話・メール
090-9404-4299
[email protected]
10:00福岡市美術館レクチャールーム集合/「黒田シメオン官兵衛・ミゲル直之・ダミアン長政のキリスト教」をテーマに教室→11:30老松花見弁当でお昼。レクチャールーム内でも、福岡城の桜の下ででも、お好みで、、。食後、福岡城追廻し橋→多聞南隅櫓下→武具櫓跡→天守台まで花見・歴史散歩→15:00大濠公園北口にて解散
福岡市美術館
https://www.fukuoka-art-museum.jp
大濠公園
https://www.ohorikouen.jp
国史跡・福岡城.鴻臚館
https://fukuokajyo.com
福岡市政だより情報BOX案内
教室「黒田シメオン官兵衛・ミゲル直之・ダミアン長政の教会」と、~老松花見弁当~で福岡城花見歴史散歩

福岡市美術館コレクション:左,朝倉文夫「墓守」
・舟越保武「原の城」

ローマ字印:左.黒田孝高「simeon.josui」
・右.長政「curo.MGNS」

福岡城、天守台からの桜/左.鉄御門前/右.本丸全域と空
Am10:00福岡市美術館レクチャールーム集合
Google map 福岡市美術館
参加費:5,000円(1日保険・老松花見弁当代、など、、)
申し込み:電話・メール
090-9404-4299
[email protected]
10:00福岡市美術館レクチャールーム集合/「黒田シメオン官兵衛・ミゲル直之・ダミアン長政のキリスト教」をテーマに教室→11:30老松花見弁当でお昼。レクチャールーム内でも、福岡城の桜の下ででも、お好みで、、。食後、福岡城追廻し橋→多聞南隅櫓下→武具櫓跡→天守台まで花見・歴史散歩→15:00大濠公園北口にて解散
福岡市美術館
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大濠公園
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国史跡・福岡城.鴻臚館
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福岡市政だより情報BOX案内
教室「黒田シメオン官兵衛・ミゲル直之・ダミアン長政の教会」と、~老松花見弁当~で福岡城花見歴史散歩

福岡市美術館コレクション:左,朝倉文夫「墓守」
・舟越保武「原の城」

ローマ字印:左.黒田孝高「simeon.josui」
・右.長政「curo.MGNS」

福岡城、天守台からの桜/左.鉄御門前/右.本丸全域と空
2025年01月03日
妙楽寺他、宗湛街歩き&教室「宗湛日記」中の利休を読む&利休の菓子「ふの焼」お茶会
街歩きでは妙楽寺→聖福寺→幻住庵→宗湛邸跡・奈良屋公民館と歩き、宗湛の影と、茶の歴史を探ります。奈良屋公民館では「宗湛日記中の利休を読む」をテーマに『宗湛日記』中の利休を描く部分を解読します。教室後は、古代・中世菓子研究家パンダ氏が復元した、利休が愛した菓子「ふの焼き」でお茶。抹茶は、光安茶舗最高級品「茶寿の跡」です。
3月22日(土)13::00 妙楽寺山門前集合/16:00終了
Googlemap妙楽寺
会費:¥3.000-(一日保険・茶菓代・聖福寺拝観料ふくむ)
主催:那國王の教室/いにしえ菓子研究部
妙楽寺
https://hakata-myorakuji.com
聖福寺
http://shofukuji.or.jp/wp/
幻住庵
http://genjuuan.com
奈良屋公民館
https://naraya.e-sn.net/modules/info2/

左)聖福寺・開山堂/右)妙楽寺・神屋宗湛墓

幻住庵主・仙崖「これ喰ふて、茶飲め」図
3月22日(土)13::00 妙楽寺山門前集合/16:00終了
Googlemap妙楽寺
会費:¥3.000-(一日保険・茶菓代・聖福寺拝観料ふくむ)
主催:那國王の教室/いにしえ菓子研究部
妙楽寺
https://hakata-myorakuji.com
聖福寺
http://shofukuji.or.jp/wp/
幻住庵
http://genjuuan.com
奈良屋公民館
https://naraya.e-sn.net/modules/info2/

左)聖福寺・開山堂/右)妙楽寺・神屋宗湛墓

幻住庵主・仙崖「これ喰ふて、茶飲め」図
2024年12月30日
〜 旧暦正月、飯塚大分八幡宮→田川香春神社→宇佐八幡宮、精錬の神々 三社参り〜
令和7年1.29(水) 9:00 日本銀行福岡支店東側歩道(勝立寺側)集合/参加費¥8.000-(バス・昼食代・一日保険)

宇佐神宮祓戸
鉄・銅精錬に関わる神々、三社を旧暦元旦に巡ります。大分県立歴史博物館・宇佐風土記の丘へも入館お昼は香春採銅所の「あか鬼」さん。店休日ですが特別に開けてもらいます。
https://wing-r.com/akaoni/#google_vignette
大分八幡宮
http://www.daibu-hachiman.com
香春神社
https://www.crossroadfukuoka.jp/spot/13053
宇佐神宮
http://www.usajinguu.com
【当日予定詳細】
9:00日本銀行福岡支店東側歩道出発→大分八幡宮→香春神社→あか鬼→ 時間により、大分県立歴史博物館・風土記の丘→宇佐神宮→18:30日本銀行福岡支店東側歩道帰着
申し込み・問い合わせ
[email protected]
090-9404-4299

宇佐神宮祓戸
鉄・銅精錬に関わる神々、三社を旧暦元旦に巡ります。大分県立歴史博物館・宇佐風土記の丘へも入館お昼は香春採銅所の「あか鬼」さん。店休日ですが特別に開けてもらいます。
https://wing-r.com/akaoni/#google_vignette
大分八幡宮
http://www.daibu-hachiman.com
香春神社
https://www.crossroadfukuoka.jp/spot/13053
宇佐神宮
http://www.usajinguu.com
【当日予定詳細】
9:00日本銀行福岡支店東側歩道出発→大分八幡宮→香春神社→あか鬼→ 時間により、大分県立歴史博物館・風土記の丘→宇佐神宮→18:30日本銀行福岡支店東側歩道帰着
申し込み・問い合わせ
[email protected]
090-9404-4299
2024年12月01日
志賀海神社・歩射祭参観と金印碑・万葉歌碑・夕陽、島内一周
志賀海神社で県無形文化財の「歩射祭」参観。志賀島資料館では展示観覧と〜志賀島歩射祭と神話〜をテーマにミニ講座。勝馬海岸「まさご屋」さん、または国民休暇村でのお昼後、島内10基ある万葉歌碑のうち5基と金印碑を巡ります。
【日時】 1月12日(日曜日)午前8時から午後5時
【集合・解散】 集合・解散は日本銀行福岡支店前(勝立寺側)
【会費】 8,000円
(集合時・一日保険・志賀島休暇村、または勝馬まさご屋での昼食代含む)
【問い合わせ等】那国王の教室
090-9404-4299
[email protected]
福岡市政だよりWeb版ページ
https://www.city.fukuoka.lg.jp/shicho/koho/fsdweb/2024/1201/1201.html

歩射祭射手8名は、祭のあいだ神社にこもり、毎朝、夜明け前に浜に降りて禊をとる

浜で禊をすますと境内にもどり、本殿、末摂社16社を巡拝する

神弓を授かる弓取式

そして、一年を占う歩射、、
【日時】 1月12日(日曜日)午前8時から午後5時
【集合・解散】 集合・解散は日本銀行福岡支店前(勝立寺側)
【会費】 8,000円
(集合時・一日保険・志賀島休暇村、または勝馬まさご屋での昼食代含む)
【問い合わせ等】那国王の教室
090-9404-4299
[email protected]
福岡市政だよりWeb版ページ
https://www.city.fukuoka.lg.jp/shicho/koho/fsdweb/2024/1201/1201.html

歩射祭射手8名は、祭のあいだ神社にこもり、毎朝、夜明け前に浜に降りて禊をとる

浜で禊をすますと境内にもどり、本殿、末摂社16社を巡拝する

神弓を授かる弓取式

そして、一年を占う歩射、、
2024年11月30日
藤原隆家と香椎宮綾杉と刀伊襲来、そして狂気筆豆・藤原実資の「小右記」

香椎宮・香椎潟「御島礼祭」©︎S.Kiyota
【香椎宮綾杉の挿頭(かんざし)と隆家】
藤原隆家は、長和三年1014〜寛仁三年1020、長暦元年1037〜長久三年1042の二度、大宰権帥(事実上の政務・軍務の大宰府長官)として筑前へ下向。下向官人は香椎宮へ参拝、神木綾杉を挿頭(かんざし)としてかざす神事が執りおこなわれます。300年遡る神亀五年728、大伴旅人も、また、大宰帥任官、下向に際して香椎宮に参拝。「香椎の廟(香椎宮、古代、香椎宮は香椎廟と称された)を拝みまつることを訖りて」と、香椎宮への足跡を万葉集(同巻六957)につたえます
隆家が権帥任官で、二度、綾杉の挿頭をうけたと、香椎宮司・大膳武忠は歌に詠み 金葉和歌集に所収します、、、
隆家卿大宰帥に二たひなりて後のたひ、香椎御社にまいりたりけるに、神主こと
のもとゝて、杉のはをおりて、帥かうふりにさすとて、よめる。 神主 大膳武忠
ちはやふる かしゐの宮の 杉の葉を 二たひかさす わが君そきみ
(神々しい香椎宮の杉挿頭を二度にわたり、わが君へお差しもうしあげた、なんと晴れがましいことか、、、)
『金葉和歌集』

香椎宮・御神木「綾杉」©︎S.Kiyota
【刀伊襲来を報告する隆家、狂気筆豆・実資】
寛仁三年1019.3月末、見なれない兵船五十余が対馬にあらわれ、殺人・放火をほしいままにする。対馬守遠晴による3月18日付報告が、4月7日大宰府に到着。壱岐からも僧常覚が、同日、大宰府に至り、壱岐守藤原理忠以下、島司、島民がみな殺されたと報告。兵船は早くも筑前の海岸に出現、博多西方の恰土・志摩・早良三郡を襲う
九州の軍事・政務の総覧・隆家は、飛駅使を発遣、賊の襲来を朝廷に報告。藤原実資は隆家からの報告を、その日記「小右記」に大幅な紙数をさき記録する
捕虜として捕らえた、賊軍にまぎれていた高麗人の証言から、賊は高麗東方の女真族だとわかる。
高麗からみて東方の夷狄と、捕虜が発語した音「トウ(東)イ(夷)」に「刀」・「伊」と字があてられ、その後、女真族を「刀伊」と、呼ぶ。高麗東方で共存関係にあった渤海国が滅び、女真族は遊民化。朝鮮半島東岸、日本海の島々、そして北部九州一帯を襲うのです
被害は、対馬、死者36名、さらわれた者346名。壱岐、死者149名、さらわれた者239。生存者35名
4月 8日、賊、つまり女真族たる刀伊軍は博多湾に侵入、能古島に布陣。翌9日、現福岡城・鴻臚館跡にあった警固所に攻撃をしかける。隆家は平到行・大蔵種材・藤原致孝・平為賢・平為忠らを召集、撃退。平安時代後期、白河院政期成立の歴史物語『大鏡』は、この間の隆家について「弓矢の基と末も知りたまは」ぬ摂関家の出だが「やまと心かしこくおはする人にて」直ちに九州の諸勢力を糾合できたと賞賛。

鴻臚館復元図(福岡市博物館)
刀伊軍は能古島に退く。 10日・11日と追い、12日には志摩郡住人文室忠光の活躍もあり、同郡船越津で大打撃をあたえる
更に、刀伊軍は西へ。13日、肥前国松浦郡を襲うが、前肥前介・源知が応撃。ついには撃退に成功します
「小右記」と筑前宗像郡」
刀伊による北部九州侵犯は、朝廷あげての一大事であると同時に、実資には自領が直接災難にあう事件でした。北部九州の一角、筑前宗像郡が実資の私領としてありました。「小右記」は、刀伊についての記述をはじめ、国家的な記録が詳細、膨大に収められていますが、私領・宗像郡とのやりとりも、多々、みられます。隆家は目を病んでいましたが、その目薬を宗像郡を通じて探してやったこと、あげられて来る貢納品のリストなどなど。宗像郡には良馬を産出することで知られた高田の牧がありました。同牧から貢納品として運搬していた馬数頭が、京近くで良馬専門の盗賊に襲われた(同長元元年九月八日条)という興味深い記録もつたわるなど、、、
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/21717/p105-145.pdf
「宗像大宮司と日宋貿易 : 筑前国宗像唐坊・小呂島・ 高田牧」
九州大学大学院比較社会文化研究院教授・服部英雄
狂気的筆豆、実資。おかげで、隆家のこと、刀伊、筑前宗像郡のこと。宮中の祭祀、政務などなど。膨大な情報を、わたしたちは知ることになります

宗像郡の野©︎S.Kiyota
【『大鏡』中の隆家像】
総司令を勤め、刀伊軍を見事に撃滅する隆家。肥後菊池家は隆家を、その祖としています。隆家庶子が菊池一族を形成したといいます。西国の勇武の家、菊池一族が祖と後世自称、崇める隆家。その同時代の評判を、『大鏡』いくつか書き留めます
「才略のある人」
花山法皇襲撃事件に連座。出雲権守左遷が決定。病などを理由に但馬国にとどまり赦免をまつと、兵部卿、正二位前中納言と政界復帰の道を歩む。このときの隆家を、「才略のある人」と世間はウワサしたといいます
「隆家ゆえの道長」
賀茂詣の行列の遥か後ろをくる、隆家をみつけた道長は自分の牛車へ同乗させます。車中、さまざまな話になりますが、隆家配流の一件に、自分は関わらなかったと道長は弁明します
「配流のことは、私が差配したように世間ではウワサする。しかし、わたしは宣旨(天皇の命令)に従ったまでだ。不本意でも宣旨に従うほかなかった。そうでなければ、今日こうして、賀茂詣にともに車中で話をする機会もなかったであろう」と。道長の弁明を『大鏡』は、隆家だからこそのことだと評します
「道長に帯を解かせる」
ある日、道長は自邸での酒席に隆家がいないのは寂しいと呼びにやります。その頃、隆家は、人とのつき合いをさけて暮らしていました
酒がすすみ、酔い、皆、衣の紐を解き、くつろぐところに隆家があらわれ、居住まいをただして席につく。道長が苦しくない、隆家も帯を解け、くつろげと声をかける。すると従二位の藤原公信が、それがしが解いてあげませうと正二位の隆家の帯にふれようとします。すると「この隆家、不運でこそあれ、貴公に馬鹿な真似をされるような身ではない」と怒ってしまう。帯にふれるとは、当時、魂にふれるという呪の意味合いをもつこともありました
これに道長は笑いつつ「今日はそのような冗談はやめるのだ。この道長が帯を解こう」と、隆家に寄りそう。隆家は「これこそ、あるべき姿」と機嫌を直し、酒盃を重ねます。道長は、そのような隆家を喜んでいたといいます感情で動く人である隆家を描く一方、そんな隆家を道長が愛していたことを伝える逸話です
「天皇を人非人と、、、」
隆家は姪・定子と一条天皇の皇子、敦康親王の立太子、皇太子に立てられるよう期待しました。
一条天皇が重態な状態に陥ると、御前に参上、その意向を伺います。しかし、天皇は、敦康親王の立太子を拒みます。有力な後見人がいないということでした
結局、道長外孫・敦成親王(のちの後一条天皇。母は道長の娘・彰子)が立太子。隆家は、敦康親王立太子を拒む病床の一条天皇を「人非人」と罵ったと『大鏡』は述べます
「敦康親王が即位して、隆家が政治を補佐したなら、天下はよく治まるだろう」と、の、ささやきが世間にはあったとも『大鏡』は語るのです
一度目の大宰下向で英雄とされた隆家。しかし、その後、昇進の機会を与えられることはありませんでした。後朱雀天皇の長暦元年1037、再び太宰権帥に任ぜられ、長久三年1042まで務めます。同五年1044一月一日、静かに世を去りました、、、
2024年10月24日
住吉神社能楽殿de阮咸奏者・青山舟月「吾妻鏡語り・平家語り」源頼朝の挙兵と筑前住吉神官小大夫昌長

住吉神社能楽殿本舞台で阮咸を演奏する青山舟月
治承四年八月、源頼朝は平家目代山木判官邸を襲撃。そこに筑前からの流人・住吉小大夫昌長が供奉。吾妻鏡にあるこの事件を、正倉院に聖武天皇遺愛の楽器として納められる阮咸(げんかん)の音を現代に甦えらす青山舟月(せいざんしゅうげつ)が住吉能楽殿を舞台にひき語りいたします。

国立国会図書館蔵.紅葉文庫版「吾妻鏡」「住吉小大夫昌長、腹巻着 於軍士是依致御祈祷也」部分
会場:住吉神社能楽殿
2024年12月7日(土)13:00開場・13:30開演
参加費:当日現金・全席自由
問い合わせ・申し込み
[email protected]
090-9404-4299

住吉神社能楽殿
大正時代、旧能楽堂の老朽化をうけて、住吉神社境内に新能楽堂として昭和13(1938)年に建設。その構造は皇居能楽堂に似るという。音響を本舞台・橋掛り床下の甕、鏡板裏の空間に頼る古来の構造を有した現役舞台としては最古。客席は平桟敷形式。舞台右手には御簾をすえた貴賓座が用意されている。福岡市有形文化財指定。

阮咸奏者・青山舟月・せいざんしゅうげつ
阮咸(げんかん)奏者/「二胡・月琴教室シルクロード」主宰/国史跡「首羅山物語」/福博昔カタリなど。

阮咸(げんかん)
奈良時代に琵琶ととも中国から渡来。正倉院に聖武天皇の遺愛の楽器として収められている。西にわたりリュートに。ギターの先祖。
後援:「福岡市」・「福岡市教育委員会」令和6年4月11日経文活 第20号
(公財)福岡市文化芸術振興財団 令和6年4月11日.財福文(後)8号
2024年09月19日
9月17日:旧暦8月15日・十五夜「香椎浜・香椎宮御島神社例祭」
14:30過ぎ。大潮干潮を待ち、神官・参拝者、香椎浜沖合の御島神社へ渡る
御島神社は、『日本書紀』巻九 神功皇后記にある、半島出征を前にした神功皇后。海水にそそいだ髪が、自ずから左右にまとまれば神の加護を受けるであろう、と、いう誓(うけい)を行ったという聖地。毎年、この日、神祭りは、その故事を再現


御島崎方面に現れる道。現在は香椎浜北公園側から渡るが、古くはこちらを渡った。香椎浜公園から名島城跡までは、ここのところの埋め立てによる土地。

参拝者も手伝い準備

まず、大祓祝詞奏上

前出、『書記』皇后髪そそぎの誓の故事を唱う祝詞奏上

『日本書紀』巻九 神功皇后記 〜皇后髪そそぎの誓〜部分
吾、神祗・あまつかみくにつかみの教へをおほせて、皇祖・すめろきのみたまのふゆを頼みて、滄海(あをうなはら)を浮き渡りて、自ら西を征たむとおもほす。是をもちて、頭・みくじをして海水・うしほにて滌すがしめて、若し験し有らば、髪自から分かれて、ふたつに為らむ」とのたまひ、すなはち海に入りてこれ洗へば、髪自から分かれり。 皇后、すなはち分かれし髮を結ひて髻・もとどりと為す
氏子総代さんが玉串を奉奠して、神祭り終了、、、

参照:埋め立て前の香椎浜地形
1945年6月6日、米軍撮影。右半ばに”~ old nazima s/s ~と記載がある部分が名島水上飛行場

御島神社は、『日本書紀』巻九 神功皇后記にある、半島出征を前にした神功皇后。海水にそそいだ髪が、自ずから左右にまとまれば神の加護を受けるであろう、と、いう誓(うけい)を行ったという聖地。毎年、この日、神祭りは、その故事を再現


御島崎方面に現れる道。現在は香椎浜北公園側から渡るが、古くはこちらを渡った。香椎浜公園から名島城跡までは、ここのところの埋め立てによる土地。

参拝者も手伝い準備

まず、大祓祝詞奏上

前出、『書記』皇后髪そそぎの誓の故事を唱う祝詞奏上

『日本書紀』巻九 神功皇后記 〜皇后髪そそぎの誓〜部分
吾、神祗・あまつかみくにつかみの教へをおほせて、皇祖・すめろきのみたまのふゆを頼みて、滄海(あをうなはら)を浮き渡りて、自ら西を征たむとおもほす。是をもちて、頭・みくじをして海水・うしほにて滌すがしめて、若し験し有らば、髪自から分かれて、ふたつに為らむ」とのたまひ、すなはち海に入りてこれ洗へば、髪自から分かれり。 皇后、すなはち分かれし髮を結ひて髻・もとどりと為す
氏子総代さんが玉串を奉奠して、神祭り終了、、、

参照:埋め立て前の香椎浜地形
1945年6月6日、米軍撮影。右半ばに”~ old nazima s/s ~と記載がある部分が名島水上飛行場

2024年09月02日
教室「外郎.陳宗敬亡命の頃の博多」 &ういろう伝来地・妙楽寺で煎茶会 〜
御供町の妙楽寺さんは、お菓子ういろうの伝来地、「ういろう伝来之地碑」が本堂前に建ちます。元朝が崩壊すると、礼部員外郎職(嘱託典礼管理職)・陳宗敬が日本へ亡命、妙楽寺に寄留。薬や菓子ういろうを伝えます。その頃の博多の歴史を学ぶ教室と、陳宗敬子孫だという小田原・外郎藤右衛門からういろうを取り寄せて、伝来地の妙楽寺本堂でういろう煎茶会です
日時 :令和6年10月22日(火)13:00〜17:00
集合 :妙楽寺 福岡市博多区御供所町
参加費:¥5,000-(1日保険・茶菓代含/当日)

妙楽寺本堂扁額「呑碧」と、ういろう伝来之地碑
Google map 妙楽寺
https://maps.app.goo.gl/7m5e9tBvnAAHSTYU8
日時 :令和6年10月22日(火)13:00〜17:00
集合 :妙楽寺 福岡市博多区御供所町
参加費:¥5,000-(1日保険・茶菓代含/当日)

妙楽寺本堂扁額「呑碧」と、ういろう伝来之地碑
Google map 妙楽寺
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2024年09月01日
能古島.檀一雄・曻地三郎・万葉、句碑・歌碑巡りと能古博物館de「黒田官兵衛の水軍」の話
【能古島.檀一雄・曻地三郎・万葉、句碑・歌碑巡りコース・所要時間】
10月5日能古渡船場(能古島側)9:30集合→0.5k徒歩8分.檀一雄「下照る妹」歌碑→0.4k徒歩6分.「能許の亭」万葉碑→0.45k徒歩7分渡船場バス停.10:35発アイランドパーク行バス乗車.10:48同下車→0.2k徒歩3分.也良の崎万葉碑往復→0.4k徒歩6分.檀一雄もがり笛句碑→1K徒歩16分曻地三郎コスモス歌碑→1.9徒歩26分正午.能古博物館着(昼食.各自)13:00教室「黒田官兵衛の水軍」15:00終了
※昼食につきましては、渡船乗り場近くの食堂などの利用も可能ですが、お弁当などお持ちいただき、能古博物館のカフェルームを利用する形が便利かと思います。
【黒田官兵衛の水軍】講師・源能直
黒田孝高が水軍を指揮したと確認できる初出史料は秀吉による九州平定戦・島津征伐の前年、天正14年に先遣として九州入りし時。関ヶ原戦時には、関ヶ原から退避し、鹿児島へ落ち延びる薩摩船を、船手衆を出撃させ国東半島沖で拿捕しました。黒田筑前入部後には宗像郡津屋崎郷へ家中の水軍将士を集めます。そんな、いわば官兵衛孝高水軍について、博多湾に浮かぶ能古島で学びます。
日時 :令和6年10月5日(土)9:30〜17:00
集合 :能古博物館 福岡市西区能古522-2会議室
参加費:¥3,500-
(1日保険・博物館入館料含/当日/昼食各自)
【申し込み・問い合わせ】
090-9404-4299
[email protected]
能古島歌碑・句碑map

能古博物館HP
https://nokonoshima-museum.or.jp
能古博物館Google map
https://maps.app.goo.gl/TPWLYgJsJTcCs2PKA

福岡藩 長崎御警固之図 四〔文化元年〕 福岡県立図書館/ロシア使節レザノフが乗船するナジェジダ号が出帆する際の警備の様子を描いた図と思われる。
https://adeac.jp/fukuoka-pref-lib/catalog/mp030670-100030

奥村玉蘭「筑前名所図会」荒戸山東照宮と長崎警備から帰帆の藩水軍図
【アクセス】
ご参照/市営渡船/姪浜発9:15能古島09時25分着
市営渡船ページ https://www.city.fukuoka.lg.jp/kowan/kyakusen/hakata-port/hyo.html
西鉄バス・姪浜能古渡船場行き
(1)福岡市営地下鉄空港線姪浜駅・西鉄バス「姪浜駅北口」より.系統番号98
(2)西鉄バス「博多駅前A」より.系統番号300 301 302
(3)西鉄バス「天神高速バスターミナル前」より.系統番号 300 301 302
10月5日能古渡船場(能古島側)9:30集合→0.5k徒歩8分.檀一雄「下照る妹」歌碑→0.4k徒歩6分.「能許の亭」万葉碑→0.45k徒歩7分渡船場バス停.10:35発アイランドパーク行バス乗車.10:48同下車→0.2k徒歩3分.也良の崎万葉碑往復→0.4k徒歩6分.檀一雄もがり笛句碑→1K徒歩16分曻地三郎コスモス歌碑→1.9徒歩26分正午.能古博物館着(昼食.各自)13:00教室「黒田官兵衛の水軍」15:00終了
※昼食につきましては、渡船乗り場近くの食堂などの利用も可能ですが、お弁当などお持ちいただき、能古博物館のカフェルームを利用する形が便利かと思います。
【黒田官兵衛の水軍】講師・源能直
黒田孝高が水軍を指揮したと確認できる初出史料は秀吉による九州平定戦・島津征伐の前年、天正14年に先遣として九州入りし時。関ヶ原戦時には、関ヶ原から退避し、鹿児島へ落ち延びる薩摩船を、船手衆を出撃させ国東半島沖で拿捕しました。黒田筑前入部後には宗像郡津屋崎郷へ家中の水軍将士を集めます。そんな、いわば官兵衛孝高水軍について、博多湾に浮かぶ能古島で学びます。
日時 :令和6年10月5日(土)9:30〜17:00
集合 :能古博物館 福岡市西区能古522-2会議室
参加費:¥3,500-
(1日保険・博物館入館料含/当日/昼食各自)
【申し込み・問い合わせ】
090-9404-4299
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能古島歌碑・句碑map

能古博物館HP
https://nokonoshima-museum.or.jp
能古博物館Google map
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福岡藩 長崎御警固之図 四〔文化元年〕 福岡県立図書館/ロシア使節レザノフが乗船するナジェジダ号が出帆する際の警備の様子を描いた図と思われる。
https://adeac.jp/fukuoka-pref-lib/catalog/mp030670-100030

奥村玉蘭「筑前名所図会」荒戸山東照宮と長崎警備から帰帆の藩水軍図
【アクセス】
ご参照/市営渡船/姪浜発9:15能古島09時25分着
市営渡船ページ https://www.city.fukuoka.lg.jp/kowan/kyakusen/hakata-port/hyo.html
西鉄バス・姪浜能古渡船場行き
(1)福岡市営地下鉄空港線姪浜駅・西鉄バス「姪浜駅北口」より.系統番号98
(2)西鉄バス「博多駅前A」より.系統番号300 301 302
(3)西鉄バス「天神高速バスターミナル前」より.系統番号 300 301 302
2024年08月19日
「香椎宮創建と志賀島の神祭り」と「香椎浜御島神社例祭」

毎年、旧暦9月15日大潮の日に、神功皇后半島出征ゆかりの聖地・香椎浜沖の御島社へ香椎宮神職の皆さんが渡る。令和6年の今年は9月17日。


お供えがされ、神功皇后ゆかりの故事と祝詞が奏上される。
【詳細】
教室「香椎宮創建と志賀島の神祭り」と歴史遠足「香椎浜御島神社例祭」
教室会場:現在検討中
歴史遠足コース:香椎宮→貞明皇后行啓記念碑→香椎宮参道楠並木→香椎宮御旅所→香椎潟万葉歌碑→香椎宮境外末社・浜男社→同御島社(徒歩5キロほど)
※御島社へ渡り参列を御希望の場合には、ヒザまである長靴の用意が必要です。/十分な水分をご用意の上、ご参加ください。
問い合わせ・申し込み
Tel.090-9404-4299
mail: [email protected]
Googlemap
香椎宮
https://maps.app.goo.gl/tNNcXTkE63Ezd9gd8
御島神社
https://maps.app.goo.gl/etKNPo2usHZFpvkU7
2024年06月10日
教室『紫式部日記』・『源氏物語』・藤原実資『小右記』中の筑前を読む と、福岡市美術館〜源氏物語の世界展〜観覧
『紫式部日記』には筑前に下る友人とのやりとり、『源氏物語』には筑紫の五節舞や玉鬘の筑紫流離譚などなど。『小右記』の記者・実資は家領を有した筑前にかかわる記述を多く伝えます。これらを抽出して読んでいきます。
教室後には企画展示室で開催中の〜源氏物語の世界展〜を学芸員さんの解説を聞き観覧いたします。

筑前へ下る船中の玉鬘/伝海北友雪筆『源氏物語』絵巻「玉鬘」(メトロポリタン美術館)
福岡市美術館 〜 源氏物語屏風〜 エスプラナード2024.215
日時 :令和6年6月30日(日)13:00〜17:00
集合 :12:30開場13:00 開演/福岡市美術館レクチャールーム
参加費:¥3,500-(1日保険・展覧会入場料含/当日受付時・現金のみ)
【予定詳細】
令和6年6月30日(日)12:30開場13:00開演福岡市美術館レクチャールーム〜教室・紫式部日記』・『源氏物語』・藤原実資『小右記』中の筑前を読む〜15:00休憩/15:10〜源氏物語の世界展〜美術館学芸員講演/15:50〜源氏物語の世界展〜自由観覧・各自解散
【問い合わせ・申し込み】
Tel. 090-9404-4299
mail: [email protected]
教室後には企画展示室で開催中の〜源氏物語の世界展〜を学芸員さんの解説を聞き観覧いたします。

筑前へ下る船中の玉鬘/伝海北友雪筆『源氏物語』絵巻「玉鬘」(メトロポリタン美術館)
福岡市美術館 〜 源氏物語屏風〜 エスプラナード2024.215
日時 :令和6年6月30日(日)13:00〜17:00
集合 :12:30開場13:00 開演/福岡市美術館レクチャールーム
参加費:¥3,500-(1日保険・展覧会入場料含/当日受付時・現金のみ)
【予定詳細】
令和6年6月30日(日)12:30開場13:00開演福岡市美術館レクチャールーム〜教室・紫式部日記』・『源氏物語』・藤原実資『小右記』中の筑前を読む〜15:00休憩/15:10〜源氏物語の世界展〜美術館学芸員講演/15:50〜源氏物語の世界展〜自由観覧・各自解散
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2024年04月15日
涙を流した宮仕・清少納言/初めて個を物語した道綱母・寧子
〜 光る君へ 十五夜「おごれる者たち」〜

この夜の見せ場は、なにを措いても、桔梗納言と高畑充希・中宮定子の出会い。そして、石山寺での『蜻蛉日記』著者・藤原道綱母、財前寧子とまひろ式部との出会いでせう、、
清少納言の初めての出仕は、正暦四年993だといいます
桔梗納言は、充希定子の挙措に、視線を吸い込まれてしまうのですが、『枕草子』の清少納言は、女房として宮仕のはじまりは、涙をもようすほどに失敗ばかりだったと述懐します、、、
ーーー『枕草子』一八四段
宮にはじめてまゐりたるころ、物のはづかしき事の数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳(みきちやう)のうしろに候ふに、絵など取り出でて見せさせたまふを、手にてもえさし出づまじうわりなし。
(中宮御所に初めて出仕したころ、何もかも恥ずかしいことだらけで、涙を流す思いだった。毎夜参上して、三尺のついたての後ろに控えていたところ、中宮
様が絵などを取り出してお見せくださるのを、それに私は手さえも差し出すことが出来そうもない状態でどうしようもなくつらい。)
いと冷たき頃なれば、差し出させ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは限りなくめでたしと、見知らぬ里人の心地には、かかる人こそ世におはしましけれと、驚ろかかるまでぞ守りまゐらする
(それは、寒い頃で袖からわずかに差し出された指先が、それはつややかで薄紅梅色をさしていた。宮中を知らない者などにいわせれば、このようなお人がこの世においでなのかという思いをさせられるでせう)
道綱母・寧子と紫式部の出会いがあったかといえば、なかったのでは?と、諸資料からは考えられます。紫式部は、和泉式部、清少納言、赤染衛門については、その日記に批評としての文字を残していますが、寧子については皆無です。『源氏物語』の着想を石山寺でと云う話も伝説の域を出ません。式部が藤原宣孝と結ばれることについては、これまでもふれてきました。式部、26歳前後、正暦元年990の頃。宣孝は40歳を超えた年齢で、当時の常識でいえば初老の域です。ふたりの暮らしは、わずか2年、長保3年1001に宣孝が死没することで終わりをむかえます。年の離れた伴侶、宣孝の死こそが『源氏物語』執筆の契機だといいます
和泉式部については、中身がないのに気取った歌をつくる。清少納言については出しゃばり、浅薄。一方、赤染衛門については「まことにゆへゆへしく」と、深みのある歌人だと、式部は評しています。
道綱母・寧子については、なにも語らない式部ですが、それまでの文学が『竹取物語』をはじめ、いずれもフィクションであったところに、日記文学を女流ではじめてなした人でした。女性ではじめて、『蜻蛉日記』を著し、個を語ったということです。身分、恋愛、女として懊悩の最中にあるまひろ式部。、女としての個を語る先達、財前寧子との観音信仰の寺、石山寺での邂逅。それは願ってもない機会でした、、、
記事内のリンクに不具合がある場合には、ご一報いただけるとしあわせです。
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紫式部・吉高由里子日記・目次リンク
〜 光の君へ 〜次回予告Movie
那国王の教室・志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・講演 歴史遠足予定
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この夜の見せ場は、なにを措いても、桔梗納言と高畑充希・中宮定子の出会い。そして、石山寺での『蜻蛉日記』著者・藤原道綱母、財前寧子とまひろ式部との出会いでせう、、
清少納言の初めての出仕は、正暦四年993だといいます
桔梗納言は、充希定子の挙措に、視線を吸い込まれてしまうのですが、『枕草子』の清少納言は、女房として宮仕のはじまりは、涙をもようすほどに失敗ばかりだったと述懐します、、、
ーーー『枕草子』一八四段
宮にはじめてまゐりたるころ、物のはづかしき事の数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳(みきちやう)のうしろに候ふに、絵など取り出でて見せさせたまふを、手にてもえさし出づまじうわりなし。
(中宮御所に初めて出仕したころ、何もかも恥ずかしいことだらけで、涙を流す思いだった。毎夜参上して、三尺のついたての後ろに控えていたところ、中宮
様が絵などを取り出してお見せくださるのを、それに私は手さえも差し出すことが出来そうもない状態でどうしようもなくつらい。)
いと冷たき頃なれば、差し出させ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは限りなくめでたしと、見知らぬ里人の心地には、かかる人こそ世におはしましけれと、驚ろかかるまでぞ守りまゐらする
(それは、寒い頃で袖からわずかに差し出された指先が、それはつややかで薄紅梅色をさしていた。宮中を知らない者などにいわせれば、このようなお人がこの世においでなのかという思いをさせられるでせう)
道綱母・寧子と紫式部の出会いがあったかといえば、なかったのでは?と、諸資料からは考えられます。紫式部は、和泉式部、清少納言、赤染衛門については、その日記に批評としての文字を残していますが、寧子については皆無です。『源氏物語』の着想を石山寺でと云う話も伝説の域を出ません。式部が藤原宣孝と結ばれることについては、これまでもふれてきました。式部、26歳前後、正暦元年990の頃。宣孝は40歳を超えた年齢で、当時の常識でいえば初老の域です。ふたりの暮らしは、わずか2年、長保3年1001に宣孝が死没することで終わりをむかえます。年の離れた伴侶、宣孝の死こそが『源氏物語』執筆の契機だといいます
和泉式部については、中身がないのに気取った歌をつくる。清少納言については出しゃばり、浅薄。一方、赤染衛門については「まことにゆへゆへしく」と、深みのある歌人だと、式部は評しています。
道綱母・寧子については、なにも語らない式部ですが、それまでの文学が『竹取物語』をはじめ、いずれもフィクションであったところに、日記文学を女流ではじめてなした人でした。女性ではじめて、『蜻蛉日記』を著し、個を語ったということです。身分、恋愛、女として懊悩の最中にあるまひろ式部。、女としての個を語る先達、財前寧子との観音信仰の寺、石山寺での邂逅。それは願ってもない機会でした、、、
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〜 光の君へ 〜次回予告Movie
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2024年04月08日
【明子の呪詛/兼家と怪異】/【兼家の派手な衣装と金峯山参りと『枕草子』】
〜 光る君へ 十四夜「星落ちてなお」〜
【明子の呪詛/兼家と怪異】
藤原兼家居宅・東二条院(中京区要法寺前町寺町通・二条京極邸跡)は物の怪が祟ると噂の
地。兼家が老齢もあり病がちになると、人々は移居を勧めますが、「東山などのいとほど近く見ゆるが、山里とおぼえて、をかしきなり(東山が近く、山里の趣がよい)」と、お気に入りの地であること、また、怪異を信じない人であったことから承知しませんでした
『大鏡』兼家伝に以下あります
月のあかき夜は、下格子もせで、ながめさせたまひけるに、目にも見えぬものの、はらはらとまゐりわたしければ、さぶらふ人々は怖ちさわげど、殿は、つゆ、おどろかせたまはで、御枕なる太刀をひき抜かせたまひて、「月見るとてあげたる格子おろすは、何者のするぞ。 いと便なし。もとのやうに、あげわたせ」
ーー 御簾をあげさせて月を楽しむあるよ夜。怪異が御簾を下ろすいたずらを仕掛けた。人々は恐れるが、兼家は太刀をぬくと「月を観ようと上げる御簾を下ろすものは誰か、もどせ」と、逆切した、と、、
しかし、今夜、瀧内公美・明子による兼家所用の扇子を形代にした呪詛により、兼家は落命したワケです。段田兼家は、明子が仕掛けた怪異に負けたということでした

【兼家の派手な衣装と金峯山参りと『枕草子』】
『枕草子』あはれなるものの段に、紫式部の夫になる人、藤原宣孝についてふれる部分があります。神前は質素な出立でというが「神様は質素な装いで詣でよとはおっしゃっていない」と、宣孝は、濃い紫の袴に白い狩衣、山吹の包衣。子の隆光には、青色の狩衣、紅の衣、乱れ模様をすりだす袴を着させて、吉野金峯山へ参詣。すると、筑前国守への官途がなったそうで。
今夜、宣孝は筑前国守として下向するむねを、まひろ式部一家は報告するわけです。その際に「御嶽詣が効いた」と軽口をつげる宣孝。『枕草子』宣孝レポートへの小さなオマージュでした
清少納言と紫式部。納言は、式部の夫宣孝の金峯山参りを『枕草子』で揶揄う。式部は、納言を名指しで『式部日記』中に辛辣に裁いています。しかし、まひろと桔梗は良き友人らしき設定。
そして、一つ気にかかるのは、下向した筑前から宣孝は式部に仮想文を送ることです。式部は日記に記録していますが、これまで良き親戚、良き伯父として岸谷為時、まひろ式部との付き合い、関係をみせていた佐々木宣孝が、どのような契機をむかえて、まひろを伴侶としてみることになるのでせう、その事です、、、

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藤原兼家居宅・東二条院(中京区要法寺前町寺町通・二条京極邸跡)は物の怪が祟ると噂の
地。兼家が老齢もあり病がちになると、人々は移居を勧めますが、「東山などのいとほど近く見ゆるが、山里とおぼえて、をかしきなり(東山が近く、山里の趣がよい)」と、お気に入りの地であること、また、怪異を信じない人であったことから承知しませんでした
『大鏡』兼家伝に以下あります
月のあかき夜は、下格子もせで、ながめさせたまひけるに、目にも見えぬものの、はらはらとまゐりわたしければ、さぶらふ人々は怖ちさわげど、殿は、つゆ、おどろかせたまはで、御枕なる太刀をひき抜かせたまひて、「月見るとてあげたる格子おろすは、何者のするぞ。 いと便なし。もとのやうに、あげわたせ」
ーー 御簾をあげさせて月を楽しむあるよ夜。怪異が御簾を下ろすいたずらを仕掛けた。人々は恐れるが、兼家は太刀をぬくと「月を観ようと上げる御簾を下ろすものは誰か、もどせ」と、逆切した、と、、
しかし、今夜、瀧内公美・明子による兼家所用の扇子を形代にした呪詛により、兼家は落命したワケです。段田兼家は、明子が仕掛けた怪異に負けたということでした

【兼家の派手な衣装と金峯山参りと『枕草子』】
『枕草子』あはれなるものの段に、紫式部の夫になる人、藤原宣孝についてふれる部分があります。神前は質素な出立でというが「神様は質素な装いで詣でよとはおっしゃっていない」と、宣孝は、濃い紫の袴に白い狩衣、山吹の包衣。子の隆光には、青色の狩衣、紅の衣、乱れ模様をすりだす袴を着させて、吉野金峯山へ参詣。すると、筑前国守への官途がなったそうで。
今夜、宣孝は筑前国守として下向するむねを、まひろ式部一家は報告するわけです。その際に「御嶽詣が効いた」と軽口をつげる宣孝。『枕草子』宣孝レポートへの小さなオマージュでした
清少納言と紫式部。納言は、式部の夫宣孝の金峯山参りを『枕草子』で揶揄う。式部は、納言を名指しで『式部日記』中に辛辣に裁いています。しかし、まひろと桔梗は良き友人らしき設定。
そして、一つ気にかかるのは、下向した筑前から宣孝は式部に仮想文を送ることです。式部は日記に記録していますが、これまで良き親戚、良き伯父として岸谷為時、まひろ式部との付き合い、関係をみせていた佐々木宣孝が、どのような契機をむかえて、まひろを伴侶としてみることになるのでせう、その事です、、、

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2024年04月05日
定子、一条天皇に入内を面白くなかって道長/この漢詩の筆跡はだれ?と聴く倫子、、、
〜 光る君へ 十三夜「進むべき道」〜
道隆の子・定子が一条天皇に入内。兼家の孫どうし。道隆の子、妹東三条院・詮子の子、つまり従兄弟どうしの婚儀による、天皇・中宮(皇后)ということです。道長には甥であり姪
『栄花物語』によると、道長は姪の立后について面白くおもっていなかったといいます。その頃、兼家が重篤な状態にありました。これをはばかることなく進められたことに反発していたようです。権中納言と同時に中宮太夫という、中宮の世話役を勤めていましたが、その職分を果たすことがなかったといいます
この夜、緊張が最高点に達した場面は、倫子が道長の文箱から見つけた陶淵明の漢詩「帰去来辞」を綴る手紙をまひろにみせるところでせう。
倫子は、筆跡が女のものだ。道長様にとってどのような人だろう?と、まひろにこぼすように言います。漢詩は男が嗜むものであり、女の立場で通じる者はごくわずか。倫子は口にさえしませんが、まひろが漢詩につうじていることは、これまでの回で描かれた赤染衛門を中心に、繰り返された女御の会でわかっている前提です。言外にまさかあなた?と聞いているようで、、、
『源氏物語』には玉鬘にいいよる男の文を、光源氏が寸評するという展開があります、、、
さて、来週は巨星兼家がいよいよのやうで、、、、

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紫式部・吉高由里子日記・目次リンク
〜 光の君へ 〜次回予告Movie
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道隆の子・定子が一条天皇に入内。兼家の孫どうし。道隆の子、妹東三条院・詮子の子、つまり従兄弟どうしの婚儀による、天皇・中宮(皇后)ということです。道長には甥であり姪
『栄花物語』によると、道長は姪の立后について面白くおもっていなかったといいます。その頃、兼家が重篤な状態にありました。これをはばかることなく進められたことに反発していたようです。権中納言と同時に中宮太夫という、中宮の世話役を勤めていましたが、その職分を果たすことがなかったといいます
この夜、緊張が最高点に達した場面は、倫子が道長の文箱から見つけた陶淵明の漢詩「帰去来辞」を綴る手紙をまひろにみせるところでせう。
倫子は、筆跡が女のものだ。道長様にとってどのような人だろう?と、まひろにこぼすように言います。漢詩は男が嗜むものであり、女の立場で通じる者はごくわずか。倫子は口にさえしませんが、まひろが漢詩につうじていることは、これまでの回で描かれた赤染衛門を中心に、繰り返された女御の会でわかっている前提です。言外にまさかあなた?と聞いているようで、、、
『源氏物語』には玉鬘にいいよる男の文を、光源氏が寸評するという展開があります、、、
さて、来週は巨星兼家がいよいよのやうで、、、、

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2024年04月05日
懸想文なく女御を尋ねる柄本道長。日記中に逢瀬の野暮を記される父兼家
〜 光る君へ 十二夜「思いの果て」〜
柄本佑道長との婚礼が成らなければ、猫を愛でて生涯を終えますと、父益岡徹.源雅信にかこつ黒木華倫子には笑いました
まひろへの想いを断ち切ろうと、そんな倫子の元を前触れなく柄本道長は尋ねるわけです。礼を失した訪れに倫子の母石野真子.穆子は通すことを家従に命じます。道長婿取りについては、気乗りがしない雅信を穆子が口説くことで実現したと、『大鏡』にあることをこれまでも紹介してきました。これを反映しての穆子の判断ということでせう
文、懸想文のやりとりもなく訪れるというほどの、乱暴・無茶な所業とはいえませんが、当時の常識からするとハテナと思わせる行動を道長の父、兼家がおこなったことを『蜻蛉日記』中にその妾、財前直美さん演じる道綱母・寧子が記します
『蜻蛉日記』は兼家との生活を中心に描かれた、最古の女流日記。その冒頭近くに、絶世の美女だとウワサの寧子への兼家の懸想が記されます。寧子の父が乗り気でなく話が進まないなか、兼家は僧兵による強訴さながらに寧子への文を従者に届けさせます
〔更級日記・原文〕
それはそれとしてかしはぎの木高きわたり〈藤原兼家〉よりかくいはせむと思ふ事ありけり。例の人はあないする便もしはなま女などしていはする事こそあ
れ。此は親〈藤原倫寧〉とおぼしき人にたはぶれにもまめやかにもほのめかしゝに、ひけきことし〈びなきことゝイ〉いひつぎをも知らずかほに、馬にはひ
乘りたる人して打ちたゝかす。たれなどいはするはおぼつかなからず騷いたれば、もて煩ひ取り入れてもて騷ぐ
〔更級日記・現代語訳〕
兼家から求婚のお気持ちを伝えられた。常識的な人であれば、相応の人に頼んだり、邸の女房を間に立てて、取り次がせるものだが、兼家は、わたしの父
(藤原倫寧・正四位下、伊勢守、いわゆる頭領階級)に直接、冗談なのか本気なのかほめかした。父 が「恐れ多い、釣り合いが取れない」 と言うのも知らぬ
顔で、馬に乗った使者を寄こして門をたたかせた
超訳すれば、懸想文などというものは、しかるべき人や自身の女房に持たせるのが常識だが、兼家はこともあろうか騎乗の従者に届けさせるというなんとも野暮なことをやった。その上、当の従者は遠慮もなく、わが家の玄関をうるさく叩いた、、、
と、、。柄本道長の倫子との逢瀬は常識破りだとはいえ、美しい映像にまとめられました。一方、史実上の道長父・兼家は、その野暮な所業を日記に記されて1200年が経た現代にさらされているのでした、、、、


倫子の愛猫・小麻呂
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紫式部・吉高由里子日記・目次リンク
〜 光の君へ 〜次回予告Movie
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〒811-0322 福岡市東区大岳3-21-1-301
090-2512-4299・清田
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柄本佑道長との婚礼が成らなければ、猫を愛でて生涯を終えますと、父益岡徹.源雅信にかこつ黒木華倫子には笑いました
まひろへの想いを断ち切ろうと、そんな倫子の元を前触れなく柄本道長は尋ねるわけです。礼を失した訪れに倫子の母石野真子.穆子は通すことを家従に命じます。道長婿取りについては、気乗りがしない雅信を穆子が口説くことで実現したと、『大鏡』にあることをこれまでも紹介してきました。これを反映しての穆子の判断ということでせう
文、懸想文のやりとりもなく訪れるというほどの、乱暴・無茶な所業とはいえませんが、当時の常識からするとハテナと思わせる行動を道長の父、兼家がおこなったことを『蜻蛉日記』中にその妾、財前直美さん演じる道綱母・寧子が記します
『蜻蛉日記』は兼家との生活を中心に描かれた、最古の女流日記。その冒頭近くに、絶世の美女だとウワサの寧子への兼家の懸想が記されます。寧子の父が乗り気でなく話が進まないなか、兼家は僧兵による強訴さながらに寧子への文を従者に届けさせます
〔更級日記・原文〕
それはそれとしてかしはぎの木高きわたり〈藤原兼家〉よりかくいはせむと思ふ事ありけり。例の人はあないする便もしはなま女などしていはする事こそあ
れ。此は親〈藤原倫寧〉とおぼしき人にたはぶれにもまめやかにもほのめかしゝに、ひけきことし〈びなきことゝイ〉いひつぎをも知らずかほに、馬にはひ
乘りたる人して打ちたゝかす。たれなどいはするはおぼつかなからず騷いたれば、もて煩ひ取り入れてもて騷ぐ
〔更級日記・現代語訳〕
兼家から求婚のお気持ちを伝えられた。常識的な人であれば、相応の人に頼んだり、邸の女房を間に立てて、取り次がせるものだが、兼家は、わたしの父
(藤原倫寧・正四位下、伊勢守、いわゆる頭領階級)に直接、冗談なのか本気なのかほめかした。父 が「恐れ多い、釣り合いが取れない」 と言うのも知らぬ
顔で、馬に乗った使者を寄こして門をたたかせた
超訳すれば、懸想文などというものは、しかるべき人や自身の女房に持たせるのが常識だが、兼家はこともあろうか騎乗の従者に届けさせるというなんとも野暮なことをやった。その上、当の従者は遠慮もなく、わが家の玄関をうるさく叩いた、、、
と、、。柄本道長の倫子との逢瀬は常識破りだとはいえ、美しい映像にまとめられました。一方、史実上の道長父・兼家は、その野暮な所業を日記に記されて1200年が経た現代にさらされているのでした、、、、


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2024年04月01日
サクラの名島・福岡城,老松花見弁当付き・教室「名島城・福岡城の歴史」

3月27日9:00 天神日本銀行福岡支店前集合、中型貸切バスで名島城へ、、、

9:30名島海岸到着。海岸で地形の変遷、妙見島の位置、リンドバークが愛機「シリウス 」で着水した名島水上飛行城の位置など説明。
画像/名島地区航空写真.昭和28年:九大ヨットハーバー・九州電力名島火力発電所・名島城跡・妙見島・名島水上飛行場

画像/上.左:九大ヨットハーバー・九州電力名島火力発電所・名島城跡の丘陵、遠景は立花山/右:妙見島遠景/下.左:立花山を背景に、名島水上飛行場のドルニエ水上飛行艇/右:リンドバーグ夫妻を乗せて名島水上飛行場に到着したシリウス

左.半島戦の帰路、神功皇后が船を舫ったという帆柱石。右.名島城本丸跡から多々良川上流方面。地元の研究家宗さんの案内をお願いする、、

名島城本丸跡の臥龍サクラは、五輪ほどが開くだけ。参加者の皆さんには、申しわけない次第。これまで3年繰り返してきた、サクラの時期のイベント。はじめて満開期を外したのでした。そして、福岡城へ

画像/左.奥村玉蘭『筑前国名所図会』千賀浦古跡図/右.ロイヤル花の木西側から福岡城の森
まず、大濠を介して、福岡城を望むスケッチ、奥村玉蘭『筑前国名所図会』千賀浦(現・大濠)古跡図と同じ方向、大濠公園西側(大濠花の木西側)から福岡城を望んでもらう。千賀浦古跡図中央には天守台の南の守り、三重の武具櫓。現在の南公園、大休山方面、南から降りてくる福岡城の丘陵が大濠に落ちる左手には小さく、現在、復元再建中の潮見櫓が描かれる。潮見櫓は平成7年には復元を終え、公開。浜ノ町(現中央区舞鶴)黒田別邸へ移設され、大戦の空襲により焼亡した武具櫓が、つづいて再建されることになれば、大濠公園西側から福岡城を望む風景は千賀浦古跡図が再現されることになる。ただし、かんぽ生命センターのどいてもらわなけらば、潮見櫓を大濠公園から見るのは不可能、、、

左.武具櫓古写真/右.黒田別邸(現中央区舞鶴)移設時の武具櫓現場画像

左.宗福寺へ移設され仏殿として使われていた時代の潮見櫓/右.現在、復元建設中の武具櫓覆屋

クジラ公園から、福岡城三の丸西側へ進入。左手は再建中の潮見櫓覆屋。正面には下ノ橋御門と、平成3年の調査で潮見櫓ではないことが発覚、本丸裏御門横に建っていた古時櫓だとされ、現在は伝が冠される、伝潮見櫓。

下ノ橋御門と伝潮見櫓
松の木坂御門跡→本丸表御門跡→祈念櫓跡→中天守台・小天守台・天守台

左.大組櫓・松の木坂御門櫓・屏風櫓/右.現松の木坂御門跡

左.本丸裏御門古写真/右.本丸裏御門跡

左.令和元年9月に解体された祈念櫓/右.祈念櫓古写真
祈念櫓は板壁で復元されたいたが、右の古写真と実際上は違っていたことがわかっている

そして、この日の福岡登城最終目的地点、天守台下へ。天守台には、規制があり昇れない、、、

【同日福岡城攻城関係要図】A.集合場所・花の木横/B.再建潮見櫓(伝月見櫓)/C.三の丸広場・三ノ丸御殿/D.下ノ橋・御門伝潮見櫓(時櫓)/E.大組櫓・松の木坂御門・屏風櫓/F.本丸表御門/G.祈念櫓/H.小天守/I.鉄御門/J.天守台/K.多聞櫓/L.桐の木坂御門
名島・福岡攻城遠足詳細はこちら、、、名島・福岡攻城遠足レジュメ

そして「老松花見弁当」でお昼。今年も豪華だった!
お昼後、14:00より福岡市美術館ミュージアムホールにて教室「名島城・福岡城の歴史」
内容:名島=多々良川河口/名島城小早川期小早川隆景、筑前・筑後・肥前二郡拝領、名島築城/名島城小早川期・縄張/名島城・小早川期年譜 天正15年.1587〜慶⻑3年1598/名島城・石田三成代官・秀秋復領・黑田入部期年譜・慶⻑3年1598. 1月〜同6年正月/名島城・名島引け/福岡城・城地選定・命名/惣構/築城と天守閣
詳細はレジュメ参照教室「名島城・福岡城の歴史」レジュメ
那国王の教室レジュメ一覧
那国王の教室次回ご案内
2024年03月28日
大濠公園日本庭園広間で教室:「光る君へ」と筑前&煎茶会:源氏物語の菓子粉熟・古代の甘み甘葛で
NHK大河「光る君へ」での登場人物と筑前・福岡との関係を物語する教室と、古代の甘味「甘葛(あまずら)シロップ」を使い復元した『源氏物語』柏木の章に登場する菓子粉熟での煎茶会。茶葉は老舗・光安茶舗の100g/¥5.000「初霜」。お茶後は庭園散策の時間も、、、
日時:令和6年6月2日(日)13:00
会場:大濠公園日本庭園広間
https://maps.app.goo.gl/3t3DZtCJsgbW4xuk7
会費:¥5.000-(煎茶会費・資料代・入園料・一日保険含)
募集:30名
問い合わせ・申し込み
090-9404-4299
[email protected]

粉熟と古代の甘み甘葛シロップのボトル
教室 〜「光る君へ」と筑前 〜・詳細
「光の君へ」に登場する佐々木蔵之介・藤原宣孝は筑前守を受任し下向します。その妻となる吉高由里子・紫式部は、筑前へ下る友人との間に歌を交わしたことを日記に伝えます。ロバート秋山・藤原実資は筑前高田の牧を家領としていました。その日記『小右記』には、高田の牧にかわわる記述が多々みられます。井浦新・藤原道隆の子・竜星涼・隆家は太宰権帥として筑前へ下ると、外寇を制圧します。その末裔の一流は肥後菊池一族の祖といいます。『源氏物語』には筑紫の五節舞や、玉鬘の筑紫流離譚が語られます。そんな「光の君へ」に登場する人などなど、と、筑前関わりについて物語いたします。
煎茶会 『源氏物語』の菓子「粉熟」 古代の甘み甘葛で復元・詳細
『源氏物語』宿木の章に「宮の御方より、粉熟参らせたまへり」とあります。その製法は鎌倉時代に著された『源氏物語』注釈書『原中最秘抄』に「粉熟は稲(米)、麦、大豆、小豆、胡麻などの粉に、甘葛(あまずら)を加え、こねた物をゆでて餅のようにつくり、竹筒に入れてしばらく置いた後、突き出して切り出す」とあります。
ここにある古代の甘み「甘葛」を奈良女子大.大和・紀伊半島学研究所古代学・聖地学研究センター協力研究員前川佳代氏が長年の研究の末、甘葛シロップとして復活させました。那国王の教室いにしえ菓子研究部は、『原中最秘抄』中のレシピを参照に、前川教授制作の甘葛シロップを使い『源氏物語』の菓子「粉熟」を制作しました。

国宝 源氏物語絵巻〈柏木 三・宿木 一〉 徳川美術館/柏木の子、薫を抱く光源氏の前に並ぶ、菓子を盛る高坏

甘葛シロップ抽出中、、、

大濠公園日本庭園遠景

大濠公園日本庭園枯山水

広間露地

広間玄関

広間・茶菓子

広間・広縁
大濠日本庭園公式HP
https://www.ohoriteien.jp
那国王の教室・報告集
https://frcodon.yoka-yoka.jp/c60037.html
市政だより情報BOX案内ページ
https://www.city.fukuoka.lg.jp/shicho/koho/fsdweb/2024/0401/1207.html
日時:令和6年6月2日(日)13:00
会場:大濠公園日本庭園広間
https://maps.app.goo.gl/3t3DZtCJsgbW4xuk7
会費:¥5.000-(煎茶会費・資料代・入園料・一日保険含)
募集:30名
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教室 〜「光る君へ」と筑前 〜・詳細
「光の君へ」に登場する佐々木蔵之介・藤原宣孝は筑前守を受任し下向します。その妻となる吉高由里子・紫式部は、筑前へ下る友人との間に歌を交わしたことを日記に伝えます。ロバート秋山・藤原実資は筑前高田の牧を家領としていました。その日記『小右記』には、高田の牧にかわわる記述が多々みられます。井浦新・藤原道隆の子・竜星涼・隆家は太宰権帥として筑前へ下ると、外寇を制圧します。その末裔の一流は肥後菊池一族の祖といいます。『源氏物語』には筑紫の五節舞や、玉鬘の筑紫流離譚が語られます。そんな「光の君へ」に登場する人などなど、と、筑前関わりについて物語いたします。
煎茶会 『源氏物語』の菓子「粉熟」 古代の甘み甘葛で復元・詳細
『源氏物語』宿木の章に「宮の御方より、粉熟参らせたまへり」とあります。その製法は鎌倉時代に著された『源氏物語』注釈書『原中最秘抄』に「粉熟は稲(米)、麦、大豆、小豆、胡麻などの粉に、甘葛(あまずら)を加え、こねた物をゆでて餅のようにつくり、竹筒に入れてしばらく置いた後、突き出して切り出す」とあります。
ここにある古代の甘み「甘葛」を奈良女子大.大和・紀伊半島学研究所古代学・聖地学研究センター協力研究員前川佳代氏が長年の研究の末、甘葛シロップとして復活させました。那国王の教室いにしえ菓子研究部は、『原中最秘抄』中のレシピを参照に、前川教授制作の甘葛シロップを使い『源氏物語』の菓子「粉熟」を制作しました。

国宝 源氏物語絵巻〈柏木 三・宿木 一〉 徳川美術館/柏木の子、薫を抱く光源氏の前に並ぶ、菓子を盛る高坏

甘葛シロップ抽出中、、、

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広間玄関

広間・茶菓子

広間・広縁
大濠日本庭園公式HP
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那国王の教室・報告集
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市政だより情報BOX案内ページ
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2024年03月17日
出家後も女御を漁る花山天皇・一条天皇に除目を抗議、撤回を実現する為時
〜 光る君へ 十一夜「まどう心」〜
前回の兼道に騙されての出家、そして廃位という悲劇に引き続き、今夜は、新帝、一条天皇即位を呪詛する先帝・花山天皇の壮絶な姿が描かれるわけです
それは、もう、ドラマ中の花山は哀れなわけです。が、果たしてそうだったのだろうかという話が伝わります

長徳二年995一月十六日。長徳の変とよばれる事件について『小右記』で藤原実資が報告します。花山出家9年後のことです
今夜、兼家と長男道隆一家との宴に、招かれなかった道兼が怒鳴り込むという場面がありました。そこで道隆の長男伊周が安倍晴明に一言かけていました
この伊周と弟隆家とが、いまや法皇である花山院の車を襲い、院の袖を射抜いてしまいます
藤原伊周は故太政大臣藤原為光の娘三の君の元に通っていましたが、その妹四の君藤原儼子の元に花山院が通っていました。姉妹ふたりは花山院が溺愛し、出家の原因にもなった故藤原忯子の妹でした。そうした関係のなか、伊周は花山院が妻問のは、自分が通う三の宮と勘違いして事件を起こしたのでした
出家し院と呼ばれるようになっても、花山は妻問をつづけていたということを報告してくれる事件です
第二夜で扇子を足で操るりながら、母娘ともども抱いてやったと、伺候する為時を揶揄うように花山が言うシーンがありました。この母娘ともども遊んだという話は出家後のこととして『大鏡』に記されています。
花山出家後の女性との話として、その母娘の主人の女御とも戯れた。大極殿高御座で女官と交ったというとんでもない話も伝わります。花山は出家後も何臆することなく妻問をつづけていたのでした。そんな素行の人が果たして悲劇の人といえる?と、そう思うわけです。花山は帝位を追われて却って幸せだあつたのでは?とさへ思うわけです

また今夜は、無職になった為時に職を求めてまひろが摂政になった兼家を訪ねるシーンがありました。なかなか、冷酷なシーンでした
紫式部が父のために猟官に動くというのは史実として考えられませんが、為時自信が除目に不服で抗議するということが『古事談』にあります
同年正月二十五日の除目で為時は淡路守に任命されます。当時、国々は大国・上国・中国・下国と四段階で評価されていました。そして淡路は下国。淡路守叙任を聞いた為時は「苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼」(懸命に勉学に励んだ報われない、血の涙が襟をぬらす、もし、除目が改められば「蒼天」・一条天皇一層忠勤を誓う)と漢詩を一条天皇に贈ります。
天皇は、その詩の内容にほだされて、為時への除目を撤回、為時を上国越前の守に叙任するのです、、、、

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それは、もう、ドラマ中の花山は哀れなわけです。が、果たしてそうだったのだろうかという話が伝わります

長徳二年995一月十六日。長徳の変とよばれる事件について『小右記』で藤原実資が報告します。花山出家9年後のことです
今夜、兼家と長男道隆一家との宴に、招かれなかった道兼が怒鳴り込むという場面がありました。そこで道隆の長男伊周が安倍晴明に一言かけていました
この伊周と弟隆家とが、いまや法皇である花山院の車を襲い、院の袖を射抜いてしまいます
藤原伊周は故太政大臣藤原為光の娘三の君の元に通っていましたが、その妹四の君藤原儼子の元に花山院が通っていました。姉妹ふたりは花山院が溺愛し、出家の原因にもなった故藤原忯子の妹でした。そうした関係のなか、伊周は花山院が妻問のは、自分が通う三の宮と勘違いして事件を起こしたのでした
出家し院と呼ばれるようになっても、花山は妻問をつづけていたということを報告してくれる事件です
第二夜で扇子を足で操るりながら、母娘ともども抱いてやったと、伺候する為時を揶揄うように花山が言うシーンがありました。この母娘ともども遊んだという話は出家後のこととして『大鏡』に記されています。
花山出家後の女性との話として、その母娘の主人の女御とも戯れた。大極殿高御座で女官と交ったというとんでもない話も伝わります。花山は出家後も何臆することなく妻問をつづけていたのでした。そんな素行の人が果たして悲劇の人といえる?と、そう思うわけです。花山は帝位を追われて却って幸せだあつたのでは?とさへ思うわけです

また今夜は、無職になった為時に職を求めてまひろが摂政になった兼家を訪ねるシーンがありました。なかなか、冷酷なシーンでした
紫式部が父のために猟官に動くというのは史実として考えられませんが、為時自信が除目に不服で抗議するということが『古事談』にあります
同年正月二十五日の除目で為時は淡路守に任命されます。当時、国々は大国・上国・中国・下国と四段階で評価されていました。そして淡路は下国。淡路守叙任を聞いた為時は「苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼」(懸命に勉学に励んだ報われない、血の涙が襟をぬらす、もし、除目が改められば「蒼天」・一条天皇一層忠勤を誓う)と漢詩を一条天皇に贈ります。
天皇は、その詩の内容にほだされて、為時への除目を撤回、為時を上国越前の守に叙任するのです、、、、

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2024年03月17日
福福岡城内を牡丹・芍薬・藤・菖蒲とお花見遠足&講演「黒田藤巴、実は使われていなかった」
「那国王の教室」歴史遠足・教室:福岡市後援
初夏の花々、牡丹・芍薬・藤・菖蒲が咲きほこる福岡城を歴史遠足。福岡市美術館レクチャールームで「黒田藤巴紋は使われていなかった」をテーマに教室です。
集 合:令和 6年5月11日(土)13:00福岡城下の橋
参加費:¥3.500-(1日保険含む)
問い合わせ・申し込み
Tel.090-9404-4299
mail: [email protected]
【当日の予定詳細】
13:00福岡城下之橋集合→福岡城牡丹芍薬園→名島門横藤棚→松の木坂御門跡→本丸裏御門跡→鉄御門跡→天守台→武具櫓跡→菖蒲池→追い廻橋→14:30福岡市美術館レクチャールーム:講演「黒田藤巴紋は使われていなかった」16:00解散
Google map福岡城下之橋
https://maps.app.goo.gl/3NcRXnAyGjtQJXnn6
主催「那国王の教室」福岡市東区大岳3-21-1-301
後援:福岡市
福岡市政だより4月15日号情報 BOXweb版ページ
https://www.city.fukuoka.lg.jp/shicho/koho/fsdweb/2024/0315/1107.html

丸餅紋が鍬形の伝黒田長政所用「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」
福岡市博物館企画展示カタログNo.246 甲冑にみる江戸時代展2-大水牛と桃形の系譜-より

伝伝黒田長政所用永楽銭紋陣羽織
特別展 黒田長政没後400年 黒田侯爵家の名品 知られざる黒田家「家宝」の近代史 より

福岡城牡丹芍薬園横の伝潮見櫓と下之橋御門
初夏の花々、牡丹・芍薬・藤・菖蒲が咲きほこる福岡城を歴史遠足。福岡市美術館レクチャールームで「黒田藤巴紋は使われていなかった」をテーマに教室です。
集 合:令和 6年5月11日(土)13:00福岡城下の橋
参加費:¥3.500-(1日保険含む)
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【当日の予定詳細】
13:00福岡城下之橋集合→福岡城牡丹芍薬園→名島門横藤棚→松の木坂御門跡→本丸裏御門跡→鉄御門跡→天守台→武具櫓跡→菖蒲池→追い廻橋→14:30福岡市美術館レクチャールーム:講演「黒田藤巴紋は使われていなかった」16:00解散
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丸餅紋が鍬形の伝黒田長政所用「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」
福岡市博物館企画展示カタログNo.246 甲冑にみる江戸時代展2-大水牛と桃形の系譜-より

伝伝黒田長政所用永楽銭紋陣羽織
特別展 黒田長政没後400年 黒田侯爵家の名品 知られざる黒田家「家宝」の近代史 より

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