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食いだおれ白書

世界を食いだおれる。世界のグルメを紹介します。孤高のグルメです。

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店

鰻は大好きだが、値段のハードルが高く高嶺の花。仕事場の新宿壱番街にウナギ屋さんがあるのは知っていたが、どうせ手が出ないと思って値段も見なかった。ある日「日曜営業はじめました」の看板を見ると「うな丼」が590円。これなら手が届く。

「名代 宇奈とと」の歴史

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店

宇奈とと(うなとと)は「安い・早い・旨い」をモットーに2000年にオープン。北は北海道から南は沖縄、タイやベトナムシンガポールなど70店舗以上を構える。親会社は新宿にあるG-FACTORY。鰻の下ごしらえは工場でまとめてやってから出荷。だから安く近一の味を提供できる。

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店

新宿センタービルの奥まった一角に佇む宇奈とと。外国人観光客にも愛されるその場所は、スマホの地図を片手に道を尋ねる姿が絶えない。カウンター9席、テーブル48席、個室も備えたこの店は、日中はランチの香ばしい匂いで満たされ、夕方5時を過ぎると居酒屋メニューが解禁され、仕事帰りのサラリーマンたちの賑やかな声が響き渡る。

宇奈ととメニュー

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店

「贅沢」と呼ぶには控えめすぎる価格。うな丼640円(以前は590円)にお新香と肝吸いがセットで220円。これで合計860円。財布に優しい。丼を覆う中国産の鰻は、備長炭で焼き上げられ、タレは本醸造醤油に米酢と砂糖が絡む。甘さとコクのバランスが絶妙で、熱々のご飯と共に頬張ると、至福の瞬間が訪れる。お新香のさっぱりした塩味が舌をリセットし、肝吸いの出汁が最後に深い満足感を与える。

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店

日曜日もやっているので、たまには贅沢もしてみたい。ひつまぶし1100円(現在は1300円)が憧れ。宇奈ととの鰻は高級店のものとは違う。だが、その「違い」が良い。手が届く価格で、働く人々にちょっとした贅沢を提供してくれる。特別な日にではなく、日常の中にふと挟む幸せ。その温かさが、新宿の雑踏の中で心を支えてくれる。

うな丼590円(現在640円)

うな丼590円

初参戦はうな丼590円にお新香、肝吸いが220円でつくCセット。これで810円。贅沢ランチに入るが、1000円でお釣りがくる。熱々ホクホク甘いタレの鰻丼、キリッと冷えたシャシャキ淡いしょっぱさのお新香。味、食感、温度の緩急が極上の食体験。

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店

そこに出汁の旨味たっぷりの肝吸いが抱擁。もちろん3000円以上出せば、もっと良い鰻が食べられるが、これで十分。今後、いろんなメニューを開拓していく。

うな重960円(現在1080円)

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店、うな重960円

「鰻重に手を出したら、もう戻れない」と思っていた。しかし、手にした重箱を見下ろすとと、その特別感に心が弾む。四角い器に敷き詰められた鰻は、うな丼とは異なる贅沢感を演出。タレがたっぷり染み込んだご飯と、口に広がる鰻の濃厚な旨味。「これぞ満足」という気持ちが胸に広がる。次はさらに上のメニューに挑戦したくなる、その絶妙な価格設定が憎い。

うな丼ダブル1200円

うな丼ダブル1200円

鰻がダブルになった鰻丼。ご飯も大盛り無料にできる。北里柴三郎1枚だけでは足りないが、量は満足できる。余裕があれば頼みたい。

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店

肝吸いと、うまきが付いたAセット550円をプラスすると腹も膨れる。贅沢だが、この値段でたらふく鰻が味わえるのは感謝。新宿のPIECES OF A DREAM

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店

ひつまぶし1300円

名代 宇奈とと〜新宿センタービル店,ひつまぶし

令和七年1月26日。依頼を受けている原稿が20回以上、書き直して提出してもOKが出ない。完登するため、お昼に「ひつまぶし」を食べる。ひらがな五文字ひ・つ・ま・ぶ・し。ドリカムの未来予想図のような推進力が宿る。まずは鰻の蒲焼。甘いタレがノイローゼになりかけの精神を抱擁してくれる。追加で頼んだ赤出汁(110円)で洗い流す。やさしさに甘えたくはない。今度は山葵をつけて気を引き締め直す。これを3往復。そしていよいよクライマックス。柚子の効いた出汁を注ぐ。甘さの包容力すら抱擁してくれる。なんという優しさ。この優しさなら甘えていたい。鰻屋に不釣り合いな大塚愛の『さくらんぼ』の甘い声が、絶望も一瞬で色を失う力がある。さあ、最後の山を登りきろう。

名代 宇奈とと新宿センタービル

  • 住所:東京都新宿区西新宿1-25-1. 新宿センタービルB1F
  • 電話:03-5381-6969
  • 営業:平日11:00~23:00、土日祝 11:00~21:00

おすすめの鰻屋さん

新宿壱番街の名店たち

高円寺の沖縄居酒屋・抱瓶の憶い出

抱瓶の憶い出

1年に一度だけ会う「彦星」がいた。ひこぼし。そう、男性だ。七夕ではなく、年が明けたばかりの深夜2時、天の川は高円寺の沖縄居酒屋「抱瓶(だちびん)」。東京に本店を構え、那覇に支店を持つ不思議な店。エイサー姿のスタッフが、小さな沖縄を都会に運んでくる。

タクシーで門前仲町から現れるのは、Iさん、50歳。スポーツニッポン校閲部の元上司だ。早稲田大学を卒業して以来、30年間、異動も転勤もなく校閲一筋の「ガラパゴス校閲マン」。結婚は早々に諦め、定年後は沖縄移住を夢見ている。

Iさんのルーティンはいつも同じ。仕事終わりに自販機でチューハイを2缶買い、「お疲れさん」と無表情でポンと僕の手に置く。帰りのタクシーで乾杯し、そのまま抱瓶で夜明けまで飲むこともあった。「割り勘にしてください」とお願いしても、断固拒否。僕がアルバイトを辞めた後も、元旦の恒例会には必ず誘ってくれる。

店の座敷に陣取ると、Iさんは生ビール、僕は泡盛『具志堅パンチ』で新年を迎える。海ぶどうゴーヤチャンプルージーマーミー豆腐と沖縄料理の洗礼を受け、アグー豚のしゃぶしゃぶで華麗なる琉球人に変身。締めはやっぱりソーキそばだ。

3時間の宴は中央線の始発まで。最初の話題はプロ野球。今年も阪神はダメだった、巨人こそ来年は日本一だ、などと愚痴の応酬。神奈川県出身のIさんがタイガースファン、奈良出身の僕がジャイアンツファン。

Iさんが本気を出す合図は、スティーブ・マックィーンの話題だ。「やっぱり『シンシナティ・キッド』が最高ですよね!」と僕が熱を込めると、「お前さん、何言ってんだい。『砲艦サンパブロ』には敵わないぜ」とピシャリ。この激論を、僕たちは毎年繰り返す。

やがて4時を回り、僕は新宿行きの始発へ、Iさんは東中野行きの電車へ。それぞれの元日は寝正月。そして、彦星は一夜の記憶を忘れ、また1年が始まる。

令和五年、阪神タイガースが日本一になる前に、Iさんはスポニチを退職した。今頃、那覇の抱瓶で新しい年を迎えているだろうか。

「高円寺、ご一緒いかがですか?」

師走の風が冷たくなる頃、僕は来るはずのないメールを待ちながら、そわそわしてしまう。

月とクレープ。Amazon  Kindle

※このエッセイは、著書『月とクレープ。』に収録した「高円寺の沖縄」を加筆・修正したものです。気に入った方は、ぜひ100円の電子書籍もご購入ください。他にも食の思い出が綴られています。

  • 住所:東京都杉並区高円寺北3-2-13
  • 営業:17:00〜05:00
  • 席数 :144席

新宿 麺屋武蔵 東京ラーメンの原流

新宿 麺屋武蔵 ラーメンの原流

街の喧騒をかき分け、ナイキのシューズがアスファルトを叩く。摩天楼にリズムを生み出し、心臓の鼓動と重なる。仕事に向かう朝のサラリーマンの足は重そうなのに、夜になると新宿は人も乗り物までもが翼を広げる。小滝橋通りを歩くと現れるのが「麺屋武蔵」。剣豪のイラストが描かれた白の暖簾に風格と哲学が感じられる。昔は真紅だった気がするが、記憶はあやふや。

創業者はアパレル業界の風雲児と呼ばれ、ラーメン嫌いだった山田雄(たけし)。一念発起、飲食店をやろうと秋刀魚の煮干しでスープを作ったところ、ラーメンにぴったりだと心変わりした。

そんな変わり者が命名した「麺屋武蔵」という少し狂気じみた屋号は、誰も創ったことのないラーメンに挑戦し、誰にも教わっていない無勝手流のラーメンであることから来ている。1998年5月に産声をあげると、瞬く間に新宿はラーメン激戦区になった。

初めて訪れたのは30年近く前、東京を知らない高校生のとき。奈良からバスに乗り、刺激に満ちたこの街に胸を高鳴らせながら、双子の弟と真っ先に向かったのが麺屋武蔵。そのときの一杯が見知らぬ異国を訪れたような感覚を与えてくれた。極太の麺が持つ力強さ。濃厚なスープがぶつかり合いながらも手を取り合う味わい。自分がこれまで知っていたラーメンという概念を根底から覆すものだった。

30歳を目前に新宿に住むようになってからも、最も思い入れのあるラーメン屋として存在してくれる。登山の生還のご褒美は麺屋武蔵だった。店内に入ると、木目調のカウンターと清潔な厨房が迎えてくれる。テーブル席はなくカウンターのみ。19席の洗練された無駄のない空間。アパレル出身のセンスを活かしたオシャレな和風のデザインは、多くの女性客も誘い込む。

店内に貼られた映画『宮本武蔵』のポスターは剣術の道場のような厳かな空気を醸し出す。その背後には、創業者である山田雄の魂があり、自然と背筋が伸びる。

食券機で指が向かうのは決まって「武蔵ら~麺」。令和七年は味玉を加えると1600円。中華そばとは思えない価格にためらいを覚えるが、それを凌駕する期待感が勝る。あっさり、大盛り。こってりを注文した時代もあったが、あっさりのほうが美味しく感じるようになった。

新宿 麺屋武蔵 ラーメンの原流

火傷しそうな熱々の丼がカウンター越しに置かれる。なんだこれ。目を奪われるのは豚の角煮。主役はチャーシューじゃないのか?しかも厚い。分厚い。見た目がすでに暴力的だ。その横には薄いチャーシュー、メンマ、味玉、青ネギ、そしてぶっとい麺。

新宿 麺屋武蔵 ラーメンの原流

魚介系と動物系の二刀流スープ。サンマの煮干しを使った繊細な醤油味。動物系と魚介系の出汁を別々に採ってブレンドするダブルスープ方式が素材の香りを際立たせる。動物と魚介が喧嘩してるような香りだが、鼻を突き破る感じがたまらない。柚子がうまく橋を架けている。

麺を持ち上げる。弾力が箸先から伝わる。スープに絡めて口に放り込むと、へヴィー級の濃厚さが舌をぶん殴ってくる。魚介の旨味が先陣を切り、その後ろから動物のコクが追い打ちをかける。調和なんてない。攻撃だ。その攻撃が心地いい。

覚悟を決めて角煮に噛みつく。柔らかい。脂が口の中で溶け出して、日常の苦味を洗い流していく。ただし重力は凄い。食べ切れるだろうか?という不安が頭をよぎる。精神と時の部屋にいるみたいだ。メンマや味玉は脇役。主役は麺とスープ、そして豚の角煮。これをやっつければ、あとはウイニング・ラン。

麺屋武蔵が生み出す一杯には創業者の執念が染み込んでる。ラーメン業界を切り裂いた刃の跡。今は弟子たちがその刃を磨き続けている。武蔵が剣で戦ったように、彼らは包丁で戦っている。その熱が、この丼に注がれている。

新宿 麺屋武蔵 ラーメンの原流

最後の一滴まで飲み干し、刀を鞘に収めるように箸を置く。テーブルを拭いて店を出ると胃の中が熱く、冷たい夜風が頬を撫でる。ふーっと大きく吐く息にスープの芳香が混ざっている。新宿は名前のとおり、店も人も常に一新されていく。思い入れのあるラーメン屋は、ほとんどが暖簾をおろしてしまった。いまも残っているのは麺屋武蔵のみ。その一杯は何かを残していく。腹の底、いや、それよりもっと深いところに。

麺屋武蔵の情報

  • 店舗名:創始 麺屋武蔵
  • 住所:東京都新宿区西新宿7-2-6K-1(ケイワン)ビル1階
  • 最寄り駅:JR新宿駅西口より徒歩4分
  • 営業時間:11:00~22:00
  • 定休日:無
  • 座席数:19
  • 電話番号 :03-3363-4634

創始 麺屋武蔵のラーメンたち

味玉角煮ら~麺

麺屋武蔵

濃厚・こってり・極太麺。ラーメンはヘビー級と心得よ。登山帰りに寄ると、新宿に帰ってきたと実感させてくれる。大谷翔平の162キロのツーシームに劣らないキレの魚介スープ、極太チャーシュー。消費カロリーを遥かに超えるコレステロールを摂取するのが正しい山登り。

味玉味噌ラーメン

新宿、麺屋武蔵

麺屋武蔵は冬限定の味噌ラーメンもある。冬のファンタジー。税金に負けてたまるか大作戦。権力と闘うパワー・トゥ・ザ・ピープルをくれる。

新春万福ラーメン

新春万福ラーメン,麺屋武蔵

正月の期間限定。いくらの味付け玉子、数の子など縁起ものが入っている。ゴールドの器とレンゲが凝った演出。魚介出汁のラーメン食すと「さっきまで山にいたのか〜」と、しみじみするから不思議。

食べログにない人生最高レストランの紹介

月とクレープ。Amazon  Kindle

東京のおすすめラーメン

新宿センタービルの顔

野球オーストラリア代表の行きつけ

西荻窪のタンメン

菊川の名店

銀座の憶い出

新宿駅の眼

味噌ラーメンといえば

都庁グッドビュー東京とトーキョースリング

グッドビュー東京とトーキョースリング

2013年の秋、奈良を後にし、週刊プロレスの記者を目指して上京した。30歳、ライター未経験の自分が頼るものは何もない。北新宿のアパートに着いた日、編集部に電話をかけた。受話器越しの返事は冷たかった。「仕事は募集していない」。「何もかも捨ててきたんです。話だけでも聞いてほしい」と必死に食い下がった。その情熱が伝わったのか、翌日、編集長が会ってくれることになった。

水道橋にある本社を訪ね、無給でいいから働かせてほしいと懇願した。編集長は困惑した様子だったが、やがて静かにこう言った。「実は僕も、当時の編集長に押しかけてここに入ったんです。熱意はわかります。でも、今はどうにも雇えないんです」。そう言って頭を下げられた瞬間、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと悟った。ライターとして実力をつけ、もう一度チャンスを掴みに来よう。そう決めたの。

現実は甘くなかった。翌日から応募した出版社や編集プロダクションは、アルバイトの面接さえしてくれない。扉はことごとく閉ざされ、7ヶ月間、数え切れないほど門前払いを食らった。そして気づけば、なぜか都庁に通うようになっていた。

地上202メートル、展望室から眺める東京の夕景は、現実の苦さを一瞬だけ忘れさせてくれた。耳元ではiPod classicから流れるMr.Childrenの「Tomorrow never knows」。夕陽が沈みゆく摩天楼と向き合う数分間は、自分の時間を取り戻す瞬間だった。陽が沈むと、足は北展望室45階の『グッドビュー東京』へ向かう。

都庁グッドビュー東京とトーキョースリング

その入り口は、まるで異世界の扉。ローマ帝国を思わせる白い柱、ムーディーな赤い行燈。高級感漂う空間に足を踏み入れると、スーツ姿のスタッフがすれ違い、ソファが整然と並ぶ。ニートの自分には場違いな場所だと分かっていた。それでも、カフェ利用ができると知り、何度もその場に座る理由を自分に言い聞かせた。

窓際のクリーム色のカウンターチェアに腰を下ろす。地平線の向こう、六本木に浮かぶ灯りに眼をやると、東京の夜に自分の居場所があるような気がした。無収入の身だが、ここに居るときは奮発。前菜、パスタ、肉料理の3500円コース。そして「トーキョースリング」というカクテル。サマセット・モームが讃えた東洋の夕焼けを模したカクテルは、鮮やかなカージナル・レッドがグラスの中で揺れる。まだ口をつけず、その色彩を眺めながら決意する。

「明日に突っこんでいこう」。

誰にも聞こえない声で、グラスを持ち上げる。東京タワーの先端に小さく乾杯。その儀式は季節の変わり目ごとに繰り返された。

時が経ち、やっとスポーツ新聞の校閲アルバイトが見つかった。山登りという新たな生き甲斐を見つけ、気づけば『グッドビュー東京』から足が遠のいていた。「次に行くのは物書きとして独立したとき」と心に決めていた。しかし、2019年4月30日、平成最後の夜にその場所は閉店した。約束は果たせないまま、扉は永遠に閉ざされた。

令和になってから一度も都庁には登っていない。今、45階には何があるのだろう。新宿中央公園からそびえ立つ都会の山を見上げると、過去の自分と未来の自分が交差する気がして足がすくむ。それでも、きっといつか、その45階にもう一度立つ。そう信じている。

グッドビュー東京とトーキョースリング

月とクレープ。Amazon  Kindle

※このエッセイは、著書『月とクレープ。』に収録した「都会の山」を加筆・修正したものです。気に入った方は、ぜひ100円の電子書籍もご購入ください。他にも食の思い出が綴られています。

  • 住所:東京都新宿区西新宿2-8-1 東京都庁第一本庁舎 北棟 45F
  • 席数 :70席

メニュー

APPETIZER
本日の前菜3種盛合せ

1,050円

季節の温野菜サラダ アイオリのディップ

1,000円

契約農園で採れたベビーリーフのミックスサラダ 和風ドレッシング 

1,050円

海老と旬野菜の TEMPURA 盛り

1,250円

本日のスープ

800円

有機野菜のオニオングラタンスープ

1,000円

カルパッチョ”~旬の鮮魚 3 種盛合せ~ 

1,450円

プロシュートのポテトサラダ 黒胡椒のアクセントで 

750円

トリュフ薫るかぼちゃと木の子のパイグラタン

1,180円

MAIN
牛ホホ肉のデミグラス煮込み 八丁味噌を隠し味に

2,160円

黒毛和牛のステーキ ジャポネソース

2,980円

“くちどけ加藤ポーク”のソテー 柚子胡椒を効かせた赤ワインソース

2,100円

本日の鮮魚料理

1480円~

本日のお肉料理

2200円~

魚介のブイヤベース 

1,920円

PASTA
オリジナル大葉ラザニア

1,240円

ホクホク芋のトマトソースパスタ

950円

本日のパスタ

1,200円

チェダーチーズのペンネ“マックンチーズ”

1,000円

ナポリタンスパゲッティ”グッドビュースタイル

1,100円

釜揚げシラスと生海苔のジェノベーゼ

950円

SIDES
フライドポテトの盛合せ わさびクリームディップ

590円

生ハムの盛合せ

1,180円

チーズの盛合せ

1,180円

自家製オリーブ

620円

ミックスナッツ

530円

穀物パン

340円

DESSERT
アイスの盛り合わせ

550円

本日のデザート

750円

ドリンク

Original Cocktails
トーキョースリング

930円

ハッサムスピリッツ

930円

ポム

810円

マンゴーサングリア

880円

澪ロワイヤル

880円

Standard Cocktails
シャンディガフ

807円

ジントニック

810円

モスコミュール

810円

カシスオレンジ

810円

アマレットジンジャー

810円

 

 

日本料理・龍吟

日本料理・龍吟

人生で一度は味わいたい料理があった。

「日本料理 龍吟」の山本征治が生み出す一皿。

きっかけは、上京直前に何気なく見たNHKの『プロフェッショナル』。そこには、門外不出とされるレシピを、普及前のYouTubeで惜しみなく公開する料理人の姿があった。「日本料理の未来に貢献したい」と笑顔で語りながら、その眼光は「俺の味を再現できるならやってみろ」と挑むようだった。食べた瞬間、きっと食の価値観が根底から変わる。そんな予感を抱かせた。

平成二十六年三月三日、桃の節句。ライターを目指し奈良から新宿に越してきたが、まだ仕事も決まらず、貯金を切り崩して過ごすニートの生活だった。ミシュラン三つ星、一食3万円という大金は冒険そのもの。リクルートスーツを唯一の勝負服に六本木へ向かった。

六本木駅を出て、東京タワーと反対側へ進む。賑やかな街の喧騒から離れた裏通りに足を踏み入れると、ぼんやりとした灯籠の光が道を照らしている。静寂の中で浮かぶ暖簾をくぐると、壁一面に描かれた巨大な水墨画の龍が、静かに息づいている。漆黒の壁と金色のレースで覆われた空間が広がり、古代中国の龍宮に迷い込んだような幻想に包まれた。

席に着くと、純黒のおしぼりに銀字で「龍吟」と刻まれている。その香りはハーブのように芳醇で、思わず笑みがこぼれる。周りを見渡すと、すでに先着している3組の男女はすべて欧米人。まるで異国の地にいるような感覚に陥る中、給仕の20代の男性が柔らかい笑顔で「写真を撮っても構いませんよ」と声をかけてくれた。その一言が緊張をほどき、心に温かな風を運んでくれた。

コース料理は9品。最初に運ばれてきたのは「松の実和え」。次いで「蒸し鮑」や「下関のトラフグ唐揚げ」、「阿蘇あか牛の炭火焼き」、「新潟の若竹ご飯」……どれもが美しく、一皿ごとに物語が宿っている。そして最後は、甘く熟した苺を一粒。熱燗と冷酒を口に含み、夢のような時間を反芻していた。

しかし、忘れられないのはただ一つ。「一番出汁への想い」と記された献立の三品目のお椀。車海老の真薯と厚削りの鰹節で取った出汁。鰹節を削ってから客席に運ばれるまでのわずか2分の勝負。その一杯を口に含むと、東京に来た意味がすべてここに集約されたように感じられた。これまでの30年の味覚を裏切る、深遠な風味と旨味。単に美味しいというだけでは語れない、それは絵画や彫刻のような芸術作品そのもの。

その味わいから伝わるのは、才能や閃きだけでは到達できない領域。物書きを志す道の途中、目指すべき道標のように思えた。思わず厨房の壁に向かって心の中で「ありがとうございました」と頭を下げた。

食事を終えた帰り際、外で店主の山本氏に会わせていただいた。静かな微笑みとともに「また来ます」と伝えた私の言葉を、彼はどんな風に受け取っただろうか。それから10年。店は六本木から日比谷へと移転し、今では一人4万4千円。それでも、「また来ます」と胸を張って言える日はまだ訪れていない。

あの夜の龍吟は今も六本木の裏通りで息づいている。料理が語る物語、その一片に触れた日の記憶を胸に抱えながら。

月とクレープ。Amazon  Kindle

※このエッセイは、著書『月とクレープ。』に収録した「龍が如く」を加筆・修正したものです。気に入った方は、ぜひ100円の電子書籍もご購入ください。他にも食の思い出が綴られています。

エヴェレストのネパール・チャイ、あったかいミルクティ

エヴェレストのミルクティ

世界でいちばん美しい白銀が視界いっぱいに広がる。雪に染められたチョモルンマ。どこまでも高く、厳然とそびえるその姿は、まるで天を目指して建てられたバベルの塔のようだ。その冷たくも凛とした威厳が、訪れる者の心を揺さぶる。10月のアドバンス・ベースキャンプにいるのは、僕たちの小さな登山隊だけだった。

エヴェレストには、1日のうちに四つの季節が訪れる。朝は冬の静けさに包まれ気温は零下。日が昇ると、春のような陽気が広がり桜の花がほころぶ気配すら感じる。昼間は完全な夏だ。太陽が肌を褐色に染め、半袖で動き回るのが心地よい。夕方4時を過ぎる頃には秋が訪れ、夜の帳が下りると再び冬がその顔を覗かせる。夜、シュラフ(寝袋)の中で登山ウェアを詰め込んでも、足元は凍えるほどの寒さだ。

標高5500メートルの朝は格別だ。薄い空気の中で、命を強く感じる。僕たち10人――日本人4人、ネパール人5人、チベット人1人――それぞれが、自分だけの夜明けを心に抱きしめる。5時半、iPhone 5cから流れる高橋優の『陽はまた昇る』が、静かな朝にそっと響く。寝袋の中で血中酸素濃度を測り、異常がないことを確認する。それからシェルパたちがテントをトントンと叩きに来る。たいていの場合、それはチベット人のゴンプさんだ。

「まっちゃんさ〜ん、おはよございま〜す」
「ゴンプさん、ナマステ〜」

日本語とネパール語が軽やかに交わる挨拶。彼の手には、甘いネパール・チャイが入ったチタンのカップ。香ばしいスパイスの香りが鼻先をくすぐる。エヴェレストの雪を溶かしたタトパニ(お湯)に、マサラを加え、ミルクで煮出した一杯。湯気がふんわりと立ち上がり、ほんのり香るシナモンが、朝の眠気をそっと撫でる。

ゴンプさんとの出会いは1年半前。ネパールで大地震が起き、支援のために薬を届けに行ったときだった。訪れたのは「世界でいちばん美しい村」と呼ばれるラプラック村。そこでの初めてのテント泊、不安だらけの朝に差し出されたのが、このネパール・チャイだった。それまでミルクティが苦手だった僕を優しく変えてくれた。

今回の遠征も、チャイとの再会が何よりの楽しみだった。しかし、ヒマラヤに入って1週間も経たないうちに、高山病に倒れた。インフルエンザのような吐き気と頭痛が続き、薬も効かない。標高5100メートルまでマイクロバスで登ったものの、町へ引き返さざるを得なかった。3日間休養したのち、再びアドバンス・ベースキャンプ(ABC)を目指すことになった。

付き添ってくれたのは、日本人カメラマンとゴンプさん。それにネパール人のマンディップが重いザックを持ってくれた。途中、川に差しかかると、ゴンプさんとマンディップが石を集め、ズブ濡れになりながら即席の橋を作ってくれた。冷たい川に浸かった彼らが僕の手をしっかりと握り、落ちないよう対岸まで導いてくれる。

道のりは決して容易ではなかった。13時を過ぎると太陽がチカチカと「もう少しだ」と語りかけるようだったが、キャラバンは終わらない。足は重く、ペースは落ちる。あと数十メートルというところで心が折れそうになった。そのとき、斜面を駆け下りてくるシェルパのアシシが目に入った。魔法瓶を抱え、走りながらシェラカップにチャイを注いでいる。

「まつだダイ! がんばったね!」

漫画のようなその光景に笑いそうになりながらも、差し出された温かなカップを口に運ぶ。甘く、優しい味が体を満たしていく。ヒマラヤの全てを抱えたような一杯、それが僕に最後の力をくれた。やっとの思いでたどり着いたABC。苦しさの中に差し込む一筋の光のように、心をそっと溶かしていった。

月とクレープ。Amazon  Kindle

※このエッセイは、著書『月とクレープ。』に収録した「雪消のミルクティ」を加筆・修正したものです。気に入った方は、ぜひ100円の電子書籍もご購入ください。他にも食の思い出が綴られています。

エヴェレストの雪解け水

エヴェレストの雪解け水

テントを出た瞬間、息を呑んだ。夜の22時半だというのに、まるで夕方のような明るさ。月光がこれほど眩しいものだとは知らなかった。天体観測用のカメラを抱えてきたが、星なんてどこにも見えない。上弦の月がこれだけ輝くのだから、満月になったらどれほどの光を放つのだろう。

「ほら、ここは別世界だろう?」
お月様が微笑むように口角を上げている。思わずヘッドランプをポケットにしまい込む。

ここは標高5500メートル、エヴェレストのアドバンス・ベースキャンプ。登山隊の間ではABCと呼ばれる場所だ。ほんの少し前、高山病で生死を彷徨った自分が嘘のようだ。今はカレーをおかわりできるまでに回復した。

ヒマラヤでは高山病を防ぐために1日6リットルもの水分を摂る。脱水症状で血液がドロドロになり、脳梗塞を引き起こす危険を避けるためだ。その水を汲んでくれるのがゴンプさん。チベット人でもうすぐ50歳を迎える。料理を振る舞うキッチン・シェルパの一人である。分厚いダウンジャケットをまとい、黒と柿色のグラデーションが美しいズボンを履いた姿は堂々としている。ロバのような顔立ちは俳優のジェームズ・コバーンにそっくりで、その瞳の奥は黒曜石のように深く輝いていた。

ゴンプさんは、ネパールの首都カトマンドゥダルバート一品だけを出す小さな飲食店を営んでいる。長男、長女、次男の三人の子どもがいて、長男はもうすぐ高校を卒業する。長女は卒業後、ドイツに留学する予定だという。寡黙で他のシェルパたちともあまり言葉を交わさないが、時々テントにお邪魔すると、HUAWEIスマホアメリカのプロレス「WWE」を観ていたりする。その姿に、山と家族、日常と非日常を行き来する彼の人生が垣間見えた。

ロンブク氷河から汲んできた雪を溶かして作る水は、夜には「タトパニ(お湯)」として魔法瓶に入れられ、日本人が使う大型テントに届けられる。その水が硬水なのか軟水なのかはわからない。ただ、エヴェレストの雪からできた湯を毎晩飲み干すたび、再び高山病に戻らないよう祈る気持ちになった。

ある日、登山家たちが高所順応のためにABCを離れた。シェルパやカメラマンたちも同行し、残ったのは僕とゴンプさん、そしてキッチン・シェルパのリーダーであるダンさんだけだった。夕方、大型テントで動画編集の練習をしていると、外から急な声が飛び込んできた。

「まっちゃんさん! まっちゃんさん!」
「どうしたの、ゴンプさん?」
「エヴェレスト、ナイスビュュュュウ!」

外に出ると、ゴンプさんが五歳児のようにピョンピョン跳ねながら、右手を指し示していた。そこには、夕陽に照らされたチョモルンマがそびえている。頂上はピンクゴールド、腹のあたりは淡いオレンジ色。その光景は世界最大の宝石のようだった。そして、その光景を見つめるゴンプさんの瞳は黒曜石よりも美しかった。

その夜、ゴンプさんは「スラーヤ(衛星電話)を貸してほしい」と言ってきた。電話代が高額なため、登山家からは絶対に貸すなと言われていたが、ゴンプさんの「家族に電話したい」という一言に逆らえず、黙ってスラーヤを渡した。

翌日、ゴンプさんは突然山を下りた。別れ際、ヤフーのメールアドレスが書かれた紙片を黙って渡され、何も言わないまま背中が遠ざかっていった。ダンさんと喧嘩をしたらしい。登山家は「ゴンプさんも若いなあ」と苦笑していた。

夜、登山隊が戻り、大型テントは再び賑やかさを取り戻した。ただ、そこにタトパニはもうなかった。ゴンプさんがいたときは、魔法瓶はいつもいっぱいだった。その雪解け水を飲むたび、ヒマラヤ人になれた気がしていたのだ。

夕飯を済ませ、テントを出ると、星と月が見事な共演をしていた。僕は立ち尽くし、心が静かに揺れるのを感じていた。

 

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※このエッセイは、著書『月とクレープ。』に収録した「チベタンの魔法瓶」を加筆・修正したものです。気に入った方は、ぜひ100円の電子書籍もご購入ください。他にも食の思い出が綴られています。