当方、TopHatenar(笑)ではあるけど
⇒日本という国の残念さ――たった一人の赤ん坊のためには何億という金が集まっても、何十人程度の生徒には三千万円すら集まらない - こころ世代のテンノーゲーム
この件について、はてなブロガー上位100名に謹んでトラックバックさせていただきます。日本がどのくらい残念な国なのかがこれでよくわかるでしょう。
ちょっと背景がわからない。
梅天さんのご家族に聾唖者のかたでその関係のかたがいらっしゃるのですか。
ちょっと該当エントリを読んだだけでは、聾唖者問題というより、「日本という国の残念さ」という、日本国の問題、というか、日本を問題するタメのダシにしているように見えるのだけど。
私は、こういう問題は、問うかたの背景や関係をまず見ます。そして、その問われるかたと私との関係を見ます。
梅天さんの、たとえば、お子さんがこの問題に遭遇していらして、また、私と梅天さんが、コメント欄等を介して、いわゆるブロガーという以上の友愛の相互の感覚をもっているなら、その問い掛けは、日本国という枠は別として、理解できるはずです。
あと、私は、若い頃、聾唖者問題にかかわったことがあり(今でも多少手話ができますよ)、その問題の背景、たとえば、なぜ手話が教育に採用されてこなかったなどについて、多少知識があります。障害の度合いによりますが、たいていの聾唖者は手話なくしても、義務教育の範囲を学ぶことができます。聾唖者は手話しかできない人々ではありません。手話もできる人々というほうが正確です。もちろん手話の利点もあります。むしろ問題だったのは、手話が積極的に禁止されることでした。
あと、もう一点だけ、日本という国が残念という、ナショナリズムに集約されるような問題論点を私はあまり立てたくないなというのはあります。各人が、その人の生活のなかで切実な問題を、その自身を含めた身近の関係から問うほうがよいように思います。実際のところ、みなさん、ごく普通の生活のなかで、日本国が残念というよりもっと身近で切実な問題を抱えていらっしゃるだろうし、そうした自身の切実性という立脚点からどうやって「公」を問い掛けていくかということが大切だろうと思います。