25歳までに共産主義に共感しない者は、心のない者である。
25歳を過ぎて共産主義を信じている者は、知恵のない者である。
ブレジネフが悪夢にうなされて目を覚ました。
側近が驚いて駆け寄り、いったいどんな夢を見たのかと訊ねた。
「世界中が共産主義国家になった夢だ。」
「それは素晴らしい!!」
「バカ言え。そんなことになったら、我が国はどこから穀物を買うのだ。」
「余はいかにして〜〜となりしか」でGoogle検索したら、ものすごい勢いで亜種が見つかったんですが。
まあ、それはさておき。
「共産主義」じゃなくて「共産趣味」というのは、確か速水螺旋人氏のサイトで初めて読んだんだと思います。
私が共産主義好きなのは、共産主義各国の馬鹿馬鹿しさもさることながら、その辿った歴史に、人類史における「輝かしい理想」というものの帰結の一つの典型がそこに示されている気がするからです。
ちょっと類型化してみました。
1 創始と反動:誕生と受容
2 拡散と曲解:解釈の多様化
3 部分的勝利:組織の誕生と権力の発生
4 腐敗と反動:状況の膠着
5 文化の一要素:陳腐化・常識化
みたいな流れかなと。
で、主観的には、これは共産主義に限らず当てはまることが多い気がします。
ちょっと説明を。
1 創始と反動:誕生と受容
高い理想を抱いた優れた思想家によって、優れた思想が創始される。
それは、現実に対する深い洞察に基づいており、体制派の反発を受けながらも、多くの人に影響を受容され、大きなムーブメントとなる。
・言うまでもなくマルクス。
・またはキリスト。
2 拡散と曲解:解釈の多様化
広く受容され、様々な人々がその思想を学ぶと、必然的に、理解のあり方は人によって異なってくる。
それは、学ぶ人間それぞれの持つ思想的下地にもよるし、その周囲の地域・時代が与える影響にもよる。
「自分は元の思想を改良した」と考える人もいるし、「自分こそ正しく理解している」と考える人もいる。
創始者もそのうち死に、どれが創始者の考えに近いのか、誰にもわからなくなる。
そして、創始者が死ぬと、その神格化が加速する。
・議会主義とかナロードニキとか。ボルシェビキとかメンシェビキとか。国家社会主義とかポル・ポトとか。
・アリウス派とアレクサンドリア学派とか。マルコ福音書とかトマス福音書とか。プロテスタントとかカトリックとか。
3 部分的勝利:組織の誕生と権力の発生
影響を受けた人が増えると、それを掲げる団体や国家が生まれる。
これは、勢力が増したことの証明であり、より一層強力にその理想を推進するための第一歩となる。
一方で、組織や国家は現実の力を持つため、そこに権力や利権が発生し、今度はそれを求めて人が集まるようになる。
・共産党とソヴィエト連邦の成立。
・教会の成立。「平民が出世するために神学校へ行く」という戦略の誕生。
4 腐敗と反動:状況の膠着
組織や国家は、それ自体の存続を第一の目的とするようになる。
権力維持のためにテキストを盾に取る教条主義がはびこる一方、本来の思想は「現実路線」の前になおざりにされるようになり(あるいは、そう考える人が現れるようになり)、これに反発する形で、「本来の思想に立ち返ろう」とする原理主義者が生まれる。
多様な分派が乱立する一方、ある分派が最終的な勝利を収めたり、その思想が全世界を席捲することはあり得そうもないことが見えてくる。
・スターリン(元は党の事務職)の台頭。一国共産主義政策への方向転換。過激派の発生。
・清貧、聖像禁止等の思想が失われる。原理主義者の発生。
5 文化の一要素:陳腐化・常識化
当初の思想が与えた影響は、必要なもの・受け入れられやすいものが、一般大衆に受け入れられる。
ムーブメントや思想団体は、周辺の文化や法制度に影響を与え、世界全体がわずかに変化する。
一方で、このような限定的受容に納得できない原理主義者は依然として活動を続けるが、原理主義を自称していながら、創始当初の思想とは方向性が変わってしまっていることもある。
また、時代の流れに伴い、本来の創始者の思想そのものが、すでに修正が必要な時代遅れなものになっていたりする。
・労働組合の合法化。労働基本権の整備。
・地域コミュニティとしての教会。年間行事の一つとしてのクリスマス。
要するに、最初は高邁で革新的な思想であったものが、広く受け入れられるにつれて様々な分派に分裂してしまうわけです。
そして、周囲に影響力をおよぼしうるような組織が成立すると、今度はその利権を巡った争いが起きるようになり。
ついには、組織の既得権益を守ることを最優先する人々や、それに反発する「原理主義」者が現れます。
その一方で、元の思想は単に堕落するだけではなく、拡散に拡散を続け、広く浅く、人々に受け入れられるようになっていくのです。
まあ、「5」まで到達しないで消え失せる思想とか、いろいろ可能性はあるわけですけど。
なんというか、共産主義の理想というのも、それ自体はすごくよくわかるんですが、それがどんどんうまくいかなくなる過程がこれまた「そりゃそうだよなあ……」という感じによくわかって。
理想のために努力しよう、という人間の気持ち自体は無意味ではないし、それは少しずつ世界を良くするのだ、とも思うのですが……。
共産主義諸国の状況に心を痛めた神は、マルクスを呼び、貧困に苦しむ共産国大衆と、その犠牲の上で安逸に暮らす党幹部たちの有り様を見せてやった。
するとマルクスは悲しげに笑ってこう言った。
「だから言わんことじゃない。みんなが共産主義を信じていれば、こんなことにならなかったのに」
東ドイツにて
「もはやこの国には本当の共産主義者はいません、
もう共産主義者はアメリカの大学にしか存在しないのです」