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【リレーコラム】「フェム」としてトランスすること――私と「ファッション」との格闘史(中村香住)

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PROFILE|プロフィール
中村香住
中村香住

慶應義塾大学文学部・慶應義塾大学大学院社会学研究科 非常勤講師。修士(社会学)。専門はジェンダー・ セクシュアリティの社会学。 現在は第三波フェミニズムの観点からメイドカフェにおける女性の労働経験について研究をおこなうかたわら、レズビアン当事者として“恋愛至上主義にノれないセクシュアルマイノリティ”の居場所づくりにも取り組む。共著書に『私たちの「働く姫、戦う少女」』(堀之内出版)、『ふれる社会学』(北樹出版)、『 「百合映画」完全ガイド』(星海社)、『ガールズ・メディア・ スタディーズ』(北樹出版)など。
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私は、一般的な意味において「ファッション」が決して「得意」とは言えない。なんなら「苦手」なほうだ。しかしこれでも、昔よりは多少、自分で自分の着たい服を選択できるようになってきた。
小さい頃、私は、醜形恐怖を抱いていたのだと思う。一番よく覚えているのは、トイレから出る時などに洗面所の鏡で自分の顔を直視できなかったことだ。自分の顔がいかに醜くて見るに耐えないものであるかに向き合いたくなくて、いつも鏡を見ないようにして俯きながら手を洗っていた。「私にはどんな服も似合わないはずだ、でも社会生活を送る上で裸でいるわけにはいかないので仕方なく布で身を纏うのだ」ぐらいに思っていた。
さらに、思春期の私は、多少の性別違和(だと当時は認識していたもの)も感じていた。今思えば、これはジェンダー・アイデンティティ(性自認)における違和感ではなく、社会の規範に基づいたジェンダー表現に関する違和感だったのだと思う。
私は当時から女性のことが恋愛的に好きだったため、社会の異性愛規範に影響されて「男性役割を担うべきなのかもしれない」と感じていた時期があり、それもこのことに影響していると思われる。たとえばステレオタイプ的に「女性らしい」とされるもの――ピンクやスカートなど――に関して、自分と同一化できず、私服ではほとんどいつもズボンだけを履いていた。
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