2020年03月12日
明智光秀ゆかりの地 その2
明智光秀のゆかりの地を訪ねて、続編をお届けしましょう。
前回に続いて本能寺から寺町通を北上します。
しばらくは両側に骨董品を扱うお店やアートギャラリーのお店が
立ち並びます。お茶の一保堂さんやパンの進々堂さんなど
京都らしいお店に立ち寄るのもいいですね。
寺社では町堂として、さらに観音信仰に支えられてきた
行願寺(革堂)や、御霊信仰の中心となった下御霊神社なども
寺町通に面しているので立ち寄ってみましょう。
丸太町通を越えて、左手に京都御苑を見ながら進むと、
京都三名水のひとつである染ノ井で知られる梨木神社が
現れ、その向いの源氏物語の執筆の地に建つ寺院である
廬山寺に到着します。

こちらは、通常は源氏庭に咲く桔梗が見事で、
6月~9月にかけては花目当てに来られる方も多いですが、
今年は明智光秀の念持仏であったとされる地蔵菩薩が
特別公開中です。

光秀が戦場にまで持っていったとされるそうで、なぜ廬山寺に
残っているかというと、比叡山焼き討ちの際、その実行部隊で
あった光秀に対して、時の正親町天皇から、この廬山寺は
もともと天台宗でも比叡山から独立した寺院であるから、
焼き討ちにはしないようにとの伝達があったため、
光秀の差配によって焼き討ちを免れたと伝わるからです。
今年11月末まで見ることができますので、ぜひ訪れてみて
ください。
さらに今出川通を越えて、戦国武将として人気の山中鹿之助の
墓がある本満寺を過ぎていくと、東側に阿弥陀寺が見えてきます。

阿弥陀寺は開山である清玉上人が織田家と親しかったことから
本能寺の変の際には、いち早くかけつけて信長の遺骸(遺骨)を
収集して持ち帰り、葬儀を行った寺院と伝わります。
毎年6月2日には信長忌が行われ、この日限定で公開される
本堂の中で、信長の木像や書状を目にすることができます。
通常期でも墓参りは可能ですので、ぜひとも信長と子である
信忠、さらには森蘭丸など側近たちのお墓をお参りしましょう。

北側には額縁門で知られる天寧寺があり、こちらは公開予定は
ないものの、本堂修理の際に光秀の位牌がでてきたことから、
光秀となんらかゆかりがあったと考えられています。
戦国武将や光秀の息吹が感じられる寺町通、
ぜひこの機会にぶらりと歩いてみてくださいね。
次回は桜が咲く頃に、東山エリアへ。光秀の足跡を求めて歩いてみます。
山村
前回に続いて本能寺から寺町通を北上します。
しばらくは両側に骨董品を扱うお店やアートギャラリーのお店が
立ち並びます。お茶の一保堂さんやパンの進々堂さんなど
京都らしいお店に立ち寄るのもいいですね。
寺社では町堂として、さらに観音信仰に支えられてきた
行願寺(革堂)や、御霊信仰の中心となった下御霊神社なども
寺町通に面しているので立ち寄ってみましょう。
丸太町通を越えて、左手に京都御苑を見ながら進むと、
京都三名水のひとつである染ノ井で知られる梨木神社が
現れ、その向いの源氏物語の執筆の地に建つ寺院である
廬山寺に到着します。
こちらは、通常は源氏庭に咲く桔梗が見事で、
6月~9月にかけては花目当てに来られる方も多いですが、
今年は明智光秀の念持仏であったとされる地蔵菩薩が
特別公開中です。
光秀が戦場にまで持っていったとされるそうで、なぜ廬山寺に
残っているかというと、比叡山焼き討ちの際、その実行部隊で
あった光秀に対して、時の正親町天皇から、この廬山寺は
もともと天台宗でも比叡山から独立した寺院であるから、
焼き討ちにはしないようにとの伝達があったため、
光秀の差配によって焼き討ちを免れたと伝わるからです。
今年11月末まで見ることができますので、ぜひ訪れてみて
ください。
さらに今出川通を越えて、戦国武将として人気の山中鹿之助の
墓がある本満寺を過ぎていくと、東側に阿弥陀寺が見えてきます。
阿弥陀寺は開山である清玉上人が織田家と親しかったことから
本能寺の変の際には、いち早くかけつけて信長の遺骸(遺骨)を
収集して持ち帰り、葬儀を行った寺院と伝わります。
毎年6月2日には信長忌が行われ、この日限定で公開される
本堂の中で、信長の木像や書状を目にすることができます。
通常期でも墓参りは可能ですので、ぜひとも信長と子である
信忠、さらには森蘭丸など側近たちのお墓をお参りしましょう。
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ないものの、本堂修理の際に光秀の位牌がでてきたことから、
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ぜひこの機会にぶらりと歩いてみてくださいね。
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山村
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Posted by らくたびスタッフ
at 18:30
│山村