「正確さ」と「おもしろさ」は両立できる?
パンダが食べてる笹の葉にはほとんど栄養がない。コアラはユーカリに含まれている猛毒のせいで一日中寝ている。
動物達の少し切ない「ざんねん」な生態をイラスト付きで紹介する人気の児童書「ざんねんないきもの事典」。2016年5月の発売以来話題となり、ヒット商品となっている。
しかし、子どもにもわかりやすく楽しく読ませる工夫がしてある反面、動物の専門家から見ればその「表現」に違和感を感じることもあるようだ。
以下に紹介するのは、ちょうど1年ほど前に投稿された、とある専門家のツイートである。
#ざんねんないきもの事典 は面白い本ですがマンボウに関しては間違っているので、「マンボウが産んだ3億個の卵のうち、99.999999%は死んで2匹程度しか大人になれない」というネット上の俗説には著書で反論。この本が俗説の最初の文献ソースになってしまう。 #マンボウのひみつ pic.twitter.com/s48Cpk4LFj
— こみトレ-ウ11b@「マンボウのひみつ」好評販売中 (@manboumuseum) 2017年9月25日
このツイートの投稿主は、マンボウの研究者である澤井悦郎さん。研究だけではなく、マンボウ情報の啓蒙のため「マンボウなんでも博物館」というサークルを運営するなど、マンボウ全般についてアクティブに活動されている方である。
▲マンボウについて講演する澤井さん
澤井さんが疑問を呈しているのは、いきもの事典に書かれているマンボウの説明で、「マンボウの99.99%はおとなになれない」「泳ぐのが遅い」「3億個もの卵を産むが、おとなになれるのはおそらく2匹程度」という旨の記述である。
澤井さんは、2017年8月に発売した著書「マンボウのひみつ」にて、次のように反論している。
他の魚類と比較した結果、マンボウは中間的な場所に位置し、バショウカジキ(時速二・三km)や一部のサメと同じ遊泳スピードが出せることもわかりました。(中略)マンボウが三億個の卵を「産む」とは一言も書かれていないのです。(中略)正しくは「三億個の卵巣卵を持っていた」です。また、生き残りに関しても知見がありません。(中略)実際どれだけ生き残るのかは誰にもわかりません。
科学的な裏づけがないままに、マンボウに貼られてしまった「死にやすい生き物」というレッテル。澤井さんはこれを払拭すべく、著書のほかにネットニュースや講演などでも間違いを指摘している。
いきもの事典の出版社にも、2017年11月にメールでこのことを指摘した澤井さんだが、本の作り直しに大変なコストがかかることも理解しており、話し合いの中である程度譲歩したそうだ。しかし、専門家として間違った知見が拡散されるのは見過ごせず、自身で出来る限りの広報手段を使い、正確な情報を発信し続けた。
その最中、澤井さんを憤慨させる事件が起こる。2018年8月、Eテレで放送された「ショートアニメ版・ざんねんないきもの事典」で、くだんのマンボウに関わる表現が修正もなく、そのまま放映されたのである。
おのれ…おのれ…ざんねんな生き物辞典め…アニメでマンボウを出しやがったな…誤った知見を広めやがって…赦さぬ…赦さぬぞ…またマンボウが死にやすいイメージが広がるじゃねぇか!!!!クソがあああ!!!!!! https://t.co/3uh02RWTcZ
— 筋肉強化月間@「マンボウのひみつ」好評販売中 (@manboumuseum) 2018年8月17日
ショートアニメ自体は、「ざんねんないきもの事典」の独特な世界観が魅力的に表現されており、完成度が高いものだったかもしれない。
しかし、マンボウの正しい情報を啓蒙したいというゆるぎなき思いを持つ澤井さんは、どんな思いでこのアニメを見たのだろうか。今回、直接お話を聞いてみた。
──「マンボウに関する情報収集・発信」を目的として、「マンボウなんでも博物館」というサークルを運営していますが、ツイッターもその一環ですか?
澤井さん:そうと言えばそうですし、そうじゃないと言えばそうじゃないです。ツイッターはサークルのアカウントではなく、私個人のアカウントですね。マンボウのことをいろいろ呟いていますが、全く関係ないことも呟いています。サークルはマンボウ好きな仲間を集めて何かしたいなぁと思い、作りました。将来的にはマンボウの博物館をつくりたいと考えているのですが、全く予定は未定です。
▲澤井さんは自らを「マンボウ研究で博士号を取得した廃人」と称している
──「ざんねんないきもの事典」のショートアニメについて、かなりツイッターで怒っていらっしゃいましたね。1年前のように、今回も出版社に連絡などはしたのでしょうか?
澤井さん:特に出版社側とあれこれする気は全くないので、今回コンタクトは取っていません。本を修正するのは大変なので作ってしまったのなら仕方ないか、自分は自分で正確な情報を普及しようという、という感じになったのですが、今回のアニメ化は本の内容をそのままだったので、ショックを受けました。去年のうちに問い合わせをしていたので、アニメに収録する動物の中にマンボウを出さないとか、アニメでは内容を修正するとか、もっとできたのではないかなと思って少し悲しい思いをしました。
──おもしろさやわかりやすさを重視する「いきもの事典」編集サイドの気持ちも、理解はできますか?
澤井さん:これは非常に難しい質問です。私も本を作ったことがある人間なので、面白い本を作りたい出版社側の気持ちはよくわかります。ただ、マンボウに関してはライフワークとして本気で取り組んでいるので、正確でない簡略化した情報が普及するのは私的には困ります。元々他の図鑑でも似たような正確でない知見は書かれています、それを指摘していこうと思った矢先の「ざんねんないきもの事典」の大ヒットでした。ちょっとタイミングが悪かったですね。
──どこに落としどころをもっていくか、難しいところだとは思うのですが、答えは見つかりそうですか?
澤井さん:結局いたちごっこをするしか仕方ないのではないでしょうか。科学の世界では私はこう考えると自分の説を発表して、それを疑問に思った人はまた自分の説を発表する・・・というように、いくつかの説が唱えられて、結局どの説が正しいかは自分で選んで判断しなければなりません。だから、出版社側が既に作ってしまった本で正確でない情報が普及するなら、私は私で自分の信じる情報を普及する、ただそれだけです。私はポスドク問題であぶれてマンボウの研究で職を得られず、趣味みたいな感じで個人的に研究している状態ですし、ぶつかり合ったところで双方何も益は生まれないと思います。また、一般の人からすれば、私がこだわっていることなんて単なる豆知識程度で、生活には全く支障のない知見だと思うので。
──これまでも、マンボウ専門家として、テレビや雑誌など様々なメディアに協力してきたと思うのですが、そこでも「正確さ」が犠牲にされていると感じることはありましたか?
澤井さん:ほとんどですね。テレビは特によろしくない。予め、私にコンタクトを取る前に、番組のストーリーを考えているので(しかも情報はインターネットがソース)、問題があることを指摘してもなかなか修正してくれませんでした。テレビの人に論文を送ったこともありますが、ほとんど読んでいませんね。しかも、専門家にコメントや情報提供を求めているにも関わらず、お金は払えないという番組が非常に多かった。その知識や情報を入手するのにどれだけ時間がかかったのか、ということが全くわかってくれない。研究者舐めてるのか、と思うことも多々ありましたね。現在の若手研究者は時間に余裕がないことに加えて貧しいので、依頼するなら有償でお願いしたい。
──過去にどんな例がありましたか?
澤井さん:マンボウと死を関連付けるネタが多いですね。先に述べるとこれはマンボウだけに当てはまるのではなく、多くの生物に当てはまります。マンボウは3億個の卵を卵巣にもっている(論文のオリジナル)→マンボウは3億個産む(知見の簡略化)→海がマンボウだらけにならないのはほとんどが死んでいるから(推測)→弱い・死にやすい(連想)ざっとこんな感じで伝言と連想の中でオリジナルの知見が改変されてネット上で拡散されています。ネタとしてはたしかに面白いとは思いますが、正確な情報ではありません。また、民俗学的研究を通じて、最近インターネット上で流布されている「マンボウの死因」についても9割が虚偽であることを論文で指摘しました。加えて、「マンボウは3億個の卵を卵巣にもっている」の「マンボウ」は、現在は3種に分かれているので、昔の論文で扱われている種が本当にマンボウなのか、実はウシマンボウやカクレマンボウではないのか?といった分類学的問題もあるので、この知見に関しては改めて研究し直す必要がありますね。
▲マンボウの生存率についての正しい解釈を啓蒙する澤井さん
──ご自身でも本「マンボウのひみつ」を書かれていると思うのですが、こちらの本は、徹底的に「正確さ」を追求した本、と考えてもよろしいですか?
澤井さん:私はそのつもりで書きました。単著ですが、他の研究者に見てもらった部分もあります。可能な限りミスのないように作りました。マンボウの研究は加速しているので、情報が古くなることはあると思いますが、出版時点での情報の正確さには気を付けました。もし、著書の中で間違いを見付けたら私のtwitterまでご指摘下さい。
──「マンボウに興味のない人にも読んでもらいたい」「できるだけたくさんの人に読んでもらいたい」といった気持ちもありますか?
澤井さん:私が語ることができるのはマンボウに関する知見だけですが、本も論文もできる限り多くの人に読んで欲しいですね。自分ががんばったという点、正確な情報を伝えたいという点、いろんな気持ちが入り混じって、私は面白いから広報にも力を入れています。研究者は論文だけ出して広報活動をしない人も多いので、間違った知見が出回るのを野放ししている部分もありますね。特にマンボウの場合は、水族館で飼育することの難しさから派生した「死にやすい生物」というイメージが定着しつつあるので、科学的知見に基づいて可能な限り誤ったイメージを修正していきたいですね。
──「正確さ」を維持しながらも、「多くの人に楽しんでもらう」「人の目に止まる」ようにするために、何か工夫したところはありますか?
澤井さん:サブカルまで身近な例も用いて解説しました。ページ数の制限は仕方ないのである程度の情報の簡略化は仕方ないですけど、誤解されないように配慮しました。
「サイエンスを啓蒙するうえで一番重要なことは?」という最後の質問に、「情報の正確さ」だと答えてくれた澤井さん。正確さを重視する専門家と、おもしろさを重視するメディアというわかりやすい対立の図式の中で、澤井さんは徹底的に「専門家」としての姿勢を崩さない人であった。
一人の人がいくつもの視点や知見を持つのは難しいし、結局はいろんな考え方の人が拮抗しあって社会的なバランスがとれていくような問題なのかもしれない。だからこそ、澤井さんのような正確な情報をぶれることなく普及してくれる人の存在は貴重であると思う。
「マンボウが3億個の卵を産んで2匹しか生き残らない」とか真実味があるような適当なことが言われていますが、「 The survival rate for these fish is unknown.(マンボウの生残率は不明) 」と書かれている論文を発見しました。反論できるぞ!!! https://t.co/V9cKVCb0qb pic.twitter.com/m5PtPE8qKU
— 筋肉強化月間@「マンボウのひみつ」好評販売中 (@manboumuseum) 2018年9月9日
取材協力、画像提供:澤井悦郎さん
参照元:マンボウなんでも博物館、Twitter