ツイッターの方で既に呟いていますが、テクニカルライターの井上孝司氏がマイナビニュースに連載している「軍事とIT」が、空関係の記事をまとめて電子書籍化されました。
ところが、Amazonで初っ端からトンチンカンな星1レビューが付いており、これは酷い風評被害だと私の方でレビューを書きました。その転載です。
<以下転載>
著者の井上氏は元日本マイクロソフトのITエンジニアで、現在はテクニカルライターとして、OSからネットワーク、仮想化等の幅広いIT領域についての著述活動をされている。近年の兵器開発では特に電子装備において、商用の既成品を用いる所謂”COTS"が行われるようになり、軍事技術と民生用ITの境界が曖昧になりつつあるが、そのような軍事技術とITの切っても切れない関係を、ITに造詣の深い井上氏が解説するのだから、これ以上の人選は無いだろう。
本書はマイナビニュースに連載されていた記事のうち、空関係の記事をまとめた電子書籍で、F-35戦闘機、イージス艦によるミサイル防衛、無人機の3章で構成されている。これらの兵器システムにITがどのように関与し、従来兵器からどのように進歩したかがわかりやすく解説されており、また全ての章で要となるネットワークの解説にも多くを割いている点も見逃せない。兵器単体だけでなく、それがネットワークの中でどのような意味を持つのか、ネットワークをどう利用するのかといった事は、現代戦の勝敗を決定づける重要な要素だが、ネットワークの専門家でもある著者だけに、そこもしっかりとカバーされていて安心して読める。
軍事とITはややこしい分野で理解が難しいが、初学者向けのIT関連テキストも数多く執筆されている著者だけあって、初心者が躓くワードに対しては噛み砕いた解説を行うなどの気配りが行き届いている。逆に言えば、ある程度軍事やITに詳しい人には冗長にも思えるかもしれないが、改めて平易な言葉で解説されると、自分が知っていたつもりになっていた事柄が、とんでもない誤解をしていたと気付かされる事もある。変化のスピードが早い領域なだけに、知識のリフレッシュを図る上でも目を通したい。
日本に軍事関連雑誌は多々あるが、そこで連載されているコラムや解説記事は、雑誌掲載されただけで単行本化される事はほとんど無かった。今回のように、連載が電子書籍化という形で低コストでまとめて読めるのは大変嬉しいし、この流れが軍事雑誌界隈にも浸透する事を望みたい。著者にとっても、出版社にとっても、なにより読者にとってもメリットは大きいと思うのだけど……。
<転載終わり>
これはぜひ読んで頂きたいですね。マイナビニュースでまだ読めるけど、社会人ならマストバイ。安いし、場所取らないんだから。
2014年1月29日水曜日
インドが購入する救難飛行艇US-2、「輸出」ではなく「協業」に?
以前から輸出に向けて売り込みが行われていた国産救難飛行艇US-2ですが、インドが購入する方向で概ね合意したという話をロイターが報じています。
まだ口頭での合意で予断を許しませんが、輸出に向けた関門を1つクリアーしたと見ても良さそうです。
しかしながら、記事の後段にある共同生産等の協議は、輸出条件を巡って難航するかもしれません。インドは防衛装備の国産化を進めており、時には二国間の関係よりも技術移転を優先させる事がしばしばあります。近年行われたインド空軍の中型多目的戦闘機(MMRCA)のコンペでは、原子力協定締結や武器輸出解禁で関係が深まりつつあったアメリカの機種は選考外となり、広範な技術移転を行うと表明していたフランスのダッソー・ラファールが受注を獲得しました。受注を獲得したフランスも、インド空軍が調達するラファール126機のうち、100機以上をインド国内でライセンス生産されることになっており、インドへの技術移転も含めるとフランス側の旨味はそれほど大きいものでは無さそうです。
インドは装備国産化を推し進めており、2013年8月には国産空母ヴィクラントが進水し、国産原子力潜水艦アリハントも原子炉が臨界に達して稼働を開始するなど、相次いで成果が出ています。特に宇宙分野における国産化は進んでおり、インド独自の航法衛星システムであるIRNSS、地球観測システムは軍民双方での利用され、産業や防災分野における衛星情報利用は日本よりも先進的です。
このように防衛装備の国産化を進めているインドですが、救難飛行艇であるUS-2は、戦闘機と比べて技術移転の優先度は低いと思われます。しかし、自国航空産業の育成のため、共同生産の配分や技術移転について、インド側への譲歩を求められる事は十分に考えられるでしょう。購入する15機のほとんどが、インド国内で生産されるかもしれません。
しかし、仮にインド側の生産比率が大きくても、悪い話ではないかもしれません。海上自衛隊が運用するUS-2は、2014年1月現在で試作機含め5機で、調達も数年に1機程度と低調です。インド軍が何年で全機配備するかは不明ですが、メーカーの新明和工業の生産能力を超えるスパンで供給を求められた場合、インド国内で生産した方が合理的と言えます。また、これまでのインドは武器輸入大国でしたが、近年は徐々に武器輸出にも力を入れ始めています。同じく日本も武器輸出を模索していますが、仮にインド国内に新たにUS-2の生産工場を作った場合、そこから日印共同で航空機の生産・輸出を行う事も可能になり、武器輸出を拡大したい日印の思惑が一致するかもしれません。先日、トルコの次期主力戦車のエンジン開発を日本とトルコの合弁企業で行う動きがある事をお伝えしましたが、トルコと同じように、インドと航空分野で協業することで、国際市場の足がかりにする事も視野に入っているのかもしれません。
武器輸出は経済的利益の他に、政治的思惑が強く働くビジネスです。目先の利益に囚われて、インドを客としてしか見ないのではなく、パートナーとして取り込み、関係を深化させていく視点も重要となるでしょう。
【関連】
西原正,堀本武功(編)「軍事大国化するインド」亜紀書房
碇義朗「帰ってきた二式大艇―海上自衛隊飛行艇開発物語」 (光人社NF文庫)
「新明和 US-1」(世界の傑作機 NO. 140)
純国産で水陸両用の海上自衛隊救難飛行艇「US2」について、インドは購入する方向でおおむね合意しており、総額は16億ドルを超える可能性がある。複数のインド当局者が28日、明らかにした。 一機当たりの価格は1億1000万ドルで、最低でも15機購入する公算が大きいとしている。 共同生産など詳細については、3月に開かれる合同作業部会で詰めるという。
まだ口頭での合意で予断を許しませんが、輸出に向けた関門を1つクリアーしたと見ても良さそうです。
インドが購入すると報じられている、海上自衛隊のUS-2救難飛行艇 |
しかしながら、記事の後段にある共同生産等の協議は、輸出条件を巡って難航するかもしれません。インドは防衛装備の国産化を進めており、時には二国間の関係よりも技術移転を優先させる事がしばしばあります。近年行われたインド空軍の中型多目的戦闘機(MMRCA)のコンペでは、原子力協定締結や武器輸出解禁で関係が深まりつつあったアメリカの機種は選考外となり、広範な技術移転を行うと表明していたフランスのダッソー・ラファールが受注を獲得しました。受注を獲得したフランスも、インド空軍が調達するラファール126機のうち、100機以上をインド国内でライセンス生産されることになっており、インドへの技術移転も含めるとフランス側の旨味はそれほど大きいものでは無さそうです。
インドは装備国産化を推し進めており、2013年8月には国産空母ヴィクラントが進水し、国産原子力潜水艦アリハントも原子炉が臨界に達して稼働を開始するなど、相次いで成果が出ています。特に宇宙分野における国産化は進んでおり、インド独自の航法衛星システムであるIRNSS、地球観測システムは軍民双方での利用され、産業や防災分野における衛星情報利用は日本よりも先進的です。
進水したインド国産空母ヴィクラント(撮影:Drajay1976) |
このように防衛装備の国産化を進めているインドですが、救難飛行艇であるUS-2は、戦闘機と比べて技術移転の優先度は低いと思われます。しかし、自国航空産業の育成のため、共同生産の配分や技術移転について、インド側への譲歩を求められる事は十分に考えられるでしょう。購入する15機のほとんどが、インド国内で生産されるかもしれません。
しかし、仮にインド側の生産比率が大きくても、悪い話ではないかもしれません。海上自衛隊が運用するUS-2は、2014年1月現在で試作機含め5機で、調達も数年に1機程度と低調です。インド軍が何年で全機配備するかは不明ですが、メーカーの新明和工業の生産能力を超えるスパンで供給を求められた場合、インド国内で生産した方が合理的と言えます。また、これまでのインドは武器輸入大国でしたが、近年は徐々に武器輸出にも力を入れ始めています。同じく日本も武器輸出を模索していますが、仮にインド国内に新たにUS-2の生産工場を作った場合、そこから日印共同で航空機の生産・輸出を行う事も可能になり、武器輸出を拡大したい日印の思惑が一致するかもしれません。先日、トルコの次期主力戦車のエンジン開発を日本とトルコの合弁企業で行う動きがある事をお伝えしましたが、トルコと同じように、インドと航空分野で協業することで、国際市場の足がかりにする事も視野に入っているのかもしれません。
武器輸出は経済的利益の他に、政治的思惑が強く働くビジネスです。目先の利益に囚われて、インドを客としてしか見ないのではなく、パートナーとして取り込み、関係を深化させていく視点も重要となるでしょう。
【関連】
西原正,堀本武功(編)「軍事大国化するインド」亜紀書房
碇義朗「帰ってきた二式大艇―海上自衛隊飛行艇開発物語」 (光人社NF文庫)
「新明和 US-1」(世界の傑作機 NO. 140)
2014年1月21日火曜日
引き際が難しい、南スーダンPKO
2013年12月15日に勃発した南スーダンの内戦は、1月19日には停戦合意に至ったとの報道もなされましたが、依然として戦闘が続く地域もあると伝えられており、戦闘終結の見通しは立っておりません。
南スーダンは2011年にスーダンから独立した新しい国で、国連は国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)を組織し、各国は南スーダンの国造りを支援してきました。日本も2012年から、陸上自衛隊の施設部隊を派遣し、首都ジュバ近郊で300名以上の隊員がインフラの整備等を行っています。
日本では国連PKO活動へ参加する基準として、PKO参加5原則を定めており、UNMISSへの参加もこの5原則を満たしているとの判断から参加しました。ところが、内戦の勃発により、その前提が揺らています。ここで、5原則の内容を見てみましょう。
昨年末の内戦勃発で第1原則が崩壊しており、今現在伝えられている停戦合意も、今後の展開により、反故にされる可能性が捨てきれない状況です。第4原則では、第1から第3までの原則のいずれかが満たされない場合、部隊を撤収する事を求めています。
PKO参加の自衛隊部隊の撤収については、12月24日の菅官房長官の会見、1月6日の小野寺防衛大臣の会見においても否定されています。政府の見解としては、自衛隊が活動する首都ジュバは情勢が安定しており、引き続き情勢は注視するが撤収は考えていないようです。また、安倍内閣は2013年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」で、世界の安定に積極的に関与する事を示した「積極的平和主義」を打ち出したばかりで、他国に先駆けてUNMISSから手を引く事はあり得ないという見方が強いと報道されています。今ここで撤収しては、「積極的平和主義」が看板倒れになると懸念されているそうです。
しかしながら、以前から「積極的平和主義」と同様に、世界の安定への積極的関与を打ち出し、平和活動への自国軍参加を積極的に行っていたドイツでは、10年以上に渡るアフガニスタン派遣で300名以上の死傷者を出しており、政府は厳しい批判を受けています。ドイツ軍は平和目的で派遣されており、戦争下にある地域への派遣は違法とされています。しかし、多くの犠牲者を出したアフガニスタンは戦争下ではないのかという批判に対し、ドイツ政府はアフガニスタンの状況について、”Kriegsaehnliche Zustaende”(「戦争に類似した状態」)にあると説明しました。「戦争に似ているが戦争ではない」と言ったわけです。ドイツ政府のこの詭弁は国民の顰蹙を買いましたが、首都ジュバ近辺が安定している事を根拠に自衛隊撤収を否定した日本政府も、今後の事態の推移によっては、ドイツ政府と同じ罠に陥る可能性も捨て切れません。
過去に国連PKOから撤収した例を挙げれば、1996年から続いていたゴラン高原での国連兵力引き離し監視隊(UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force)への自衛隊派遣が、2011年に勃発したシリア内戦に伴う治安状況の悪化により、2013年に撤収したことがありました。この撤収については、治安悪化で隊員の安全確保が困難になった事による撤収であり、5原則が崩れたという判断によるものではないと説明されています。
最悪の事態は、引き際を見誤る事です。昨年末にお伝えした「南スーダンで進展している虐殺の危機」の記事中で、虐殺の可能性について懸念しましたが、国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、政府軍・反政府軍双方による特定民族を標的とした虐殺が行われており、懸念が現実のものになってしまいました。
このような政府軍・反政府軍双方による虐殺が行われている中、これまで通り政府に協力する形でPKO活動を続けた場合、反政府側の民族から反感を買う可能性があります。また、南スーダン情報相が「国連宿営地は反政府軍を匿っている」と主張するなど、政府側にも国連PKOへの疑心暗鬼が生じている状況です。停戦合意により事態が終息する事を期待して留まるか、今後の一層の事態悪化を懸念して撤収するか、どちらかの選択を迫られています。引くタイミングを誤った場合、その悪影響は大きなものになるでしょう。
ここで自衛隊部隊をPKOから撤収した場合、立ち上げたばかりの「積極的平和主義」の看板に傷が付くのは避けられませんし、なによりこの2年間の復興支援の多くが水泡に帰します。一方で、今後も十分想定される事態悪化と、隊員の安全を考えると、撤収もやむ無しという選択もあり得ます。仮に隊員に犠牲者が出た場合、積極的平和主義どころか、日本の平和政策が根本からひっくり返る事態になるのは想像に難くありません。
停戦合意で仕切り直しの時間を与えられた今(本当は与えられてすらいないかもしれないけど)、南スーダンに留まるか否かを真剣に考える必要があるでしょう。
南スーダンは2011年にスーダンから独立した新しい国で、国連は国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)を組織し、各国は南スーダンの国造りを支援してきました。日本も2012年から、陸上自衛隊の施設部隊を派遣し、首都ジュバ近郊で300名以上の隊員がインフラの整備等を行っています。
南スーダンで道路整備を行う自衛隊(防衛省サイトより) |
日本では国連PKO活動へ参加する基準として、PKO参加5原則を定めており、UNMISSへの参加もこの5原則を満たしているとの判断から参加しました。ところが、内戦の勃発により、その前提が揺らています。ここで、5原則の内容を見てみましょう。
- 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。
- 当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
- 当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
- 上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
- 武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。
昨年末の内戦勃発で第1原則が崩壊しており、今現在伝えられている停戦合意も、今後の展開により、反故にされる可能性が捨てきれない状況です。第4原則では、第1から第3までの原則のいずれかが満たされない場合、部隊を撤収する事を求めています。
PKO参加の自衛隊部隊の撤収については、12月24日の菅官房長官の会見、1月6日の小野寺防衛大臣の会見においても否定されています。政府の見解としては、自衛隊が活動する首都ジュバは情勢が安定しており、引き続き情勢は注視するが撤収は考えていないようです。また、安倍内閣は2013年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」で、世界の安定に積極的に関与する事を示した「積極的平和主義」を打ち出したばかりで、他国に先駆けてUNMISSから手を引く事はあり得ないという見方が強いと報道されています。今ここで撤収しては、「積極的平和主義」が看板倒れになると懸念されているそうです。
しかしながら、以前から「積極的平和主義」と同様に、世界の安定への積極的関与を打ち出し、平和活動への自国軍参加を積極的に行っていたドイツでは、10年以上に渡るアフガニスタン派遣で300名以上の死傷者を出しており、政府は厳しい批判を受けています。ドイツ軍は平和目的で派遣されており、戦争下にある地域への派遣は違法とされています。しかし、多くの犠牲者を出したアフガニスタンは戦争下ではないのかという批判に対し、ドイツ政府はアフガニスタンの状況について、”Kriegsaehnliche Zustaende”(「戦争に類似した状態」)にあると説明しました。「戦争に似ているが戦争ではない」と言ったわけです。ドイツ政府のこの詭弁は国民の顰蹙を買いましたが、首都ジュバ近辺が安定している事を根拠に自衛隊撤収を否定した日本政府も、今後の事態の推移によっては、ドイツ政府と同じ罠に陥る可能性も捨て切れません。
アフガニスタンで殉職したISAF兵士、ドイツ軍兵士らの慰霊碑 |
過去に国連PKOから撤収した例を挙げれば、1996年から続いていたゴラン高原での国連兵力引き離し監視隊(UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force)への自衛隊派遣が、2011年に勃発したシリア内戦に伴う治安状況の悪化により、2013年に撤収したことがありました。この撤収については、治安悪化で隊員の安全確保が困難になった事による撤収であり、5原則が崩れたという判断によるものではないと説明されています。
最悪の事態は、引き際を見誤る事です。昨年末にお伝えした「南スーダンで進展している虐殺の危機」の記事中で、虐殺の可能性について懸念しましたが、国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、政府軍・反政府軍双方による特定民族を標的とした虐殺が行われており、懸念が現実のものになってしまいました。
一般市民に対し、民族だけを理由として恐ろしい犯罪が続いている。両陣営とも一般市民を争いに巻き込んではならない。そして助けが必要な人びとに人道支援団体の手が届くよう計らい、信頼にたる独立した犯罪の調査を受け入れる必要がある。
このような政府軍・反政府軍双方による虐殺が行われている中、これまで通り政府に協力する形でPKO活動を続けた場合、反政府側の民族から反感を買う可能性があります。また、南スーダン情報相が「国連宿営地は反政府軍を匿っている」と主張するなど、政府側にも国連PKOへの疑心暗鬼が生じている状況です。停戦合意により事態が終息する事を期待して留まるか、今後の一層の事態悪化を懸念して撤収するか、どちらかの選択を迫られています。引くタイミングを誤った場合、その悪影響は大きなものになるでしょう。
ここで自衛隊部隊をPKOから撤収した場合、立ち上げたばかりの「積極的平和主義」の看板に傷が付くのは避けられませんし、なによりこの2年間の復興支援の多くが水泡に帰します。一方で、今後も十分想定される事態悪化と、隊員の安全を考えると、撤収もやむ無しという選択もあり得ます。仮に隊員に犠牲者が出た場合、積極的平和主義どころか、日本の平和政策が根本からひっくり返る事態になるのは想像に難くありません。
停戦合意で仕切り直しの時間を与えられた今(本当は与えられてすらいないかもしれないけど)、南スーダンに留まるか否かを真剣に考える必要があるでしょう。
2014年1月15日水曜日
海上自衛隊輸送艦衝突事故、まずは冷静な報道を
本日の午前8時頃、広島県の阿多田島沖で海上自衛隊の輸送艦”おおすみ”と釣り船が衝突し、釣り船は沈没、釣り客2名が心肺停止の状態で病院に搬送されたと報道されています。
治療中の釣り客が快方に向かう事を願うと共に、事故の原因究明をしっかり行って頂きたいと思います。
事故発生から間もないので、この事故に対するマスコミの報道姿勢はまだ定まっていないように見えます。しかし、過去に発生した自衛隊の艦船と民間船舶の衝突事故において、マスコミの報道姿勢は一貫して自衛隊に否定的でした。
記憶に新しい2008年のイージス艦”あたご”と漁船の衝突事故では、事故発生の当初から、自衛隊を非難する報道ばかりだった事は皆様も承 知の事と思います。しかし、裁判では被告となった自衛官の無罪が証明され、昨年の6月には無罪判決が確定したという報道は、自衛隊バッシングの報道と比 べ、あまりにあっさりしたものでした。この事件が自衛隊に責任が無かった事を知っている方は、事故を知っている方と比べて少ないかもしれません。公判の過 程では、検察庁が検察側証人である漁船僚船乗組員の証言を捏造した上、海上保安庁も証拠となる漁船乗組員が作成したレーダー図を廃棄・隠蔽していた事も明 らかになっており、検察は極めて乏しい証拠と信頼性にかける証言のみで自衛官を訴追しておりました。
”あたご”の衝突事故の無罪判決については、被告側弁護人を務めた田中崇公弁護士がツイッターで詳しく発言しており、そのまとめが下記のリンクで公開されていますので、是非ご覧頂ければと思います。
イージス艦「あたご」事件弁護人田中崇公先生のつぶやき。
さ て、今回の衝突事故については、まだ発生間も無い事もあり、まだマスコミ各社の報道姿勢が定まっていないようです。しかし、過去の自衛隊の事故において は、事故の全容が明らかになっていない時点で盛大な自衛隊バッシングを行う反面、無罪判決は控えめに報道する事が行われてきました。これは他の事件報道に も言えますが、罪が確定していない状況で、マスコミが容疑者・被告を殊更にバッシングする必要はあるのでしょうか。
海難審判は専門的でその理解は難しく、事故当時の再現などの全容解明には時間がかかるものです。マスコミ各社におかれては、今回の事故について、過去の報道も鑑みて冷静な報道を心がけて欲しいものです。
【関連】
※訂正:記事の中で、あたご乗員の弁護を担当された田中崇公弁護士の肩書が抜けておりました。訂正の上、お詫び致します。
15日午前8時ごろ、広島県大竹市の阿多田島沖の瀬戸内海で、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」(艦長・田中久行2佐)と釣り船が衝突した。船は沈没し、客ら4人全員が救助されたが、うち2人は心肺停止状態という。
15 日午前8時ごろ、広島県大竹市の阿多田島(あたたじま)東側の瀬戸内海で、海上自衛隊呉基地(広島県呉市)所属の輸送艦「おおすみ」(艦長・田中久行2等 海佐)から「釣り船を避けようとしたところ釣り船が転覆し、乗組員を救助中」と、第6管区海上保安本部(広島市)に連絡が入った。防衛省はおおすみと釣り 船が衝突したと発表した。広島海上保安部によると、釣り船の船長1人と釣り客3人は付近にいた漁船やおおすみの搭載艇に救助されたが、うち2人が心肺停止 状態で、山口県岩国市内の病院に搬送された。
治療中の釣り客が快方に向かう事を願うと共に、事故の原因究明をしっかり行って頂きたいと思います。
釣り舟と衝突した”おおすみ”同型艦の”しもきた”(海上自衛隊写真ギャラリーより) |
事故発生から間もないので、この事故に対するマスコミの報道姿勢はまだ定まっていないように見えます。しかし、過去に発生した自衛隊の艦船と民間船舶の衝突事故において、マスコミの報道姿勢は一貫して自衛隊に否定的でした。
記憶に新しい2008年のイージス艦”あたご”と漁船の衝突事故では、事故発生の当初から、自衛隊を非難する報道ばかりだった事は皆様も承 知の事と思います。しかし、裁判では被告となった自衛官の無罪が証明され、昨年の6月には無罪判決が確定したという報道は、自衛隊バッシングの報道と比 べ、あまりにあっさりしたものでした。この事件が自衛隊に責任が無かった事を知っている方は、事故を知っている方と比べて少ないかもしれません。公判の過 程では、検察庁が検察側証人である漁船僚船乗組員の証言を捏造した上、海上保安庁も証拠となる漁船乗組員が作成したレーダー図を廃棄・隠蔽していた事も明 らかになっており、検察は極めて乏しい証拠と信頼性にかける証言のみで自衛官を訴追しておりました。
”あたご”の衝突事故の無罪判決については、被告側弁護人を務めた田中崇公弁護士がツイッターで詳しく発言しており、そのまとめが下記のリンクで公開されていますので、是非ご覧頂ければと思います。
イージス艦「あたご」事件弁護人田中崇公先生のつぶやき。
さ て、今回の衝突事故については、まだ発生間も無い事もあり、まだマスコミ各社の報道姿勢が定まっていないようです。しかし、過去の自衛隊の事故において は、事故の全容が明らかになっていない時点で盛大な自衛隊バッシングを行う反面、無罪判決は控えめに報道する事が行われてきました。これは他の事件報道に も言えますが、罪が確定していない状況で、マスコミが容疑者・被告を殊更にバッシングする必要はあるのでしょうか。
海難審判は専門的でその理解は難しく、事故当時の再現などの全容解明には時間がかかるものです。マスコミ各社におかれては、今回の事故について、過去の報道も鑑みて冷静な報道を心がけて欲しいものです。
【関連】
※訂正:記事の中で、あたご乗員の弁護を担当された田中崇公弁護士の肩書が抜けておりました。訂正の上、お詫び致します。
2014年1月14日火曜日
都知事選の最大の争点が脱原発とか、最初に言い出したのは誰なのかしら
猪瀬知事の辞職に伴い、来月9日に投票が行われる東京都知事選。そろそろ主要候補が出揃った感がありますが、不可思議なのは選挙戦の争点です。共同通信はこんな事書いています。
今回の都知事選は、脱原発が最大の争点だそうです。でも、本当にそうなんでしょうか。1月14日現在、都知事選で有力候補と目される細川護煕氏、宇都宮けんじ氏、舛添要一氏のいずれも脱原発派であると表明しており、特に細川・宇都宮両氏は脱原発を選挙の焦点とする発言を繰り返しておりました。
しかし、現実問題として、東京都知事が国策であるエネルギー政策にどれだけ影響を及ぼせるのでしょうか。更に言えば、東京都に原発は無く、都内の水力・火力発電所の発電能力も都の電力需要に及ぼない、単なる電力消費地となっています。脱原発という国策に東京都が影響力を与えられるのは、電力の最大需要者として、省エネ政策を推し進める事以外に無いと思います。
ところが、メディアでは脱原発が都知事選の焦点になっている点は繰り返し報道されています。そこで説明に使われるのは、東京都が東京電力の主要株主であるという事実です。
東京都が東京電力の株主である点は事実ですが、ここで実際に東京都がどの程度の議決権を持っているかを見てみましょう。
東京電力の主要株主のうち、東京都は議決権数は第4位、議決権全体に占める割合は1.34%しかありません。しかも、議決権全体の過半数は官民共同出資の原子力損害賠償支援機構が握っており、国が実質的な東京電力の経営権を持っております。なお、東京新聞は「主要株主」と書いていますが、「主要株主」の定義は『発行済株式の総数の100分の10以上の株式を有している株主』のことで、その意味では東京都は主要株主ですらありません。1%以上の議決権を有する場合は議案を提案できますが、事実上議決権の過半数を有している国と対立する議案の場合は、提案だけに終わるでしょう。
ここまで現実問題として、東京都知事が脱原発に及ぼせる影響力を見てみましたが、本当に脱原発は争点なのか、という問題に立ち返ってみましょう。この点について、東京新聞が都民の都知事選に対する意識調査を公表しました。
脱原発色を鮮明にしている東京新聞の調査ですら、東京都民にとって脱原発政策は「投票の際重視する政策」の第3位です。「投票の際重視する政策」は順番だけ公表し、割合を公表していない反面、原発の可否に関する調査は割合を公表しているので、東京新聞の予測よりも、脱原発が最重要の政策と答えた都民は少なかったのかもしれません。
このような都民の空気を感じ取ったのか、脱原発を訴える候補の1人である宇都宮けんじ氏の講演会サイトでは、以前まで政策一覧の中で原発絡みが1番目2番目を占めていたものが、最近差し替えられた基本政策では3番目に後退しており、脱原発以外を焦点に変えつつあるようです。
有権者の関心事に即して、候補が争点の軌道修正をすることは、有権者の意思を反映させるという点でとても正しい事だと思います。しかしながら、都知事選候補者に争点の変化が見られるようになった現在、依然として脱原発が争点とする報道は続いており、一向に減る気配を見せません。現実的に東京都に出来る事が限られている原発政策にばかりが報道され、肝心の都民の為の政策議論がおざなりにされている現状は、都民にとって不幸以外の何者でもないと思うのですが、いかがでしょうか。
候補者の皆様におかれましては、猪瀬前都知事の新刊「勝ち抜く力」をお読みになって、選挙戦を勝ち抜いてほしいものです。
細川護熙元首相(76)が14日、脱原発を掲げて東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)への立候補を表明し、自民、公明両党が支援する舛添要一元厚生労働相(65)らと争う首都決戦の構図が鮮明になった。脱原発を最大の争点に、2020年東京五輪に向けた取り組みや、首都直下型地震に備えた防災対策強化などが論戦のテーマとなる。舛添氏は14日、立候補を正式に表明した。民主党都連は細川氏支援を決めた。
今回の都知事選は、脱原発が最大の争点だそうです。でも、本当にそうなんでしょうか。1月14日現在、都知事選で有力候補と目される細川護煕氏、宇都宮けんじ氏、舛添要一氏のいずれも脱原発派であると表明しており、特に細川・宇都宮両氏は脱原発を選挙の焦点とする発言を繰り返しておりました。
しかし、現実問題として、東京都知事が国策であるエネルギー政策にどれだけ影響を及ぼせるのでしょうか。更に言えば、東京都に原発は無く、都内の水力・火力発電所の発電能力も都の電力需要に及ぼない、単なる電力消費地となっています。脱原発という国策に東京都が影響力を与えられるのは、電力の最大需要者として、省エネ政策を推し進める事以外に無いと思います。
ところが、メディアでは脱原発が都知事選の焦点になっている点は繰り返し報道されています。そこで説明に使われるのは、東京都が東京電力の主要株主であるという事実です。
都は東京電力の主要株主で、原発問題への影響力も大きい。
東京都が東京電力の株主である点は事実ですが、ここで実際に東京都がどの程度の議決権を持っているかを見てみましょう。
東京電力の議決権の割合(東京電力第90期第2四半期報告書より) |
東京電力の主要株主のうち、東京都は議決権数は第4位、議決権全体に占める割合は1.34%しかありません。しかも、議決権全体の過半数は官民共同出資の原子力損害賠償支援機構が握っており、国が実質的な東京電力の経営権を持っております。なお、東京新聞は「主要株主」と書いていますが、「主要株主」の定義は『発行済株式の総数の100分の10以上の株式を有している株主』のことで、その意味では東京都は主要株主ですらありません。1%以上の議決権を有する場合は議案を提案できますが、事実上議決権の過半数を有している国と対立する議案の場合は、提案だけに終わるでしょう。
ここまで現実問題として、東京都知事が脱原発に及ぼせる影響力を見てみましたが、本当に脱原発は争点なのか、という問題に立ち返ってみましょう。この点について、東京新聞が都民の都知事選に対する意識調査を公表しました。
投票の際に重視する政策は「医療・福祉」「教育・子育て」「原発・エネルギー政策」「雇用対策」の順だった。
脱原発色を鮮明にしている東京新聞の調査ですら、東京都民にとって脱原発政策は「投票の際重視する政策」の第3位です。「投票の際重視する政策」は順番だけ公表し、割合を公表していない反面、原発の可否に関する調査は割合を公表しているので、東京新聞の予測よりも、脱原発が最重要の政策と答えた都民は少なかったのかもしれません。
このような都民の空気を感じ取ったのか、脱原発を訴える候補の1人である宇都宮けんじ氏の講演会サイトでは、以前まで政策一覧の中で原発絡みが1番目2番目を占めていたものが、最近差し替えられた基本政策では3番目に後退しており、脱原発以外を焦点に変えつつあるようです。
有権者の関心事に即して、候補が争点の軌道修正をすることは、有権者の意思を反映させるという点でとても正しい事だと思います。しかしながら、都知事選候補者に争点の変化が見られるようになった現在、依然として脱原発が争点とする報道は続いており、一向に減る気配を見せません。現実的に東京都に出来る事が限られている原発政策にばかりが報道され、肝心の都民の為の政策議論がおざなりにされている現状は、都民にとって不幸以外の何者でもないと思うのですが、いかがでしょうか。
候補者の皆様におかれましては、猪瀬前都知事の新刊「勝ち抜く力」をお読みになって、選挙戦を勝ち抜いてほしいものです。
2014年1月8日水曜日
護衛艦いずもは空母だって? ご冗談を
新年早々、朝日新聞がこんな記事を載せています。
”いずも”型護衛艦は、艦首から艦尾に至る長大な飛行甲板を持っており、この事をして見た目が空母と同じだから空母と言いたいようです。
しかし、全通甲板を持つ事で空母(あるいは軽空母)である、またはその能力を持つという主張は、90年代に”おおすみ”型輸送艦が建造された際に加え、”いずも”型護衛艦の姉妹艦に相当する”ひゅうが”型護衛艦が計画されていた時も、朝日新聞は繰り返し報道しております。20年近くも同じネタを繰り返すのは、売れない芸人を見ているのに似て、憐憫の情が湧かなくもないですが、一体何回繰り返すつもりなんでしょうか。
また、こうも書いています。
まず、70年前の兵器と現代の兵器の分類を同列に語る時点でどうかしていると思います。自衛隊の90式戦車は50トンの重量がありますが、90式戦車より軽い大戦中のパーシング(アメリカ)、KV-1(ソ連)のように重戦車と呼ぶ事はありません。もっと身近に例えれば、現代のスマートフォンは、昔のスーパーコンピュータ以上の処理能力がありますが、スマートフォンをスーパーコンピュータと呼ぶ人はいないのと同じ事です。
まあ、こんな茶々は置いときましょう。ところが、朝日新聞では、”軍事ジャーナリスト”という肩書の方のコメントを引っ張ってきて、空母であると言いたいようです。
世界標準で空母ですか、なるほど。
では、ここで朝日新聞と”軍事ジャーナリスト”氏の疑義の通りに、世界では”いずも”型に類する艦艇は、「空母」と呼ばれるのでしょうか? 近年、世界各国で配備が進んでいる似たような全通甲板を持つ艦艇が、各国でどのような呼称がされているのかを一覧にまとめました。
上の表をご覧頂ければ分かると思いますが、いずれも全通甲板を持ち、高い輸送能力を持つ艦艇ですが、各国とも「強襲揚陸艦」、「ヘリコプター揚陸艦」、「戦略投射艦」、「戦力投射艦」等、様々な呼称を用いており、海上自衛隊の「ヘリコプター搭載護衛艦」が際立っておかしい呼称・艦種でないことが分かると思います。何が「世界標準」なんでしょうかね?
このような様々な種別を用いる背景としては、各国の軍事思想や、国際環境の変化が挙げられます。例えば、フランスのミストラル級は、戦争任務に加え、災害救援、人道支援と言った「戦争以外の軍事作戦(MOOTW:Military Operations Other Than War)」にも使用できる多目的艦としての性格を持たせており、全通甲板と航空機積むだけで空母とするような単純な考えで建造されたものではありません。これは、海上自衛隊の”おおすみ”型、”ひゅうが”型、”いずも”型も同じで、実際に護衛艦”ひゅうが”は東日本大震災では洋上基地として、災害救助に活躍しました。
そもそも、技術も軍事思想も大きく進歩した現代において、70年前の第二次大戦水準でモノを語る必要性はありません。そもそも、第二次大戦時に実用的ヘリコプターの実戦投入はされていないため、ヘリコプター揚陸艦や強襲揚陸艦と言った艦種は存在していませんでした。そして、第二次大戦後に余剰となった空母をヘリコプターを運用できるよう改造したのが、今日の強襲揚陸艦の始まりでした。
さらに言うなら、70年前の軍事思想ですら「飛行甲板を持つ艦艇=空母」という図式は成り立っていません。先の一覧表にも載せましたが、第二次大戦中に'''日本陸軍'''が運用した揚陸艦”あきつ丸”は、揚陸艦でありながら、上陸部隊を航空機で支援するために全通甲板と航空機搭載能力を備えた、今日の強襲揚陸艦の先駆け的存在でした。
いずれも各国の呼称、そして戦前の日本陸軍の呼称も、実態としては外れているものではありません。むしろ、ヘタに揚陸艦を「空母」と呼ばない分、実態に即していると言えます。実態を反映しない名称を追いかける事に、イチャモン以上の意味は見い出せないでしょう。
【関連】
ここに挙げた「陸軍船舶戦争」は、陸軍船舶が戦争をどう戦ったのかを知る面白い本です。絶版ですが、中古入集はそれなりにできるので、興味ある方は読んでみてください。
海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」が昨夏、進水した。どう見ても空母だが、防衛省は「空母ではない」という。どういうこと?
”いずも”型護衛艦は、艦首から艦尾に至る長大な飛行甲板を持っており、この事をして見た目が空母と同じだから空母と言いたいようです。
進水時の護衛艦いずも |
しかし、全通甲板を持つ事で空母(あるいは軽空母)である、またはその能力を持つという主張は、90年代に”おおすみ”型輸送艦が建造された際に加え、”いずも”型護衛艦の姉妹艦に相当する”ひゅうが”型護衛艦が計画されていた時も、朝日新聞は繰り返し報道しております。20年近くも同じネタを繰り返すのは、売れない芸人を見ているのに似て、憐憫の情が湧かなくもないですが、一体何回繰り返すつもりなんでしょうか。
全通甲板を持つ”おおすみ”型護衛艦(海上自衛隊写真ギャラリーより) |
また、こうも書いています。
船体の長さ約250メートル。排水量1万9500トン。真珠湾攻撃に参加した旧日本海軍の空母「翔鶴(しょうかく)」「瑞鶴(ずいかく)」に近い大きさだ。
まず、70年前の兵器と現代の兵器の分類を同列に語る時点でどうかしていると思います。自衛隊の90式戦車は50トンの重量がありますが、90式戦車より軽い大戦中のパーシング(アメリカ)、KV-1(ソ連)のように重戦車と呼ぶ事はありません。もっと身近に例えれば、現代のスマートフォンは、昔のスーパーコンピュータ以上の処理能力がありますが、スマートフォンをスーパーコンピュータと呼ぶ人はいないのと同じ事です。
現代における空母瑞鶴の画像検索結果 |
まあ、こんな茶々は置いときましょう。ところが、朝日新聞では、”軍事ジャーナリスト”という肩書の方のコメントを引っ張ってきて、空母であると言いたいようです。
軍事ジャーナリストの清谷信一氏は「世界標準では空母そのもの。政府は政治問題化するのを恐れ、なし崩し的に拡大解釈しているのでは」と指摘する。(谷田邦一)
世界標準で空母ですか、なるほど。
では、ここで朝日新聞と”軍事ジャーナリスト”氏の疑義の通りに、世界では”いずも”型に類する艦艇は、「空母」と呼ばれるのでしょうか? 近年、世界各国で配備が進んでいる似たような全通甲板を持つ艦艇が、各国でどのような呼称がされているのかを一覧にまとめました。
上の表をご覧頂ければ分かると思いますが、いずれも全通甲板を持ち、高い輸送能力を持つ艦艇ですが、各国とも「強襲揚陸艦」、「ヘリコプター揚陸艦」、「戦略投射艦」、「戦力投射艦」等、様々な呼称を用いており、海上自衛隊の「ヘリコプター搭載護衛艦」が際立っておかしい呼称・艦種でないことが分かると思います。何が「世界標準」なんでしょうかね?
このような様々な種別を用いる背景としては、各国の軍事思想や、国際環境の変化が挙げられます。例えば、フランスのミストラル級は、戦争任務に加え、災害救援、人道支援と言った「戦争以外の軍事作戦(MOOTW:Military Operations Other Than War)」にも使用できる多目的艦としての性格を持たせており、全通甲板と航空機積むだけで空母とするような単純な考えで建造されたものではありません。これは、海上自衛隊の”おおすみ”型、”ひゅうが”型、”いずも”型も同じで、実際に護衛艦”ひゅうが”は東日本大震災では洋上基地として、災害救助に活躍しました。
そもそも、技術も軍事思想も大きく進歩した現代において、70年前の第二次大戦水準でモノを語る必要性はありません。そもそも、第二次大戦時に実用的ヘリコプターの実戦投入はされていないため、ヘリコプター揚陸艦や強襲揚陸艦と言った艦種は存在していませんでした。そして、第二次大戦後に余剰となった空母をヘリコプターを運用できるよう改造したのが、今日の強襲揚陸艦の始まりでした。
さらに言うなら、70年前の軍事思想ですら「飛行甲板を持つ艦艇=空母」という図式は成り立っていません。先の一覧表にも載せましたが、第二次大戦中に'''日本陸軍'''が運用した揚陸艦”あきつ丸”は、揚陸艦でありながら、上陸部隊を航空機で支援するために全通甲板と航空機搭載能力を備えた、今日の強襲揚陸艦の先駆け的存在でした。
日本陸軍の揚陸艦”あきつ丸” |
いずれも各国の呼称、そして戦前の日本陸軍の呼称も、実態としては外れているものではありません。むしろ、ヘタに揚陸艦を「空母」と呼ばない分、実態に即していると言えます。実態を反映しない名称を追いかける事に、イチャモン以上の意味は見い出せないでしょう。
【関連】
ここに挙げた「陸軍船舶戦争」は、陸軍船舶が戦争をどう戦ったのかを知る面白い本です。絶版ですが、中古入集はそれなりにできるので、興味ある方は読んでみてください。
2014年1月2日木曜日
必敗! 東浩紀式ゲリラマニュアル!
あけましておめでとうございます。dragonerです。
冬コミで買った艦これ同人誌、半分も読み終わってません。つらいです。
ところで、新年早々、ツイッターでこんなのがRTされてきました。
また東浩紀先生ですね。
私、東浩紀先生にはいろいろと思う所あります。私の指導教授(マーケティング論)が「動物化するポストモダン」に影響されて、付け焼き刃のオタク消費論を滔々と説き出した時は、俺は今地獄にいると確信するまで精神的に追い詰められました。今思い出してもホント辛いです。
一般に理解されていない界隈をインテリ向けに翻訳・紹介する人間は、界隈の生存には必要な事とは思いますが、理解したと勘違いしたインテリがよく知らん界隈の知識を中途半端に他人にひけらかす行為は傍目からは見苦しいものです。
もっとも、今回の場合は東先生ご自身がそれなんですが。前振り長くてすみません。
で、東先生のゲリラ論ですが、どうなんでしょうね。権力から嫌われるのはゲリラの常だと思いますが、市民からも非難され、味方は仲間以外にいないゲリラってのは。少なくとも、こういうゲリラ戦を展開して成功したゲリラって記憶にありません。
20世紀のゲリラ戦理論で欠かせない毛沢東は、「人民は水であり、解放戦士は水を泳ぐ魚である」と語り、文化大革命時の標語にも「軍は民衆を愛し、両者は魚と水の関係のように深く結びついている」と形容しているものがあります。水と魚のように、民衆と革命勢力は不可分の存在なんですね。戦時中、華北地域の日本軍はもっぱら中国共産党の浸透工作対応が主任務でしたが、最終的には破綻します。中国共産党は続く国共内戦でも、アメリカの支援を受けた国民党に勝利し、中華人民共和国の建国に至ります。
今の中国から想像も及ばないことですが、当時の中国共産党の軍事組織は規律・士気共に高く、民衆の支持を獲得しています。降伏した日本軍の中にすら、感銘を受けて教官になる士官もいました。現在の中国空軍の設立にあたっては、旧日本陸軍航空隊メンバーが協力しており、戦後も長期に渡って交流が行われていました。当時の中国共産党には、それほど寛容性と度量があったんですね。
ゲリラというのは、恐怖で民衆を支配する方法も選択肢にありますが、最終的に勝者となって完結するには民衆の支持が必要です。逆に言えば、ゲリラから民衆の心を引き離せば、ゲリラは消滅します。先の毛沢東の言葉に対し、米陸軍のJ・ネーグルは「水と魚を切り離す」アプローチと対ゲリラ戦を説明しています。
この「切り離す」アプローチは対ゲリラ戦の基本的な考え方です。旧日本(満州国)軍の間島特設隊や独立間もない韓国軍で対ゲリラ戦に従事した白善燁将軍は、ゲリラと民衆を分断することが対ゲリラ戦をする上で大事だと言ってますし、現在では批判される事の多いマクナマラが採用した戦略村構想(発案はテーラー)も、ゲリラと民間人を物理的に断絶し保護するための効率的手段としてマラヤ等で実績のあったものでした。
ゲリラ戦・対ゲリラ戦は、言い換えれば「民衆の支持と心(hearts and minds)の争奪戦」となり、ここにその難しさが集約されると言ってもいいでしょう。アフガニスタンやイラクでアメリカが手を焼いているのも、恐怖から宗教的動機まであらゆる手を駆使するゲリラ側の民衆支持獲得にアメリカが追い付いていない為とも言えますし、逆にゲリラ側が勝利(イスラム国家樹立)していないのも、民衆支持が無いためとも言えます。
気をつけなければいけないのは、闘争の勝利はゲリラ戦のみで成るものではない、ということです。ここは毛沢東もゲバラも指摘しています。ゲリラ戦により敵の力を削ぎ、自らの力を強化し、最終的には正規軍をもって打倒してこその勝利であり、ゲリラ戦はそのための手段の1つなのです。ゲリラ部隊はイデオロギーで連帯した同志のみで編成できるかもしれませんが、民衆からなる正規軍を整え、国家を打ち立てるには民衆の支持が必要なのです。
東先生のゲリラ戦理論がオリジナリティ溢れるものだった事は、ここまででお分かり頂けたと思います。東先生は権力にもなびかず、民衆からも嫌われる戦法だと開き直り、志を同じくするお仲間だけのインナーサークルに閉じこもると宣言しましたが、このパターンってアレですよ。いかなる集団からも孤立、先鋭化した先って、行き着くのは山岳ベース事件なんじゃないですかね。
これからの東先生に注目だ。
【関連書籍】
白善燁将軍による対ゲリラ戦の解説。自身の対ゲリラ戦の体験と、ベトナムにおける米軍の失敗、PKOについても分析を行っている。しかし、アマゾンの表紙画像はなんか変だ。もっと、普通の表紙のはずなんだけど……
前述の白将軍の本が対ゲリラ戦の本なら、こちらは近年和訳されたソ連軍によるゲリラ養成マニュアル。ずぶの市民を、戦士に変えるための書で、二次大戦後の革命戦術にも繋がっていく書。
20世紀のミラクルおじさん毛沢東の著書。上のマニュアルが現場レベルの闘争の書なら、これは強大な日本軍に中国が打ち勝つ為の戦略を説いた書。
出先で資料無しで記憶とネット検索のみで書いているから、間違っていた引用とかあったらごめんなさい。
冬コミで買った艦これ同人誌、半分も読み終わってません。つらいです。
ところで、新年早々、ツイッターでこんなのがRTされてきました。
福島第一原発観光地化計画は、そしてゲンロンは、要はゲリラです。だから権力からも煙たがられるし、市民からも非難される。成功するかもしれないし失敗するかもしれない。歴史的にどう評価されるかもわからない。しかしすべてのゲリラはそういうものです。あとは信頼できる仲間と連帯するほかない。
— 東浩紀 (@hazuma) 2014, 1月 2
私、東浩紀先生にはいろいろと思う所あります。私の指導教授(マーケティング論)が「動物化するポストモダン」に影響されて、付け焼き刃のオタク消費論を滔々と説き出した時は、俺は今地獄にいると確信するまで精神的に追い詰められました。今思い出してもホント辛いです。
一般に理解されていない界隈をインテリ向けに翻訳・紹介する人間は、界隈の生存には必要な事とは思いますが、理解したと勘違いしたインテリがよく知らん界隈の知識を中途半端に他人にひけらかす行為は傍目からは見苦しいものです。
もっとも、今回の場合は東先生ご自身がそれなんですが。前振り長くてすみません。
で、東先生のゲリラ論ですが、どうなんでしょうね。権力から嫌われるのはゲリラの常だと思いますが、市民からも非難され、味方は仲間以外にいないゲリラってのは。少なくとも、こういうゲリラ戦を展開して成功したゲリラって記憶にありません。
20世紀のゲリラ戦理論で欠かせない毛沢東は、「人民は水であり、解放戦士は水を泳ぐ魚である」と語り、文化大革命時の標語にも「軍は民衆を愛し、両者は魚と水の関係のように深く結びついている」と形容しているものがあります。水と魚のように、民衆と革命勢力は不可分の存在なんですね。戦時中、華北地域の日本軍はもっぱら中国共産党の浸透工作対応が主任務でしたが、最終的には破綻します。中国共産党は続く国共内戦でも、アメリカの支援を受けた国民党に勝利し、中華人民共和国の建国に至ります。
今の中国から想像も及ばないことですが、当時の中国共産党の軍事組織は規律・士気共に高く、民衆の支持を獲得しています。降伏した日本軍の中にすら、感銘を受けて教官になる士官もいました。現在の中国空軍の設立にあたっては、旧日本陸軍航空隊メンバーが協力しており、戦後も長期に渡って交流が行われていました。当時の中国共産党には、それほど寛容性と度量があったんですね。
ゲリラというのは、恐怖で民衆を支配する方法も選択肢にありますが、最終的に勝者となって完結するには民衆の支持が必要です。逆に言えば、ゲリラから民衆の心を引き離せば、ゲリラは消滅します。先の毛沢東の言葉に対し、米陸軍のJ・ネーグルは「水と魚を切り離す」アプローチと対ゲリラ戦を説明しています。
この「切り離す」アプローチは対ゲリラ戦の基本的な考え方です。旧日本(満州国)軍の間島特設隊や独立間もない韓国軍で対ゲリラ戦に従事した白善燁将軍は、ゲリラと民衆を分断することが対ゲリラ戦をする上で大事だと言ってますし、現在では批判される事の多いマクナマラが採用した戦略村構想(発案はテーラー)も、ゲリラと民間人を物理的に断絶し保護するための効率的手段としてマラヤ等で実績のあったものでした。
ゲリラ戦・対ゲリラ戦は、言い換えれば「民衆の支持と心(hearts and minds)の争奪戦」となり、ここにその難しさが集約されると言ってもいいでしょう。アフガニスタンやイラクでアメリカが手を焼いているのも、恐怖から宗教的動機まであらゆる手を駆使するゲリラ側の民衆支持獲得にアメリカが追い付いていない為とも言えますし、逆にゲリラ側が勝利(イスラム国家樹立)していないのも、民衆支持が無いためとも言えます。
気をつけなければいけないのは、闘争の勝利はゲリラ戦のみで成るものではない、ということです。ここは毛沢東もゲバラも指摘しています。ゲリラ戦により敵の力を削ぎ、自らの力を強化し、最終的には正規軍をもって打倒してこその勝利であり、ゲリラ戦はそのための手段の1つなのです。ゲリラ部隊はイデオロギーで連帯した同志のみで編成できるかもしれませんが、民衆からなる正規軍を整え、国家を打ち立てるには民衆の支持が必要なのです。
東先生のゲリラ戦理論がオリジナリティ溢れるものだった事は、ここまででお分かり頂けたと思います。東先生は権力にもなびかず、民衆からも嫌われる戦法だと開き直り、志を同じくするお仲間だけのインナーサークルに閉じこもると宣言しましたが、このパターンってアレですよ。いかなる集団からも孤立、先鋭化した先って、行き着くのは山岳ベース事件なんじゃないですかね。
これからの東先生に注目だ。
【関連書籍】
白善燁将軍による対ゲリラ戦の解説。自身の対ゲリラ戦の体験と、ベトナムにおける米軍の失敗、PKOについても分析を行っている。しかし、アマゾンの表紙画像はなんか変だ。もっと、普通の表紙のはずなんだけど……
前述の白将軍の本が対ゲリラ戦の本なら、こちらは近年和訳されたソ連軍によるゲリラ養成マニュアル。ずぶの市民を、戦士に変えるための書で、二次大戦後の革命戦術にも繋がっていく書。
20世紀のミラクルおじさん毛沢東の著書。上のマニュアルが現場レベルの闘争の書なら、これは強大な日本軍に中国が打ち勝つ為の戦略を説いた書。
出先で資料無しで記憶とネット検索のみで書いているから、間違っていた引用とかあったらごめんなさい。
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