スマホ依存は人の創造力を阻害する。「正しいテクノロジーとの付き合い方」をいま考える
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先日発表された香川県の「ネット・ゲーム規制条例案」は大きな波紋を呼びました。また、イギリスでも初の政府系「インターネット依存症クリニック」が開設されるなど、テクノロジーの持つ負の側面とどう向き合うかはいま、世界規模の関心事になっています。
私たちはどうすれば自分たちの幸せに資するものとしてテクノロジーとうまく付き合うことができるでしょうか。過去にも何度かご登場いただいている脳神経科学者でDAncing Einstein創業者兼CEOの青砥瑞人さんに「脳神経科学から見たウェルビーイングなテクノロジーとの付き合い方」を聞きました。
ダメと分かっていながら、なぜまたスマホを開いてしまうのか
―一日働いて疲れて帰ってきた夜、寝落ちするギリギリまで動画ストリーミングを見てしまう。休息して英気を養わなければと分かっているのに辞められない。こうしたことはなぜ起きてしまうのでしょうか?
動画を見たい自分と見たくない自分、まるで「2人の自分」がいるようですよね。実は神経科学的に見ても確かに「2人の自分」がいると言えることが最近になって分かってきています。「2人の自分」というのは要は脳のネットワークの使われ方の違いです。
ひとつはセントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(以下、CEN)と呼ばれるもので、「こうありたい」とトップダウンで思い描く自分のありように向けて私たちを行動に促してくれます。脳の司令塔とも言われます。
これと対になるのがもうひとつのデフォルト・モード・ネットワーク(以下、DMN)。DMNもわれわれの行動を導いてくれるのですが、トップダウンではなく、過去に自分が振る舞ってきた記憶ベースで行動指針を示します。ある行動をとるとそれに伴うエピソードが脳に刻まれていきますが、その記憶にしたがって無意識的に誘導してくれるのがDMNの働きです。
例えば通勤・通学では何百回と同じ道を歩きますが、「ここで曲がろう」「あそこで曲がろう」などといちいち意思決定せずとも目的地にたどり着くのはDMNが働いているからです。逆に初めての道を歩く際にはいろいろな意思決定が必要になります。こうした時はCENを使いやすいです。
DMNは記憶化されているのでエネルギー効率がいい。負荷がかからないので脳にとっては非常に楽です。一方、CENは新しい情報処理をすることが多いのでエネルギーをたくさん使います。そのため脳は放っておくと負担の小さいDMNを使いたがるのです。
スマートフォンには刺激的で魅力的な情報がたくさん詰まっています。スマホを使ってこうした情報を得ることを繰り返していると、脳は「スマホを触ると楽しい情報を得ることができる」というように快感を学習していきます。
これがさらに進むと、DMNの無意識的な働きにより、なんら求めていない状態であったとしても行動がそちらに誘引されてしまうことが起こります。これが「知らず知らずのうちにスマホを触ってしまう」状態だと考えられます。
―どうすればその状態から抜け出せますか?
まずは「ああ、やり過ぎてしまっていた」と気づく必要があります。この気づきのためにあるのが、CENとDMNの間にあり、スイッチングと言われるサリエンス・ネットワーク(以下、SN)です。
SNは自分の内部環境の情報をモニタリングしている脳部位が活躍するネットワーク。SNが働くことにより、「ああ、本当はやりたいなんて思っていなかった。無意識的にやってしまっていた」と気づくことができます。その先でCENが「もう寝なくては」などと本来自分がありたいような行動へと導いてくれるわけです。
とはいえDMNが特別悪いという話ではありません。DMNは「スマホを触ること」を記憶化させることもできますが、一方では「スマホに触れない時間をちゃんと持つこと」を記憶化させることもできます。
大事なのは、DMNによって駆り立てられる行動がCENで考えても確かに自分が求めている行動だと言えるかどうか。そこが一致しているなら問題にはならないし、逆にギャップがあれば課題意識が生まれ、ストレスを生む可能性もゼロではないということです。
―どうすれば自分の望むことをDMNに記憶化できますか?
最初はCENで意識して繰り返しやる必要があります。ありたい姿を最初に定めるのがCENの役割ですが、定めたものに無意識的に向かっていけるようになる、つまりはDMNでできるようになるには記憶痕跡を残さないといけません。これには物質的変化が伴うのでエネルギーを要します。そのエネルギーをかけるためには繰り返しやるしかない。世の中で「習慣が大事」と言われるのはそのためです。
脳の原則では「use it or lose it」と言われます。繰り返し使われれば神経回路が形成されるけれども、使わなければ筋肉と同じように弱くなり、失われるということです。自分が望むような形でスマホと付き合うには、最初にどうありたいのかをCENで見定めた上で、それを習慣化することがカギになるでしょう。
スマホ依存は人のクリエイティビティに悪影響をおよぼす
―スマホ依存には時間の浪費のほかにどんな弊害があると、脳神経科学的見地からは考えられますか?
先ほどのスマホのケースは外側の刺激に対してDMNを使っている状態です。スマホからの刺激は強いのでそこに誘引されてしまい、本来内側に向けても使えるはずのDMNをそのようには使えていません。これは望ましくない状態です。というのも、DMNを自分の内側に向けて使うことはわれわれのクリエイティビティと大きな関係があると言われています。
新しい発想をしようと思った時にトップダウンのCENで意識的に働きかけているだけでは思うようにいかない可能性が高いです。意識的な情報処理だと脳内にさまざまある情報のうち自分が意識を向けようとしたごく一部の情報しか参照されないからです。
DMNの良さは意識的な情報処理ではない点にあります。意識せずとも脳内のさまざまな場所にある情報が勝手に「発火」するのです。そのため、意識的に働きかけたのとは違う情報を引き出してくれ、新しい着想につながる可能性があります。ただし、それにはDMNを内側に向けて使う必要があります。
―スマホの強い刺激がそれを妨げているかもしれない、と。
スマホは典型ですが、いまの世の中は外側に魅力的な刺激、強い刺激が溢れすぎています。だから注意が外側へと向きやすいのです。テクノロジーが発展して魅力的なものができればできるほど、アテンションの矛先は外側へと向けられます。すると内側に向き合うことは自然と少なくなってしまいます。
電気のなかった時代まで遡れば、夜になって日が沈めばなにも見えなくなります。とはいえ寝るにはまだ早いとなったら、おそらくは自分と向き合い、内側と対話する時間が自然と作られたでしょう。いまはそうした時間を持ちにくくなっています。もちろん学校や職場へ行けば外部情報との付き合いは不可欠ですが、スマホなどの刺激的なものに囲まれていることで、家に帰ってからも内側と向き合う時間がありません。
グーグルやゴールドマン・サックスといった会社がなぜいま社内でマインドフルネスや瞑想のようなものを取り入れているのか。そこには意味があるはずです。ぼくらの外側はさまざまな刺激的な情報で溢れていますが、一方で自分の体内、内側にも重要な情報は眠っています。マインドフルネスや瞑想はそうしたものとちゃんと向き合うための時間であり、方法であると捉えられるでしょう。
これから人工知能がさらに発展していくと、過去のデータに基づいた分析や課題解決は人工知能が得意とする仕事になるでしょう。そうなると人間の価値はまだ前例のない、データのないようなことを自分たち自身で作っていく、創造的なところにどんどんシフトしていくはずです。
つまり、クリエイティビティの重要性は今後どんどん増していくと考えられます。そしてそれに伴い、内側の情報に目を向けることの重要性も増すだろうということです。
重要なのは熟成期間。時間で区切る「働き方改革」はナンセンス
―三つのネットワークの働きをクリエイティビティにどうつなげていけばいいか、さらに詳しく伺いたいです。
クリエイティビティを発揮するのには三つのネットワークのすべてを使いますが、その起点になるのがDMNです。DMNからスタートし、SNを使い、最後にCENを使うのがクリエイティビティの本筋になります。
DMNはぼーっとしている時に起動しやすくなります。ぼーっとしている、すなわち暇な状態になっていると脳は勝手に働き始めるのです。散歩へ行って特に考えようとも思っていなかった時にいいアイデアを思いつくとか、シャワーをしている時になにかを閃くというのは、単純な作業をやっているから、つまりは脳が暇な状態だからです。
ただし、そういう時に想起されるのは通常、直前直後1日以内に起こった、あるいは起こる、クリエイティビティとは関係のないことばかりです。これではせっかくDMNが起動してもクリエイティビティという文脈からすると意味がないことになります。
では、どうすればクリエイティビティに役立つ形でDMNを起動させることができるか。それはぼーっとする前に「熟成期間」を持つことです。例えば研究者であれば研究するに際してなにかしらの問いを立てる必要がありますが、そこがなかなか見つからずに思考が堂々めぐりする時があります。この堂々めぐりをぼくは「熟成期間」と呼んでいます。
堂々めぐりはつらいです。一見するとなにも進んでいないように感じられるため、多くの人は「このまま考え続けても意味がない」と烙印を押して回避する方向へ進んでしまいます。
けれども実は、この堂々めぐりは同じような神経回路に何回も繰り返しアクセスすることを意味しています。そうすることで筋トレと同じようにその神経回路に保持される記憶が強化されます。そうして初めてDMNで活用される情報になるわけです。一見するとアウトプットは変わっていませんが、脳の中は確実に変化しています。
創造性に関してDMNをうまく活用するにはこの堂々めぐりの期間をしっかり持つことがカギになります。うまく行っている人はどれだけつらかろうとそこにしつこくスティックし続ける。むしろこの期間を心地良いとさえ思っているかもしれません。
堂々めぐり=熟成期間を経て強い記憶にした上で、ぼーっとする。すると、普段している思考とは違った使い方で情報を処理させることができ、新しい発想、着想につながる可能性が出てきます。
―となると、時間的なゆとりがとても重要ですね。
おっしゃる通りで、クリエイティビティを発揮したいと思ったら”間”をとることが重要になります。ところが現代人は待つことが嫌いです。すぐに結論を求めてしまう。その結果、熟成、そして飛躍させるための間をとることが非常に難しくなっています。
取りづらいからこそ、意識してとろうとすることが大事です。例えば散歩に行くのでもいいですし、オフィスの中に自分なりに落ち着く場所を確保するのでもいい。そうやって間をとることができるのは現代のビジネスパーソンの重要なスキルだと思います。
ちなみにぼく自身もお昼休みにはよくジムへ行きます。ジムへ行ってお風呂に入ることで自分を解放しているのです。
―働き方改革では時間で切ってその中で効率を高めようという話が多いです。そうするとますます間をとりづらくなる気がするのですが。
そもそも時間で働き方を考えるのはナンセンスです。人間の生産性は時間では考えられないとぼくは思います。「人の集中力はどれくらいの時間続くのか?」という話もよくされます。15分と言う人もいれば1時間と言う人もいますが、そのどれもが事実ではないと思います。
子どもは放っておけば1時間でも2時間でも熱中してゲームをやり続けますよね。ぼくだって好きな本を読む時は時間を忘れて夢中になっています。「集中力がどれくらい続くのか」は本来「なにに対してどう向き合っている時に」という話を抜きに語れないはずです。
集中しているか否かにはドーパミンとβ-エンドルフィンという二つの脳内物質が関与しています。β-エンドルフィンは「楽しい」「喜ばしい」など快感を感じている時によく出る伝達物質です。
β-エンドルフィンは直接集中力と関係しているわけではありません。前頭前皮質に作用することでわれわれの集中力を高めてくれるのはドーパミンのほうです。β-エンドルフィンはこのドーパミン放出を止めるためのNACCという脳の部位をブロックすることで、ドーパミンの分泌を助けます。なので結果としてやはり楽しんでいる状態は集中力が続きやすいことになります。
問題は時間ではありません。脳をどういう状態に向かわせるのかが本質的な議論になります。時間を区切るのではなく、逆に時間をかけたとしても間をうまく使うことにより、生み出したいものを生み出せるような環境を整えていく。そこが働き方改革の本筋になるべきところかと思います。
スマホの刺激に慣れると、ささやかな幸せに気づけなくなる
―間をとることができない、スマホをずっと見てしまう一つの要因として、情報をずっとキャッチアップしていないと不安になることもありそうです。情報との向き合い方で心掛けるべきことは?
現代は実にいろいろな種類の情報に触れる機会が増えた時代と言えます。ポジティブに見ればそれは自分の学びや成長に寄与するものが増えた時代と捉えられるでしょう。ただそれだけではないことも事実です。
人間の脳は未知な情報に対して不安な情動を発露しやすい特性を持っています。太古の昔は未知なものとの遭遇が生命に危害を加える可能性が高かったため、警戒するような反応、不安に思う反応は非常に重要でした。
いまではそうした危険はかなり少なくなったわけですが、この点に関して脳の構造は何万年前と大きく変わっていません。そこにこれだけたくさんの新しい情報が入ってくると、無駄にネガティブな反応をしてしまい、負の感情を生み出すことが増えていると考えられます。
人間の脳は本来的にネガティブなことを探し出す機能を持っています。テレビを見ていて全体的にネガティブなニュースが多いのは、そのほうが人間の注意を引き、視聴率を取れるからです。
けれども、それが本当に人を幸せにしているのかと言えば、ぼくはそうではないと思います。限られた人生、普通に考えてハッピーなモーメントが多いほうがいいに決まっていますよね。
ハッピーなこと、いいところを探してくれる脳の働きは残念ながら定義されていません。CENで意識的に、トップダウンでいいところを見いだす必要があります。放っておいてもできる粗探しと比べ、いいところを探す行為はずっと高等です。粗探しは誰にでもできますが、いいところ探しは普段から意識的にやっていないとできるようにはなりません。
―ポジティブな情報には意識して目を向ける必要があるんですね。
とはいえ、そんなに飛び抜けていいことに目を向ける必要はありません。「今日は天気が良くて気持ちいいな」とか「いつも通っている道だけど木が色づいてきれいだな」とか「カフェの店員さんが今日はなんだか嬉しそうだぞ」とか。ちょっとした幸せのタネはいろいろなところにあります。そうした日常生活に広がるささやかなおもしろみやハピネスに気づけることが大切です。
ただ、先ほども触れたようにそうしたポジティブな情報には意識的に向けない限りなかなか注意が向きません。ということで、あらためてなぜスマホが問題なのかが浮き彫りになります。スマホはあまりに刺激的で、分かりやすい楽しさ、情報が詰まっている。そうしたものにばかり触れていると、日常の中にあるささやかな幸せのタネに気づけなくなってしまうのです。
―味の濃いハンバーガーばかり食べていると、出汁の味を楽しめなくなってしまうのに似ていますね。
これは自戒を込めて言うのですが、ぼく自身もやりたいことに集中するために、0歳の娘に「ちょっと動画を見ていてくれるかな」とやってしまうことがあります。でも、作り込まれた刺激的なものでないと楽しみを見いだせないようにしてしまうのは教育としてどうなのかと日々感じています。
子どもを観察していると、ペットボトルひとつで延々といろんな使い方をして楽しんでいます。なにもないところに楽しみを見いだすのは人間の脳が持つすごく優れた能力だなと思います。刺激的なもの、便利なものがどんどん生み出されることには、そういった「なにもないところになにかを見いだす」能力を削ってしまう懸念があります。
不便だったりアナログだったり自然的なところにも、ぼくらが学び、成長するための本質的な要素は眠っています。そのことを再確認した上で、便利な情報、新しいものと向き合っていくことが、これからの時代はますます必要になるのではないでしょうか。
脳神経科学者/株式会社DAncing Einstein 創業者兼CEO 青砥瑞人
日本の高校を中退。米国大学UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の神経科学学部を飛び級で卒業。AIの技術も活用しながら、脳の知見を医学だけでなく人の成長に応用する、NeuroEdTech®︎とNeuroHRTech®︎という新しい分野を開拓。同分野において、いくつもの特許を取得している。新技術も活用し、ドーパミン(DA)が溢れてワクワクが止まらない新しい学び体験と教育・共育をデザインすべく、株式会社DAncing Einsteinを創設。
[取材・文] 鈴木陸夫 [企画・編集] 岡徳之 [撮影] 伊藤圭
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