ストリートクライ(Street Cry)とは、1998年アイルランド生産・アメリカ(のちUAE)調教の競走馬である。
勝つときは圧勝するパフォーマンスと負けても僅差で複勝圏を外さないという安定感を併せ持ち、ドバイワールドカップを勝利するなど超良血に恥じない一流の成績を残し、種牡馬としても現役時代を超える勢いで活躍した名馬である。
主な勝ち鞍
2003年:ドバイワールドカップ(GI)、スティーブンフォスターH(GI)、マクトゥームチャレンジラウンド3(GII)
父:Machiavellian
母:Helen Street(母父:Troy)
父マキャベリアンは大種牡馬ミスタープロスペクター産駒で現役時代は典型的な早熟馬だったが、種牡馬として多くの活躍馬を輩出し、日本では名牝ハルーワスウィートの父、ドバイワールドカップを制したヴィクトワールピサの母の父としても有名である。
また母ヘレンストリートも世界有数の競馬先進国であるアイルランドのオークスを制した活躍馬であり、母父は英愛2ヶ国のダービーとキングジョージを制し、種牡馬としては4世代の産駒しか残せず夭折しながらもその数少ない産駒から多くの名馬を輩出したトロイと、本馬は超良血と言って差し支えない。
そしてこんな良血馬を生産したのが世界の競馬界にその名を轟かせるゴドルフィンのトップであるシェイク・モハメドというのだから、ストリートクライは最早生まれながらにして成功が約束されているかのようにも見えるスーパーエリートのような印象を与える。
そんなストリートクライは生産したシェイク・モハメド本人が所有し、父がアメリカの種牡馬であったことなどから生産国のアイルランドでなくアメリカでデビューすることとなった。
2002年、2歳を迎えたストリートクライは7月にデビューするもデビュー戦は逃げ切られて2着。これは期待外れか? と思われたがなんと1ヶ月後の次のレースを7馬身差で圧勝し、やはりスーパーエリートは伊達ではなかったといったところを見せつけた。
しかしその後の重賞ではアタマ差、クビ差という僅差で2連続2着、初のGI出走となったBCジュベナイルでは1馬身半差の3着とどうも勝ちきれないレースが続く。しかし負けたとしても大敗しない辺り、既にこの時点からこの馬の才覚の片鱗がうかがえる。
そして3歳になるとアメリカからドバイへと移籍。初戦となるリステッド競走UAE2000ギニーは2馬身差で快勝するも、その後UAEダービー(当時GIII)ではまたまたアタマ差という僅差で2着。その後ケンタッキーダービーを目標にアメリカに渡るも、直前の故障により目標としていたケンタッキーダービーにも出走できないという憂き目にあう。
怪我が治って復帰できたのは米国三冠競走もトラヴァースSも終わりアメリカではブリーダーズカップが話題の中心になってくる10月だった。そして復帰初戦の重賞では7ヶ月の休み明けながらトップハンデを背負わされたのが災いしたのか1馬身差の2着と敗れ、再び休養に入った。休み明けとはいえ、この頃には超良血のエリートは完全にシルバーコレクタ―と化してしまっていた。
そんな勝ちきれないシルバーコレクターと化していたストリートクライだが、4歳になると突如覚醒。4歳初戦のマクトゥームチャレンジラウンド3(当時GII)を8馬身半差の圧勝で飾ると、前年の凱旋門賞馬サキ―や日本から遠征したアグネスデジタルとトゥザヴィクトリーが参戦したドバイワールドカップでは直線入り口で先頭に立つとそのまま突き放し4馬身半差で余裕の勝利。一気にダートの世界王者の座まで上り詰めた。
その後、ブリーダーズカップも見据えてアメリカに渡り、スティーブン・フォスターHを6馬身半差で圧勝してアメリカでもその強さを示したが、次走のホイットニーH(GI)では1馬身1/4差の2着に敗れてしまう。
その後BCクラシックに向けて調整を進めていたが故障が再発、無念の引退となった。
通算成績は12戦5勝、2着6回、3着1回。
惜しくも2着の回数以上の勝利数を上げることは叶わなかったが、日本的に言えば複勝率100%、つまり確実に馬券圏内に絡むという抜群の安定感を持ち、なおかつ勝つときは圧倒的な強さを見せてくれる、まさに名馬と呼ぶに相応しい競走馬であった。
引退後、ストリートクライはアメリカで種牡馬入り。現役時代のタイトルの少なさや勝ち切れなさがが災いしてか種付け料は3万ドルと特段高いものではなかった。
しかし、初年度産駒がデビューすると、BCジュヴェナイルを制した*ストリートセンスを筆頭に多くの馬が大活躍し評価が急上昇。その活躍ぶりは新種牡馬リーディングのみならず2歳リーディングサイアーまでも獲得するほどであった。
翌年には*ストリートセンスがケンタッキーダービーも制し、少し遅れて初年度産駒であったあのゼニヤッタがデビューして圧倒的な強さを見せ始めるとその評価は盤石なものになり、種付け料は一気に10万ドルにまで上昇する人気種牡馬となった。
また種牡馬入り初年度からシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種付けを行っており、こちらでもあのウィンクスを筆頭にショッキング、フービガットユー、プライドオブドバイ等の活躍馬を輩出し大成功した。
産駒の特徴はない事が特徴と言えるほどの万能さと多様さ、ゼニヤッタ、ウィンクスのように本格化するまで時間がかかるタイプから、*ニューイヤーズデイ、*ストリートセンスのように早期から大活躍できるタイプまで幅広く、馬場も芝、ダート、オールウェザーを問わず、距離も3200mのメルボルンカップから1200m以下のスプリント戦まで対応できる幅広さ、そして頑丈かつ真面目な気性の産駒が多く調教駆けもしやすく折り合いも付けやすいという完璧っぷり、マジで隙がねぇ……。
そんな順風満帆な種牡馬生活を送るストリートクライであったが、2014年、シャトル先のオーストラリアで原因不明の神経系疾患に襲われる。牧場スタッフにより治療が試みられたが原因が分からない為手の施しようもなく治療は断念、安楽死となった。14歳没、まだまだ種牡馬としてはこれからだという年頃なのに……早すぎる死である。
しかし彼の後継種牡馬である*ストリートセンスはすでに種牡馬として成功を収めており、日本にも*ストリートセンス産駒のGIウィナー、*ニューイヤーズデイが導入されている、これからは彼らが偉大な父の血を広げてくれることだろう。
Machiavellian 1987 黒鹿毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Coup de Folie 1982 鹿毛 |
Halo | Hail to Reason | |
Cosmah | |||
Raise the Satndard | Hoist the Flag | ||
Natalma | |||
Helen Street 1982 鹿毛 FNo.1-l |
Troy 1976 鹿毛 |
Petingo | Petition |
Alcazar | |||
La Milo | Hornbeam | ||
Pin Prick | |||
Waterway 1976 栗毛 |
Riverman | Never Bend | |
River Lady | |||
Boulevard | Pall Mall | ||
Costa Sola |
クロス:Native Dancer 4×5(9.38%)、Nasrullah 5×5(6.25%)、Almahmoud 5×5(6.25%)
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最終更新:2025/01/05(日) 00:00
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