「Samuel B.Roberts、出ます!
さあ、今日もしっかり護ってこう!」
サミュエル・B・ロバーツとは、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん〜艦これ〜」に登場する、第二次世界大戦時のアメリカ海軍所属ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦〈USSサミュエル・B・ロバーツ〉をモチーフにしたキャラクター(艦娘)である。
デザイン:ZECO、CV:白城なお
2018年4月23日のアップデートで、期間限定任務「五周年任務【伍:五周年艦隊出撃!】」の報酬として実装された駆逐艦娘。米軍艦娘としては初の駆逐艦娘である。また、イベント以外での新規艦娘の追加は、2016年9月の「浦波」以来である。
なお、ゲーム内では英語で"Samuel B.Robarts"と記述されている。また、これまでの艦は必ず「x番艦」という記載があったが、米軍の場合は同型艦の数が多すぎるためか「x番艦」があまり明確に決まっていないため、艦籍番号(ハルナンバー)である「DE-413」が記載されている。
青いショートカットに榛色の瞳の少女。青と白を基調としたセーラー服と、緑色のプリーツスカートに身を包んでいる。身につけている小物が色々と凝っており、被っているディキシー・カップと呼ばれる水兵帽に巻いているリボンの先に付いているのが、それぞれ国際通信旗のN旗・T旗・I旗・K旗で、これがサミュエルBロバーツを示しているとか、そのリボンを止めている星型のリボン留めは史実で受賞した従軍星章(バトルスター)を模しているとか色々ある模様。
左胸(肩?)に付けているⅢのバッチは、艦これではお馴染み特Ⅲ型ではもちろんなくて、タフィⅢを意味していると思われる(よく見ると、Ⅲバッチの下にTaffyと書いてある)。また左肩から提げている勲章は海軍十字章というアメリカの勲章である。(艦名の由来になったロバーツ准尉、サマール沖海戦時の艦長だったコープランド少佐の双方ともこの勲章を受章しているため、どちら由来かは不明)
なお、左側に提げているバッグから覗いている鯨は、史実で鯨と衝突したエピソードからか?(ちなみに史実で衝突したのも左舷だったりする)
艦名が長いためか、自分のことは「サム」と呼んでくれていいよ、と言っている。なお、サムという呼び名は女性に対しても使われる(有名な米ホームドラマ「奥様は魔女」で、ヒロインのサマンサが旦那からサムと呼ばれている例がある)。サミュエルというのはもろに男性名なので、あるいはサムと呼んであげる方がいいのかもしれない。
大分類では駆逐艦であるが、その中でも初となる護衛駆逐艦である。駆逐艦では初となる「低速」だが、タービンを1つ乗せれば高速になる。また、対潜能力が高く設定されており、改造することでジャーヴィスと同様に自動で先制対潜爆雷攻撃が可能となる。
デザイン担当のZECO氏は台湾在住の漫画家、イラストレーター。艦これのキャラクターデザインとしては初参加となるが、そもそも艦これのサービスが開始される以前から、雪風らの擬人化キャラクターが主役の漫画作品「Battleship Girl -鋼鉄少女-」を連載していた。
ZECO氏のイラスト集「鋼鉄少女図鑑」には艦これ運営側からの推薦コメントが寄せられており、またZECO氏も2017年に艦これのイベントが台湾で行われた際にも雪風(艦これ)のイラストを寄せる等、艦これ運営とは良好な関係を築いており、今回満を持しての参加となった。
CVの白城氏もまた艦これには初参加であるが、今後のイベントなどでの活躍が期待されている。大根をすりおろすとかな!
護衛駆逐艦とは、文字通り商船護衛を任務として建造された小型駆逐艦のことを指す。
日本海軍においては、駆逐艦は艦隊決戦を主目的としていたため馴染みが薄いが、連合国側では第一次大戦でドイツのUボートに商船がボコボコに沈められたのがトラウマとなっており、アメリカ海軍では主に対潜を主目的とした商船を護衛するための艦を大量に建造していた(何しろ、1943年から44年までに護衛駆逐艦を全部合わせて440隻ほど建造している。当然、他の艦船も建造しながら、である)。立ち位置的には、日本の海防艦に近い存在である。
なお、大量生産したのは連合を組んでいたイギリスから「アメリカさんまだ余力あるっしょ? んじゃうちにも回して」とか言われたためだったり(詳しく知りたい方は、「レンドリース法」あたりを調べてみて戴きたい)。
ジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦は、この護衛駆逐艦で最後に建造されたタイプである。余りに大量建造したために色々と間に合わなかった主機関がこのクラスでようやく間に合い、設計通りの性能を発揮できるようになった(この機関(ウェスティングハウス・エレクトリック社製ギヤード・タービン)の名前からジョン・C・バトラー級のことをWGT型、とも呼ぶ)。また戦局を見て、船団護衛だけではなく通常の艦隊決戦でもある程度は戦えるように、対艦用の三連装魚雷や12.7cm単装砲を装備している。とはいえ、大量生産のため装甲も薄く、乗組員達からは「ブリキ缶」と揶揄されていた、とも。
サムが「姉妹はもの凄く多いんだ」と豪語するように、ジョン・C・バトラー級は全83隻が建造されている。なお、発注自体は実に293隻分行われたが、流石に生産が終わる前に戦争そのものが終わってしまったため、206隻がキャンセル、4隻が建造中止になっている。
〈USS Samuel B.Robarts,DE-413〉は、そんなジョン・C・バトラー級の一隻であり、艦籍番号で言えば後ろから3番目である。ちなみに艦籍番号の分類記号”DE"は"Destroyer Escote"の略(一般的な駆逐艦の"DD"とは異なっている)。
1943年12月6日にテキサス州ヒューストンのブラウン造船工廠で起工、1944年1月20日に進水し、1944年4月28日に就役した。実は清霜とほぼ同期だったりする(清霜の竣工は1944年5月15日)。
艦名は、ガダルカナルで英雄的行為(1942年9月27日、撤退戦の中、揚陸艇で囮となって味方の撤退を支援し、自らは戦死した)を行ったサミュエル・ブッカー・ロバーツJr.海軍准尉から取られている。なお余談だが、〈サミュエル・B・ロバーツ〉には艦名の由来となったロバーツ准尉の弟が乗り込んでいたとか。
艦娘のサムも名前が長いことを気にしているが、史実でも乗組員達からはもっぱら「サミーB」と呼ばれていた。
そんな〈サミュエル・B・ロバーツ〉は、信頼性試験中の7月7日にボストン沖で慣熟訓練中に鯨と衝突し、損傷を受けてドックに逆戻りとなってしまう。ぶつかった鯨は非常に大きなもので、一時は「日本の潜水艦と衝突した!?」と騒ぎになった模様。なお、その鯨がその後どうなったかは不明である。
なお、修理自体はあっさりと済ませて、7月22日に出港。パナマ運河を抜けて太平洋に出ると、8月10日に真珠湾に到着し、太平洋艦隊の一員となる。その後も演習を兼ねた船団護衛で真珠湾とマーシャル諸島エウトニック環礁の間を1往復半し、エウトニック環礁に2回目の到着となった9月30日に新たな命令を受領。アメリカ第7艦隊所属の第77任務部隊第4群第3集団(コードネーム:タフィⅢ)に配属となり、レイテ海域へ出撃することになった。
このタフィⅢは、「ジープ空母」と呼ばれるカサブランカ級護衛空母6隻に、その護衛としてフレッチャー級駆逐艦3隻と、護衛駆逐艦4隻で編成されていた。この護衛駆逐艦の1隻が〈サミュエル・B・ロバーツ〉である。この部隊は護衛空母からの航空機による輸送船団の護衛や対潜哨戒、上陸部隊の支援などが主任務であり、主力艦を相手に戦うことは最初から想定していなかった。
ところが、10月25日の朝、突然戦艦4隻、重巡6隻、軽巡2隻、駆逐艦11隻の大艦隊が目と鼻の先に現れ、タフィⅢに襲いかかってきた。これが、夜のうちにサマール沖まで突撃してきた日本の主力である栗田艦隊であった。栗田艦隊はタフィⅢを「正規空母6隻を含む主力艦隊だ」と誤認して総攻撃を掛けてきたのである(栗田艦隊司令部の分析能力が低下していたのは、ここまで二連徹で(断続的に米軍から空襲を受けていたので、寝るに寝られなかった)、おまけに当初の司令艦だった〈愛宕〉に加え〈武蔵〉も失ってしまい、皆が赤疲労状態だった、という事情もあったり)。
こうして、サマール沖海戦が勃発した。
戦闘開始からしばらくは、全力で逃げるタフィⅢ(といっても、実はタフィⅢは撤退禁止命令を受けていたので、実際のところは逃げたというよりは、相手と距離を取って護衛空母から航空機を発艦させるためだった)を追いかける栗田艦隊(主に重巡部隊)、という展開だったが、そもそもタフィⅢの護衛空母の速度は貨物船なみしか出せない(たとえば〈ガンビア・ベイ〉の最高速度は20ノットにも満たない)ため、そのままでは間合いを取ること自体が不可能であった。
そんな中、スコールや煙幕に紛れて3隻のフレッチャー級駆逐艦は各自の判断で栗田艦隊の足止めを図った。この記事では詳しく触れないが、駆逐艦〈ジョンストン〉や駆逐艦〈ホーエル〉の奮戦は有名で、自らを犠牲に格上の艦隊を足止めした。また、比較的近距離にいたタフィⅡからも支援の航空戦力が届き、これらも栗田艦隊に執拗な空襲をしかけていた。
午前7時43分。タフィⅢのスプレイグ司令は、護衛空母群を守って共にいた4隻の護衛駆逐艦にも、敵艦隊への攻撃を命令した。その4隻の先頭を切って反転したのが〈サミュエル・B・ロバーツ〉だった。
コープランド艦長は、艦内放送でこう告げた。
We're making a torpedo run. The outcome is doubtful, but we will do our duty.
「我々は水雷突撃を敢行する。結果はどうなるかわからない、だが義務を果たそう」
〈サミュエル・B・ロバーツ〉は煙幕に紛れつつ、日本の重巡〈鳥海〉(と思われる)に肉薄(重巡側の主砲が撃てないほど接近した)して魚雷を発射、さらに次々と現れる重巡群に主砲を連射しながら1時間食い下がり、〈筑摩〉(と思われる)にも損傷を与えた。ちなみに、ジョン・C・バトラー級の定格出力では速力24ノットまでしか出せないが、〈サミュエル・B・ロバーツ〉はこの戦闘では缶のリミッターを解除して、実に29ノット近くの高速で航行していたという。
しかし、〈金剛〉が煙幕から出た〈サミュエル・B・ロバーツ〉に主砲を斉射、直撃弾を受けた〈サミュエル・B・ロバーツ〉は艦体にひびが入り浸水、また後部砲塔も破壊され[1]、そして弾薬を使い果たしていた。
午前9時35分、コープランド艦長は総員退艦を命じ、艦は放棄された。漂流する〈サミュエル・B・ロバーツ〉に止めをさしたのは、第十戦隊[2]の〈矢矧〉と、配下の第17駆〈浦風〉〈磯風〉〈雪風〉で、各艦は艦番号の"413"が目視できる程に接近して砲撃し、撃沈した。
結局、栗田艦隊は圧倒的に強力な戦力差を持ちながらそれを生かせず、上記の3隻の駆逐艦に加えて護衛空母〈ガンビア・ベイ〉を沈めることしか出来なかった。その上、本来無視しても良かったような相手に貴重な燃料弾薬を浪費したあげくに重巡4隻を失い(3隻喪失、1隻大破)、結局この後「栗田ターン」を行って撤退することになる。
タフィⅢは栗田艦隊との激闘を称えられて「殊勲部隊章」を受賞。〈サミュエル・B・ロバーツ〉自身も従軍星章(バトルスター)を1つ受賞した。
人々は、彼女をこう呼んだ。
戦後、殊勲艦である「サミュエル・B・ロバーツ」の艦名は2代に受け継がれた。
2代目〈サミュエル・B・ロバーツ〉はギアリング級駆逐艦で1946年就役、1970年に退役した。
3代目〈サミュエル・B・ロバーツ〉はオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートで1986年に就役、2015年5月に退役した。
時は流れ、2022年6月25日。アメリカの深海探検家ビクター・ベスコボ氏の率いる探査チームが6895mの深海に眠る〈サミュエル・B・ロバーツ〉を発見したと発表した。この前年に発見された〈ジョンストン〉の6500mを越え、この時点で最も深いところで発見された艦艇となっている。
サミュエル・B・ロバーツ(艦これ)に関するニコニコ市場の商品を紹介してください。
掲示板
124 くりはし
2023/01/20(金) 00:13:31 ID: ftzWTe0E7V
今日1月20日はサミュエル・B・ロバーツちゃんの進水日(79周年)ですね、おめでとうございます(^^♪
125 ななしのよっしん
2023/02/15(水) 02:31:27 ID: 6O1lvJqftS
この娘のMk.IIが回転翼機で制空権を取れるようになったと知って戦慄してる…システムに新要素追加しすぎだろ…
126 くりはし
2024/01/20(土) 00:05:34 ID: ftzWTe0E7V
今日1月20日はサミュエル・B・ロバーツの進水日(80周年)ですね、おめでとうございます!
急上昇ワード改
最終更新:2025/03/11(火) 22:00
最終更新:2025/03/11(火) 22:00
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