モンジュー 単語


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モンジュー

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モンジュー(Montjeu)とは、1996年産仏フランス競走馬種牡馬である。

日本では1999年凱旋門賞エルコンドルパサーを粉砕したとしてあまりに有名。
名の由来は生産者のジェームズゴールドスミス卿が所有していた「シャトー・ド・モンジュー」という邸宅から。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
モンジュー(ウマ娘)」を参照して下さい。

通算成績16戦11勝[11-2-0-3]

な勝ち
1999年:ジョッケクルブ賞(仏G1)、アイリッシュダービー(愛G1)、凱旋門賞(仏G1)、グレフュール賞(仏G2)、ニエル賞(仏G2)
2000年:タタソールズゴールドカップ(愛G1)、サンクルー大賞(仏G1)、キングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(英G1)、フォワ賞(仏G2)


1999年カルティエ賞最優秀3歳[1]

概要

競走馬時代

2歳~3歳

1996年4月4日アイルランドで産まれる。:Sadler'sサドラーズ Wellsウェルズ:FloripedesロリデスTopトップ Villeヴィルという如何にも欧州らしい重厚な配合である。
サドラーズウェルズトップヴィルの組み合わせは後年名ステイヤーのイェーツが出たように強いニックスがあると言われ、モンジューはその恩恵を大いに受けたと思われる。

生産者のゴールドスミス卿が所有していたが、モンジューが1歳の時にゴールドスミス卿は死去。彼の愛人であるロール・ブレイというフランス貴族相続され、同ジョンハモンド厩舎に入った。体格は均的だったが、筋肉はかなり付いていたという。

2歳の9月デビューすると2戦して2勝し、ここでクールモアの一員でもあるマイケルテイバーがをつけ本を購入。クラシックに備えて休養を取った後、3歳になってグレフュール賞を勝利し、血統・勝ち方も相まってクラシックの本命に浮上する。 
次走、仏ダービーに当たるジョッケクルブ賞の前戦となるリュパン賞は堅い馬場があわなかったのか差し切れず2着に終わったが、ジョッケクルブ賞では重馬場を切り裂いて4馬身差圧勝。
続くアイリッシュダービーも良馬場5馬身差つけて大楽勝を飾る。

営は標を凱旋門賞に絞り、これまでの戦のキャッシュアスムッセン騎手からアイルランド出身のマイケル・キネーン騎手を新たに上に迎えて前戦のニエル賞に挑んだ。しかしここでよもやのアタマ差辛勝。スローペースで上がりのい決着になた事が苦戦の原因ではないかと噂された。
しかし迎えた凱旋門賞記録的な不良馬場斤量や血統に加え、悪得意であることもあり1番人気に推された。2番人気日本からやって来て3戦2勝、フランスの代表格にまでなっていたエルコンドルパサー(蛯名正義騎乗)、3番人気アイリッシュチャンピオンステークス9馬身差楽勝してやってきたデイラミ(ランフランコ・デットーリ騎乗)であった。
レースが始まるとエルコンドルパサーが軽快に逃げ、モンジューは中団で溜める競馬。しかしフォルスストレートを過ぎてもエルコンドルパサーは潰れない。 むしろ逃げきらんばかりに差を広げ出す。デイラミ不良馬場沈没。モンジューは周りをガッチリマークされて身動きが取れない。これは欧州調教以外による初の凱旋門賞制覇が達成されるか!……と思われたがモンジューはブロックをこじ開け力強く加速し、残り約100mで並ぶ。エルコンドルパサーもよくったが無慈悲に突き放したところがゴール
1/2馬身差つけて、逃げ込みを阻止サドラーズウェルズ産駒としては2頭凱旋門賞いた。

本来ならここで休養なのだが、JRAの誘致攻勢が成功したのか、なんとジャパンカップへ。
日本での種牡馬入り予定のない当年の凱旋門賞の来襲は*エリシオ(このも後に日本種牡馬入りするが出走当時はその予定なし)以来であった。
と言うことで大いに注を集め、ジャパンカップでは1番人気となったが、スペシャルウィーク(武豊騎乗)の4着に敗北した。
この年のカルティエ賞では最優秀3歳を受賞したが、年度代表馬GI4勝を挙げたデイラミに譲った。

4歳

4歳時は年明け初戦、アイルランドタタソールズ金杯遊びながら快勝し、サンクルー大賞では負傷したキネーン騎手代打を務めたアスムッセン騎手に「コンコルドに乗ってるのかと思った」と言わしめた加速で5馬身ぶっちぎり敵なしっぷを示すと、の大一番キングジョージではほとんど持ったまま*ファンタスティックライト以下を切り捨て圧勝した。
しかし、ここから彼の調子が差し始める。シーズンアイリッシュチャンピオンステークスから始動予定だったが、体調が整わず回避。フォワ賞は勝つが、連覇をかけて臨んだ本番の凱旋門賞ではまでの王者の姿はそこにはなく、当年の英愛ダービーシンダーはともかく、この年のディアヌ賞(オークス)1・2着エジプトバンドとヴォルヴォレタにも遅れ4着に敗れてしまう。やはり時計い決着には対応できなかったかと言われたが、もしかしたら斤量もあったかもしれない。
この敗戦でさらに歯車が狂ったか、チャンピオンステークスに出走するがカラニシに敗れ2着。ブリーダーズカップ・ターフでは勝ったカラニシから大きく遅れて7着惨敗。この年限りで引退種牡馬入りした。

競走馬引退後

種牡馬としてはスピードや軽さがないということで、当初は後輩ジャイアンツコーズウェイより低い評価であったが、初年度からモティヴェイターハリケーンランを輩出し全て異なる英愛ダービーの上位2頭を独占。その後も欧州ダービー戦線に大物を送り出し、低評価を覆してみせた。
しかしガリレオの台頭で再び評価が低くなってしまい、これから巻き返し……という矢先の2012年3月敗血症からの合併症を引き起こし亡くなった。16歳であった。
そんな中、2012年キャメロットによる英ダービー制覇でダービー4頭を輩出する[2]という当時の最多タイ記録マークしている。

オルフェーヴルが2回凱旋門賞を決行した2013年、モンジューの孫でモティヴェイター産駒トレヴが立ちはだかり、日本の快挙を阻止2014年凱旋門賞を連覇しフロックでないことを明した。一方でモンジューののうち21頭が、輸入を通じて日本の血統に入り込んできており、そのうちの一頭のミスペンバリーから産まれた孫のパンサラッサ2022年ドバイターフで同着優勝を、翌2023年サウジカップで1着を飾るという、日本にとって憎きライバルであった存在が日本世界での活躍を後押しするといった熱い展開も生まれている。
また後継種牡馬モティヴェイターからも産駒22頭が日本に渡っており、そのうちの1頭・メーヴェから産まれたのがメロディーレーンタイトルホルダー姉弟である。
今後もこのの血が欧州舞台を中心に、世界で根強く残っていくことを願う。

血統表

Sadler's Wells
1981 鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fairy Bridge
1975 鹿毛
Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong
Floripedes
1985 鹿毛
FNo.1-u
Top Ville
1976 鹿毛
High Top Derring-Do
Camenae
Sega Ville Charlottesville
La Sega
Toute Cy
1979 鹿毛
Tennyson Val de Loir
Tidra
Adele Toumignon *ゼダーン
Alvorada

クロス:5代内アウトブリード

主な産駒

2002年産
2003年産
2004年産
2005年産
2006年産
2007年産
2008年産
2009年産
2010年産
2011年産

関連動画

関連項目

脚注

  1. *年度代表馬Daylamiデイラミ
  2. *他に4頭の英ダービーを輩出した種牡馬はサーピーターティーズル(1795、1796、1800、1803)、シリーン(1905、1909、1910、1912)、ブランドフォード(1929、1930、1934、1935)がいる。現在ガリレオ(20082013201420192020)が5勝して単独記録を保持する。
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