概要
1962年に鴨宮モデル線(東海道新幹線綾瀬~小田原付近)での試験走行を実施するために製作された車両で、すれ違い試験の関係から2編成が投入された。
追加で投入された1編成は0系量産先行車扱いで、後に営業運転に入っている。
2編成の共通仕様のひとつとして、静電アンテナの形状は単純な逆L字となっていた。のちのC編成では形状を変更している。また、併結運転が可能で実際に試験も行っている。
なお、1000形製作時には「こだま形」151系でも使用されている赤系統の色の採用も検討されたが、スピード感を示すために青20号が採用された。
A編成(→941形)
2両編成。前灯は小形の1灯式で、運転席部分は3枚曲面ガラスで構成されていた。形式は1001・1002でそれぞれ汽車製造、日本車輌製造が担当。。
B編成と同様に先頭車のボンネット中央部には列車番号表示用の窓が設けられていた。また、スカート(排障器)は長くなっている。
配色は基本はクリーム10号で、車体上下の帯とスカート部分のみ青20号とした。
東海道新幹線開業前の1964年8月に941形救援車両としてクリーム10号(アイボリーホワイト)を黄色に変更して浜松工場を改造出場。だが、救援用途で使用される機会はなく、0系の廃車解体試験のために1975年に浜松工場でB編成とともに解体された。
連結器が内蔵されている鼻の部分には蛍光灯が埋め込まれており、実際に光る“光前頭”となっていた。この光前頭の仕組みが次に導入されるのは961形試験車両で、量産車両には引き継がれなかった大きな特徴となっている。
編成記号Aは以後の新幹線では営業車両では用いられていないが、JR東海が955形(300X)で使用した。
B編成(→922形)
4両編成。形式は1003~1006で、2号車(1004・日立製作所製)は六角形の窓となり強度試験が実施されている。1003は日立製作所、1005は川崎車輌、1006は近畿車輛が担当。
1963年に鴨宮モデル線試験最高速度256km/hを記録したのはこのB編成である。
配色はクリーム10号を基礎に窓まわりとスカートに青20号とした。この配色はC編成以降の0系に引き継がれた。
東海道新幹線開業前の1964年8月に922形電気検測車(T1編成)としてクリーム10号(アイボリーホワイト)から黄色に変更され浜松工場を出場。初代検測車(つまり歴代最初のドクターイエロー)として東海道新幹線で電気検測などを実施したが、山陽新幹線博多開業を控え老朽化のためA編成とともに浜松工場で解体された。検測車は922形10番台のT2編成に代替わりしている。なお、解体前の1974年には開業前の山陽新幹線岡山駅~博多駅間を試験走行しているため、東京~博多間の全区間を走行している。
ちなみに、開業後には東海道新幹線内で保線用装置と接触し先頭部が破損した。廃車解体も検討されたが、浜松工場で修繕工事を行い検測に復帰した。
編成記号Bは後にJR西日本の700系3000番台で用いられた。
C編成(→0系N1編成)
6両編成で出場した0系量産先行車。1000形としては1011~1016が付番されていたが、実運用上では21-1、26-1、35-2、16-1、25-2、22-1が当初より記銘。全車両を日本車輌製造が製造したため、のちに6両を追加で組み込みN1編成12両として営業運転に入っている。
運用終了後21-1、22-1、16-1を大阪の交通科学博物館にて保存。後に京都鉄道博物館へ移設された。これら3両は京都鉄道博物館ウェブサイトでは0系トップナンバー車として扱われているが、現在も姿を残す貴重な1000形である。22-1は現在展示資料室として常時公開されている。また、この形式とは別に0系の35-1(新幹線初の半室ビュッフェ合造車両)も京都鉄道博物館には保存されており、時折16-1と入れ替わりで車内公開されることもある。座席などの設備も当初のまま保管されている。
編成記号Cは後にJR東海の700系0番台(一部編成をJR西日本に譲渡)で用いられた。
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