概要
自分よりも優れて映る者や、自分の持っていないもの、自分から見て良く思えるものを持つ者に対して、それを不快に思う感情・心理である。僻(ひが)み、ねたみ、嫉(そね)みとも言われる。
オーディションに行った時、私より上手い人がいて、その人を殺したくなりました。
人間である以上、時代や年代、身分を問わず、誰もが少なからず持ち合わせている感情であり、ありとあらゆる分野の創作作品でも題材とされやすいテーマである。時にはひとりの人間の嫉妬心から歴史が動いた事すらあったほど。
『負』の感情、醜いものとされやすい嫉妬だが、一方でこの感情は向上心や努力の原動力となることも、また事実である。
妬み、僻み、劣等感。あいつらのおかげで、こんな性格になった。あいつらには負けねえ。
嫉妬とは人を動かすエネルギーでもあるのである。かのドストエフスキーはこう語っている。
感情は絶対的である。そのうちでも嫉妬はこの世で最も絶対的な感情である。
もし人間に嫉妬心が無ければどうなるか?
誰に負けても何も気にならない、自己や家族、コミュニティの生存要求を満たしていれば努力する必要も価値もない「今が維持できれば別にいいや」―――そんな世界は確かに諍いは減るだろうが、スポーツや各種芸術・技術・娯楽分野の発展は著しく阻害されただろう。才能の無駄遣いに依るところの大きいニコニコ動画も、さぞつまらない場になるに違いない。
嫉妬は人間として持ってて当然の感情である。嫉妬することはあなたが人間である限り、生物である限り避けることは難しい。ならば、それを封じ込めるのではなく有効活用することを考えてみてはいかがだろうか。
対義語は「自制」「節制」など。
キリスト教における七つの大罪のひとつとしても有名。英語ではenvy(エンヴィー)。対応する悪魔はレヴィアタンとされており、他の六つの大罪と合わせて、様々な作品において題材となっている。また、仏教では百八煩悩の内の十纏(じってん)のひとつ、嫉(しつ)として数えられている。
嫉妬というとjealousy(ジェラシー)が一般的に知られていると思われるが、厳密に言えばこの両語は別物である。envyが「“自分が持っていないものを持つ者に対する”羨み、嫉み」という意味合いを持つのに対し、jealousyは「“自分のものを誰かに奪われるかもしれない”恐怖から来る不快感、強い警戒心」という意味合いを持つ。
ヤキモチ
特に恋愛関係で嫉妬する事を「妬(や)く」と言うが、それに「餅」をくっつけて洒落言葉にしたのが「やきもち(焼き餅)」である。「妬く」に「気持ち」で「妬く気持ち→やきもち」になったという説も。また、焼いた餅が熱でぷうっと膨れる様子を嫉妬した時のふくれっ面になぞらえたという説もあるが、どうやらこれは後付けの説らしい。
「嫉妬」と言うよりも生々しくなく、言葉の響きも可愛らしく、後付け説の秀逸なイメージ化も相まった粋な言葉であるのだが、残念ながらニコニコ動画のタグではあまり使われていない様子。
おれの好きな女(ヒト)はね、やきもち焼きで早とちりで泣いたり怒ったりだけど、
その女が微笑(わら)うと、おれは最高にしあわせなんだ…。五代裕作『めぞん一刻』より
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不快を伴わない嫉妬
嫉妬に心臓と脳髄を激しく焼かれつつも、同時にその対象の存在を心から嬉しく思ってしまう感情もある。
自分の志す道の先をゆく存在への嫉妬以上・憧れ未満の感情。
嫉妬でありながら殆ど負の感情を伴わずにその嫉妬心を活動のエネルギーに変える事が出来る。
動画の祭りなどを通してうp主たち同士がお互いを高め合う一連の流れ。感情現象。
※ただし、エネルギーとしては負の感情である方がパワーにおいて優れている場合が多い。
嫉妬対象との距離感
対象との間に自分の想像力の埒外であったり非現実的な程の差が存在する場合、嫉妬の感情は芽生えにくい。
嫉妬を感じる時、対象と自分との間には『距離』が見えている。
無理をすれば半年~数年内には追いつける程度の距離を感じると嫉妬心を生み出し易く、
対象との距離が僅差であるほど負の感情(悔しさ)も強くなる傾向がある。
反射的感覚的本能的無意識の無責任な距離感で”射程距離内”であると判断され、
それが自分の望む方向である場合に嫉妬の感情は芽生え易くなる。
(一般に実力が僅差の相手と競う事が成長に有効とされている。)
その対象に対して嫉妬を感じるとき、その対象に自分は追いく事が出来る と、無意識又は意識的に思っている。
ゆく道の先にある強大な対象に対し嫉妬するかしないかは、対象との心理的実力的距離感を表している。
そしてニコニコ動画において大半を占める内向的な見る専視聴者は
不覚にも嫉妬を感じてしまった事自体を己の思いあがりだと頬を赤らめ、その嫉妬心と可能性にそっと蓋をする。
100人~10000人に一人の視聴者は、
嫉妬で感じた自分の可能性を自分の実力そのものであると信じ、意気揚々と実力者目線のコメントを打つ。
更にごく僅かの視聴者は
その可能性を本当に信じ込んで動画というカタチにしてうpし、現実に打ちのめされる。
劣等感による嫉妬
自分と間にそもそも比較対象にならないほどの差がある別次元の対象
(遥か雲の上の人物やマンガのキャラクターや歴史上の偉人など)
に対して嫉妬の感情を抱いてしまったとき、劣等感を伴う嫉妬心が芽生える。
本来なら自分と比較しようもない別次元の相手に対して嫉妬の感情は生まれにくいが
自分が嗜好・探求する分野に対しての思い入れが異常なまでに強かったり、
常日頃の妄想上において自分が最強且つ絶対だと思い込んでいる場合など
妄想上ではその対象にも手が届く、嫉妬の射程距離内である筈なのに
実際には比較対象にすらならないという現実が妄想の土台を揺るがし、
自分が矮小である現実を否応なく突きつけられ、捨てきれない妄想上の強い自分による嫉妬と
現実の殆ど意味のない劣等感とが共にスパイラルする。
通常の嫉妬よりも瞬間的に受けるダメージが強いが、この嫉妬を感じる人種であれば
現実逃避して一晩寝る事で殆ど解消する事が出来る。
自分は実は凄い可能性を持っていて将来必ず成功し、その分野を支配する王になれる。と、
頭の片隅で妄想しているワーキングプアやNEETなどが
目指している分野の成功者などを目の当たりにした時に陥る事が多い嫉妬の感情。
この種の嫉妬は他の負の感情とは違い、行動のエネルギーに変換されることは殆ど無い。
関連項目
現代の教育は平等主義を金科玉条と心得るので、妬みの存在が眼に入らない。
だから妬む者は際限なく妬み、妬まれる者はそのことが認識できない。
現代にいじめが氾濫するのは、けだし起こるべくして起きたというべきではなかろうか。
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