ボールドルーラー(Bold Ruler)とは、1954年生まれのアメリカの競走馬・種牡馬。黒鹿毛の牡馬。
「黄金世代」と呼ばれたアメリカの1957年3歳世代の強豪の一頭であり、種牡馬としてもアメリカ競馬自体を変貌させるレベルで活躍した。
馬名の意味は「大胆な支配者」。
血統と生い立ち
父Nasrullah、母Miss Disco、母父Discoveryという血統。
父ナスルーラは本馬が生まれる前から名種牡馬の名声を確立した良血馬。母父ディスカヴァリーは「鉄の馬」と呼ばれ、1935年に米国年度代表馬に輝いた名馬であり、種牡馬としてはそこそこだったが、母父として優秀な成績を残している。その代表格が本馬と、誰であろうネイティヴダンサーである。
さて、アメリカ競馬ファンやアメリカの産業史に詳しい人なら、アルフレッド・G・ヴァンダービルト2世という人物を聞いたことあるかもしれない。ヴァンダービルト家は米国の事業家で大富豪であるが、その遺産相続人となったアルフレッドはサガモアファームを拠点にサラブレッド生産に携わり成功。ディスカヴァリーを2歳時に購入し、太平洋戦争に従軍後ネイティヴダンサーを生産。「グレイゴーストのヴァンダービルト」という不動の名声を獲得し、アメリカ競馬史を語る上で欠かせない人物となったが、後半生はたった一つの過ちを大変に悔やんでいたという。
1945年、出征中に、前年に誕生した1歳馬の半数をまとめて売却したのである。この中にミスディスコという牝馬が入っていたのだが、彼女は54戦10勝の成績を残し、繁殖入りすると本馬、つまりボールドルーラーを産んだのである。もし売却しなかったら、出征しなかったらという歴史のIFを感じる逸話である。
黄金の1957年世代
ボールドルーラーのキャリアを語る上では、本馬をはじめ後世まで語られる豪華メンバーが揃っていた1957年の3歳世代についても欠かせないだろう。代表的なのがボールドルーラーと以下の3頭である。
また、これ以外にもカナダの年度代表馬でかのノーザンダンサーの父親ともなったニアークティック、ブラッシンググルームの父親であるレッドゴッドなどもいる。
2歳時まで
1954年4月6日、後のライバル・ラウンドテーブルが生を受けた30分後に同じクレイボーンファームで産まれた。馬房内で事故を起こして舌に生涯消えない裂傷を負ったり水桶に躓いて骨折寸前の怪我をしたりと災難続きであったが、2歳になって御年82歳の大ベテランであるジェームズ・フィッツシモンズ調教師に預けられると2ハロンを22秒で駆け抜けるという快速を見せて評判馬となった。
なお、親父とは真逆の大人しく賢い馬だったらしく、名手エディ・アーキャロ騎手をして「自分よりも競馬を知っているとしか思えないぐらい、頭が良い馬」と言わしめている。
デビューするとその快速をいかんなく発揮し連戦連勝。デビューからの5連勝を含む8戦7勝2着1回で当時の有力競走だったガーデンステートSに駒を進めるも、レース中に左後脚と腰を負傷し17着に惨敗。10日後のレムゼンSに出走したが怪我が尾を引いてまともに走れず、アーキャロ騎手が途中で馬を止めて競走中止となった。
この時点では勝ち鞍は6.5ハロンの1勝を除いて6ハロン以下に偏っていた上に、8.5ハロンの2戦で怪我が原因とはいえ大敗していたことから、まだ早熟のスプリンターとしかみなされていない向きもあった。
3歳時
3歳初戦は7ハロンのバハマズSから始動。ここでワーラウェイとサイテーションという三冠馬2頭を出した名門カルメットファーム期待の素質馬ゲンデュークと、それに年明けの一般競走で圧勝していたギャラントマンとの初顔合わせとなったが、コースレコードタイの時計を叩き出したボールドルーラーが4馬身半差で完勝を収めた。
その後9ハロン戦を連続して使われ、エヴァーグレイズSではゲンデュークより12ポンド重い斤量でアタマ差2着、フラミンゴSをゲンデュークにクビ差競り勝ってレコード勝ち、フロリダダービーでゲンデュークの2着、ウッドメモリアルSでギャラントマンをハナ差下してレコード勝ちと善戦を重ねた。
10ハロンに伸びるケンタッキーダービーではスタミナ面が不安視されたが、本命視されたゲンデュークがレース当日に故障のため出走取消(最終的に復帰出来ず引退)。ギャラントマン、ゲンデュークの代打の*アイアンリージ、そして同郷のラウンドテーブルといった強者を従え1番人気で臨むことになったが、スタミナ不足を懸念したアーキャロ騎手が抑えすぎて逆にスタミナを浪費してしまい、離れた4着に敗れた。
プレップを快勝して臨んだプリークネスSはラウンドテーブルが本拠地の西海岸に戻り、ギャラントマンもベルモントSに照準を絞って不在で、前走の教訓を活かして気分良く逃げた本馬がそのままケンタッキーダービー馬*アイアンリージに2馬身差を付けて逃げ切った。
しかしベルモントSではレース中に心房細動と思しき症状を発症し失速。3着と言えば聞こえは良いが、6頭立ての上にレコード勝ちしたギャラントマンから12馬身差を付けられるという煮え切らない結果であった。
休養を挟んで秋に復帰すると更に本格化し、復帰から2戦続けて圧勝。10ハロンのウッドワードSこそ5歳馬デディケートとギャラントマンに後れを取り3着に敗れたが、古馬相手に130ポンド(約59kg)のトップハンデを背負ったヴォスバーグハンデキャップ(7ハロン)を9馬身差でレコード勝ちし、続くクイーンズカウンティハンデキャップを勝った後、ベンジャミン・フランクリンハンデキャップ(8.5ハロン)では136ポンド(約61.7kg)を背負って不良馬場で12馬身差圧勝という圧巻のパフォーマンスを見せた。
11月のトレントンハンデキャップでは、「3強」……すなわちボールドルーラー、ギャラントマン、ラウンドテーブルのみが出走するという決戦の様相を呈した。ボールドルーラーは他の2頭よりも2ポンド軽い122ポンド(約55.3kg)を背負い、ギャラントマンを2馬身1/4突き放し快勝。この年の年度代表馬に選ばれた。
4歳時
4歳時は始動戦を勝利すると、カーターハンデキャップではギャラントマンらを撃破し連勝。メトロポリタンハンデキャップに駒を進めたが、ここではギャラントマンの2着だった。しかし続くスタイミーハンデキャップを圧勝し、サバーバンハンデキャップでは以前はこれといった実績が無かった10ハロンで134ポンド(約60.8kg)を背負いながら2着クレム(109ポンド≒49.4kg)をハナ差で下した。続くモンマスハンデキャップも134ポンドで勝利した。
しかしキログラム換算で60kg以上にもなる斤量を普通に背負って走り続けたのが祟り、135ポンド(約61.2kg)を背負ったブルックリンハンデキャップのレース中に故障。そのまま引退することになった。そりゃ壊れるわ
走らせすぎじゃない? と思われるかもしれないが、ラウンドテーブルは3歳時だけで22戦15勝しているし、ボールドルーラーは16戦11勝している。一昔前のアメリカ競馬はそういうものだったのだろうか。
なお冒頭で記したライバル3頭も盛大にアメリカ国内で暴れ回り、特にラウンドテーブルは当時の世界獲得賞金記録を樹立し年度代表馬にもなっている。
支配者の血脈
ボールドルーラーは1959年に種牡馬入りすると、活躍馬が出るわ出るわ。父の急死により膨れ上がった期待に応え、1962年の産駒デビューから2世代でいきなり北米リーディングサイアーとなる。1963~69年、1973年の8回リーディングサイアーを獲得。
代表産駒は米国三冠を達成したUMAセクレタリアト、牡馬と混じって激闘を重ね、2度の牝馬チャンピオンに輝いた名牝ゲイムリー、日本でラッキールーラやカツアールを輩出した*ステューペンダスが有名。
なお1962年生まれの米国産*ボールドラッドと1964年生まれの愛国産ボールドラッド(2頭とも綴りはBold Lad)がいるが、両方ともボールドルーラー産駒である。前者はアメリカのシャンペンS(ダート8ハロン)を制し、後者は英国のシャンペンS(芝7ハロン)を制している。
子孫も種牡馬として活躍し、ホワットアプレジャーが2回、ラジャババが1回北米リーディングになったが、現在最も繁栄しているラインはボールドネシアン→ボールドリーズニング→シアトルスルー→エーピーインディのラインである。文字通りのどっかの馬の骨だったボールドリーズニングはともかく[1]ボールドネシアンはサンタアニタダービーを勝ち、シアトルスルーは無敗で米国三冠を達成、エーピーインディはBCクラシックを制し、種牡馬としても大活躍を見せている。
エーピーインディの系統は、ミスタープロスペクター系とノーザンダンサー系がシェア(重賞勝利数)の7割を占める米国における第三極として確かな影響力を保持している。
また牝系に入って多大な影響力を誇っている。セクレタリアトを母父に持つ種牡馬に前述のエーピーインディや早熟の星ストームキャットがおり、現在米国で走っているサラブレッドの中にボールドルーラーを内包する馬は非常に多い。
日本では直仔の活躍はあまり見られなかったが、孫の*ロイヤルスキーが桜花賞馬アグネスフローラを輩出し、曾孫のパーシャンボーイが〇外として宝塚記念を制するなど、代を経て日本に適応した産駒を輩出しており、また海外から輸入した牝馬の中にはボールドルーラーを血統内に持つ馬も少なくない。*サンデーサイレンスとの相性は良好で、エアシャカールやマツリダゴッホは母父にボールドルーラー系種牡馬を持つ。
ボールドルーラーは1971年7月、癌が各所に転移し安楽死の処置がとられた。17歳だった。
血統表
Nasrullah 1940 鹿毛 |
Nearco 1935 黒鹿毛 |
Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | |||
Nogara | Havresac | ||
Catnip | |||
Mumtaz Begum 1932 鹿毛 |
Blenheim | Blandford | |
Malva | |||
Mumtaz Mahal | The Tetrarch | ||
Lady Josephine | |||
Miss Disco 1944 鹿毛 FNo.8-d |
Discovery 1931 栗毛 |
Display | Fair Play |
Cicuta | |||
Ariadne | Light Brigade | ||
Adrienne | |||
Outdone 1936 鹿毛 |
Pompey | Sun Briar | |
Cleopatra | |||
Sweep Out | Sweep On | ||
Dugout | |||
競走馬の4代血統表 |
関連動画
60年前の馬だしあるか……あったわ
関連項目
Bold Ruler 1954
|Bold Bidder 1962
||Spectacular Bid 1976
||Consultant's Bid 1977
|||Bayakoa 1984
|*ボールドラッド 1962
||シンブラウン 1980
|Boldnesian 1963
||Bold Reasoning 1968
|||Seattle Slew 1974
||||Slew o'Gold 1980
||||A.P. Indy 1989 →エーピーインディの記事参照
||||*ダンツシアトル 1990
||||*タイキブリザード 1991
|*ステューペンダス 1963
||ラッキールーラ 1974
|Bold Lad 1964
||Persian Bold 1975
|||*パーシャンボーイ 1982
|What a Pleasure 1965
||Honest Pleasure 1973
|||*ジャッジアンジェルーチ 1983
||||ゴーカイ 1993
|Reviewer 1966
||Ruffian 1972
|Raja Baba 1968
||*ロイヤルスキー 1974
|||ワカオライデン 1981
||||ライデンリーダー 1992
|||アグネスフローラ 1987
|Secretariat 1970
||Lady's Secret 1982
||Risen Star 1985
||*ヒシマサル 1989
|Top Command 1971
||Mom's Command 1982
脚注
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 2
- 0pt