尹東の裁判の判決文を読むことはできますか?
→次のとおりです。
判 決
本籍 朝鮮咸鏡北道清津府浦項町七十六番地
住居 京都市左京區田中高原町二十七番地
武田アパート内
私立同志社大學文學部選科學生
平 沼 東 柱
大正七年十二月三十日生
右ノ者ニ對スル治安維持法違反被告事件ニ付當裁判所ハ検事江島孝関與ノ上審理ヲ遂ケ判決スルコト左ノ如シ
主 文
被告人ヲ懲役貳年ニ處ス
未決勾留日数中百貳拾日ヲ右本刑ニ算入ス
理 由
被告人ハ満洲國間島省ニ於テ半島出身中農ノ家庭ニ生レ同地ノ中學校ヲ經テ京城所在私立延禧專門學校文科ヲ卒業シ昭和十七年三月内地ニ渡耒シタル上一時東京立教大學文學部選科ニ在學シタルモ同年十月以降京都同志社大學文學部選科ニ轉シ現在ニ及フモノナルトコロ幼少ノ頃ヨリ民族的學校教育ヲ受ケ思想的文學書等ヲ耽讀シタルト交友ノ感化等ニヨリ夙ニ熾烈ナル民族意識ヲ抱懐シタルカ長スルニ及ヒ内鮮間ノ所謂差別問ニ対シ深ク怨嗟ノ念ヲ抱ケル傍ラ我朝鮮統治ノ方針ヲ目シテ朝鮮固有ノ民族文化ヲ絶滅シ朝鮮民族ノ滅亡ヲ圖ルモノナリト做シタル結果茲ニ朝鮮民族ヲ解放シ其ノ繁榮ヲ招耒セム為ニハ朝鮮ヲシテ帝國統治権ノ支配ヨリ離脱セシメ獨立國家ヲ建設スルノ他ナク之カ為ニハ朝鮮民族ノ現時ニ於ケル實力或ハ過去ニ於ケル獨立運動失敗ノ跡ヲ省ミ當面朝鮮人ノ實力民族性ヲ向上シテ獨立運動ノ素地ヲ培養スヘク一般大衆ノ文化昂揚竝ニ民族意識ノ誘發ニ努メサルヘカラスト決意スルニ至リ殊ニ大東亜戰争ノ勃発ニ直面スルヤ科學力ニ劣勢ナル日本ノ敗戰ヲ夢想シ其ノ機ニ乗シ朝鮮獨立ノ野望ヲ實現シ得ヘシト妄信シテ益々其ノ決意ヲ固メ之カ目的達成ノ為同志社大學ニ転校後豫テ同様ノ意図ヲ蔵シ居タル京都帝國大學文學部學生宋村夢奎等ト屢々會合シテ相互ニ獨立意識ノ昂揚ヲ図リタル外鮮人學生松原輝忠 白野聖彦等ニ對シ其ノ民族意識ノ誘發ニ専念シ耒リタルカ就中第一、宋村夢奎ト
(イ)昭和十八年四月中旬頃同人ノ下宿先タル京都市左京區北白川東平井町六十番地清水榮一方ニ於テ會合シ同人ヨリ朝鮮満洲等ニ於ケル朝鮮民族ニ對スル差別壓迫ノ近況ヲ聴取シタル上交々之ヲ論難攻撃スルト共ニ朝鮮ニ於ケル徴兵制度ニ関シ民族的立場ヨリ相互批判ヲ加ヘ該制度ハ寧ロ朝鮮獨立實現ノ為一大威力ヲ加フルモノナルヘシト論断シ
(ロ)同年四月下旬頃同市外八瀬遊園地ニ於テ同人竝ニ同シク民族意識ヲ抱懐シ居タル立教大學學生白山仁俊ト會合シ交々朝鮮ニ於ケル徴兵制度ヲ批判シ朝鮮人ハ從耒武器ヲ知ラサリシモ徴兵制度ノ實施ニヨリ新ニ武器ヲ持チ軍事知識ヲ體得スルニ至リ將耒大東亜戰争ニ於テ日本カ敗戰ニ逢着スル際必スヤ優秀ナル指導者ヲ得テ民族的武力蜂起ヲ
決行シ獨立實現ヲ可能ナラシムヘキ旨民族的立場ヨリ該制度ヲ謳歌シ或ハ朝鮮獨立後ノ統治方式ニ付朝鮮人ハ黨派心竝ニ猜疑心強キヲ以テ獨立ノ暁ハ軍人出身者ノ協力ナル獨裁制ニ依ルニ非サレハ之カ統治ハ困難ナルヘシト論定シタル末獨立實現ニ貢献スヘク各自實力ノ養成ニ專念スルノ要アルコトヲ強調シ合ヒ
(ハ)同年六月下旬頃被告人ノ止宿先タル同市左京
區田中高原町二十七番地武田アパートニ於テ同人トチャンドラボースヲ指導者トスル印度獨立運動ノ擡頭ニ付論議シタル上朝鮮ハ日本ニ征服セラレテ曰尚浅ク且日本ハ勢力強大ナル為現在直チニ同氏ノ如キ偉大ナル獨立運動指導者ヲ得ントシテ容易ニ能ハサル状態ナルモ一方民族意識ハ却テ旺盛ナルヲ以テ他日日本ノ戰力疲弊シ好機到耒ノ暁ニハ同氏ノ如キ偉大ナル人物ノ出現モ必至ナルヘク各自其ノ好機ヲ捉ヘ獨立達成ノ為蹶起セサルヘカラサル旨激勵シ合ヒタル等相互獨立意識ノ激發ニ努メ
第二、松原輝忠ニ対シテハ
(イ)同年二月初旬頃右武田アパートニ於テ朝鮮内學校ニ於ケル鮮語科目ノ廢止セラレタルヲ論難シテ鮮語ノ研究ヲ勧奨シタル上所謂内鮮一体政策ヲ誹謗シ朝鮮文化ノ維持朝鮮民族ノ發展ノ為ニハ獨立達成ノ必須ナルヘキ所以ヲ強調シ
(ロ)同年二月中旬頃右同所ニ於テ朝鮮ノ教育機関學校卒業生ノ就職状況等ノ問題ヲ捉ヘ殊更内鮮間ニ差別壓迫アリト指摘シタル上朝鮮民族ノ幸福ヲ招耒セム為獨立ノ急務ナル旨力説シ
(ハ)同年五月下旬頃右同所ニ於テ大東亜戰争ニ付同戰争ハ常ニ朝鮮獨立達成ノ問題ト関連シテ考察スルヲ要シ此ノ好機ヲ逸スルニ於テハ近キ将耒ニ於ケル朝鮮獨立ノ可能性ヲ喪失シ遂ニ朝鮮民族ハ日本ニ同化シ盡サルヘキヲ以テ朝鮮民族タル者ハ其ノ繁栄ヲ庶幾スル為飽ク迄日本ノ敗戰ヲ期セサルヘカラサル旨自己ノ見解ヲ縷々披瀝シ
(ニ)同年七月中旬頃右同所ニ於テ文學ハ飽ク迄民族ノ幸福追及ノ見地ニ立脚セサルヘカラサル旨民族的文學観ヲ強調シタル等同人ノ民族意識ノ誘發ニ腐心シ
第三、白野聖彦ニ対シテハ
(イ)昭和十七年十一月下旬頃右同所ニ於テ朝鮮総督府ノ朝鮮語學會ニ對スル検擧ヲ論難シタル上文化ノ滅亡ハ畢竟民族ノ潰滅ニ外ナラサル所以ヲ力説シ鋭意朝鮮文化ノ昂揚ニ努メサルヘカラサル旨指示シ
(ロ)同年十二月初旬頃同市左京區銀閣寺附近街路ニ於テ個人主義思想ヲ排撃指弾シタル上朝鮮民族タル者ハ飽ク迄個人的利害ヲ離レ民族全体ノ繁栄ヲ招耒スヘク心懸クヘキ要アリト強調シ
(ハ)昭和十八年五月初旬頃前記武田アパートニ於テ朝鮮ニ於ケル古典藝術ノ卓越セルヲ指摘シタル上文化的ニ沈滞シ居ル朝鮮ノ現状ヲ打破シ其ノ固有ノ文化ヲ發揚セシムル為ニハ朝鮮獨立ヲ實現スル外無キ所以ヲ力説シ
(ニ)同年六月下旬頃同所ニ於テ同人ノ民族意識強化ニ資センカ為自己ノ所蔵セル「朝鮮史概説」ヲ貸與シテ朝鮮史ノ研究ヲ慫慂シタル等同人ノ民族意識ノ昂揚ニ努メ
以テ國體ヲ変革スルコトヲ目的トシテ其ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタルモノナリ證據ヲ按スルニ判示事實ハ被告人ノ當公廷ニ於ケル判示同趣旨ノ供述ニ依リ之ヲ認ム法律ニ照スニ被告人ノ判示所為ハ治安維持法第五條ニ該當スルヲ以テ其ノ所定刑期範圍内ニ於テ被告人ヲ懲役貳年ニ處シ刑法第二十一條ニ依リ未決勾留日数中百貳拾日ヲ右本刑ニ算入スヘキモノトス
仍テ主文ノ如ク判決ス
昭和十九年三月三十一日
京都地方裁判所第二刑事部
裁判長判事 石井平雄㊞
判事 渡辺常造㊞
判事 瓦谷末雄㊞