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日付変更線は、1884年に開かれた「国際子午線会議」で決められました。 英国のグリニッジ天文台を通る子午線(経線)を本初子午線として、この地点の時刻をグリニッジ標準時として国際基準にしました。 本初子午線から東経180°(12時間時刻が進んでいる)と、西経180°(12時間時刻が遅れている)が出会うのが、本初子午線の反対側=日付変更線になるわけです。ここで12+12=24時間の時刻のずれを1日の日付のずれに変換しています。 太平洋の真ん中で、各国の領地にぶつからないのも好ましい点でした。 当時は大英帝国華やかな頃で、米国は田舎の新興国⁽笑)にすぎませんでした。 英国の最大のライバル・フランスもこうした技術分野では海洋国家英国の足下にも及ばなかったので、当然英国主導の会議になっています。 会議には日本を含め20数か国が参加しました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%AD%90%E5%8D%88%E7%B7%9A%E4%BC%9A%E8%AD%B0
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