神は何故、特定の人間を選んでとことん苦しめるような事をするんですか? これでもかこれでもかと良くなった様に見せ、ちょっとホッとさせて、また突き落とすの繰り返し、存在が恐怖でしかありません。

補足

ご回答ありがとうございます。 苦しんでる人間に対してなるべく辛口は控えて頂きたくよろしくお願いします。

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万人に好かれる必要もないし、質問者さんは自分のことでいっぱいいっぱいなのも当然ですよ。 アンチや心ない言葉を使う人はスルーでOK、その言葉はそのまんま本人(アンチとか)へ返ってゆきます。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご回答ありがとうございました。 数々の温かいお言葉とても救われました。 他の沢山の皆様も本当にありがとうございました。 皆様にBAしたい位です。 お互い身体気をつけて行きましょう。

お礼日時:1/9 5:24

その他の回答(12件)

神は苦しみなんて与えませんよ(笑) 一つの事象をどう解釈するかは、貴方自身の問題です。 答えは全て、貴方自身の中にあります。 言い古された話ですが コップに半分の水が入っているとして 半分しか入ってないと思うか 半分も入っていると思うか それはその人次第です。 同じ事象が起きても、それを苦しみと捉えない人も存在します。 ピンチな事が起きて どうしよう、参った、絶望だ!と思う人もいれば よーし、これはある意味チャンスだな!と思う人もいます。 なぜ、自分はそれを苦しみの方だと捉えるのか? それを考え、見出し、自分自身を修正する方が早いのです。 例え苦しい事が起きても、 もしそれを自分で苦しいと思わなければ それは勝ちとも言えます。 繰り返しますが、答えは全て貴方自身の中にあるのです。

あなたが少しでもより幸せになれますように。お祈りしています。

雨は万物に降りかかる。誰もそれを避けられないけれど降り注ぐ日差しも同じ。大地はそれを繰り返し豊かになる。神は全てに同じ事をしていると思っています。 米津玄師さんの歌の歌詞に 土砂降りでも構わず飛んでいく、その強さが欲しかった とありました。あんなに凄い方でもそう思うこともあるのか?と思いました。 私はそんな風に考えています。

戦争を習ってから街を普通に歩いているお年寄りの人もそんな経験をしてきたのかと驚いた記憶があります。そんな当たり前の事に気づきもしなかったなと思いました。

あなたに限らず、この世の苦しみの根源は、唯一誠の神様(万物の創造主)に信頼せず、背いて、戒めに聞き従わないで生きている罪のせいです。 詳細は、リンク先をどうぞ。 「イエス・キリストによる救いの知らせ(福音)」 https://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/01/113257 奥山実 師 面白くて分かりやすい福音メッセージ https://www.nicovideo.jp/watch/sm44106391

仏道修行すると神様仏様が守ってくれますよ。修行といっても唱えるだけなので簡単です。 仏法は良いですよ。宿命が良い方へ変わります。 南無妙法蓮華経を毎日朝と夜、富士山の方向へ向かい手を合わせ5分間唱えてみてください。不思議なことがありますよ。日蓮大聖人の仏法です。家で一人でできます。目を閉じて南無妙法蓮華経の文字を思い浮かべながら唱えるといいですよ。 南無妙法蓮華経の蓮華はハスの花で仏教の花です、なぜかというと根っこはドロドロの土に根を生やしていても綺麗な花を咲かす、仏法をやるとどんな環境であれ心が綺麗になれますよ、ということからきているそうです。 心が変わり環境も良いほうへ変わります、凄い力で守られます。 「法華経は暗きに灯、海に船、恐ろしきところには守りとなる」 信じて唱えると良いことがありますよ(^-^) 十界論てありまして、地獄界・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏界です。 人は過去世の宿業により十界のいずれかが、その人の生命の中に強く現れて生まれてきます。 この先天的な生命の傾向を宿命といいます。 例えば先天的に地獄界の傾向が強ければ常にいじめられ、あるいは修羅の傾向が強ければ常に争いを起こすということになります。 しかし、たとえ生涯苦しめられる地獄界の宿命を持っていたとしても、南無妙法蓮華経と唱えれば仏の縁にふれて仏界がゆげんし、必ず守られる幸福な境界に変わってきます。これが宿命転換です。 ●地獄界 苦悩に苦しみ、しかも束縛されてその苦から逃れられないという境界 病気で苦痛と死の恐怖におびえたり、職場など人間関係や、家庭不和で心身ともにさいなまれる状態・生命の維持発展が妨げられる境界 「怒るが地獄」とは怒りが殺人などを起こし地獄の因となるからである ●餓鬼界 貪欲にとらわれ、常に不満不足の念に満ちている境界 金銭・地位等におい、飽くことを知らぬ者、自分はありあまる財を持ちながらも人には惜しみ、あるいは自分は美食しても親には惜しむなどはこれにあたる・むさぼりは因、飢えは果、これ飢餓の因果である ●畜生界 目先のことにとらわれて物事の道理をわきまえぬおろかな境界・また強い者を恐れ弱い者をあなどる卑怯な境界 この界の特徴は愚かしさと卑怯にある「畜生の心は弱気をおどし、強気をおそる」会社などで上役にはへつらい、部下には威張り散らすような者も畜生界である ●修羅界 常に他人より勝ろうとする異常な嫉妬、競争心に満ちた境界 したがってこの境界には争いがつきものである・また修羅は心がひねくれ曲がっているから、人から正しいことを言われても素直に受け取れず、すぐにカッとなって腹を立てる ●人間界 「平らかなるは人なり」と仰せのように、穏やかで平和を愛し、道義をわきまえ、親、兄弟、友人を思いやるなど人間らしい平らかな境界 ●天上界 「喜ぶは天」とのように願いが叶って喜びに満ちている境界・また先天的な福運により恵まれた生活が送れるような境界 ただし天上界の喜びは「天上の五衰」といって永続きするとは限らない ●声聞界 真理の探究に生きがいを感ずる境界 学門・研究などに一筋に打ち込む学者、智識人などはこれにあたる ただしこの境界の者は自分の知り得た智識に固着して独善的となり、他を利益する心がないのが特徴である ●縁覚界 世間の無常や飛花落葉などを見て、一種のたい観を持つ境界 一道一芸に秀で、ある種の安らぎを得ている者などはこれにあたる ただしこの縁覚もまた独善的さとりにこだわり、利他の心がない ●菩薩界 他を救わんとする慈悲の境界 「六道の凡夫の中において、自身を軽んじ他人を重んじ、悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念う者あり」(十法界明因果抄)このように自分のことをかえりみず他を救わんとする境界がこれにあたる 末法における真の菩薩界とは、日蓮大聖人の眷属として自ら三大秘宝を受持し、御本仏の願業たる広宣流布に勇み立つ者である 「日蓮と同意ならば地ゆの菩薩たらんか」(諸法実相抄) ●仏界 御本仏日蓮大聖人の御境界こそ仏界であられる 生命の極理を証得された大智恵、竜の口で示された絶大威力、大難を忍んで一切衆生に三大秘宝を授与せられた大慈悲、このような徳を兼ね備えられた大境界を仏界と申し上げる