芥川龍之介と直木三十五がともに同時代に活躍した作家でありながら、「芥川賞」の由来である芥川龍之介のほうが知名度が高い理由として、いくつかの要因が考えられます。
1. 文学教育・アンソロジーでの扱いの差
芥川龍之介は『羅生門』『鼻』『藪の中』など、多くの短編が国語教科書に採用されており、学校教育のなかで頻繁に取り上げられてきました。独特な文体や芸術性の高さが評価され、日本の近代文学を語るうえで欠かせない作家とされています。そのため学生時代から名前を知る機会が多く、知名度が大きく高まっています。
一方、直木三十五(なおき・さんじゅうご)は大衆小説や通俗小説の分野で活躍し、主に雑誌連載や新聞連載などで多くの作品を発表していましたが、現在では国語の教科書などで取り上げられることはほとんどありません。結果として、学校教育を通じて広く知られる作家とはならなかったのです。
2. 芥川龍之介の文学的評価と象徴性
芥川龍之介は芥川賞の対象でもある「純文学」の分野において卓越した評価を受け、「近代日本文学の象徴的存在」ともいわれます。生前から夏目漱石に認められるなど、文壇での地位も高く、その文学的価値が非常に重んじられました。さらに早世したことによって“天才作家”としてのイメージが強く刻まれ、そのことが神話的な知名度の向上にもつながっています。
一方の直木三十五は、大衆性・娯楽性を重視した作品を書くことが多かったことから、純文学というよりは大衆小説家として評価されました。大衆小説はかつては文壇の正統評価からは一段低く見られる傾向が強かったため、芥川龍之介ほどの文芸的権威や象徴性を与えられる機会が少なかったともいわれます。
3. 作品の再評価や出版事情
大衆小説や通俗小説は時代の流行に左右されやすく、執筆当時は人気を博したとしても、後世に残る作品が限られることがあります。直木三十五自身もかなり多作であった一方、出版事情の変化や戦争・検閲などの影響で、作品の散逸や絶版化が進んでしまった面もあります。現在の書店や図書館で直木作品を目にする機会が少ないため、読者にとってなじみが薄くなっているのです。
4. 直木賞の制度上の理由
芥川賞・直木賞はいずれも雑誌『文藝春秋』の創設者・菊池寛が、親交のあった芥川龍之介と直木三十五の功績を称え、2人の名を冠して1935年に創設した賞です。しかしながら、その後の知名度や象徴性は、賞そのものの在り方にも影響されました。たとえば、
• 芥川賞:若手純文学作家の登竜門、純文学の権威づけ
• 直木賞:大衆文芸やエンターテインメント性のある作品にスポットライトを当てる
といった形で住み分けがされ、それぞれに役割を果たしてきました。純文学を重んじる風潮の強かった昭和初期〜戦後の文学界では、純文学作家の象徴である芥川龍之介の名がより広く共有され、直木賞の由来である直木三十五の名前は意外と知られないまま、賞だけが有名になったという側面があります。
まとめ
• 教育現場での採用度合いの違い
• 純文学と大衆小説の評価の違い
• 作品の再評価や出版状況の差
• 「賞」の認知度と作家個人の認知度のギャップ
これらが重なった結果、芥川龍之介と比べて直木三十五の知名度が低くなっていると考えられます。賞の名前はよく知られていても、もともとの由来や作家にまで意識が向く機会は少ないため、歴史の勉強などをきっかけに初めて直木三十五を知るという人は少なくありません。