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なぜキリスト教会は古代ローマ人や古代ケルト人、アングロサクソンなどの祭り(※)は容認したのに、白人以外の祭りは徹底的につぶしたのでしょうか?

宗教 | クリスマス50閲覧

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回答(4件)

キリスト教が古代ローマ、ケルト、ゲルマン、スラブの地で宗派の成立や公会議で教義や定義が確立されていき、確立後に布教したり接触した地域における他信仰のエッセンスを取り込む隙が無かっただけではないかと。 一神教ですし教義が確立したら排他的になりますから、大概です。

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七五三はキリスト教の物ではありませんが、「子供の祝福」する機械っていいね…と、いう事で、七五三の時期に、子供の健康を祈る等の機会を持つ教会はあります。 同様に「いいね」とする処は、取り入れられていった…と聞きます。 この点で、キリスト教は、異教のもの全てが「禁止」一辺倒の教えではないのが解ります。 ケルトの風習も同様であったと思います、

そもそも、質問者さんの認識の間違いがあります。 イースターの中身は、異教の影響(ウサギと卵とか)を受けていますが、イースターを祝うこと自体はキリスト教が始まりです。 元々はユダヤ暦の過越の祭りと同じニサンの14日に祝っていました。ニカイヤ公会議でユダヤ暦から独立して、現在のように西洋はグレゴリオ暦、東方正教会はユリウス暦を使って、イースターを祝う日をそれぞれ設定しました。 クリスマス自体もイースターと同様に中身は異教の影響を受けています。また、一般的には異教の祭りとして流布されていますが、専門家の間では異教由来かについては断定していません。 というのも、クリスマスの日付が書かれた最古のカレンダーは、Chronograph of 354(354年前後のもの)と呼ばれているもので、これには特定の異教の神の名前はなく、称号だけが書かれています。また、同カレンダーには、12/25がイエスの誕生日と記載もあり、異教由来・キリスト教由来、両方根拠とできるものです。 このカレンダー以外で、西暦3年のローマ軍のカレンダーが残っており、そこには、12/25は祝日として記載されていないことが確認できます。 最古の文献として12/25の言及があるのは、202–211年のキリスト教徒ヒッポリュトスです。 ハロウィンも上二つと同様に、異教の影響を受けていますが、キリスト教の影響もあります。そもそも、英語の「ハロウィン」という言語は、キリスト教の万聖節の前夜」に由来しています。この日は聖人を称える日でした。 最初は古代ローマ帝国の死者を弔う日と同じ日に行われていましたが、後にケルトの影響を受けて、現在のハロウィンに変化しました。 最初期から国教化以前では、異教の影響を排除しようと努力しながら祝祭が行われ、国教化されてから段々と異教の影響を受けてきました。 キリスト教が拡大していく中で、異教のものが持ち込まれ、排除しようとし、しかし内包されていくものも出始めて、今のような形へと変化したんです。 最初にキリスト教が枠組みを作った中に、異教が入り込む余地はありますが、入り込めない祭りの枠組みは排除対象になります。

多分時代と宗派が違う。 ハロウィーンなどを容認したのは、カトリックの快挙だったと私は思っている。だが、それはガリアに宣教した5~6世紀の話だ。復活祭は異教の祭りではないと思うが、その前後の、たとえばマースレニッツァはスラブの祭りなのだと思う。 最初にカトリックが軍を出して自分たちに従わないものを制圧したのは、アルビ十字軍、13世紀初頭の話だ。 こののち、異端審問が行われ魔女狩りが行われる。ヤン・フスが焼き殺され、多くの罪なき人が処刑された。これに異を唱えたルターがプロテスタントを起こすが、触発されたカトリックは中南米で虐殺の限りを尽くし、またプロテスタントの一派は北米にわたって原住民を皆殺しにした。 つまり、10世紀~11世紀ごろにカトリックにはそれまでにない運動が起こって、異教徒を殺戮するようになったのだと考えらえる。