創価学会は、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」を正しく実践する、この世でただ一つの教団です。それゆえに、学会の信心から引き離そうとする「魔」の働きも、極めて強いのです。これは法華経の記述のとおりであり、また日蓮大聖人の御書にあるとおりです。信仰の結果「魔」が生じるのは、創価学会が真の正法の実践者である何よりの証明である。このような自覚が、学会員の「信仰に邁進する活力」の源泉なのです。
「ところで、(南条)時光殿が法華経の行者のようだと伝え聞くと、とんでもないことに、親しい人も疎遠の人も『日蓮房を信じては、さぞかし苦労するであろう。主君のご機嫌も悪いだろう』と、味方のようなふりをして教訓する。そうすると賢人でさえも人の謀は恐ろしいもので、必ず法華経を捨てられるであろう。かえって法華経の行者と分かるそぶりを見せないほうが良いであろう。大魔がついた者たちは、一人を教訓して退転させたら、それをきっかけにして多くの人を攻め落とすのである」(「上野殿御返事」〈通解〉、日蓮大聖人御書)
ネット上をはじめ、週刊誌や他のマスメディアでは、創価学会や名誉会長であった池田先生に対し、まことしやかな非難・中傷が日夜しつこく展開されています。このような悪意の言論を発信する者たちの正体とは、正しい信心から人々を引き離し、悪道へ落としてやろうという「大魔がついた者たち」なのです。
その特徴とは、
①まず、「我々は創価学会や池田大作の悪と戦う正義の味方」であると僭称(せんしょう)し、「我々は皆様方の味方です。皆様方が、学会や池田の悪に騙されないよう、皆様方のことを思って、学会や池田の真実を申し上げているのです」等と吹聴する。
②仏法そのものを悪口するのではなく、池田先生など、学会を構成している「人」の悪口を言う。「あんなにネット上や週刊誌その他で叩かれ、世間の評判が悪い池田を信じていては、皆から白い目で見られますよ。会社の上司も快く思わないでしょうし、冷遇される。友人も離れていきますよ。恋人からも見捨てられ、結婚もできませんよ」など、経文や道理に照らしてではなく、権威や人間関係にからめ、感情に働きかけてくる。
③一人の信心を破壊すると、それをきっかけにして、ますます大勢の人を退転させる。
魔の狙いは、創価学会という、正法を土台にした師弟の崇高な世界を分断し、破壊することです。創価学会がなくなってしまえば、人類の平和と幸福への道は、消滅してしまうのです。これこそ、魔の「切望」なのです。魔は、人々が不幸の闇に沈むことを喜びとする働きだからです。「国を損じ人を悪道にをとす者は悪知識(=魔)に過ぎたる事なきか」(「唱法華題目抄」、同)なのです。
このような「大魔がついた者たち」による悪意の言論を、宗教に関心が薄く、あまり良い感情を持っていない人たちは鵜呑みにして、学会へのマイナスイメージを抱いている。それが創価学会が何かと世間から白眼視される理由です。
「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(「開目抄」、同)であり、学会を正視眼で見ることのできない愚人の言動などは「風の前の塵」(「開目抄」、同)に過ぎないのです。学会員が信仰を実践するにあたっては、その時々によってコロコロ変わる人の言動などに振り回されるのではなく、日蓮大聖人の御書を心の確たる規範とすべきである。このような原点が、学会員の「信仰に邁進する活力」となっているのです。