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お釈迦さんは生前、「自分の言ってること(仏教)は将来誰も聞かなくなる時代が来るだろう」という様なニュアンス言ってたのでしょうか?

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回答(6件)

仏教は法教ではありませんから仏がいれば法があろうとなかろうと関係ありません。仏がいれば末法どころか無法でもかまいません。 仏教にとって【法がある】はどうでも良いですが【仏がいる】は必ず必要です。 仏教は縁起説・外道は一元論、縁起説の結果は【仏がいる】一元論の結果は【法がある】です。 縁起説:有為法が虚在する→他人がいる→【仏がいる】他力・救済。 一元論:無為法が実在する→普遍がある→【法がある】自力・求道。 本来の仏教が他力・救済です、根拠は仏教が縁起説だからです。 【仏教とはブッダ帰依教である、ブッダ帰依教とは現在仏信仰である】 釈尊は救済者ですから救済を望む者は誰でも救います。出家の優越を認めません→サンガを作れません。 三宝は敵対している。最近、三宝(仏・法・僧、ブッダ・ダルマ・サンガ)を「天敵が駆逐する」という関係で見ると仏教の歴史・現代の仏教がうまく説明できることに気付きました。 ブッダはサンガの天敵・ブッダはサンガを駆逐する。 ダルマはブッダの天敵・ダルマはブッダを駆逐する。 サンガとダルマはオトモダチ。 日本にはサンガが無い。何故か?サンガの天敵、救済能力のあるブッダ(現在仏・阿弥陀如来や大日如来、マンダラの諸尊・・・)がいるからである。 タイやミャンマーにはサンガがある。何故か?サンガの天敵、救済能力のあるブッダ(現在仏・阿弥陀如来や大日如来、マンダラの諸尊・・・)がいないからである。 ブッダはなぜサンガの天敵なのか?ブッダはなぜサンガを駆逐するのか? ブッダは救済者であって求道者ではない、縁起説(有為法の虚在を信じる)を説いたから救済者である・一元論(無為法の実在を証する)を説かなかったから求道者ではない。 救済者ブッダは被救済者=弟子に ブッダ帰依する【意思】を要求する=他力・易行、 ダルマ帰依する【能力】=自力・難行を要求しない。 「知者の振る舞いをするな、一文不知の尼入道になれ、愚痴に還りて成仏する」まさに法然。 智慧第一・法将軍シャーリプトラにならなくて良い、パンタカになれれば良い、「才市は親様が恋しい」浅原才市になれれば良い。 ダルマ帰依する能力=知者の振る舞い=ゆゆしき学匠はブッダ帰依する意思を阻害する。だからブッダが言う「サンガは私にたよらない」智慧第一・法将軍になるダルマ帰依【能力】のある者がブッダ帰依する【意思】を持つわけがない。 ジャータカでは菩薩は畜生も救う、在家と出家を区別するなんてあり得ない。 【仏教とはブッダ帰依教である、ブッダ帰依教とは現在仏信仰である】 現在仏が救済能力を発揮している仏教国に「ビクサンガ」なんて存在するわけがない。 【救済者ブッダは被救済者・弟子に出家を要求しない】 【ブッダはサンガを駆逐する。仏教が純粋ならサンガは存在できない】 【ブッダがいる】必然的に【サンガはない】日本仏教。 【サンガがある】必然的に【ブッダはいない】テーラワーダ。 【ブッダがいればサンガはない・サンガがあればブッダはいない】 ブッダアスティ→サンガナアスティ・サンガアスティ→ブッダナアスティ ブッダのいる国はサンガが無くても仏教国。 ブッダのいない国はサンガがあっても外道国。 日域はブッダ相応の地 聖徳太子以来、空海・覚鑁・源信・源空(法然)・親鸞・・・南山(原文:南都)北嶺のゆゆしき学匠(原文:学生)から一文不知の尼入道・妙好人に至るまで、「歴史的実在ではない・名称だけ・架空の」阿弥陀如来や大日如来、マンダラの諸尊に帰依して・拝んで・称えて・・救いを実現してる。 救済の実現には救済者が「歴史的実在」である必要がなく、救済ストーリー=方便が「虚在」すれば救済が実現することは日本仏教史を見れば明らかです 日本は世界最高の仏教国です。日本は娑婆世界仏教の最優等生です。 日本では >ゴータマ・ブッダへの関心が低い< 当然でしょ、救済能力のない過去仏なんだから・・・死体は草履なんでしょ?後有を受ければ=輪廻すれば=有為法なら草履になれる、後有を受けない=輪廻できない=堕無為する、から草履にすら成れない!! ブッダに救済能力の有無を問わない=救済に無関心。救済能力のない過去仏を形式的に供養するというサル芝居は仏教徒の恥・仏教徒として「不誠実な生き方」です。 誠実な仏教=日本仏教・ 不誠実な仏教=サンガの仏教(本来の仏教・原始仏教・初期仏教・根本仏教・パーリ仏教・小乗仏教・テーラワーダ・上座部仏教・・・) 法華経信者の方へ。 『法華経』は妙【法】蓮華経、『華厳経』は大方広【仏】華厳経。 【法】は無為法・【仏】は有為法、無為法は一元論・有為法は縁起説、一元論は外道・縁起説は仏教、『法華経』は外道・『華厳経』は仏教。 どうする『法華経』??どうする日蓮??

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正法の時代は教、行、証の3つが揃っていた 鎌倉時代辺りから末法に入り 今では教だけが残っています つまり教えしか残っていない これはお釈迦様が当時から予言していたことです 末法万年と言ってその後、法滅尽という時代が来ると言われています この時代は教えも残っていません

原始経典であるパーリ経典の中の律蔵で、釈迦が、アーナンダからの要請で女性の出家を認めたことで、千年続くはずだった正法が、500年しか続かなくなった、と発言しています。そして、女性用に新たに特別な戒律が設けられました。 それを後世の人がいろいろに解釈したようです。 ちなみに、悟る能力については、釈迦は、女性も男性と同様であることを認めています。 しかし、男尊女卑が激しい社会で、しかも、男性でも厳しい出家の修行を女性にさせることの危険性を考えて、最初のうちは女性の出家を認めなかったようです。

末法思想は後世の人が勝手に言い出した話です。 時代が飢餓飢饉の大災難が起こったり、時代の成長が止まると末法思想といいますか終末思想が流行ります。

パーリ仏典にもいずれ空をだれも理解しなくなる時が来るっていう話をしています。