「父殺し」と「母殺し」と
雨宮まみが亡くなったことを知るまで、オデは彼女に何の興味も示さなかった。
その後、能町みね子がブログでこんなことを書いていた。
そのなかで、こういうフレーズがあった。オデはどきりとした。
伊藤野枝はすでに読んだ。島尾ミホは近所の図書館で予約中である。
話は唐突に変わる。昨日オデは『ら』という映画の上映会+
応援トークショーという、
ところが、犯人を野放しにして、被害者が続出した。
ショックなことがあると、主人公は泣くか嘆くか、
性暴力被害に遭うと、「私がいけなかったんだ。
ところが、トランプが大統領候補に正式になった昨今、
雨宮まみが何らかのアディクションを持っていることを、オデは知らない。書籍やブログのタイトルにも、あまり惹かれない。米米CLUBやB’zの音楽は趣味じゃない。オデは根っから中島みゆき教の信者である。ただ、偶像崇拝は禁止なので、『夜会』という名の教会には行ったことがない。
昨日、友人のFBで、彼女は九州の生まれで厳父との確執があった、と書いてあり、雨宮まみで検索すると、トップに大野佐紀子のブログがあった。大野は「父殺し」に共感している。
しかし、オデの場合は「母殺し」だった。上京してすぐ、憎しみのために小説の構成を書いたが、あまりに憎悪が生々しくて、自分からある程度距離を持たないと書けないと思ったが、殺す前に、母は自分の人生を絶った。
母親は父親より厳父で、父親よりも怖かった。コントロールフリークでありながら放任主義で、策略家で、嘘つきでずる賢く、父親が憎いという洗脳を行った。そういう意味ではヘルガ・シュナイダー『黙って行かせて』の母親と一緒だ。
雨宮まみとオデの違いを数えたらきりがない。彼女は九州出身で、オデは北海道出身。彼女は怒りを見せたが、その怒りは自分自身を侵蝕した。彼女は年を取ることを嫌がったが、オデは年を取る前に体が動かなくなった。
これから、雨宮まみの書籍やブログを読む。読んでも共感しないと予想するが、それでも読む。