Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

上司がキレちゃった。


 真夏に四月バカがあるとは今の今まで僕は知らなかった。営業二課課長である僕の上司にあたる営業部長が会社に来なくなった。最後に姿を見たのは僕とやりあった聴聞会だ。そのとき部長は、事業のひとつから手を引かされたのにもかかわらず、僕を徹底的に殲滅したと思ったらしく、「俺は明日から夏季休暇をとる」と胸を張って宣言していた。以来、出社拒否。五日ほど経過したときは、まあ部長はカレンダーも、数字も、読めないから仕方ないね(ウチの夏季休暇は三日間)、部長の妨害がないから仕事もサクサク進むし、顧客から部長へのクレームもなくていいねとみんなで笑っていた。


一週間後、部長から連絡がはいった。

 部長は、身体に石がつまったので入院する、石が全身に飛び散らないよう手術しなければならないと告げた。脳が石ころ化しているのはわかっていたがまさか身体まで…愛人がいるらしいからアチラは石のようなんだろうが…だがしかし…と絶句と鼻唄を両立させ、何日入院するのか尋ねた。すると部長は「わからん…一日なのか十年になるのか、十年と一日になるのか、十年と一日は何日になるんだ?閏年があるから何日になるんだ…仕事が出来る男は細部にこだわる…貴様にはわからない世界だ…」と沈痛な感じで軽薄なことを言いはじめたので会話を打ち切り、僕は入院先を尋ねた。急用で連絡する必要があるかもしれない。「入院先は教えない…」「え?どうしてですか?」「お前たちの見舞いは不要だ…俺のことはいい、業務に集中しろ…」「誰もお見舞いなんて行きませんから入院先連絡先を教えてください」「とにかく俺は休む…あとは頼む」とだけ言うと、最後にげ〜ほほほ〜とライトな咳込みを聞かせて、電話はキレた。僕もキレそうだった。部長は総務はおろか会社の誰にも入院先は告げてなかった。


 その後も用事が出来るたびに電話をした。以前僕が入院したときは、携帯電話の電源を切るよう豚似ナースから口うるさく言われたものだが、最近の病室はいつでも携帯に出られるらしい。「あ、部長、ちょっとよろしいですか」「なんだ」「判をいただきたいのですがそちらにうかがっても…」「ダメだ。病院の都合が悪い。家族だけが面会謝絶だ。今2階にいる…」意味がわからない「えーとどうすれば」「俺のデスクに印はある…勝手に押せ…」「ま、以前見ていただいた書類なんで問題ないと思いますがいいんですか?」「かまわない…俺はいつも書類を読まないで印している…読んでいる時間が…惜しい…切るぞ」


 総務から言われて電話をかけた際は、雑踏的なSEが流れたあと「ちょっと待て移動中だ!」と電話を切られた。移動中?リダイアル。「あ、ちょっと部長よろしいですか。総務から診断書を出すよう言われたのでお願いします」「わかった…診断書だな…」「そうです」「診断書は…出せない」「ってぁ?」「診断書はプライベートだ…」結局プライベートを理由に診断書の提出を部長は頑なに拒否した。ウシジマ(元課長代理補佐、今春退職)が胃炎で倒れるたびに、執拗に、診断書を出せ診断書を出せ出せ出せ診断書がねえ嘘だなサボりだなサボりだサボりだ病欠はサボりだ給与カット駄目社員はいらねえんだと言い放っていたのは部長当人なのだが。



(追記 8月初旬から夏休みを続けている部長のホワイトボード)


 部長はキレてしまったのだ。部長の中の何かは。会社に来ることだけは人並み以下に出来ていたのに。嘘の入院をこしらえてまでして、何がやりたいのか目的なのかわからないし、わかりたくもないが、たぶん、スネているのだろう。おもちゃを買ってもらえなかった子供のように、ただ、スネているのだ。スネてしまったのだ。


 昨日、社長から呼ばれ、出社拒否している部長をなんとかするよう命ぜられた。部長は長年の冷えきった結婚生活の果てに独身になっているので家族はいない。入院先もわからない。仕方なく僕は部長宅に向かった。ジージーミンミン鳴く蝉から馬鹿にされているような気がした。閑静な住宅街にある、ピンクと黄色の格子柄をした部長の家に着き、呼び鈴を押すと部長の奥さんが出てきた…元奥さん。何で別れたはずの?と僕があたふたしていると奥さんが教えてくれた。ここは奥さんの実家(奥さんの父親が建てた)で、別れてすぐに部長は出ていき、今は都内でアパートを借りているらしい。部長は営業会議のときに「俺は鎌倉の一等地に一代でバカでかい家を建てた男だ、おまえらも俺のように一代で城をもたないとな!」とよく言っていたのに…全部嘘だったなんて…部長が借り暮らしのアリエッティだったなんてありえんて…


 教えてもらったアパートの前に張り込んでみた。部長はあらわれなかった…。会社に戻り社長に報告すると社長は引き続き部長を戻すよう動けと命じた。僕はもう虚しくなっていた。仕事で対立した部長のために…振り回されて…何やっているんだ。社長からの命令はあるにはあるが、もういいだろ、もう。仕事放り出して行方不明になる人間なんていらないだろう。このまま職場放棄を理由に奴には退場してもらおう。退場が無理なら完全な閑職に。僕は今、会社のデスクに座り、昨年部長で胃をやられて退職したヨシムラ君が遺した鉄道模型を眺めながら決意している。誓っている。DD51型ディーゼル機関車に誓っている。社長の命令には形だけ従い、社長が部長へ、奴へ、差しのべる救いの手を、僕が黙殺して、払ってやろうと。部長が来なくなって今日でちょうど三週間になる。奴の花道に飾りはいらない。