養命酒に呼ばれるところから始まる
ある日、養命酒の鳥山さんと佐熊さんに呼ばれた。
見せたいものがあるという。
あれ、新しい養命酒ですか?
厳重な梱包から取り出されたのは、見た感じ、色も形も養命酒である。新商品だろうか。
「それがね安藤さん、違うんですよ。」
いわく、AI(人工知能)を搭載した最新型の養命酒スピーカーなのだとか。え?これが?
疑いの目を向ける僕を横目に、鳥山さんがおもむろに養命酒に話しかける。
「オーケー養命酒!」
「すみません、聞き取れませんでした。」
細かい部分はまだ調整中とのことなのだけれど、確かにいまこいつしゃべったぞ。
どういうことだ。この人たちはどこに力を入れ始めたのか。
そしてこの急に会議室に呼ばれるタイプの記事、いつもの流れであるとも言える(
過去の例)。
伝わるだろうか、この不穏な空気が。
「そこでですね、せっかくの最先端のAIスピーカーなので、最先端の地で発表したいと思っていまして。」
はい。
「どうです、一緒に行きませんか。」
最先端の地。なるほどそうきましたか。NASAだろうかシリコンバレーだろうか。
「いや、シリコンバレーは行ってみたんですけどね。」
「なんとなくピンとこなくて。」
すでに行ってたか。ではこれ以上どうしようというのか。
「やはり地理的に最先端の方がわかりやすいかなと思いまして。」
なるほどそっちか。日本の一番西の端は沖縄の与那国島だったはずだ。でかい蛾がいる島、与那国。あそこなら僕も行ってみたいと思っていたところだ。
「せっかくなのでもうちょっと行きにくい場所はどうでしょう。」
せっかくだから行きにくい場所がいいのはわかるんですが、最南端の沖ノ鳥島も最北端の択捉島も、自由に行ける場所ではないですよ。
「たとえば本州の最東端が岩手にあるんですが、そことか。」
なるほどー。
調べてみると本州の最東端は岩手県の宮古市にあって、リアス式海岸でごつごつしているらしい。それは行きにくそうである。でもこれ、行きますって言わないと終わらないやつですよね。
というわけで僕はいま新幹線のホームにます。
行こうではないか、最先端の地へ。最先端のスピーカーを持って。
最先端の地が遠い
今回僕たちが目指す本州最東端の岩手県宮古市「トドヶ崎」は、写真で見る限り荒涼とした風景が広がっている。これはあまり自発的には行かないタイプの場所である。
やってきました岩手県宮古市。
とりあえず岩手県宮古市までやってきたのだが、ここまですでに東京から6時間くらいかかっている。
ここからの道のりを先に言っちゃうと、宮古駅からバスで1時間10分、バスを降りたら登り口まで歩いて30分、登り口から山道をさらに歩いて1時間かかるらしい。
家族旅行だったらバスを降りたあたりで子どもが付いてこなくなるやつだ。いやその前に計画段階で却下されてる。
先のことを考えると気が遠くなる。
しかしいい絵が撮れそうな予感だけはビンビンする。こういうのは嫌いじゃない。
バスも午前と午後に1本ずつありそうだったし言うことないです。
いざ出発である。
なぜバスを外から撮ってもらえているのかというと、撮影担当としてバッタネイションの岩沢さんについてきてもらっているからである。一人で来たくなかったので今回も巻き込んだ(
前回、
もっと前)。
ところで岩手だが、ダジャレのつもりで最先端とか言っていたのだけれど、実際に県をあげて最先端の技術開発を支援しているのだとか。その証拠に盛岡市には岩手県先端科学技術研究センターという施設がある。
ここが先端科学技術研究センター。
交通の便もいいのでここを借りて発表会したらいいんじゃないかなと思った。
ここで研究されている先端科学技術というのは、もちろんこれから向かうトドヶ崎みたいな地理的な話ではないのだろう。たぶんハイテクの方だ。
ものすごく頭の良さそうな雰囲気があります。ぜったいこっちの方がいい。
岩手県先端科学技術研究センターでは大型の研究施設等が整備されており、県の産業を下支えしているのだとか。
どう考えてもこっちの方が正解なわけだけれど、すでに乗りかかったバスである。僕たちは間違った方の最先端へと向かってひた走る。
僕たち、というのは僕と最先端スピーカーです。
途中で新聞を配る旅
このバス、ちょっと不安になるくらい細くて曲がりくねった山道をじりじりと進んでいくのだけれど、それにくわえて普通の路線バスではあまり見られない機能もはたしている。
大丈夫?そこ通れる?という道を確実な運転でこなしていく運転手さんの技術こそ最先端と言っていいだろう。
このバスの持つもう一つのミッション、それは新聞配達である。
このあたりの集落は山を隔てて点在しているため、新聞を毎日各家庭まで配達するのが難しいのだ。そこでこの路線バスが配達しているというわけ。
運転手さんは各集落でいったん止まり、新聞の束を抱えて販売所となる商店まで配達していく。
前方の席はほぼ新聞置き場。
システム上、最後の集落に朝刊が届くのは午後になるらしい。
バスの運航スケジュールにも新聞配達分の余裕が加味されているため、誰も文句を言う人はいないのだとか。それどころか、バスがやってくると新聞を待つ人たちが喜んで迎えてくれるからちょっとうれしい。
この商店には5人ほどのお母さんたちが待ってくれていました。
バスには運転手さんと僕しか乗っていなかったので、途中から僕が手伝って配った。
今回の取材意図を完全に忘れた瞬間である。
こうして新聞を配りながらバスに揺られること1時間10分ほど。目的地に一番近いバス停「姉吉(あねよし)」に到着した。
最東端の岬というので、潮の香がするのかと思っていたが、どっこい完全に山中である。
山の中ですね。
いよいよ最先端の地に到着。そこで我々を待っていたものは。
クマが転がり出てくる道
バス停を降りると道案内の看板があるので指示にしたがい、誰もいない道を30分ほど歩く。この道は舗装されているので寂しささえクリアできれば問題ない。
そういえばバスの運転手さんは「このあたりはとにかくクマが出るから」と言っていた。クマの出かたとしては山の斜面をまちがって転がり落ちてくるパターンが多いらしい。運転手さんも運転しながら10回くらい転がり落ちてくるクマに遭遇したと言っていた。道の両側を見ると確かにクマを責められない感じの急な斜面である。
途中にあるこの看板を見落とすとたいへんなことになるので注意。
看板のとおりにしばらく歩くと集落が現れるが、お店や自動販売機はここにもこの先にも、もうずっと、取材を終えて宮古市街に帰るまでないのでそのつもりで来てほしい。
風の中になんとなく海のにおいが混ざっている気がしてきました。
海を目指して歩いていくと、遠くから僕とは逆方向に歩いてくるおじさんがいた。
「なにしととるの?」
おじさんは聞く。
「あなた、なにしとるの?」
最東端のトドヶ崎まで行きたいんです。
「どうして?歩くよ?1時間くらい歩くよ?」
そうみたいですよね。がんばります。
「ごくろうさん。とにかくまっすぐ行きなさい。途中で曲がり角があるけど、曲がったら帰ってこられないから、とにかくまっすぐ行きなさい。」
ありがとうございます。
まことにありがたいアドバイスである。この場面、どこかで経験したことがある、とぼんやり抱いた既視感を手繰りながら歩いていたのだけれど、たぶんドラクエかなにかだと思う。
バス停から30分ほど歩くとデイキャンプ場に着く。
車だとここまで来られます。繰り返しますが自販機等、カロリーを摂取できる設備はありません。
ここにはトイレと、近くに漁港があり、人の気配を感じる最後の場所である。
キャンプ場で養命酒の二人と岩沢さんと合流した。
あとこの人も。
養命酒のキャラ、ビンくんである。
ビンくんの登場と入れ替えにこの先僕がいなくなるが、ちゃんとどこかにいるので安心してほしい。
トドヶ崎へはここから山道を4キロほど歩く。
特に最初の500mで高さ方向に100m登るのだとか。
置いていかないでください、下が見えないんですよ。
道は徐々に狭くなり、左手には切り立った崖が、右手にははるか下方に海が見える。というわけで景色は絶景である。ただ、歩くとわりとしんどい。
全員すぐに無言になりました。
写真で伝わるだろうかこの斜度。
見下ろすとはるか遠くに海が見える。よくここまで登ってきたものだ。
トドヶ崎まで、距離的には約4キロなのだけれど、直線の4キロと山道の4キロとでは意味がまったく違う。大雨でも降ったらいつ川になるかわからない感じの沢みたいな場所もいくつか超えていく。
もうちょっと安心できる名前なかったかな。
途中で何度か雨が降ってきたが、深い森の中なのでほとんど濡れなかったです。
舗装された道は最初だけで、すぐに本気の岩が転がる山道に入る。ビンくんの足元は黒い地下足袋のため、クッション性がほぼない。そのためごりっとした岩の感触がダイレクトに足の裏に伝わってくる。
大地を感じられる仕様です。
ひたすら前を向き、歩くこと1時間。誰もが「もうあきらめようぜ」と思い始めたそのときである。
あと120mの看板が!
あ!
急に視界が開けた。波の音が聞こえる。ついに本州最東端の地に着いたのだ。
猿の惑星なら最後のシーンである。
到着、最東端の地
着いた。ここまでの道のりが長すぎたこともあり、正直ちょっと感動した。
もちろんここにも自販機なんかない。
ハードコアなタイプのインスタ映えである。
売店や休憩所、展望台などのチャラチャラした人寄せ設備は一切ない。私たちの先祖は長い時間をかけて海から陸へと上がってきました、そんな写真が容易に撮れる。
ただここが本当に最東端であることを示す碑というか巨大な岩にプレートが食い込んだやつだけは置いてある。
シンプル。
飾らないからこその迫力。後ろに見える大海原は太平洋、対岸はアメリカである。
そうだ、最先端の発表するんだった
ここまできた達成感で本来の目的を忘れかけていたが、僕たちはこの最先端の地で最先端スピーカーの発表をする、そのために来たのだ。
撮影担当の岩沢さんには机まで持ってきてもらいました。ありがとうございます!
今から考えたくないが、帰りも同じ道である。あまりのんびりもしていられない、さっそく式典の準備をはじめよう。
赤じゅうたんを敷きプレゼンデスクを設置、テープカットもするかと思いハサミも用意した。
スピーカーの設定はお願いしますね。
あとは養命酒カラーのモバイルバッテリーに本体を接続し、起動させたら準備完了である。
さあ最先端スピーカーよ、調子はどうだい!養命酒鳥山さんが意気揚々と話しかける。
「オーケー養命酒!」
「すみません、よく聞こえませんでした。」
オーケー、外だし風があるからこういうこともあるだろう。では佐熊さん、お願いします。
「オーケー養命酒!」
「設定を確認してください」
ちなみに写真に写っている赤いモバイルバッテリー「電源養命酒」は今回の発表会用に準備したものでプレゼントではないのだとか。
「………。」
「………。」
「オッケー!養命酒」
「有効なWiFiを探しています」
「………。」
このあと30分ほど設定画面と格闘したが、ついに最先端養命酒が僕たちと会話をすることはなかった。
いや、あながちなかったわけではない。
「オーケー養命酒!」
「設定を確認してください」
言ってしまえばこのやりとりも人類の大きな一歩なのではないか。ね、養命酒さん、そうでしょう?
なんて、気軽に言えない雰囲気ではありました。
本州最東端のトドヶ崎はあまりに人里から離れているため、携帯の電波がつながるにはつながるが、強度的にギリギリなのだ。一方、最先端のスピーカーはかなり頭がいいので、太い回線で天界とつながっている必要がある。最先端の技術が最先端の地で生かせなかった理由はこういうことのようだ。
しかしこんなこともあろうかと、実は初号機も持ってきた。初号機の機能は僕たちの声をただ繰り返すことである。言った通り、一言一句変えずに、繰り返す。
「オッケー養命酒!」
「オッケーヨウメイシュ!」
これは最先端の地で撮る意味があったんだろうか。
いや、強い気持ちで「あった」と言おう。なぜなら
ここでならば何を撮っても絵になるから、である。
風が暴れている
設定を確認したり初号機で遊んだりしているうちに、我々は自分たちを取り巻く状況が変化していることに気づいた。
風が、すごく強くなってきているのだ。
うっかりすると飛ばされそうなくらいである。
さすが遮るものがない最先端の地である、さっきハサミが飛んで行ったのを見て(飛ぶんだハサミ)って思った。ああいう形状のものすら飛ばす風である。風速何メートルとかそういう人が定めた基準には収まらない迫力がある。
しかしせっかく苦労してここまで来たのだ。せめてテープカットと機能説明だけでもしたい。
というわけで収録した映像がこちらです。
こんな踊り食いみたいなテープカットも初めて見ました。
現地では強風で何言ってるのか聞き取れなかったが、動画にしてみると養命酒鳥山さんがちゃんと最先端養命酒の説明をしているのがわかる。すごい、さすが担当者である。よく聞こえなかった人のために、最先端養命酒の機能をあげておく。
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どうだほしいだろう。ちなみに初号機もプレゼントである。ほしい人はキ
ャンペーンに応募してほしい。
べつにいいや、という人は欲しくなるまでこの記事を読み返してほしい。もしくは自分の足でトドヶ崎まで行ってみてほしい。
つり橋効果でほしくなるかもしれないから。
最先端、いいところでした
最先端の地で最先端スピーカーの発表を行った。いろいろあったが成し遂げた気分でいっぱいである。
この後、片付けをしてから同じ山道を通ってキャンプ場まで帰った。途中で灯台を管理している方と会ったのだけれど、その人がクマ鈴を持っているのを見て必死で着いて歩きました。