常陸丸事件 常陸丸事件(ひたちまるじけん)とは、日露戦争中の1904年(明治37年)6月15日に玄界灘を西航中の陸軍徴傭運送船3隻が、ロシア帝国海軍ウラジオストク巡洋艦隊(ウラジオ艦隊)所属の3隻の装甲巡洋艦、「ロシア(英語版、ロシア語版)」、「リューリク」および「グロモボーイ」によって相次いで攻撃され、降伏拒否などにより撃沈破された事件である。特に、陸軍徴傭運送船「常陸丸」(日本郵船、6,172トン)の喪失は日本の国内世論を憤激させ、連合艦隊、特に日本海の海上警備を担当していた上村彦之丞中将の第二艦隊に対して非難の声が向けられることとなり、第二艦隊は事件から2か月後の8月14日に起こった蔚山…