新渡戸稲造『武士道』などで説かれる「日本人」の「美しい」とされる生き方。
ちなみに"bushido"は外国でも知られる言葉である*1。
「武士道」は戦国が終わって江戸時代になって太平の世とともに、軍事的な緊張の弛緩した中で、実質的なものというよりも理想主義的な精神的倫理として成立した。主要なものは「武を本分とし勇敢さに最大の価値を置くこと」および、「主君、あるいはむしろお家に忠義をつくし、自己を顧みない」という点であった。これは武士の軍事的練度や緊張の弛緩という傾向と、「お家」を単位とした武士の世襲官僚化の実態が背景にある。やがて、これらの武士的倫理にくわえて朱子学的な為政者としての倫理として経世済民の思想も唱えられるようになった。この観点からは「お家」への忠義は相対化されることとなる。
明治になって、あたらしい国民的倫理の必要を考えた支配階級の中から、かつての為政者の倫理として武士道が想起され、やや変質した形で理想化されて論じられた。その代表的なものが新渡戸稲造の「武士道」であり、そこでは武士の倫理は「卑劣な行為を忌む義」「敢為堅忍としての勇」「惻隠の情たる仁」「礼儀作法」「信実としての誠」「名を惜しむ」「忠義」「克己」からなるとされた。
そこには必ずしも武士だけのものとはいえない朱子学的儒教倫理と近世当時にあっては一般的なものとはいえなかった「葉隠」的な観念的な過剰な忠義の倫理が混在していたが、以後、武士道はこの線で理解されることとなった。
当然ながら、現代の自称先進国の「人権」「近代」「民主主義」や、江戸時代の実際の儒教道徳、明治時代の「テンノーへーカバンザイ」、イスラーム、キリスト教、仏教などの宗教、常識、国家主義やマルクス主義などの世俗のイデオロギー、これらと同様、この「武士道」も社会の上部を固めるための幻想としての言説にすぎない。
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大和魂
*1:そもそも新渡戸稲造が執筆した「武士道」は英語版であり、初版は国外で出版され、それを翻訳した物が国内で出版されている「武士道」である。また、訳者は第三者であり、新渡戸自身は翻訳を行っていない