お登勢(おとせ、文政12年(1829年)頃 − 明治10年(1877年)9月7日)は、幕末期の寺田屋の女将。
大津で旅館を経営していた大本重兵衛の次女として生まれた。京都伏見の船宿である寺田屋第6代目の主人・寺田屋伊助の妻となったが、夫は放蕩者で経営を悪化させたうえ、酒を飲みすぎたために病に倒れて若死にし、以後は彼女が寺田屋の経営を取り仕切った。人の世話をすることが大好きだったことから、坂本龍馬をはじめとする幕府から睨まれていた尊皇攘夷派の志士たちを保護した。このため、幕府から一時は危険人物と見なされて、牢に入れかけられたこともある。
文久3年(1863年)、寺田屋事件が起きて薩摩藩士が斬り合いを行なった後、薩摩藩からの見舞金が入り、使用人に命じて即座に畳や襖を取り替えて、営業できるように整えたといわれている。その後は龍馬や尊皇攘夷の志士をたびたび匿ったといわれている。明治10年(1877年)、死去。
龍馬が彼女に宛てた手紙の多くは、彼女に頼み事や泣き草を聞いてもらうようなものが多い。