当時、大国だったロシア帝国(帝政ロシア)と、新興(と言えるほどですらなかった)大日本帝国の戦争。
19世紀末。日清戦争の結果、「眠れる獅子」と呼ばれた清帝国が実際には瀕死の病人だと理解した列強は、この世界に残された最後の空白地帯を帝国主義の原則に則って分割しようとした。
これに対して「扶清滅洋」を唱える義和団の乱が発生、各国はこれに対抗して清帝国領域内に派兵を行った。わけてもロシアは満州に大軍を送り込み、乱の終了後もそのまま駐留する構えを見せた。撤兵を行わないロシアに対し、当初は清が、さらには日本が交渉を行ったが、ロシア側は満州支配のみならず朝鮮半島北部(北緯39度線以北)も窺う勢いだった。
ロシアの進出を止められなければ日本そのものもいずれはロシアに占領されかねないと恐れた明治政府首脳は、10倍以上という国力差を考慮した上でもなお、開戦やむなしとの決断にいたった。
この間の経緯には当時ユーラシアにおいてトルコ、アフガニスタンなどでロシアとはげしく対立(グレート・ゲーム)していた大英帝国との同盟関係もおおきく作用していた。