江戸幕府の中枢、現在の皇居。 築城の名手、太田道灌によって築かれ、家康の関東入国後に徳川氏の居城となる。 徳川氏が天下人となったことで、威信を示すとともに政庁としての機能も果たすために大改築が行われた。
本丸の天守閣は明暦の大火によって焼失して再建されず。本丸自体は文久3年に焼失した状態で明治維新を迎えている。
東京都文京区にある「音羽(おとわ)」は文京区の西に位置し、 大塚、小日向、水道、関口、目白台と接する。 南北に細長く、最南端で神田川に接する。 江戸城の奥女中・音羽の土地 1681年(天和元年)、五代将軍徳川綱吉が護国寺を建設し、 その門前町として幕府に制定された町である。 しかし、当時はなかなか人が集まらず、 幕府は江戸城の奥女中である音羽にこの土地を与え、家を建てた。 これが地名の由来となり、 その後は、 江戸有数の岡場所(江戸時代の私娼屋(ししょうや)が集まった歓楽街)として反映した。 現在では閑静な住宅街で、 出版社である講談社や光文社、「音羽御殿」で知られる鳩山会館などがある。 音羽…
車いす城郭評論家が来城されることが分かり城内へのバリアフリー工事が急遽おこなわれる そんなわけないでしょう、車いす障害者様、たまたま修理中の時に行かれたけですよ (松本城にて2004年撮影) 「バリバラ」歴史バリリアフリー~難攻不落の「城」を攻略せよ については下記のNHKのサイトで紹介されています。 ☞歴史バリアフリー 〜難攻不落の「城」を攻略せよ〜 - バリバラ - NHK ☞アシトドのブログのメニュー画面 へ 〚歴史バリアフリー ~難攻不落の「城」を攻略せよ~〛に出演中の 車いす城郭評論家・アシトド松井 「車いす城郭評論家」はNHK公認の肩書です(公判維持に耐えうるような確かな根拠を示せ…
東京国際フォーラムといえば? 巨大アトリウムと狩装束の武士の銅像! ちょっとミスマッチな組み合わせでは (^^;; 正面玄関に鎮座するのは? 江戸城を築いた太田道灌の銅像 d(^_^o) そして、三代将軍家光時代の江戸城天守の模型 ! こちらが道灌が築いた江戸城の想定図。 家康が入城してからも、暫くこんな感じだった? 家康は城下町の整備を優先しましたから^^ 各地に太田道灌の銅像が建っているのは何故か? doukan.jp 東国の中世史の重要人物であるだけでなく・・・ 戦前の教科書に掲載されていた「山吹の里伝説」の影響が大きいと思われます。 ところ変わって新宿中央公園。 右に見えるのが東京都庁…
東京都千代田区にある「大手町(おおてまち)」は、 中央区(八重洲・日本橋本石町)との区境にあたる。 日本経済の中心地として、 南に隣接する「丸の内」とともに日本屈指のオフィス街を形成している。 大手門の前にある町 江戸城本丸大手門の前にあたる町というのが由来である。 「大手」とは城の正面、 表門のことを表すことから、大手門は江戸城本丸への正門を意味する。 江戸時代、「大手前」と呼ばれたこの地域には、 幕府の要職にある大名や親藩の上屋敷が建ち並んでいた。 1872年(明治5年)、「大手町」という町名が誕生した。 エキサイトブログの福助のブログ ランキング参加中毎日投稿がんばり隊 ランキング参加中…
東京都千代田区にある「半蔵門(はんぞうもん)」は、 江戸城(現在の皇居)にある門の1つで、城の西端に位置し、大手門とは正反対にあたる。 半蔵門・半蔵門駅周辺の呼称であるが、現在、町名にはなっていない。 服部半蔵に由来する 三重県北部・伊賀市上野の槍の名人・服部半蔵の人名に由来する。 徳川家康が江戸城に入る際、半蔵にこの門の警備を命じたという。 江戸城の門は、 大手門のような大門6、諸門60、二之曲輪くるわ外曲輪の半蔵門など26、 合計92門であったという。 東京メトロ半蔵門線「半蔵門駅」の所在地は千代田区麹町になる。 エキサイトブログの福助のブログ ランキング参加中毎日投稿がんばり隊 ランキン…
どうも、先日都内に用事があったのでついでに九段下から北の丸公園を散策してきました。 もう皇居や北の丸公園は数え切れないぐらい行ってますがやっぱり見飽きない。都内の史跡巡り先で困ったらとりあえず皇居周辺行けばOK。
先日、ぶらぶらと東京〜有楽町を歩いた際に見つけた「太田道灌」像。日本史に疎いので、誰それ?状態でしたが、展示物を読んでみると江戸城の元祖を築いた武将でした。
概要 富士見櫓 明暦の大火で天守が燃えたあと、天守の代わりに使われていたという「富士見櫓」です。以前はここまで近寄れなかったのですが、最近ここまで近寄って見ることができるようになりました。 天守台 明暦の大火の後、天守を再建すべく加賀藩前田家の普請で天守台が築かれたのですが、太平の世に天守は要らないということで台だけで上物は手を付けられなかったそうです。なんだか中途半端ですよね。 江戸城天守模型 以前は無かったのですが、ちょうど大奥があった場所に天守の模型が展示されています。設計図が残っているのだそうです。五重の天守、立派ですよね。 北桔橋門からの眺め 「江戸城」も今では日本の経済の中心東京都…
東京を旅するなら、どこへ行きますか? 東京都の人気観光名所をめぐる旅のルートをご紹介します。 ルート 東京都 皇居周辺 ~ 浅草周辺めぐり ① 皇居周辺・江戸城跡(2時間30分) → ② 浅草周辺・浅草寺(2時間) カッコの時間は移動を含む滞在時間の目安です。 本投稿内では時間の目安を表記しています。交通機関の乗り継ぎ、現地や道路の混み具合、歩行速度などにより誤差があります。 ① 江戸城跡(大手門・天守台・二重橋) 江戸城 大手門 江戸城には大手門の他に平川門・北桔橋門があります。大手門は大名が登城する際に正門として徳川時代に使用されていました。現在は東京駅から向かうと正面に位置するメインゲー…
ネタバレします。 冒頭の丑久保陶兵衛とその妻のエピソードが怖くて一番記憶に残ってしまった。 本書の熊菱という蘭方医に臨月の妻を診せたところ「すぐに産ませた方が良い」と言って薬を飲ませたが生まれる気配はなく妻は苦しみだした。 慌ててその医者は陰部を切り裂いて子供を引きずり出したというのだ。 それ以後その妻は子どもを産めぬと言われたうえ顔に痣ができ頭髪も抜けはじめた。 丑久保は恨みを晴らそうとしたがその蘭方医はどこかへ逃げてしまったのだ。 牛久保は手塚良仙に「同じ蘭方医の責任で妻の身体を元に戻せ」と無理難題をもちかけ「できないならその指を全部斬り落とす」と迫った。 出産のアクシデントは最も辛いこと…
朝ごはん pic.twitter.com/fWUa4ev7LW — たかの朱美 (@gohan_takano) 2024年12月15日 晩ごはん pic.twitter.com/LmihhH0YMW — たかの朱美 (@gohan_takano) 2024年12月16日 焼き芋🍠 pic.twitter.com/RVtfQyQ7Xq — たかの朱美 (@gohan_takano) 2024年12月16日 pic.twitter.com/56z1wuin4t — たかの朱美 (@gohan_takano) 2024年12月16日 皆さんのフォローとリポストが何よりの宣伝になりますので是非ポチッと…
大岡越前守:滴翠軒 1911年(明44)金正堂刊。袖珍講談文庫。 作者名の滴翠軒(てきすいけん)とは京都東本願寺に付属する庭園渉成園にある茶亭と同名であり、版元の都合で便宜的に使われた筆名ではないかと思われる。この本は、大阪の二つの版元(金正堂と文祥堂)が共同で刊行した袖珍講談文庫の一冊で、奥付の著作者名には講談文庫編輯部としか記されていない。 この頃には講談速記本から「書き講談」へと変化して行ったようで、口語体での書き言葉の使用も安定してきた。日清・日露の戦争での勝利を経験した日本人が国力への自信をつけ、「国家精神の涵養」を意図した偉人・賢人・豪傑・名将の事績をこのような講話本を通して学ぶ意…
日比谷公園20241108(東京都千代田区)大噴水を撮る撮影日時:2024:11:08 17:18:35 ISO感度:200 露出時間:30 (30/1) 秒 露光補正値:0 EV 絞り:f/16焦点距離:15 mm 皇居や丸の内に近い日比谷公園、江戸時代に大名屋敷が集まり、明治に入ってから陸軍練兵場だった場所を明治36年に造成された日本初の近代的西洋風の公園である。 日比谷公園は幕末までは松平肥前守をはじめとした大名屋敷があり、明治になってからは陸軍練兵場として使用されました。その後の市区改正設計(都市計画) において、政治・経済・文化の中心たる首都東京にふさわしい、近代的な公園の誕生が強く…
こんにちは。今回は紅葉を観ながらの『皇居』周辺散策のご紹介です。散策したのは11月下旬。今年は秋口に暑い日が続いたことで、皇居周辺の紅葉も若干遅れているとの情報もありましたが、感覚的にはほぼ例年通りのタイミングで色づいていました。 北の丸公園入口・代官町ランプ付近 「乾濠小公園」前の首都高速道路・代官町ランプ付近。道路の向こう側は「北の丸公園」です。今回の散策はここからスタート! 「森の調べ」 籠瀬満夫 作 「乾濠小公園」に設置されたパブリックアート。”勇気と力技と健康を競う人々を楽奏により迎えたたえる乙女”と石板にありますが、これは武道館で競う人や皇居ランナーに対して笛を吹いて讃えているんで…
2024年更新 下田の爪木崎で2024年12月20日(金)~2025年1月31日(金)まで第59回(令和6年度)水仙まつり開催予定 300万本の水仙 爪木崎の駐車場などの基本情報 地図 近隣からのアクセスと駐車場 公式情報 ※2023年情報 下田の爪木崎で2024年12月20日(金)~2025年1月31日(金)まで第59回(令和6年度)水仙まつり開催予定 300万本の水仙 第59回(令和6年度)下田水仙まつり 第59回(令和6年度)下田水仙まつり.2 300万本のざわめき 香りの絶景みさき水仙 須崎半島の景勝地「爪木崎」には野水仙の群生地があり、ピーク時には300万本もの水仙が甘い香りを漂わせ…
まさか、市川崑監督が「忠臣蔵」を撮るとは! しかも、テレビでそれまで放送されてきたような「忠臣蔵」とは異なった視点から描いたもんだから吃驚! ほぼ「忠義」の要素を排した「赤穂浪士と吉良・上杉両家との知略・謀略戦」なもんだから、映画公開当時、まだ若かった私には全く"ノレない"ものだった。( ̄∇ ̄;) でも、今見たら凄く面白くて、其処彼処に「市川崑監督の映画」だと思わせるカットと色使いが鏤められているもんだから、特に今の時期は無性に観たくなる!
この週は「江戸城 富士見櫓」「高取城跡 太鼓櫓跡・新櫓跡」「書写山ロープウェイ」「三草陣屋跡 旧尾崎家住宅」の4点。 この週は報酬額を表す棒グラフが突出している! 江戸城が6.6ドル、高取城跡と書写山ロープウェイがそれぞれ3.3ドル。 一週間だけで報酬額の総額が、10ドルを超えるのは初めてじゃないかな。 今週の1枚は、「江戸城 富士見櫓」の写真。 確か東京で2日間の研修を受けた時に、もう1泊して翌日に江戸城見学に行ったっけ。 またゆっくりと見学したいなぁ~。 #Adobe Stock #江戸城 #富士見櫓 #高取城跡 #書写山ロープウェイ #旧尾崎家住宅
お越しいただきありがとうございます。 先日、皇居の北の丸公園に出かけてきました。 その日は「乾門の通り抜け」が行われていて その流れで少し人が多かったです 美しく紅葉した樹々の中で 鳥の声や木洩れ日を楽しみました 地下鉄の竹橋駅を出ると、 ドーンと毎日新聞社のパレスサイドビル円筒ホールが見えます (地上9階と塔屋3階、地下6階建て) 中に入るとそこはエレベーターホール 円筒の壁に沿ってぐるりとエレベーターが20台並んでいます ちょいと恥ずかしいけど写真撮りました(笑) 真ん中にあるボタンを押すとエレベーターがやって来ます さて、トイレを借りて、 地下の商業施設へ移動 ファミマでサンドイッチを買…
実は、明治神宮の中に入ったことない。実は、いつも明治神宮行きたいなと、思っていくのだけど、明治神宮わからなくて帰ってきたり、明治神宮の入り口見つけていくのだけど、怖くてすぐ帰ってくる。乃木神社と構造似ている。実は実は、メモに明治神宮の森に保険かけるとしたけど。そしたら、ここ2択ではないね。本当にゾッとするね。茨城県みたく、公園少なくして住宅にすればという地域ではないね。しかも、開発したらゾッとするね。これは、ホラー百貨店という、映画が出そうなほどだよね。裏口あって、明治神宮の奥に、連れて行かれるような。怪我の巧妙かもしれないけど、自然があるから怖いではないねこれ。どうやって、この恐ろしさを無く…
ふ坂元裕二の朗読劇のチケット取れたので5年8ヶ月ぶりに東京に行ってきました。せっかくなら東京観光したいなと思ってね。 観劇の記録はこちら。 cho-ko.hatenadiary.org お久しぶり、東京駅!丸の内駅舎何度見ても好きだなあ。とりま午前中は皇居観光に行く。行幸通りの銀杏がとても美しかった。テクテク歩いていくと皇居ランナーにすれ違う。結構いるんですね。 まずは皇居外苑へ行く。二重橋の前は観光客が集まっていた。桜田門に到着。ここか、ここがかの有名な桜田門外の変の現場か!せっかく行くなら歴史が動いた現場を見てみたかったのよね。ぎゅいーんと歩いて皇居東御苑へ向かう。広いね、皇居。大手門目指…
ビザンツ帝国、またの名を東ローマ帝国と呼ぶその国は、かつて地中海世界の全てを支配していた人類最高の帝国、ローマの残滓とも言える存在であった。 4世紀のゲルマン民族の大移動により混乱に陥ったローマ帝国は、その100年後にローマを中心とした西ローマ帝国が滅亡。コンスタンティノープルを中心とした東ローマ帝国はその後も長く生き存える続けるものの、ユスティニアヌス大帝の時代のわずかな領土回復の瞬間を除けば、殆どが異教徒と異民族たちによる侵攻、そして繰り返される内乱による領土の縮小と衰退の一途を辿り続けていた。 言わば、ビザンツ帝国とは、敗北し続けるだけの鈍重な巨象であった。 しかし、この運命に抗う姿勢を…
本書は2003年に「忠臣蔵のことが面白いほどわかる本」と題して出版されたものを、加筆修正して2017年に再版した赤穂事件の歴史的考察。筆者の山本博文氏は、東京大学史料編纂所教授。 「仮名手本忠臣蔵」はじめ多くの戯曲・映画・小説・ドラマ等で扱われたテーマであり、俗説と史実が入り混じって伝えられてしまった。筆者はできる限り一次資料(*1)によって、浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた松の廊下の事件から、吉良邸討ち入り後の浪士の処分に至る2年ほどの歴史を再構成し、ポイントを新書版にまとめている。 刃傷事件は、1701年に起きた。徳川の天下が固まって1世紀近く、大きな騒動も無くなっていて、侍が刀を抜くこ…
今回は、中山道の一番最初の宿場であった「板橋宿」を散策します。 板橋宿という名は総称で、実際には上宿・中宿・平尾宿の三宿が並んでいたそうです。宿場町というのは人足や荷馬車を常備した公設の貨物ターミナルのようなものだったそうで、人足が寝泊まりして働くことから「宿場町」と呼ばれるようになったもので、平尾宿は中山道沿いの農作物が集められていたそうです。この追分というのは分岐点のことで、ここで中山道と川越街道が分かれていた。但し、川越街道は江戸城の兵糧を生産する大切な場所であったため、川越藩主以外の大名の通行が禁じられていたそうです。 現在の平尾追分。板橋郵便局前交差点 板橋宿の入口(平尾追分)。現在…
白「相手は人間なのか。じゃあ 吹っ飛ばせないな」うーん。 杜和「構いませんわ私が許可致します」真顔っ 家康「うん。自我が無い人達にそれやっちゃダメだからね私が許しませんって。」 杜和「だって! 兄様が持って逃げろと 私に投げて託されたこの箱っ!! コレを奪いに来てるので御座いましょ!?絶対渡しませんわ あれから兄様も音信不通だと言うのにっ あああ!ご無事でいらしてっ!!」うわーん 彬羽「どうにか出来ないのか?」 晴明「年期の入った特盛の呪いじゃのう。こら私でも時間がかかるぞ」 小太郎「うわー。壺の蓋に『封』って書いてる解りやすいなあ」わおんっ 粋「コレ お前の鬼切でいけねえ?」 シロ「どうだ?…