
1972年に内閣総理大臣に就任した田中角栄。日中国交を回復するなど、その政治的手腕は高く評価された。74年にいわゆる「田中金脈問題」が原因で辞職。その後、ロッキード事件が発覚する
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Text by Mikio Haruna
戦後の日本に大きな衝撃を与えながら、謎多かったこの事件の真相がついに明らかになった。事件の「黒幕」に国際ジャーナリストの春名幹男氏が肉迫する過程を、新著『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』より抜粋で紹介しよう。
田中がアメリカに嫌われた真の理由を明らかにする
日本人の心に、強烈な印象を残した田中角栄(たなかかくえい)。ロッキード事件で、逮捕・起訴され、一、二審で実刑判決を受けて政治生命を絶たれ、病にも倒れて、鬼籍に入った。
しかし、この事件には、未解明の重大な疑問が残されている。

ロッキード事件で有罪判決を受けた後、東京地裁を後にする田中角栄元首相(中央)。1983年撮影
Photo: Bettmann / Getty Images
当時、ほとんどの日本人は田中が現職の首相時代に犯した犯罪だから、田中が「巨悪」だと受け止めていた。だが、本当の巨悪は他にいて、断罪されないままになっているのだ。
戦後最悪の国際的疑獄となった、この事件。昭和から平成、さらに令和の時代を迎えた今も、真相を紡げないまま、歴史のかなたに葬ってしまっていいのか、と痛切に感じる。
田中角栄の逮捕から40年たった2016年、田中に関する書籍や記事、テレビ番組が相次ぎ、角栄ブームにもなった。かつての政敵の一人、石原慎太郎(いしはらしんたろう)が著した小説『天才』(幻冬舎)やNHKスペシャルなど、ドキュメンタリー番組も話題になった。
その中で、朝日新聞編集委員の奥山俊宏(おくやまとしひろ)が書いた『秘密解除 ロッキード事件』(岩波書店)は、新しい取材に挑戦し、米国の公開文書を系統的に点検していた(1)。
この本が出版された時、私はひやっとした。
正直に打ち明けると、私は同じテーマで、彼に先駆けて、2005年から取材を開始し、関係文書を大量に入手していた。その中には、奥山に先に報道された文書もある。だが、まだ私の取材は全部終わっていなかった。先に出版されてしまえば、それまでの長年にわたる取材が無に帰してしまう、と恐れていた。
案の定、彼の本が先に出版された。親切にも彼は著書を贈ってくれたので、慌てて読んだ。意外にも、私の心配は杞憂(きゆう)だった。
キッシンジャーが角栄を嫌った理由を突き止めた
彼が、アメリカの公文書を取材した意義は大きい。しかし、多くの未解明の疑問に対する答えを出していなかった。この著書の副題「田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか」という問いは、疑問符のまま残されている。
「キッシンジャーは、政策ではなく、その人格の側面から田中を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っており、その意味で田中は米国の『虎の尾』を踏んでいたと言える」と奥山は書いている(2)。しかし、真相はそんなことではなかった。
ロッキード事件は、第一段階で田中首相在任時の日米関係、第二段階で事件発覚から捜査、裁判に至る経緯、と二つの段階から成り立っている。これまで、二つの段階の間に重大な因果関係があったことを解き明かした著作はなかった。それを解明することによって、初めて事件の真相が見えた。つまり、田中が政治的に葬られた理由は彼の外交にあったのだ。

『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』
春名幹男著 KADOKAWA
田中角栄はなぜ逮捕されたのか? その理由は「角栄の外交」に隠されていた。インテリジェンスの機微を知り尽くした国際ジャーナリストが15年に及ぶ取材をもとに、数々の陰謀説を徹底検証し、初めて真の「巨悪」の正体に迫る。
Tanaka文書の経緯を逐一追う
次々と出版された類書から大幅に遅れながら、あえて拙著『ロッキード疑獄』を上梓(じょうし)したのは、ロッキード事件の新しい歴史を刻むことができたと考えたからだ。
事件解明の最大の壁は、事件が「アメリカ発」であり、米国政府から捜査資料を入手しなければ、捜査は不可能という現実だった。捜査資料とは、全部で5万2000ページ以上、ロッキード社が保管していた秘密文書のことだ(3)。最終的に、東京地検特捜部が入手したのは、そのうち2860ページだった(4)。
本書では、これらの文書が辿った複雑な道のりと関連の動きを、逐一、丹念に追うことによって真相を追究する手法を取った。田中の運命を決したこれらの文書は、どのような経緯で東京地検特捜部にたどり着いたのか。
これらの文書は、田中や丸紅、全日空両社の首脳らの逮捕、起訴、裁判の過程で、活用された。
巨悪の正体
しかし、アメリカは田中関係の文書とは対照的に、「巨悪」に関する情報の公開を阻んでいる。
「巨悪」は訴追を免れたが、その全体像は、ロッキード事件の三年後に発覚したダグラス・グラマン事件も含めた取材で、浮かび上がった。
その正体とは、どんな人たちなのか。
アメリカでは、彼らを生き返らせて、表舞台に復帰させた「フィクサー」らが暗躍した。その後ろ盾に、米国の軍部と軍需産業から成る軍産複合体が控えていた。
東西冷戦の激化で、アメリカは日本を「反共の砦」として、経済的に繁栄させるため、これらの元戦犯容疑者たちを復活させた。
日米安全保障体制を強化するため、アメリカは1950年代以降、自衛隊に高価な米国製の武器・装備を導入させた。その「利権」を分け合った日米の黒いネットワークが露呈したのが、ダグラス・グラマン事件であり、ロッキード事件だったのだ。
事件の主役は、日米安保関係の根幹に巣くう人脈であり、彼らを「巨悪」として訴追すれば、安保体制は大きく揺らぐところだった。
「巨悪」のグループには、米国の軍産複合体のほか、米中央情報局(CIA)も含まれている。日本の元戦犯容疑者たちは、CIAの協力者としても暗躍したのである。
陰謀説の真贋
本書は、新たな陰謀説を紹介したものでは決してない。ロッキード事件をめぐる日米関係全体の歴史を記している。だが、今なお幅を利かせているのは、陰謀論だ。重大な疑問が残されたままになっているので、安易な陰謀論が受け入れられやすい。
だから本書では、今も流布するいくたの陰謀説を徹底調査し、その真贋を突き止め、証拠を挙げて、真実を明らかにする。
主な陰謀説は次の五つだ。
「誤配説」=ロッキード社の文書が、事件を最初に暴いた米国上院外交委員会多国籍企業小委員会の事務局に誤って配達されたため、事件が発覚した。
▼陰謀説2
「ニクソンの陰謀」=米国のニクソン大統領は、ロッキード社製旅客機L1011トライスターの購入を田中に求め、同意した田中を嵌(は)めた。
▼陰謀説3
「三木の陰謀」=三木武夫(みきたけお)首相が政敵、田中角栄前首相の事件を強引に追及した。
▼陰謀説4
「資源外交説」=日本独自の資源供給ルートを確立するため、田中が積極的な「資源外交」を展開、米国の虎の尾を踏んだ。
▼陰謀説5
「キッシンジャーの陰謀」=田中角栄に近かった石井一(いしいはじめ)元国土庁長官が、伝聞情報などを基に著書に記した(6)。
日本で最初に陰謀説1を報じたのは、毎日新聞だった(7)。元同紙社会部長は、文庫本として2012年に出版された『毎日新聞社会部』(河出書房新社)で「ロッキード事件はアメリカの謀略の様相は濃く、普通のスクープのようなわけにいかない」と、「謀略」の真相解明の難しさを記している(8)。
陰謀説4は、田原総一朗(たはらそういちろう)の『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄(9)』(『中央公論』1976年7月号)が火を付けた。政治学者・新川敏光(しんかわとしみつ)は、どの陰謀論も源泉は「田原総一朗の『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄』」だと主張している(10)。
いずれの陰謀説も、一見しただけでは興味深い。問題は、どの説も「陰謀の首謀者」が田中逮捕につながる捜査にどのように関与したか、証拠を挙げて確認していないことだ。
陰謀説の真偽も、今回すべて明らかにした。
1 奥山俊宏『秘密解除 ロッキード事件』、岩波書店、2016年
2 同、278頁
3 National Archives(NA), RG21 Districts Courts of the United States for the District of Columbia, MISC 75-0189, SEC v. Lockheed Aircraft Corp. – Vol & 1trans. Box11
4 堀田力『壁を破って進め』上、講談社、1999年、127頁
5 同、129~137頁
6 石井一『冤罪』、産経新聞出版、2016年、118~119頁など
7 1976年2月6日付毎日新聞一面「新証拠、更に暴露も ロ社の秘密書類詰めて 昨年夏、小委に小包届く」
8 山本祐司『毎日新聞社会部』、河出書房新社、465頁「文庫版あとがき」
9 田原総一朗「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」『中央公論』1976年7月号、160~180頁
10 新川敏光『田中角栄』、ミネルヴァ書房、2018年、229~235頁
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PROFILE
Text by Mikio Haruna 春名幹男
国際ジャーナリスト。1946年、京都市生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学)卒業。共同通信社入社。ニューヨーク特派員、ワシントン特派員と支局長、特別編集委員などを歴任。在米報道12年。1994年度ボーン・上田記念国際記者賞、2004年度日本記者クラブ賞受賞。07~12年名古屋大学大学院教授・特任教授、10~17年早稲田大学大学院客員教授。外務省「いわゆる『密約』問題に関する有識者委員会」委員を務めた。専門は日米関係、インテリジェンス、核問題。『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『秘密のファイル』上下(共同通信社)、『仮面の日米同盟』(文芸春秋)など著書多数。