達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

博論提出直前にやること

 最近の二回の記事で、学生生活の長いスパンでの振り返りをしたのですが、博論提出直前の時期にやることが色々あって、かなりばたばたしたので、誰かのお役に立てればと思ってTipsを残しておきます。

 特に私は研究室を離れており、気軽に訊ける先輩が身近にいなかったので(今思えば連絡して色々尋ねればよかったのですが)、ぎりぎりで焦ることも多かったです。もちろん、先生に尋ねてみるのが確実だと思います。

 以下の内容は、あくまで、2024年度の京大文学研究科の場合ということでご承知おきください。

試問の前後にやること(そのうち忘れがちなもの)

  • 博論提出~試問前
    • 12月上旬に提出しました。色々な都合から、単位取得退学後に出すのではなく、博士課程が終わると同時に出したかったからです。研究公正チュートリアルや、ウェブシステム上での研究報告書の提出など、ここに至るまでにやるべき手続きも色々あるので、気を付けてください。
    • この時点では、自分で印刷して、手製の製本で綴じたものを3部提出しました(生協に、熱で溶かしてくるみ製本する機械が置いてあり、そのための表紙カバーも売っています)。履歴書・レポジトリ公開関連の書類など、他にもいくつか提出すべき書類があります。全部事務を経由して提出するので、遅れたので先生に直接持って行く……とかはできません。
    • 製本の際、冒頭に研究公正誓約書を入れて、署名するのを忘れないようにしましょう。
    • ちなみに博論提出に至るまでは、博論の構成や内容について、指導教官と年に一~二回相談しました。人によってはもっと多かったり、少なかったりするでしょうが、できればこまめに指導を仰ぐ方がよいでしょう。
  • 試問後
    • 2月中旬に試問、3月上旬に上製本の提出というスケジュールでした。
    • 博論提出後に博論の内容を修正することは原則的にはできないですが、現実的には、論旨に影響しない細かなミスを修正する必要があったりします。この間の期間で多少の修正が必要という前提でいた方がよいでしょう。
    • 3月上旬には、図書館に入れる用に、博論の上製本(ハードカバー)の提出が求められます。てっきりくるみ製本でいいと思っていたので(図書館に入っているくるみ製本の本もたくさんありますから)、うっかりしていました。
    • 上製本を製本会社に依頼する場合、色々と制約がかかる場合があるので気を付けましょう。日数も、混みあう時期なので一週間以上かかるケースがあります。
      • 私の分野で多いのは、タイトルや名前に珍しい漢字が使われていて、ハードカバーに文字を彫り付ける際に必要になる活字が無い、というケースです。
      • 活字が無い場合、キンコーズなどの大手では印刷を断られることがあり、活字を作って製本してくれる会社を探す必要があります。
      • 私もこの状況に陥っていたのですが、「どんな文字でもPDFで入稿すればハードカバーに文字を載せられる」という製本会社を見つけて何とかなりました(https://www.lbs-hs.co.jp/)。この会社、納品もやたら早く、「混みあう時期だから遅れる」的なことも無いらしく、その割に値段は他と変わらないので、おススメです。(その代わり、PDF入稿からそのまま自動的に印刷に回されるので、致命的なミスがあってもそのまま印刷されることになります。たとえば、入稿の際のチェックボックスに「片面印刷」と「両面印刷」がありますが、これを間違えていたとしても、特に確認は無くそのまま印刷されて郵送されてくることになります。)
      • 結局は、早くて便利なところにもデメリットはあるし、事前に考えておくことが大切ということです。1月中に、一回製本会社に打診しておくと無難でしょう。予約や細かな相談に乗ってくれるところもあると思います。
      • 上製本でも、冒頭に研究公正誓約書を入れておくのを忘れないようにしましょう。高い値段がしますから忘れると悲惨です。サインは納品されてから直接書けば良いでしょう。
      • 私の場合、2月中旬に試問→3月上旬に最後の提出だったので、上製本の製本日数には肝を冷やしました。上の会社が見つかって良かったです。ちなみに、くるみ製本なら、たとえばキンコーズなら10冊程度頼む分には数時間で納品してくれます。
    • 上製本の提出は、郵送でもオッケーです。その場合、要約と全文データはメールなどで送付することになります。

おまけ~博論原稿のPDF化~

 もう一つ、私の場合に面倒だったのは、完成原稿のPDFファイルの扱いです。というのも、私は縦書き原稿で、Wordだとあまりきれいに出ないので(細かくこだわらないならWordでもいいですが)、「一太郎」という日本語ワープロソフトを使っていたからです。

 「一太郎」なんて聞いたの何年ぶりだよ……という方もいらっしゃるかもしれませんが、いまだに、日本語で原稿を書いて印刷するなら、最高峰のソフトだと思います。ルビ・禁則処理・インデント・縦中横などはもちろん、フォントが違う場合に微妙に上下左右にズレる字を単体で修正するとか、そういうこともできます。出版社なら「Indesign」を使うのでしょうし、たぶんその方が便利ですが、買い切りプランが無く、個人で使い続けるには値段が高すぎるのが難点です。

 私はやったのはこういう方法です。

  1. Visual Studio Codeでマークダウン式で原稿を書く(参照:Visual Studio Codeで文系論文を書きたい - 達而録Visual Studio Codeでの旧字体・新字体変換 - 達而録
  2. それをコピーして、google documentで「マークダウンから貼り付け」→「docx形式で保存」することでワード形式のファイルにする
  3. これを「一太郎」で読み込む
  4. 一太郎」で、Wordが勝手に設定したスタイルを全部剥がす
  5. 一太郎」で統一したスタイルにセットする

 ②の手順を挟む必要があるのは、一太郎がマークダウン形式に対応しておらず、注釈がうまく入ってくれないからです(マークダウンをdocxに変換するVSCodeプラグインがあるのは知っていますが、自分はこうやってます)。一太郎はdocxファイルなら一応読み込んでくれるので、これで注釈の属性だけを入れてから、他の不要なWordの設定は全部削除するイメージです。

 多分、こんなやり方で印刷用のPDFファイルを作ったのは史上初だと思いますが(なにせgoogle documentでマークダウン形式の変換が可能になったのが最近ですから)、本自体は綺麗に仕上がったので満足しています。複雑そうに見えて、やることはコピペで済みますから、見かけほど大変なわけではありません。

 ただ、「一太郎」は文章量が多いと重くなるのと、私が各章別に注釈を作りたかったということがあり、各章を分けて別々のファイルとして作成し、ページ数が連番になるように調整するという方法を採りました。その結果、表紙+背表紙+7章+序論・結論・参考文献で計12のPDFファイルに分割されるということになりました。

 一太郎で出力するPDFファイルはサイズが大きめで(これは私の使っているバージョンが古いからかもしれません)、ネット上のサービスでPDFを結合する時に色々と不都合が大きく、一回各ファイルを縮小して、それを結合して……と、なかなか面倒でした。本提出の際だけではなく、キンコーズにくるみ製本を依頼する時にも、本文のデータが分かれていると手数料が高くなるので、結合した方がいいです。

 また、最終提出の段で、使うファイルが一つに統一されないというのも面倒なところです。なぜかと言うと、

  1. 上製本→表紙・裏表紙・本文の三つに分かれたデータ(私が依頼した会社の場合)を入稿。誓約書はサイン前のもの。
  2. 事務に送る本文データ→表紙・誓約書(サイン済)・本文をまとめたデータを送付。

 などと求められるファイルが微妙に違ったりするからです。他に個人的に人に渡す用に印刷する本があったりすると、また変わってくるかもしれません。

 私の場合は、結局は文章ファイルなので大変といってもたかが知れていますが、画像をふんだんに使う場合だと、また大変なことが増えると思います。早めの準備が大切です。

(棋客)

文学部の修士課程~博士課程の7年間を振り返る(研究編)

 前回、研究するための環境面について振り返りを書きました。今回は、研究内容について、どの時期にどういうことをやっていたか書いていきます。なんとなくアドバイスっぽいことも書いていきます。専門的な内容になりますが、中国古典分野の研究をしたい人なら、参考になるかもしれません。

 一回生の頃は、第二外国語で中国語を取っていましたが、特に漢文の勉強をしたことはありませんでした。二回生の時、中国哲学史・東洋史の講義・講読に出て、漢文を読み始めることになりました。詳しい動機は覚えていませんが、漢文を読んでみると何だか楽しかったので、自然と続けることになりました。

 将来専門に研究することを考えるのなら、学部生の内に漢文に慣れ親しんでおくことは重要でしょう。特に、①中国語で音読すること、②辞書に詳しくなること、③出典を一通り調べられるようになること、を意識すると良いと思います。もちろん、中国語の学習も早いに越したことはないです。

 とは言いつつ、特に日本語話者の場合、漢字に慣れている分、漢文を学ぶのがもともと「有利」な側面はあります。いつになってからでも、勉強したくなったらぜひ飛び込んでみてくださいね。

卒業論文

 卒論は、後漢に書かれた独特な書物である王充『論衡』について書きました。特に王充が司馬遷史記』をどう読んだか、また司馬遷をどうとらえたか、をテーマに論じました。この時の査読でもらった言葉は、ポジティブなものもネガティブなものも、どちらも今でもとても励みになっています。

 確か、王充に出会う前は、中華の異民族政策をテーマにしたいと考えていました。たぶん、ナショナリズムへの疑問からこういう興味が湧いていたのだと思います。王充は王充で、儒教的な価値観への反発が見られる人とされることがあり(実際にそう言えるかは別問題ですが)、20世紀の唯物主義の流れの中で高評価を受けた人でもあります。なんとなく、反権力的な匂いのするところに引き寄せられていたんでしょうね。

 さて、一般論として、卒論では、先行研究を踏まえているかどうかよりも、①自分なりの明確な「問い」を立てて、②その解決のための「方法」を示し、③それを実践して「結論」を出す、という論文の基本をしっかり意識すると良いと思います。

修士論文

 博士まで進みたいとぼんやり考えており、修士の段階から、到底ネタ切れにはなりそうにもない、大きなものをテーマにしたいと考えました。そこで、伝統的な学問の中でいわゆる「正統」とされてきたど真ん中をやろうと思い、『五経正義』をやることにしました。『論衡』は面白い書物なのですが、きちんとした版本がないということもあり、博論でやるのは心もとないような気がしていました*1

 とにかく原典を読もうということで、『五経正義』を丁寧に読み、少しでも疑問に感じた点をカードにまとめてメモしていきました。修士論文に限らず、博士に入ってから発表した論文も、この頃に書き溜めておいたメモからできたものがほとんどです。

 修士論文の研究では、先行研究をきちんと踏まえていること、整理していることが求められてきます。おすすめは、「信頼できる文献をざっと見渡して、内容を整理し、現在の課題の急所を掴む」作業を、専門以外の分野でもある程度できるように練習することです。たとえば、「現在のパレスチナ情勢に至る経緯について」、「フェミニズムセックスワーク」など、さまざまなテーマでやってみましょう。(私の場合はWikipedia執筆で自然とこの方法を学ぶことになりました。)

 さて、修士論文自体については、今思えば、『五経正義』を全部やるという心構えではなく、『五経正義』の中から部分的に面白いと感じるところを深めていって、そこから論文につなげていく方が良かったと思います。ただ、この時は『五経正義』全体をテーマにすることにこだわっていたので、全体を論じられるようなテーマとして、『五経正義』の「編纂」に焦点を当てることになりました。結果として、博論の一部には組み込めたのですが、博論の「核」と言えるものにはならなかったので、博論の構想はまた別で立てる必要が出てきました。

 修士論文の時には、博士に進むということで、少し肩の力が入って、「大きいテーマの結論を出そう」みたいな感覚があったんだと思います。そうではなくて、漢文を読解することから出てきた素直な疑問から、研究を深めていくような方向性を意識すると良かったように思います。

博士論文

 そういうわけで、修士論文はやりたいことをできたというわけではなかったので、とにかく自分が考えたことをしっかり書き切れるような博論にしたいと考えました。もともとは『五経正義』や義疏だけで博論にするつもりでしたが、全体の骨格を考えると、後漢の鄭玄から始めると全体の筋を通すことができそうでした(このあたりは指導教員とよく話し合いました)。そこで、まず正面から鄭玄から取り組みつつ、個別のトピックで面白そうなものを南北朝経学から探していき、全体でつなげていく、という感じで研究を進めました。後者については修士の時の蓄積で目星がついていたのが大きかったです。

 鄭玄となると経学の代表選手ですから、先行研究も膨大にあります。卒論の査読で、文章の分かりやすさ、情報整理の上手さを評価されたので、むしろ先行研究がややこしく、込み入っているぐらいの方が強みを活かせるかもしれないとも思いました。

 先行研究の整理・批判の際に注意するべきことは、その研究の方法論や、無意識下で研究の前提とされている事柄、また全体の論旨を支える重要な具体例を批判すること、つまりはクリティカルな批判をきちんと示すということです。そのためにすべきことは、原則としては、一つ一つの研究をきちんと読むことに尽きます。ただ、学会の議論を収録した文章や、研究の方法論やロジックを追求した専門書を読んで、方法論を議論することに慣れるのも有効だと思います。

 私の場合は、博論ならある程度分量をしっかり書けるので、まずはとにかく自分が言いたいことを書き切ることを心掛けました。そして、中国古典の研究としてどうか、先行研究にない新しいことを言えているかといったことは、そこから一歩離れて、「自分の言いたいこと」を客観的に評価し、その意義を考えていくという方向でやってみました。これがいい方法なのかは分かりませんが、こういう方法もあるということです。

 博士課程の時には、学会での発表や、査読誌への論文投稿を積極的にすべし、とされます。ただ、私はあまりできなかったです。コロナと重なっていたというのもありますし、出不精で人前に出るのが苦手ということもあります。学会発表は、業績や人脈から考えればやるべきですし、すごくいい助言をもらえて資料を丁寧に送ってもらえたという話を聞いたこともあります(もらえないこともあります)。論文投稿は有益な査読意見をもらえます(もらえないこともあります)。まあ、いろいろなケースがありますが、どちらも積極的にやるに越したことはないでしょう。

 しかし、業績主義になって自分を追い込むのも危険です。同世代で業績をたくさん出している人を見てへこむ、焦る、嫉妬する、といった話もよく聞きます。たまたま私の場合は、同世代で業績をたくさん出している人を見ても、「すごいなあ」と思って終わりで、あまりそういう焦りを覚えることはなかったです。こういう気の持ちようを自然とできるのは、かなりの特技(?)なのだと友人に教えてもらいました。こういう私の特性が、分かりやすい成果の出ないこの分野の研究に向いているという面はあるかもしれません。

 雑にまとめると、自分のことをよく把握して、自分と上手く付き合っていく方法を見つけるのが大事です(言うは易しですが…)。大学の相談室やカウンセラーや外部の支援など、さまざまな手助けを借りていくことも大切です。私も文学部の相談室にはお世話になりました。

 さて、本題に戻って、これからの研究をどうするのか、についてははっきりした展望を持てていないです。ぼんやりやりたいこと自体は浮かんでいるのですが、いわゆる「研究」のパッケージにできるかどうかが分からない、という感じです。手堅く「研究」を進めつつ、他に書きたいことはこのブログに書くという、ここ数年の形をしばらくは続けることになるのかもしれませんが、もう一歩踏み出したいところではあります。

(棋客)

*1:いま考えても、やれないことはないと思いますが、『論衡』一本で博論全部をやるのはあまりお勧めしません。博論の中の一つに『論衡』ならいいと思いますが。

文学部の修士課程~博士課程の7年間を振り返る(環境編)

 先日、博士課程を終えて、博士号申請論文を提出しました。タイトルの通り、文学部で院進したブログ著者の修士課程~博士課程の7年間を、まずは研究環境の面から振り返ります。中に書かれている情報は古いものが多いと思うので、ご注意ください。

 もともと、学部生の時には就活も少ししていて、院進一本で考えていたわけではありません。ただ、漢文を読むのが単純に好きで、このまま自分の研究を続けてみたいという気持ちが強くなって、思い切って修士課程に進みました。研究室の環境的に、ばりばり研究をしている博士課程の学生が身近にいて、自然とあこがれを抱いたというのも大きいです。

M1:2018年

 卒論とは少し異なる方向でテーマを立てたので、一から勉強することが多かったと記憶しています。私の所属する研究室が、人数は少ないながらとても活発だった時期で、研究の手助けをしてくれる先輩が多かったし、読書会・勉強会もしょっちゅう開かれていました。既にばりばり研究をしている人からすれば、私と一緒に漢文を読んでもさして身になることはなかったと思うのですが、いつもこちらから誘って(まずこっちから誘えるという関係が素晴らしい)、気軽にもらえたので感謝しかないです。

 人数が少ない研究室では、よい教授や先輩に恵まれた場合には、厚遇されて濃密な学びの機会を得やすいでしょう。しかし、恵まれなかった場合には、メンバーの固定化により環境が変化しにくいため、むしろ閉塞的で苦しい状況になりやすいとも言えます。ありきたりな結論になりますが、事前にどんな研究室か把握しておくのがとても大切です。ハラスメントは論外として、人間同士ですので単純に「合う・合わない」もありますし、そもそも思っていた研究分野と違ったとか、そういうミスマッチもあり得ます。

 研究以外にも精力的だった時期で、ツイッターでの発信や、ユーチューブでの解説動画の投稿、また中国文学研究室・東洋史研究室・国文学研究室などの院生との交流など、アクティブにやりたいことをやっていました。このブログが始まったのもこの時期ですね。

 その後の基礎となる専門的な知識は、この頃に身につけたものが多いです。専門の授業にも一通り出ていて、ひたすら漢文を読みふけっていた時期です。

M2:2019年

 修論のテーマが定まり、修論で扱う文献をひたすら読み続けていた時期です。

 実は、博士課程になってから出した論文も、この時期に発見したテーマや集めた材料から派生したものがほとんどです。この頃のメモやノートは今でも役に立っていて、論文のネタの溜まり場になっています。(逆に言えば、あまりその後の成長がなかったということかもしれませんが…。)

 修士課程の二年間は、学費の半額免除を受けていました。加えて、育英会奨学金(要返済=借金)を取っていました。月8~9万ぐらい借りていて、返済を考えると気が気ではなかったですが、これは後に返済が半額免除になりました。育英会奨学金の返済免除は、各大学から一割が全額免除、二割が全額免除され、博士課程進学者は比較的免除を受けやすいと言われています。(今は変わっているかもしれません。)

 しかし、結局免除をもらえるのは一部の人だけであり、私は本当にたまたまラッキーだっただけです。要返済の奨学金など、本来は奨学金と呼ぶべきではありません。制度の改善を望みます。なお、私の分野で応募しやすい奨励費や研究助成については、以前まとめたことがあります。→奨学金・研究助成あれこれ - 達而録

 また、生活費を考える上では、学部の頃にかなり割の良いバイトに巡り合えたことも大きかったです。時給は1000円で(今だと最低時給を割っていますが)、土日に丸8時間受付に入るというバイトなのですが、その場に上司がいないので読書や研究がほぼ自由にできました。これも非常に有難かったです。

D1(前半):2020年4~9月

 修士論文で明確に見えた課題について、ある程度見通しを持って、計画的に研究に取り組み始めた時期です。学振(DC1)は落ちたのですが、中国政府奨学金(もちろん返済不要)に採択されたので、そのお金で二年間中国に留学へ行くことになりました。が、時を同じくして新型コロナウイルスが大流行し、学生ビザが下りないようになってしまいます。9月からの留学(中国は秋入学です)は、「当分は日本からオンライン留学、渡航が再開したら中国へ」という形になりそうな情勢でした。

 当然、オンライン留学はまったく本意ではなかったので中止することも選択肢の一つでした。ただ、この頃は「二か月後に渡航再開するらしい」みたいな怪情報が常に出回っており、「もしかしたら行けるのかも」という期待をちらつかせてくることもあって、中止する決断もしにくかったです。留学を中止にしたとて京大でオンライン授業を受けるだけで、八方塞がりということもありました。

休学(オンライン留学):2020年9月~

 結局、オンライン留学が始まり、京大は休学しました。京都で下宿する意味がなくなり、バイト先もコロナで閉業してしまったので、実家に戻りました。ちなみに、中国政府奨学金は、というか留学の時にもらえる奨学金の大半は、「実際に現地に行っている期間」しか奨学金が出ません(日本側から日本円で支給される場合はそうでもないかもしれません)。だから、中国政府奨学金にせっかく採択されたのに、その奨学金は最後まで貰えませんでした(さすがに留学先の大学の学費は免除してもらえましたが)。

 実家の近くには普通の市立図書館しかなくて、研究は若干滞りました。代わりに、市立図書館で概説書を読んでいて、専門家以外にも分かりやすく専門知を還元していくことの大切さと難しさを痛感しました。そこでこの時期には、自分の専門に関する内容のWikipediaの執筆を積極的にやっていました。真面目にやっていたら、Wikipedia執筆者コミュニティに誘われて、Wikipediaに関する研究ノートを書き、イベントに参加し……と、この繋がりはいまも続いています(これも何度か記事しています→ウィキペディアについての懇話会に参加してきました - 達而録)。Wikipediaは今後も書いていくと思います。

休学(吉田寮へ):2021年9月~

 京都で研究はしたいのですが、京都への引越直後に渡航再開になるとお金がいくらあっても足りない(繰り返しますが、当時はそういう怪情報が流れまくって振り回されていたのです)……というジレンマに陥った時、ふと閃いて、吉田寮の入寮募集に応募しました。吉田寮は休学しながらでも入れるし、家具も買わなくていいし、なんといっても安いのです(光熱費込み月2500円)。すぐに引っ越す可能性がある自分にとっては最善の選択だったと思います。

 寮生活は楽しく、コロナで途切れていた社会との繋がりが回復し、周囲の学生と議論したり遊んだりするうちに、自分の脳内の言語化の回路がよりクリアになった気がしました。世界の見え方が変わったというより、それまで世界に対して感じていた違和感を言語化する武器を手に入れたという感じでしょうか。クィアとしての自分が主体化された、と言い換えてもいいです。

 また、専門が違う学生と話すことが増えた影響で、論文や申請書の執筆が上手くなりました。専門外の人に自分の研究を分かりやすく説明するための言語化の訓練は、自分一人でやってもなかなか難しいものです。この後、奨励費や学振を得られた要因の一つだと思っています。

 この頃、留学はもう諦めることを決意しました。ちゃんと留学に行けていないことはずっと気がかりだったのですが、諦めるとだいぶすっきりしました。数か月後の自分の居場所もよく分からないというストレスがかかり続けていたのは、なかなか大きいものだったわけです。ただ、留学に行っていないと語学の非常勤講師などはやりにくくなりますし、そもそも語学力も不安なままですし、将来の食い扶持や研究のための能力には悪影響を及ぼしています。

復学:2022年1月~

 京大がやっている博士課程向けの奨学金、「次世代研究者奨学金」とか「特別奨励費」とか言われるやつ(いわゆる「学振に落ちた人が貰えるやつ」)に採用されました。たまたまこの年度に始まっていた奨学金で、これ以前は存在しませんでした。

 ここから次の年度末まで、15ヶ月分貰えました。月15万+研究費で、京都で生活するなら一応足ります。ただ海外での発表やフィールドワークをこなす人は全然足りないと思います。

 この制度、最近は応募者が増えて、「学振に落ちた人のうちの一部が貰えるやつ」になってしまったらしいです。なかなか状況は厳しいです。私がこれを貰えたのは本当に時期的にラッキーだっただけで、特に優れた業績を出していたわけではないです。

D1(後半?):2022年4月~

 微妙な時期に休学し微妙な時期に復学した関係で、どこまでD1なのかよく分からないが、とにかくここから三年間で卒業することになるので、ここをD1とカウントします。ここからの博士課程の三年間は、学費の全額免除に通り続けました。独立会計になっていたのが大きかったです。

 吉田寮に住んでいたのは、この学年の年度末までです。一年半ぐらいの寮生活で、実質論文3本分ぐらいの執筆作業が進みました。今まで続いている友人関係も多くて、今の同居人(同志・戦友・パートナー)とも出会えたし、実りのある時間を過ごさせてもらいました。自治活動も大変だし、その中で今でも後悔していることなど多々あるのですが、それはまたおいおい言葉にしていきたいと思います。追いコンでKASHIKOI ULYSSESの弾き語りをしたのと、演劇でいい役を貰えたのもいい思い出です。

 言うまでもないですが、吉田寮には、一年半住んで(一か月じゃないよ)、合わせて4万5000円しか払っていません。普通、京都の家賃の相場は大体3~5万ぐらいですから、家賃4万で一年半住むと72万+光熱費+家具代などがかかります。つまり吉田寮に住むだけで70万円以上の支援を受けたとも言えることになるわけです。

 吉田寮の存続問題については、このブログで何回か記事にしたことがあります。吉田寮に限らず、安価な学生寮は安心して教育を受け、研究を進めるための最低条件であると思います。→京大吉田寮について - 達而録

D2:2023年4月~

 この年から学振DC2に採用されました。研究計画書の実質的な内容は以前応募した時とそれほど変わっておらず、書き方を簡単にしたら採択されたというのが正直な実感です(……というとぶっちゃけすぎですが、これを「専門外の人にも伝わる書き方の技術を身に着けたから採択された」と言い換えれば、それっぽくなるでしょう?)。

 当時、私は業績も大してありませんでした。というかこの年から学振の業績欄が廃止されたので、それがラッキーに働いた可能性もあります。

 「学振」と言うと「超エリート」という印象がありますが、給料は、東京で一人暮らしするとかつかつで、貯金はできない、という程度です。物価の値上がりに比べて、給与の値上がりが全然追い付いていないという問題もあります。ボーナスはなく、代わりに研究奨励費で多少の経費を賄ってもらうことができます。

 同居人が東京に行く都合もあり、また東大の授業に出たり図書館を使ってみたいという動機もあって、この年から東京への移住を決意しました。京大・東大の学生交流制度を利用して、東大の聴講生になることができました。書きかけの論文を完成までもっていく作業をしつつ、次の研究テーマを模索し始めました。(次のテーマについてあれこれ悩んでいる記録もこのブログにあります。→自分の研究の今後の方向性を考える(1) - 達而録

D3:2024年4月~

 DC2の二年目です。なぜか「DCの採用最終年次における研究奨励金特別手当」に採択され(本当に理由が分からない、制度の存在も知らなかったです)、月3万円の増額を得ました。あと所得税の減免で若干手取りが増えました(こちらは雀の涙程度)。

 ひたすら論文の仕上げをして、博論を完成に持っていく作業に勤しみました。全七章+序論・結論で、この分野の課程論文にしては大作に仕上がりました(分量だけですが)。

 これからのことはあんまり決まっていません。非常勤講師を四コマやっていますがこれだけでは生活費は足りないです。幸い、シェアハウスしていて家賃が浮いているので、あと一つぐらいバイトすれば足りるかなあという感じです。常勤を目指して、条件の合う公募があれば出したいなとは思いつつ、果たして研究職に就くことが自分の幸せなのか、とかそういうことも考えます。ここまで来たのだから博論を出版したいという目標だけは明確にあるのですが、他はできるだけやりたいことをできるように、上手く乗りこなしていけたらいいなあ、という希望だけがあります(誰だってそうでしょうが……)。

まとめ

 振り返ると、この間に、育英会奨学金の返済半額免除、吉田寮居住、学費免除、特別奨励費、そしてDC2の給料と研究費、といった支援を受けました。もちろん非常にありがたく、支援元には感謝するほかないのですが、どれも「たまたま運が良かったから貰えた」だけであることは強調しておきたいです。

 たまに「まあ何とかなるよ」「ちゃんとやってればお金はついてくるよ」みたいなことを言って博士進学を進める研究者がいますが、はっきり言って、これは生存者バイアスに過ぎません。こういうことを平気で言う人は、結局「支援がなくてもなんとかなった」人で、差し迫った危機感は共有できていないことが多いという個人的な印象があります。(もちろん、その人が本当に「結果何とかなった」人ということもありますが、やっぱり「結果何とかなった」からそう言えるだけだ、ということです。)

 現実、とても優秀だけど、お金が回らなくてどうしようもなくなった人は何人も見てきました。正直、今この分野の研究を志すなら、お金周りのことはかなり計画を練っておかないと厳しいことになるし、計画を練ってもどうにもならないものはどうにもならないです。住居については、学生寮以外にも、シェアハウスや寺院なども考慮に入れるのもいいかもしれません。

 でも、共同生活が難しい理由がある人もいますよね。ここではお金の問題ばかり書き連ねてきましたが、心身の健康上の問題や、家族関係の問題、アカハラ、バイト先での軋轢など、人によって他にもさまざまな障害が有り得ます。これらはあくまで、学問をしたいのにそれに打ち込む環境を作ってくれない社会や政府の責任であり、本来、進学者が頭を悩ませる問題ではありません。

 また、色々支援があったと書いてきましたが、どれも「申請」が必要で、かつ合否が分かるのはだいぶ後というのが厳しいところです。特に学費免除は、大学に入ってから数か月後にしか分からないので、戦々恐々として日々を送ることになります。最低限、学費無償化と安価な学生寄宿舎の完備ぐらいが実現すれば、だいぶ良い状態になると思うのですが、現実の事態はむしろ逆に向かっています。色々な大学が学費値上げの動きを見せているし、格安の学生寮はどんどん閉鎖されています。

 今後、博士課程に進む人はより厳しい道になっていくと思います。状況が少しでも改善するように、みんなで意見を表明していくしかありません。少なくとも、大学教員がこのための運動をするのは最低限だと思います。私も非常勤講師になったのでこれまでとは違った立場での意思表明が必要になると考えています。一緒にがんばっていきましょう。

(棋客)

書きたい文章メモ

 書きたい文章についてメモします。自分のことを、自己開示的に一つ一つ説明していくことが必要なんだと思っています*1。すでに書いた文章にはリンクを貼っています。

  • 自分のこと
    • クィアとしての自分
    • マジョリティとしての自分
      • 今の自分が持つ特権性や、過去の自分のよくない行動について考える、分析する、告白する
      • 自分がフェミニストを名乗るようになるまで、なった経緯
      • 自分がやりがちな「自分の行動の解釈を読み替える」行為の効用と問題点について
    •  他者とのかかわり
      • 自分が見てきた「男らしさの呪縛」の多様な現われ方について

 ついでに、全然違う話になりますが、このブログで今月~来月あたりに更新予定の文章を予告しておきます。ブログの文章を書きたい波が来ていて、いつになく記事が溜まっているので、こんなことができます。

  • 研究のこと
    • 学生生活振り返り:今月中に数回更新予定
    • 橋本秀美『孝経』について:来月更新予定
    • 井筒俊彦『意識と本質』について:来月更新予定
    • 「自分の研究の今後の方向性を考える」の続き:井筒に絡めて書きたい(無理かも)。井筒に絡まなくても書くべき。
    • 注疏の版本について:簡単な下書きは終えているが、ここからきちんと詳しく書くか、大体で載せてしまうかで迷っている
    • 劉咸炘について:PCを整理していたら昔文字起こしした文章が出てきたので、資料としてどこかに載せておきたい
  • ゲーム・音楽・小説
    • 魔法使いの約束:とても面白いので、二部を最後まで読み終わったら感想書きたい
    • 中村一義「虹の戦士」:中村一義についてはすでに長々と語る記事を書いたが、これを書いた後に「虹の戦士」っていい曲だなあと思ったので改めて感想を書きたい
    • 青波杏『日月潭の朱い花』:最近小説を全然読んでいないが、これとても良かったのでちゃんと感想を書きたい

(棋客)

*1:ディアスポラ的な、自己開示的な、自伝的な文章を書くことの意味については、「自分の研究の今後の方向性を考える(6):工藤万里江『クィア神学の挑戦』から - 達而録」を参照。

本屋lighthouseさんのメルマガがおすすめという話

 先日、おすすめの文章の紹介で高島さんのcodocの記事を書きましたが(高島さんのcodocの記事がめっちゃ好き - 達而録)、もう一つ、本屋lighthouseさんが配信されているメルマガを紹介します。

lighthouse226.substack.com

 上のページから過去記事を読むことができますが、右上の「Subscribe」から記事を講読するのもおすすめです。週に一回ぐらい、メールで新刊案内や力の入ったコラムを配信してくれます。ネットで良い情報に巡り合うのがどんどん難しくなっているなかで、「信頼できる場所のメルマガ配信を受け取る」というのは、温故知新のよい仕組みだと実感しています。本屋lighthouseは、「ヘイト本歴史修正主義的な本を置かない」ことを宣言している本屋です。何度かお邪魔したことがあるのですが、良い本を並べ、良い空間を開かれた場所として作っていて、とても好きな場所です。

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 さて、特に心に残った記事として、本記事執筆時点で最新の記事である「世界とはぐれて #7/銀の森」を挙げておきます。

 この回では、筆者と、筆者が男らしさの呪縛を考える時に思い出す「深原」という人の関わりについて語られています。深原は、人前では、いわゆるトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)を、道化的な振る舞いや、良き「後輩」ポジションで発揮する人ですが、筆者の前では、変に取り繕わず、本心をあっさり語るようなところがあります。

 筆者の深原評として、以下の部分を引用しておきます。

 「男らしさ」をどこか面倒くさがっているくせに、ホモソーシャルなつながりにいられることをある面では楽しみ、ずっとそうやって輪の中心に居続けてきたのだと思う。

 でもそんな深原も我に帰る瞬間があるのか、自分の行動を誰かに否定してもらいたがるときがあった。その「誰か」がわたしだった。だからだろうか、話を聞いたわたしが「またそんなことやってるの?」とドン引きしたように言うと、深原は安心した表情になった。

(引用元:世界とはぐれて #7/銀の森、2025/3/4閲覧)

 この文章を読んで、色々なことを考えました。まず考えたのは、①私もたくさんの深原的人間に会ってきたということ、②私も深原的な側面を持っているということです。

 最初、①について長々と文章を書いていたのですが、書き上がってみると果たしてこれが「深原」なのかよく分からなくなったので、このことはまたどこかで書くことにして、今回は②について書きます。

 私はみんなの前で道化になるタイプではないし、深原のような振る舞いにはノリが合わないことが多かったです。かといって、その嫌悪を態度に出したり、直接批判するようなことも長らくしてこなかったし、今なら言える関係性なら言いますが、徹底できないこともあります。行動に移さない以上、周りから見れば、同調しているのと変わらないです。むろん、常に原則的行動を取るなんてことは誰しも無理ですが、やっぱり自分に対しては、取れた行動を全然取ってこなかったと思います。

 ここまでは似た経験を持つ人は多いと思うのですが、私が自分に深原的な要素を感じるのはこの先のところです。私は、人前ではそういう態度なのに、誰かと個々で語り合う時には一転して「本心」を打ち明けて、ギャップを利用する節があった、と感じました。簡単に言えば、「あれ、この人意外と話通じる」というポジションにつきやすいことを利用して、人の信頼を得てきたのではないか、と思います。で、そういうポジションにつきやすいのは、私の見た目が勝手にハードルを下げてもらえる特権を持っているからに他なりません。まずこの文章を読んで、そういう自分がいる、ということを自覚しました。

 信頼を得るための打算があるとはいえ、(おそらく深原が感じているように、)その個々の語り合い自体によって得られるもの(共感や安心感、情報、そして何かしらのケア)があり、それを私自身が強烈に求めていることは確かです。また、私とのこうした会話で、相手が打算的だと感じているのか、相手も安心感を感じているのか、その実際のところは分かりません。

 考えてみると、結局「打算的であるかどうか」が重要というよりも*1、そういう語り合いの場を(その気になれば容易に)持てて、その時に自分の言葉に耳を傾けてもらえて、それが信頼を得る状況につながるという、でかすぎる特権を自覚できるかどうか、そしてその特権をどう分配するか(たとえば、そうした語り合いの場ならば、自分が話すばかりではなく、相手の話をきちんと聞いて、寄り添っていますか?と常に自省するとか)、というところに話は戻っていくのかと思いました。

 ……などと、つらつらと思ったことを書いていたら、結局本文から離れてしまいましたが、とにかく身につまされる文章でした。自分が何を書くべきかというところから整理し直したいと思います。

(棋客)

*1:むろん、たとえば私が権力勾配を利用して、打算のもとに相手を呼び出すとか、そういうことをしていたら論外で、別問題にはできませんが。