「松浦さん、航空について何かを語るなら、是非ともオシコシに行くべきです」
先般掲載した記事(一覧はこちら→「「飛べないMRJ」から考える日本の航空産業史」)の取材の際、オリンポスの四戸哲社長に強い調子で言われた。「オシコシには、航空に関するすべてがあります。航空の将来を考えるなら、あれを観なければ何も始まりません」。
オシコシ(Oshkosh)――日本語ではオシュコシュとも表記される。米五大湖、ミシガン湖の西側に位置するウィスコンシン州の地方都市だ。このオシコシにあるウイットマン空港では毎年7月末の1週間、全米から航空機が集まってくる一大エアショーが開催される。正式名称は「EAA AirVenture Oshkosh」。1953年以来続いている息の長いイベントだ。
7月初頭、四戸さんから連絡が来た。「今年は当社からも社員を行かせます。一緒にどうでしょうか」――こうなると、私も行かなければならない。7月末、私はオリンポスの設計技師Y氏と共にオシコシに向かった。
オシコシで、私は大変な衝撃を受けた。
確かにここには航空機のすべてがあった。
より詳しく言うと、「MRJで航空日本復活を」という言説に代表される、日本の航空産業振興策に欠けているものがすべてあった。
自分の飛行機で飛んできて、1週間のショーを楽しむ
EAA AirVenture Oshkoshの主催者は実験航空機連盟(EAA:Experimental Aircraft Association)という民間団体だ。今年2018年は7月23日~29日の日程で開催された。
米国では個人が自分で航空機を作り、自分が操縦して飛ぶことが趣味として定着しており、法制度も整備されている。EAAは自作航空機(ホームビルド機と呼ばれる)愛好家の団体であり、AirVenture Oshkoshは当初、愛好家の祭典として始まった。そういう意味では、まさに日本の「コミケ(※)」みたいなものだ。
(※ 正式名称はコミックマーケット、年2回開催される、国内最大の動員数を誇る同人誌の即売会。「読みたい本がなければ、自分で作る」という精神も共通しているところがある)
が、現在のAirVenture Oshkoshは、単なる趣味人の集まりの域を超えた、「ここに航空のすべてがある」としか形容できない巨大なイベントに成長している。
2005年には、ホンダエアクラフトカンパニーが、ビジネス機「ホンダジェット」の初めての一般向け公開を、このAirVenture Oshkoshで行った、といえば、その重要性がNBO読者にも届くだろうか。
ショー会場の構成を見ていくと、AirVenture Oshkoshというイベントの性格が見えてくる。会場のウィットマン空港は南北に走る2500mの主滑走路を含む4本の滑走路を持つ、主として自家用機が使用している空港であり、航空会社の定期路線はない。しかし日本の感覚で見るとかなり広い。沖合いに拡張する以前、1980年頃の羽田空港ほどの広さがあるというと、その規模が分かってもらえるだろうか。
ショーの花形、ヴィンテージ
ショー会場はウィットマン空港敷地をほぼ4つに分けて使用している。主滑走路に沿ってもっとも南側から半ばほどまでの広いエリアを占めるのが「ヴィンテージ」。これは第一次世界大戦の頃の機体(新たに再製作した機体も含まれる)から、1960年代の軽飛行機までかなり幅の広い「昔の自家用機ないしは自家用で使える機体」のエリアである。
ヴィンテージのエリアに重なるようにして配置されているのが「ウルトラライト」。つまり、米航空法規においてウルトラライト(日本では「超軽量動力機」)と区分される、軽量で低速で飛ぶ飛行機のエリアだ。
ヴィンテージの北側に拡がるのが「ホームビルト」。キットや自分の設計で製作した自作機のエリアである。
さらにその北側には、第二次世界大戦やその後のウォーバーズのエリアが拡がる。
展示されている機体は、個人所有や有志による共有、つまりは個人の意志でメンテナンスされ、飛行可能状態を保っている。そして――これがオシコシにおいて重要なところだが――参加方法は基本的に「フライ・イン」。つまり自分で操縦して飛んできているのである。
個人参加者は自分の飛行機を操縦し、オシコシまで飛んできて、それぞれのエリアに駐機し、自機を展示する。それぞれのエリアにはキャンプ可能な駐機場も用意されていて、自分の機体の横にテントを拡げて1週間寝泊まりし、自分の機体を展示して自慢しつつ、時には飛んだりして、ゆっくりとエアショーを楽しむ。
即売会であり、学会であり、セミナーであり、工作教室であり
これら4つのエリアの他に、格納庫や整備棟のあるエリアは、展示や即売、コンファレンスやワークショップに使われている。4棟の大型格納庫は、プロペラやエンジン、航法機器から、航空用の配管やバルブ、さらには飛行機グッズやサングラスに至るまでの即売会場となっている。また展示エリアには大手からベンチャーに至るまでの自家用機メーカーが出展し、自社製の自家用機を始めとした製品を展示している。
ここには「EAA Aviation Gateway Park」という一角が設けられており、米航空宇宙局(NASA)が航空機技術開発プロジェクトの展示をしていたり、技術系ベンチャー各社が自作航空機・自家用機の最新技術状況をアピールしていたりする。人が乗らない無人機に関する展示やデモンストレーションもやっている。さらには全米の航空系学科を持つ大学が出展していて、有望な学生の募集に余念がない。
コンファレンスでは、主に自家用機分野(ゼネラル・アビエーションという)の現状や展望、未来についてのセッションを聴講できる。
ワークショップは、オシコシを象徴する演し物と言えるだろう。建ち並ぶ小規模な格納庫で、希望者に対して板金や溶接、発泡材の切り出しや被覆材の張り付けなど、航空機の自作に必須の加工技術を実習を通じて教えるのだ。
今回は「One Week Wonder」と題して、ホームビルト機のキットを、1週間で組み立てて、航空局の認証を取得し、飛行するという演し物があった。機体は完成し、会期中に地上滑走まで漕ぎ着けた。
素人から空軍まで渾然一体
ここで注目すべきは、1)素人でも作りやすいキットが当たり前に販売されていること、2)「ちょっと飛行機作りに参加してみようかな」と考える人が多数存在すること、3)このような企画に柔軟に対応して機動的に機体に認証を出すことができる連邦航空局(FAA)の体制、及び対応できる能力を持つ検査官の存在――などなど。つまるところは草の根から法制度に至るまでの米国の航空の世界の分厚さである。
会場のほぼ中央、大型機が滑走路に出て行くための誘導路は、米航空宇宙最大手のボーイングがスポンサードした「ボーイング・プラザ」という展示スペースとなっている。ここには航空機を使う政府機関が機体を展示している。軍、NASA、沿岸警備隊などだ。
地上展示に加えて、もちろん飛行展示もある。毎日午後は、日が暮れるまでなんらかの飛行展示が延々と続く。空軍や海軍の戦闘機や輸送機が飛ぶし、曲技機のアクロバット飛行もある。民間で動態保存している古い軍用機も飛ぶ。もちろん自作のホームビルト機も飛ぶ。それどころかラジコン機も、4機編隊で見事なアクロバット飛行を披露していた。多くの人は子供の時に模型飛行機を作るところから航空に興味を持つ。模型と本物は、ここでは地続きなのだ。
ボーイングB-17爆撃機の体験搭乗も
来場者を乗せる遊覧飛行もある。今年は1920年代に製造されたフォード・トライモーター旅客機2機が、かわりばんこに一日中遊覧飛行を実施していた。この他、近くにある別の飛行場からは、1940年代から70年代にかけて息長く生産されたベル47ヘリコプターによる遊覧飛行を実施していたし、加えて(かなり搭乗料金は高価であったが)、第二次世界大戦中のボーイングB-17爆撃機の体験搭乗も実施していた。さらに、飛行場に隣接するウィネベーゴ湖には、水上機の発着場を使った別会場があり、愛好家達が自分の機体を展示すると共に、水上機メーカーが機体を展示し、体験搭乗を行っていた。
かつての羽田空港ほどもある巨大スペースで1週間にわたって開催される巨大イベントをどう形容すればいいのか。さきほどコミケに例えたが、実はそれだけではない。
EAA AirVenture Oshkoshは――まず、自作航空機の同好の士が集まってテントに寝泊まりして楽しむ航空機のサマー・ロック・フェスティバルである。もちろん航空機に関する全てを売っている航空機のコミケットであり、同時に様々な航空関連メーカーが一堂に集う航空宇宙展でもある。航空機の自作方法を学ぶことができる講習会であり、航空の未来に関する最新情報を仕入れることができる航空宇宙系学会でもある。さらには軍やNASAなどの機材を見学できる一般公開・基地祭でもあり、次々に飛ぶきらびやかな展示飛行や、体験搭乗を楽しむことができる航空ページェントでもある。ここにはレジャー・スポーツから、産業、技術開発に至るまでの航空のすべてがある。
そして、なによりも重要なことは、ここに集まってくる人々のかなりの部分が、「自分の飛行機を自分で作る」ことに少なくともいくらかの興味を持っているということだ。「自分で作る」――航空のみならず、産業にとっての基本中の基本を体現している人が、それだけたくさんいるということである。
ショーは航空産業を支える、“ぶ厚い人材層”の象徴である
と、同時に、私はオシコシで気が付いた。
この事実を航空産業の側から見ると、オシコシに集うすべての人々は顧客であり、同時に人材供給源なのだ。航空機に対する高いモチベーションを持つぶ厚い人材層が、EAAの「自分の乗る飛行機は、自分で作る」という理念と、理念の上に展開している活動によって形成されているということである。
これこそが、冒頭で「日本の航空産業振興策に欠けているもの」としたものだ。産業を支えるぶ厚い人材の裾野と、裾野を更にぶ厚くしていく活動だ。社会の中に幅広い興味を喚起し、技術と技量を蓄積せずに、産業振興策としてメーカーに補助金をつけても、それだけでは航空産業は育成できない。
米国で世界一の航空産業が成立した背景には、明らかに「自作航空機」と「飛行機の自作と飛行を楽しむ多数の人々」が存在する。
では、このような巨大エアショーを開催できるだけのパワーを持つホームビルト機という分野は、どのような経緯を経て成立し、アメリカ社会に定着したのだろうか。
(次回に続く)
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