(イラスト:西尾 鉄也)
(イラスト:西尾 鉄也)

(前回はこちら

前回は、007を初めとするスパイジャンルが隆盛を誇ったのは、冷戦という背景があったから、というお話を伺いました。

押井:だから冷戦終了後の007シリーズは延々と迷走を続けているわけ。もうスパイが活躍する時代じゃないよ。

でも最近でも「キングスマン」(14)がありましたよ。あれもスパイ映画ですよね。

押井:みんな面白いと言うんだけど、僕は全然面白くなかった(笑)。要するに全部パクリなんだもん。本家の007シリーズ自体が、かつてのシリーズのパロディになっちゃってるのに、それのパロディやってどうするんだよ。でも「キングスマン」は、それこそ秘密兵器大会なわけだけど、不思議と女はあまりないんだよね。

最後に王女様とやっちゃって終わりでしたけど……。

押井:ボンドガール的なものは許されない時代になりつつあるから登場させなかったのかもしれないけど、それだけじゃないと思う。「キングスマン」ってなんとなく最初からゲイっぽい匂いがするんだよ。テイラードされたゲイの世界というかね。007はあきらかに男の欲望の結晶。だから「キングスマン」にはボンドガール的なものの存在する余地がないんじゃないかな。ちょこっと出てくるけど、たいした役じゃないじゃん。

007においてボンドガールは重要な要素ですからね。

押井:ジェームズ・ボンドのシリーズでは、誰と戦うか、どんな秘密兵器が出るかと同じぐらい、ボンドガールというのは重要なテーマだった。みんなそれを楽しみにしてたわけじゃん。「次のボンドガールは誰?」というさ。

ボンドガールとは何か?

押井:今回、007シリーズの中から「ロシアより愛をこめて」を選んだのは、ダニエラ・ビアンキが好きだったからという理由もある(笑)。歴代のボンドガールで断トツですよ。ほかのお姉さんは忘れちゃったよ。

彼女はハリウッド映画にはほとんど出てなくて、ヨーロッパ映画に何本か出てるぐらいなんですね。

押井:そうそう。その後ダニエラ・ビアンキが何に出たとか僕も知らなかった。当時は今のようにインターネットはないから、調べようがなかったからね。

 「007 ゴールドフィンガー」(64)も好きで、オナー・ブラックマンというエグいおばさんが出てたじゃん。僕の好みから言えば、本来あっちのおばさんのほうがタイプなんだけど、でもやっぱり007なら金髪のダニエラ・ビアンキだね。すごいインパクトがあったんだよ。

どうしてそこまで押井監督が魅了されているのでしょうか。

押井:彼女が他のボンドガールと何が違うのかは、語るべきテーマだと思ってる。これは「ボンドガールって何?」という話なんだよ。ジェームズ・ボンドと言えばボンドガール。ボンドガールと新兵器のない007は007じゃないわけで、現在の007シリーズでもそれはある程度は守ってるわけだよね。最近は新兵器のほうは怪しくなってきたけど。

ちょっとガジェット感が足りないというか。

押井:小物ばっかりじゃん。「スカイフォール」からは、小道具を開発する係の「Q」がただのハッカーになっちゃった。電子戦専門で小道具係じゃなくなったから、全然つまらなくなった。

 Qはとぼけたおっさんだったのが面白かったんだよね。スパイのこととか世界情勢なんかどうでもよくて、おもちゃを作ってることが楽しくてしょうがないおっさん。せっかく作った新兵器を本当はボンドなんかに持たせたくない、だってすぐに壊すから。あれはいいキャラクターだったよね。いかにもイギリスらしい職人。「お前、また壊したのか」とか「そこに触るな!」って。

いい味のキャラでした。

押井:Qがいて「M」がいて、秘書のミス・マネーペニーがいて、それで初めてジェームズ・ボンドだったんだよ。マネーペニーを必ずデートに誘うんだけど、あの二人がデートしてるのを見たことがない。「また今度ね」「どうせその気なんかないくせに」というさ。どう考えてもボンドの好みじゃないから。

そもそもボンドの「女の好み」って、あまり良くないですよね。

押井:ボンドは女の好みに関しては相当悪いよ。美人でグラマーだったら誰でもいいのかって感じ。それは多分に「イギリスの男」っぽさでもある。イギリスの男のジェームズ・ボンドがロシア女にいかれるというのはシチュエーションとしてそそられるんだよ。イギリス自体にそういう歴史があるから。

歴史ですか。

奇麗なバラにはやっぱりトゲがある

押井:かつてイギリスで大スキャンダル(※プロヒューモ事件=1962年英・マクミラン政権の陸相ジョン・プロヒューモが、ソ連のスパイと親交があるモデル兼売春婦に国家機密を漏らした事件)があったんだよね。ロシアの息がかかったおネエちゃんに大臣クラスまでたらしこまれて、自殺者も出た。ハニートラップだよ。だからロシアと言えば女スパイ。女スパイと言えばセックススキャンダル。「ロシアより愛をこめて」でも、ボンドが盗撮されてるけど、あれはあきらかにあの事件を踏襲してるんだよ。

「金髪の女スパイ」にも歴史があるんですね。

押井:今ではハニートラップと言えば、いつの間にか中国が本家になっちゃったけど、かつてはロシアの独壇場だった。そういう「金髪の女スパイ」というのは映画的な記憶の一つだよね。邦画的に言うと女スパイと言えばもれなくチャイナドレス。これは伝統の違いですよ。僕が自分で実写をやるときに真っ先に出したのはチャイナドレスの女スパイ。

「紅い眼鏡」(87)の鷲尾真知子さんですね。

押井:僕の中では、ギャングの情婦と女スパイはもれなくチャイナドレス。子供のときから刷り込まれていたの。「紅い眼鏡」だけじゃなくて「トーキング・ヘッド」(92)でも、小林という演出助手がチャイナドレスで歌ってたでしょ。チャイナドレス大好きだったの。

そういう理由だったんですか。

押井:僕にとっては主人公をたらしこみに来る怪しいお姉さん、「莫連女」というやつだよ。悪い女、悪女、ヴァンプ。僕の場合はチャイナドレスか、濡れ髪の着物の裾からリボルバーという(笑)。ガキの頃から悪い女が大好きだった。マセガキだったんですよ。お姫様とかそっちには全然興味なくて、悪い女にしか興味がなかった。だって色っぽいんだもん。ボンドガールもその系譜に属するから、当然注目してました。そのなかで最強の女スパイがダニエラ・ビアンキ。ボンドガールであると同時に女スパイだから。付加価値が付きまくりなんだよね。

リーチ一発に裏ドラも乗ったみたいな(笑)。

みんな大好き、金髪のロシア女性

押井:歴代のボンドガールって、ただのボスの愛人だったりとか、地元の連絡員だったりとかその程度だけど、ダニエラ・ビアンキは違うんだよ。自分を巻き込むスキャンダルの道具であると同時に本当に愛し合っちゃったりした。なおかつ典型的なイメージのロシア女。白い肌の金髪。

絵に描いたようなロシア美女です。

押井:うちの空手道場にもロシア支部があるから、時々金髪のお姉さんがロシアから稽古に来るんだけど、みんな注目するんだよ。ロシアの女性はみんな金髪というわけじゃないけど、やっぱり日本人の男にとっても金髪のロシア女というのはどこかしらキモなんだなと。この間、20周年の演武会があってビデオを撮ったんだけど、カメラマンが金髪の姉ちゃんばっかり撮ってやがってさ。

ああ~(笑)。

押井:まあ、僕も撮れと言ったんだけどさ。金髪の美少女が空手やってると、なんとも不思議なフェティッシュの世界になる。あと僕が「東京無国籍少女」(15)でロシア語監修を頼んだロシア人のコスプレイヤーの子なんかも。

ジェーニャですね。彼女は最初、僕(野田)がCSのTV番組の企画で日本に連れてきたんですよ。その後色々あって日本に移住して結婚もしちゃったんですが、お父さんが元スペツナズ(特殊任務部隊)という。

押井:うちのロシア支部のおっさんたちだって半分は元KGBだよ。今はFSB(ロシア連邦保安庁)だけど。もともとロシアで空手やろうなんておっさんの半分はそっち系。半分はインテリ。ロシアって昔から武道好きなの。プーチンの柔道も有名だけどさ。

ボンドガールは金星人

押井:あらゆる意味で「ロシアより愛をこめて」は007シリーズのピークだというのは、出来がいいとかボンドガールが歴代最強とかそういうことだけじゃなくて、007シリーズの本質が全部出てるからなんだよね。

この作品の出来がよかったから、これに倣ってフォーマット化したという話です。

押井:そういうことでもある。ボンドガールも最初の「007 ドクター・ノオ」(62)から出てきてたけど、それは連絡員の女とか色を添えてるだけだったの。やっぱりダニエラ・ビアンキがすべてを変えたと言ってもいい。でも、たちどころに惰性になっちゃったけどね。

 あと有名なのは「007は二度死ぬ」(67)の浜美枝とかね。あれは日本で撮影して浜美枝がボンドガールをやるというので盛大に盛り上がったんだよね。僕は高校生になってたかな。

僕は生まれた年です。

押井:日本人向けに刻々情報が入ってくるんだよ。丹波哲郎も出てるし。浜美枝もそれまでそんなにメジャーな女優さんじゃなかったんだよ。海女の役だったんだけど本編中じゃ水着がせいいっぱいだった。だけど公開後に「プレイボーイ」かなんかで脱いじゃったんですよ。それで大騒ぎになった。

「007は二度死ぬ」では、若林映子さんもボンドガールでした。

押井:そうそう。若林映子は我々の年代にとっては金星から来た預言者だった(笑)。キングギドラの時(「三大怪獣 地球最大の決戦」64)に出てくるの、預言者で。なぜか知らないけど気を失って運び込まれたあと、医療ベッドの上にシーツだけで横になってるんだよ。僕は当時中学生ぐらいで、盛大に盛り上がった。「あの服を脱がせたのは誰だ?」って。気を失ってる女を医療措置のために裸にするというのは一大テーマだったのね、映画の世界では。見せ場だったんだよ。

 はあ(笑)。

おばさん上司の強さにしびれる

押井:「ロシアより愛をこめて」では、ジェームズ・ボンドと戦う殺し屋ロバート・ショウ(俳優名。役名はレッド・グラント)がKGBの秘密兵器として腹筋モリモリで出てくるじゃん。

あの登場シーンがいいですよね。

押井:腰にタオル一枚で女はべらせて日光浴しててさ、そこにスペクター幹部のおばさん(ローザ・クレッブ/女優はロッテ・レーニャ)が閲兵に来て「立ってみろ」っていきなり言ってさ。おばさんがメリケンサックはめて、振り向きざまに腹に一発くれて、でもびくともしないんで「こいつは強そうだ」って、すばらしいシーンだよね(笑)。しびれたもん。かっこいいおばさんという。

ロバート・ショウじゃなくて、そっちですか(笑)。

押井:ロバート・ショウはどうでもいいの。あのおばさんがすごい。しかも映画の最後では掃除のおばさんに変装して出てきて、見せ場もちゃんとある。毒ナイフを仕込んだ靴でボンドを窮地に追い詰めるからね。歴代の悪役の中でも、あの方は特筆すべきおばさんですよ。

KGBではダニエラ・ビアンキの上司で、えらそうにしてましたよね。

押井:KGBだけどスペクターの幹部でもあるという。いろんなところに籍を置くのがスパイだから。あのおばちゃんからすればダニエラ・ビアンキは小娘だよね。あきらかにそういう目で見てる。生贄の羊を眺めてるような目。それがなんか知らないけどすごくエロい。エロジジイじゃなくてばあさんがやるところがすごい。

確かにそうでした。

押井:あのおばさんがしげしげと体をチェックするんだよね。やり手ばばあだよ。しかも作戦が失敗したと分かったら、自分で暗殺に行くし。全部終わったと思って太平楽を決め込もうとしていたボンドに襲いかかるというさ、おまけのレベルを超えてるよ。

ロッテ・レーニャさんはオーストリアの女優さんですね。

押井:たぶん筋金入りの女優だよね。

女性上司と言えば、007の上司であるMも女性の時期がありました。

押井:ボンドみたいなやつを押さえつける、上司のMというのは途中(「007 ゴールデンアイ」95)からおばさんになったけど、変わったときはみんな「え?」って思ったよね。

それまではずっと男性でした。

押井:もともとは皮肉たっぷりの老紳士だったわけで「やばそうだからお前が行け。やりすぎるんじゃないぞ。責任は取ってやるから」と。Mもイギリスの典型的なジジイだったから、女性になって最初はすごい抵抗感あったよね。「いいの、このおばちゃんで?」とか思ってたけど「スカイフォール」でころっと意見が変わった(笑)。

女性である意味が、ようやくあそこで描かれましたね。

押井:あれを見て「Mは、マザーのMか」と初めて納得したんだよ。「なるほどね。それがやりたかったのか」と、ようやくそこで伏線が効いてきた。あの作品はあきらかに放蕩息子の帰還だからね。「どこ行ってたのアンタ!」って。再テストしたら案の定ボロボロだったけど、まあいいやって母ちゃんが無理やりに合格にしちゃった。

 しかも、実は長男がいたという話じゃん。長男は母親に見捨てられて、恨んで母親を殺しに来るのを次男坊が助ける話。すごい話だよ。これがやりたくてMをおばちゃんにしたのかどうかは分からないけど。

女性がMになって20年近く経ってますから(笑)。

押井:最近のイギリスのドラマを見てると、MI6とか諜報機関のボスでおばちゃんがよく出てくるんだよ。昔風の渋いじいさんと言えば、「0011 ナポレオン・ソロ」に出てくる国際機関U.N.C.L.Eのボスもそうだったけど。「ナポレオン・ソロ」の話まですると収拾つかないけど、あれはその文脈で見ると、イリヤ・クリヤキンという主人公の相棒がロシア人という設定は結構意識してるよね。U.N.C.L.Eというのは国際的な組織だから、ソ連も加盟していてロシア人がいてもいいということになってたんだけど、あの時代はまだ冷戦中だったからね。だから小説版では亡命したロシア人というご丁寧な設定が書かれてた。

小説版があるんですか?

押井:これは原作小説というよりは、今で言うノベライズだね。テレビドラマのシリーズで語ってない設定とかを小説とかで補完してるの。イリヤ・クリヤキンってロシア人なのになぜU.N.C.L.Eなのって中学生でも思ったからね。

イギリス人は秘密兵器好き

押井:「007 サンダーボール作戦」(65)が好きだという人間は多いんだけど、僕はあんまり。あれはボンドガールが誰だっけ?

クローディーヌ・オージェですね。

押井:最初からビキニで出てきて、ウニの棘を踏んじゃってそれをジェームズ・ボンドが吸い出してやるというさ。そこで早くもよろしくやっちゃう。これは原作通りなんだよ。「サンダーボール作戦」の良さと言ったら、やっぱりヴァルカン(英アヴロ社製の戦略爆撃機/スペクターに核兵器を奪われる爆撃機として登場)でしょう。

そこですか(笑)。

押井:あの海中のヴァルカンの美しさ。フォークランド紛争までヴァルカンの見せ場はあの映画しかなかったからね。その後ヴァルカンはフォークランド紛争で復活して、ミリタリーファンはみんな燃えたんだから。不謹慎だけど(笑)。しかもそのとき空中給油に出動したのがヴィクターというさ。

いわゆる「3Vボマー(1950年代~1960年代の英空軍で使われた3種の爆撃機、ヴァリアント=Valiant、ヴァルカン=Vulcan、ヴィクター=Victorのこと)」の一角ですよね。

押井:そうそう。(3Vの残りの一つ)ヴァリアントの立場はどうしてくれるんだというやつだけど。もともとヴァリアントって保険で作ったやつだからさ。イギリスって面白いんだけど、必ず保険かけるんだよね。戦前の四発(重爆撃機)トリオみたいなもんだよ。ランカスターとスターリングと、出来の悪いやつ(ハリファックス)。でも結局ランカスターの独壇場になっちゃったわけじゃん。……全然関係ない話だなこれ(笑)。

もしかしたら、Qが奇天烈な秘密兵器を作るのは、イギリス軍が変な兵器を作るのと似てるんですかね?

押井:確かにイギリスは特殊部隊とか特殊作戦とか秘密兵器とかが昔から大好きで、だからエスピオナージになじむんだよ。「サイドボードでものを考えさせたらイギリス人が断トツだ」というさ。要するに企画とか発想とか設計とか開発計画ってことになると、だいたいドイツ人がすごいということになってるんだけど、じつはイギリス人のほうが凝り性なの。世間では誰も知らない言葉だけど。

 例えばスピットファイアって30以上の形式があるんだよ。ユニバーサルウイングという翼だけ変えるシステム作ったりとかさ、そういう凝り性というのはイギリスの得意技。

領収書は100%OKの男

押井:ジェームズ・ボンドが好きだろうが嫌いだろうが「ロシアより愛をこめて」というのは、歴史的な作品として見る価値があると私は言いたい。出来もいいしね。あれが007のフォーマットを生んだというのはその通り。

 冷戦の産物であり、一種の代理戦争でプロパガンダ。そして男の欲望を満たしてくれる。バイオレンス、女、博打、酒、メシ、ファッションや車も出てくる。言うことないじゃん。アストンマーティンでタキシードで、カジノで博打で、金髪のお姉さんで、銃ぶっ放し放題で、殴る蹴るも当然あって、リンチも拷問もあって。おまけに秘密兵器だもん。男の欲望すべてでしょ。日本の中学生だってしびれるよ。

まさにあの時代の生み出した作品ですね。

押井:当たり前のように思うかもしれないけど、そういうものを見事に構造としてはめ込んだシリーズってなかなかないよ。日本だとそれが若大将シリーズだった、という話は前にしたけど、だからどっちも続いた。だからこそ失速し、煩悶も迷走もした。007シリーズは、冷戦が終わってからやることがなくなっちゃった。

冷戦という背景設定がないと、そこまで「欲望むき出しで楽しくやろうぜ」というのはやれないんですかね?

押井:できない。要するに「ツケ」は全部冷戦に回すんだから。MI6はそれで領収書が全部通っちゃうわけだよ。プロダクションI.Gなんかほとんど通らないからね。

「この領収書は通せません」というのがバブル崩壊以降の我が国の風潮です。

押井:それまではソ連とかあったから、そことの喧嘩に使いました、ということなら必要経費でなんでも通っちゃう。100%領収書OKの男。国を救うことに比べたら、女に金使ったり博打に金使ったりうまいメシ食ったりする経費は安いもんじゃん。

その結構な雰囲気が消えて、007が迷走したのはどの辺ぐらいからでしょうか? ロジャー・ムーアになってから?

押井:ロジャー・ムーアになってからはただのアクション映画になっちゃった。石油成り金だったりアラブの富豪だったり、とっかえひっかえいろんな人間を引っ張り出したけど、小物感は覆えないね。あとは宇宙に行ったりしたのも致命的だった。「007 ムーンレイカー」(79)か。007がレーザーガンを撃ったりとか、何やってんのというさ。

「ロシアより愛をこめて」以外で見るべき作品を挙げるとしたら?

押井:さっきも言ったけど「007 ゴールドフィンガー」は好きだった。偉大なメインビジュアルがあったから。金粉を塗った女というさ。

あれで皮膚呼吸ができなくて死んじゃうんだっていうのが。

押井:日本にも金粉ショーって伝統があるんだけどさ(笑)。今でも大駱駝艦(舞踏集団)がやってるじゃん。でもあの当時は金粉を塗られた全裸の女が横になってるというのは最強のメインビジュアルだよ。歴代の007シリーズでもあれ以上のメインビジュアルはない。

 その話で思い出したけど、007と言えばオープニングと主題歌。これが見たいというのも理由の一つだったよね。オープニングのあのフォーマットは誰が作ったんだろう。必ずお姉ちゃんのシルエットかセミシルエット。007って裸のお姉さんはいっぱい出てくるんだけど、乳首が見えたことはない。これはお約束なんだよね。

あそこまで見せてるのに、どうしてその一線は超えないんですかね。

押井:中学生まで客層を広げたいから、PG15じゃダメなんですよ。だからオープニングで裸のお姉さんのシルエットはいっぱい出てくるんだけど、乳首は絶妙に隠す。ダニエラ・ビアンキが寝台列車で脱ぐシーンだって絶妙なタイミングでシーンが変わるからね。いまだにそれは守ってる。伝統なんだよね。確かにそれでなかったら日本の中学生にあれほどアピールしなかったよ。

確かに、テレビでかかっても親がギリギリ見せてくれる映画でした。

押井:さっきの3つのテーマに加えてオープニングと主題歌。そういう意味でも「スカイフォール」はすばらしかったんだよね。とどめを刺したからね。あの歌(アデルの「スカイフォール」)は歴代の主題歌でも最高なんじゃない? ひさびさにしびれた。あとは「ゴールドフィンガー」「ロシアより愛をこめて」。見るならその3つがいいんじゃないかと思うよ。

007はオワコンか

今後007が新作をやるにあたって、期待でも予想でもいいんですけど、どういう展開や敵が考えられますか。

押井:現実の世界で、国家が非正規戦を始めちゃったわけで、国家同士の戦争じゃなくて国際テロ組織、あるいは少数部族とか国内の特定勢力を相手に戦争する時代になった。不正規戦とも言うけど、そういう時代になっちゃった今、エスピオナージの世界が映画のテーマ足り得るのかと。国家同士で表立って戦争できないからこそのスパイの世界だったんだよね。暗殺だテロだ誘拐だ拉致だをやってたわけで。だからこういう時代にスパイ映画が成立するんだろうか。渋い映画じゃなくてエンターテインメントとして。

難しそうな気がします。

押井:はっきり無理だと思うよ。だから007の歴史的使命はとっくに終わったと思ってる。むしろ冷戦終結以降、よくここまでやりおおせたもんだと感心したよ。それも「スカイフォール」を見たからもういいやというさ。惰性で「スペクター」まで見に行ったけど全然ダメだった。過去のコピーでしかない。そもそも「スカイフォール」だって最後のあだ花みたいなもんだからね。「カジノ・ロワイヤル」(06)もいいと思わなかったもん。「スカイフォール」は死に花を咲かせたなと思った。だからもう007を見に行こうという気持ちはない。

テレビでも見ませんか?

押井:他に見るものがない時以外は見ないね。僕は家のTVをダラダラ見るんでしょっちゅう奥さんに怒られるんだけど(笑)。快感原則だったりとかそういうレベルで言ったら、まだマーベルのほうが見るべきものがある。007のアクションは昔はかっこよかったんですよ。でもあるときから普通だよなと感じるようになった。チェイスと格闘というのはアクション映画の二大テーマなわけでしょ。でも007はやり尽くしちゃったから。

アクションも「ミッション:インポッシブル」シリーズでトム・クルーズがもっとすごいのをやってたりします。

押井:あっちのほうが全然すごい。最近だと「アトミック・ブロンド」(17)でシャーリーズ・セロンがひさびさにエスピオナージやってたけど、あれも彼女のアクションとファッションが売りというかね。すばらしかったよ。180センチで金髪の彼女がマッチョたちと本気で殴り合って、青あざ作って、階段落っこって、便器で殴りつけたりとかさ、パワープレイですごかった。それが見たくてひさびさに映画館に行ったんだけどさ。

 「アクションなら、007を見に行かなくてもほかにいっぱいあるよな」という話。銃撃戦とか格闘とかがある映画なら、もれなくなんでも見る主義だけど、007は客観的に言って水準ではあっても「すげえな」というレベルじゃない。今の言葉で言えば、とっくにオワコンになってる。名前で商売させてもらってますというレベルだと思うよ。見る側も期待してない。アクション映画としては並ですね。ちゃんと作ってます、というレベル。

M:Iはどうして「ただのアクション映画」なのか

では、スパイ映画としての「ミッション:インポッシブル」シリーズはどうですか?

押井:僕はあれをエスピオナージだと思って見たことは一回もない(笑)。よくできたアクション映画という、それ以上でもそれ以下でもない。

なぜ「ミッション:インポッシブル」はアクション映画でしかないんでしょう?

押井:だってほかに何もないじゃん(笑)。

世界を脅かす陰謀と戦ったりしてるわけですが……。

押井:その世界を脅かす陰謀が何だったのか覚えてる?

うっ。

押井:ほら、何も覚えてないでしょ。つまりお客さんにとってもどうでもいいんだよね。トム・クルーズのすげえアクションが見たいだけ。

 あのシリーズもお姉ちゃんの印象がほぼない。トム・クルーズってそういうキャラクターだよね。相手役の女優の印象がほぼない。トム・クルーズ自体がそういう意味ではセクシャルな俳優なんだよ。だってそんなに演技力があるわけでもなければ、すごい二枚目というわけでもない。ガニ股だし足も短いし背も低いじゃん。僕はトム・クルーズなら「アウトロー」(12)のほうが好き。ジャック・リーチャーシリーズは大好き。あれは脚本家を目指す人間は全員見るべき。トム・クルーズの映画では一番好き。あとは「コラテラル」(04)もなかなかよかったけど。トム・クルーズが悪役をやったんだよね。マイケル・マンの映画だから見たんだけど、髪を銀髪に染めてがんばってた。

近年のスパイ映画としては、前の連載(『仕事に必要なことはすべて映画で学べる』)で取り上げた「裏切りのサーカス」(11)もありましたけど。

押井:「裏切りのサーカス」は大傑作だよ。あれも冷戦終結がテーマになってるんだけどさ。みんなでパーティーでUSSRの歌を歌ってたでしょ。「すげえシーンだな」と思った。そうやって、今でもエスピオナージはほそぼそとやってるんだけど、「裏切りのサーカス」がそうであるように、エンタメではない。

確かに。大変渋い映画でした。

押井:そういう意味で言えば文芸の世界に近づいている。本来は「裏切りのサーカス」の原作者であるジョン・ル・カレのスパイ小説こそが正統派で、007シリーズの方が大衆版だったんだよね。「この程度でいいよね。その代わりいっぱいコース付けさせてもらいました」という。本来のエスピオナージというのはもっとシビアで暗いもので、人間性の暗部みたいなものだったんだよ。そういう作品が出てくること自体、エスピオナージは原点に戻ったとも言えるし、そういう意味でも007はもう役目を終えたんだと思うよ。

今日はこんなところで。ありがとうございました。

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