(イラスト:西尾 鉄也)
(イラスト:西尾 鉄也)

今回のお題は007シリーズの第2作「007 ロシアより愛をこめて」(1963)ということでお願いいたします。007というと、前回の連載(単行本『仕事に必要なことはすべて映画で学べる』)でも「007 スカイフォール」(2012)を取り上げていました。そして次回作(「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」)も公開直前です。

押井:「スカイフォール」は素晴らしかったね。でも次の「007 スペクター」(15)はダメだった。たぶん元の路線に戻そうとしたんだろうけど、「スカイフォール」に比べて格落ちしすぎ。いくらなんでもスカスカすぎる。「スカイフォール」ではあのおばちゃんの「M」も死んじゃったし、シリーズの継続性というか、007を続ける意味ってどこにあるのか、という思いはある。

 もはや歴史の記憶装置としての役割を終えたシリーズ、ということでしょうか。

押井:だからもうやめてもいいじゃん、というのが今日のお話の趣旨。

 だいたい、とっくの昔に忘れちゃってる人が多いけど、ジェームズ・ボンドシリーズって原作があるのは知ってるよね? 

イアン・フレミングの小説ですよね。

押井:イアン・フレミングって、実はスパイの世界に片足を突っ込んでた人なんだよね(元英海軍情報部、第2次世界大戦中は諜報員として活動)。

そうなんですか。

押井:作家としては異例の経歴の持ち主なんだよ。そのイアン・フレミングの原作を読んだことのある人間が、今どれだけいるの? ほとんどいないと思うんだよね。

押井さんは読んだんですか?

押井:全部じゃないけど読んだよ。現代の日本で、007シリーズの立ち上がりを覚えてる人間は、世代的に言って当時中学生から上だったはず。ということは若くても70歳前後。僕はその立ち会った世代なんですよ。当時は中学生だったけど、半ばエロ小説として読んだ。

まさかのエロ目的ですか(笑)。

007は中学生のエロ小説だった

押井:当時の中学生の間ではエロ小説として流通してた。特に「私を愛したスパイ」。あれは純然たるエロ小説ですから(笑)。ジェームズ・ボンドは最後に出てくるだけで、あとは延々とドイツを舞台にした女の性の遍歴話なんだよ。もともとあれをネタに映画作ることが無茶なの。ウブいお姉さんがいろんな男に引っかかって、いろんな体験をして、結婚もしたけど相手がトンデモ男だった……みたいなさ。それで、傷心旅行の最中に事件に巻き込まれて、ジェームズ・ボンドが解決してくれて、最後にしっぽりやって翌朝別れましたという、そういう話だよ。

その話だけ聞くと、完全にエロ小説ですね(笑)。

押井:それでも当時はジェームズ・ボンドの007シリーズとして出版されてたから、中学生が本屋のカウンターに持っていくのはOKだった。だからみんなエロ小説と承知の上で、ジェームズ・ボンドの陰に隠れて購入したり、あるいは回し読みしたりしてたわけだ。

わかるような気がします。

押井:それはともかく(笑)、007という映画シリーズは時代によって扱いが変わってるんだよ。お客さんも変わってるし、配給とか制作側も変わってる。だからイアン・フレミングなんかさっさと用無しになった。彼の回想によれば、奥さんと楽しく試写に行ったと。で、主人公のジェームズ・ボンドはもともと自分をモデルにしてたんだから「亭主があっちに行ったりこっちに行ったり、いろんな女のベッドに入ってるのを夫婦で楽しく拝見した」と語ってるからね。

それもすごいですね(笑)。

押井:そもそも、007というのは冷戦の産物なんだよね。冷戦というものがなかったら、MI6もジェームズ・ボンドもない。もともとエスピオナージ(フランス語のespionnage/スパイもの、スパイ小説)というジャンルそのものが冷戦の生んだジャンルなんだから。『寒い国から帰ってきたスパイ』のジョン・ル・カレとかね。ミステリーの世界の鬼っ子でしかなかったジャンルだから、冷戦がなかったら隆盛を迎えることはなかったはず。

時代の産物ということは、その当時はかなり流行ってたんですか。

押井:僕が中学生のころはみんな「スパイはかっこいい、スパイになりたい」と思ってた。国費は使い放題だし、うまいもの食い放題、車乗り放題、素晴らしいお姉さんとやり放題、それは男の願望そのままでしょ(笑)。

今から見ると、めちゃくちゃマッチョなジャンルですね。

押井:そうそう。しかも国家権力がバックについてるんだから、そんなの最高じゃん。私立探偵どころの騒ぎじゃない。でも考えるべきなのは、「そういうタイプのヒーローがなぜ成立したか」ということなんだよね。

 007の登場までは、スパイ映画や小説は日本では定着しなかったんでしょうかね。

押井:日本でもそれ以前からイアン・フレミングの小説はあったけど、映画がなかったらイアン・フレミングという名前が日本人に知られることもなかったと思うよ。そしてさいとう・たかをが007シリーズを劇画にしたというのも大きいんだよ。

冷戦が生んだエスピオナージ

さいとう・たかを氏の劇画は1960年代に4作が出版されて、近年復刻もされたみたいですね。

押井:それが『ゴルゴ13』の原型みたいなもんだからね。ゴルゴ13は最初、エスピオナージだったんだよ。CIAだKGBだMI6だという世界だったんだから、ゴルゴ13はあきらかにジェームズ・ボンドの末裔というか、血を共有してる。さいとう・たかをはご丁寧に『0011 ナポレオン・ソロ』の劇画まで描いてるんだから(1966~67、秋田書店刊)。

そうなんですか。

押井:そういう意味では、さいとう・たかを自身がジェームズ・ボンドシリーズが生んだ作家だと言ってもいいくらいだよ。それ以外にもいろいろ描いてるけど、ハードボイルドだったりギャングだったりスパイだったり、要するにノワールの世界に関わってきたマンガ家。彼は劇画というジャンルを生んだ一人でもある(貸本漫画時代に劇画という分野を確立した作家集団・劇画工房のメンバーの一人)。そのことは象徴的なんだけど、エスピオナージの世界に関わることで劇画はメジャーになった。

 それまでは単に殺し屋の世界だったから。影男シリーズ(前述の「劇画工房」のメンバー、佐藤まさあきが描いた『日本拳銃無宿 影男』のシリーズ)の世界だよ。今で言えばサブカルなのかもしれないけど、劇画は貸本屋でだけ流通してたマンガであり、ジャンルだった。つげ義春だって一時期は劇画を描いてたんだから。

そうらしいですね。

押井:そういう劇画やエスピオナージを生み出した大元締めといったら、冷戦以外にない。その冷戦という時代背景が変わっていけば、当然007シリーズだって変わっていかざるを得ないんだよ。

 だから、あのシリーズはあきらかに苦悶してた時期があった。誰と戦ったらいいのか、というさ。東側という「敵」がいなくなったから。いつまでも「ロシアより愛をこめて」では成立しないわけだ。007が冷戦とシンクロして絶頂期にあった作品が「ロシアより愛をこめて」なんだよ。真正面からKGBとやり合って、しかもターゲットはジェームズ・ボンド自身。KGBがジェームズ・ボンドを抹殺したい。そのために送られてきた女スパイの話だよね。

ソ連とやり合う話にしたらまずいので、スペクターという敵組織を出した、みたいなことはどこかで読みました(原作小説は英国情報部対ソ連特務機関スメルシュという構図になっている)。

「謎の悪の組織」が大流行

押井:そんな気をつかうほどのことじゃなかったと思うけどね(笑)。ただ、そういう意味では都合のいいことに、007にはスペクターという敵がいたわけだよね。

007映画の第1作「007 ドクター・ノオ」(62)に、原作小説に先駆けてスペクターが登場しています。

押井:グローバルなテロ組織。007と言えばスペクターと戦っている話と思うかもしれないけど、最初に原作小説で戦ってたのは、さっきも出たけど冷戦時代のソビエトだった。USSRであり、KGBだよ。スペクターはそこから仕事を受ける、外注の業者みたいなもんですよ。

我々と同じ、下請けですね。

押井:だけど若い観客には、その方がKGBやソ連より受けたわけだよね。謎の悪の組織だもん。その後に登場する、いろんなアニメやマンガの悪の組織のはしりと言えばはしりなんだよ。「科学忍者隊ガッチャマン」(TV/1972~74)のギャラクターだって、あれのモデルはスペクターでしょ、どう考えたって。

違いは団員が覆面をかぶってるか、かぶってないかぐらい(笑)。

押井:そうそう。あとは奥の間に「総裁X」という宇宙人がいるかいないか。でも結局グローバルな悪の巨大組織という発想の本家本元はスペクターだよ。中学生だった僕はしびれたもん。「これは戦い甲斐があるぜ」というさ。KGBよりかっこいいじゃん。その組織についていろいろ想像するわけ。構成員をどこから集めて、どういう給料体系になってるんだろうかとかさ(笑)。「まさか全員、独身の男じゃないよな」とかさ。経理部門もきっとあるでしょ、とか。

巨大な組織ですからね。

押井:そういう疑問はギャラクターにもあった。だから僕が「科学忍者隊ガッチャマンII」(TV/1978~79)に参加するときに、先輩たちにいろいろ聞いて回ったんだよ。

「スペクター」が日本アニメに与えた影響

「ガッチャマン」はリアルな描写が売りのひとつでしたから、敵組織の設定もありそうですね。

押井:そしたらこれが実にいいかげんで、誰に聞いても「知らない」って(笑)。

誰もそこまで考えてなかった(笑)。

押井:だいたいうちの師匠(鳥海永行・「科学忍者隊ガッチャマン」総監督)が、SFは全然ダメな人なんだよ。だけど敵幹部のベルク・カッツェという、あのキャラクターを作り出したのも、うちの師匠ですよ。半分女という、そこにこだわった。ベルク・カッツェってどういう意味か知っている?

 そういえば気になりますね。

押井:気になるでしょう(笑)。あれはドイツ語で「山 (Berg)」と「猫 (Katze)」を合わせたもの。まあ、ほんとはドイツ語での山猫は「Wildkatze」なんだけどね。

あ、そうなんですか!

押井:タツノコプロ(当時は竜の子プロダクション。押井監督が最初に入ったアニメ制作会社)ってネーミングのもじりで必ず仕掛けるんだけど、科学忍者隊はあちこちに飛ばされる「鳥」なんだよ。大鷲の健とかコンドルのジョーとかみんな鳥で、それがベルク・カッツェという山猫と戦う。

なるほど。

押井:ベルク・カッツェはうちの師匠の最大のヒットですよ。僕も大好きだった。悪役なんだけど、単純な悪役じゃないんだよね。半陰陽、両性具有者(男女の双生児が、総裁Xの力によって一つの身体に融合されたミュータントという設定)という個人的な悩みを抱えてるわけだ。しかも総裁Xというベルク・カッツェ自身にも正体がよくわからないボスがいて、「何やってんだお前は」ってしょっちゅう怒られてる(笑)。そして最後は必ず負けて、脱出カプセルでドーン、で終わる。「ヤッターマン」(タイムボカンシリーズ)の最後はあそこから持ってきてるんだからね。

ああ、そういえば。

押井:だから「ガッチャマン」はタイムボカンシリーズの原型でもあるんだけどさ。そう、ドロンジョ様ですよ。ドロンジョ様はベルク・カッツェなんですよ。これを言うとたぶん笹川(ひろし)さんは怒ると思うけど。

笹川さん的には嫌なんですか。

押井:そりゃそうだよ。彼はタツノコの看板である「ガッチャマン」をすごく意識してたからね。でもタツノコを支えてきたのは笹川さんだから。うちの師匠の先輩格でもある。あの2人はタツノコの両看板で、師匠はハードなリアルもので、笹川さんはギャグ、とすみ分けてたから成立したんだよ。もちろんバチバチやってた。

 だから「ガッチャマンII」の総監督を笹川さんがやったというのは、これはタツノコ内部ではみんなわかってたけど、戦いだったんですよ。うちの師匠は「絶対やらない」と言って、「しょうがないから俺(笹川氏)がやるわ」という形をとった。だけどそれは言ってみれば、あの2人の「戦い」だった。

鳥海さんが「絶対やらない」というのは最初のシリーズでやることはもうやったという?

押井:丸2年ぐらいやって自分で物語に決着つけちゃったから、師匠からすれば「もうやることねえよ」と。ガッチャマンの大鷲の健のおやじがレッドインパルスの隊長で、あの親子のドラマこそ師匠のドラマそのもの。あの人は家族しか描いてこなかった人で、「父親と息子」というのはあの人の永遠のテーマ。だから「ダロス」(83~85・世界初のオリジナルビデオアニメで、鳥海永行と押井守が共同監督を務めた)だってそうなっちゃったんですよ。男女のドラマは一切やらない人だったからね。師匠はそこに興味がないんだもん。

それにしても、007のスペクターが「ヤッターマン」にまでつながっているとは思いませんでした。

押井:スペクターはいろんな作品に影響を与えたんだよ。あれ以降、世界中が謎の悪の組織だらけになったからね。マンガでもアニメでも数えたらきりがない。メジャーどころと言ったら「仮面ライダー」のショッカー、あと「サイボーグ009」のブラック・ゴースト。あれは武器商人だよね。そういう謎の組織。いろんなところにスポンサーがいて、金もらってテロだの暗殺だのなんでもやりますと。スペクターは株価操作までやるんだから。

 そういうものはすべては007から始まった……ということはみんな忘れてるでしょ。その忘れちゃったことを思い出させるのが連載のテーマだから、今回のテーマに選んだ。そういう意味では007シリーズというもの自体が語るべきテーマなんだよ。

イギリスとソ連の「お付き合い」

ところで、冷戦が背景にあるのであれば、007はどうして「米ソ」でなく「英ソ」の戦いなんでしょうか?

押井:イギリスとソ連は「米ソ」とは別次元で戦ってたから。独自の歴史があるんだよね。米ソは核ミサイルでやり合う、でもイギリスとソ連はエスピオナージの世界。情報戦がお家芸だった。おたがいに付き合いが古くて、ロシア革命以来のお付き合いがあるんだよ。

お付き合いですか。

押井:亡命ロシア人の世界というのがヨーロッパにはあったんだよね。なんかわかんないけどイギリスと相性がいいの。不思議なんだけどさ。ロシア自体がリスペクトしてたのはフランスなんだよ。ドストエフスキーとか読めばすぐわかる。貴族も含めてあの時代のロシアのインテリたちにとっては、フランス語をしゃべれることが特権階級のアイデンティティだったんだよね。

 だけどフランスは、意外にロシアに冷たいんだよ。相手してくれない。イギリスとは英仏露の三国協商というのもあったし、フランスはドイツを挟んでロシアと対峙してるから、絶えず政治的に付き合ってはきたんだよ。でもなぜか小説とか映画の世界だと、イギリスとロシアという組み合わせが多い。冷戦の立役者は米ソなんだけど、イギリスももれなく絡んでくる。

どうしてなんでしょうか。

押井:冷戦時代にフランスが第二線に下がっちゃったというのもあるんだけど。もともとイギリスは情報戦やエスピオナージがお家芸で、外交の国なんだよ。エスピオナージというのは外交の裏の世界の話だから。「外套の下にナイフ」というイギリスの有名な言葉があるけどさ、イギリスは独自の政治圏を持ってたんで、大陸各国の確執に直接タッチしない、一定の距離を保ち続けるというのが国策だったんだよね。そのために情報戦に力を入れてたんだよ。そういう歴史がある。

なるほど。

押井:だからイギリスは冷戦時代のエスピオナージに参加する資格があったけど、フランスはなかったの。イギリスだったらMI6だけど、フランスやイタリアだったらどこ? パッと出てこないでしょ。実はあるんだよ。有名じゃないだけ。

世界的にはMI6とロシアのKGB、アメリカのCIAが突出して有名です。

押井:だから結局CIA、KGB、MI6という三巨頭なわけで、あとはみんな二線級。もちろんすべての国に情報部はあるんだよ。KCIA(韓国中央情報部)みたいなもんだよ。みんなマイナー。もちろん日本なんか全然お呼びじゃない。日本はエスピオナージが一番遅れてる。ないも同然。陸軍中野学校(諜報や防諜などに関する教育や訓練を目的とした大日本帝国陸軍の軍学校で情報機関)だけだよ。戦争ではいろいろあったけどね、明石(元二郎)大佐(明治・大正期の陸軍軍人。日露戦争での諜報活動で活躍した)とかさ。なかなか詳しいでしょ(笑)。実は好きなんだよ。

陸幕調査部の友人が会いに来て……

現状で、自衛隊にそれに相当するものはあるんですか?

押井:あるよ。陸幕調査部というのがある。「機動警察パトレイバー2 the Movie」(93、以下、「パト2」)のときに、荒川という陸自の情報部員を出したでしょ。荒川のモデルになった、昔の映画仲間だった荒川氏というのがいてさ。彼とは学生だったころに付き合ってたんだけど、卒業後に陸自に入って情報の仕事をしてた。その彼が荒川の直接のモデルだよ。顔も含めて、ほぼそのまんま。目つきが厳しくて、角刈りというよりは丸刈りに近いんだけど、ああいう変なおっさん。やたらペダンティックで。95%まんまです(笑)。

最近も会ったりしているんですか?

押井:あの映画のあと会いに来た。「おお、ひさしぶり。見たぞ」とか言って……いや、その前に1回どこかで会ったんだ。「韓国で怪しいことやってる」って言ってた。「パト2」のときは防大の先生かなんかやってた。その後、戦史調査部かなんかに。インテリなんだよ。今はもう退役してるはず。たぶんタイにいると思うよ。アジアをさんざん回ったおっさんで、ほとんどアジアにいたんじゃないかな。韓国とかタイとかフィリピンとか。で、タイが気に入ってそこに骨を埋めると言ってたから、たぶん今ごろはタイで悠々自適してると思う。その彼が「パト2」のあと、「やってほしい企画があるんだけど」って企画の売り込みに来た。

それはやっぱりスパイものだったんですか?

押井:いや、武装難民の話。「これからは難民の時代になるぞ。お前がやるのが一番いいよ。『パト2』をやったんだからお前がやれ」ってさ。僕もやりたくて企画書を書いたんだけど、全然誰も相手にしてくれなかった。

武装難民というと「攻殻機動隊 S.A.C.2nd GIG」(TV/2004~05)とつながりますよね。

押井:あのときにはもう難民問題は表面化してたからね。「パト2」のときはそこまでいってなかった。彼の企画には「これからは絶対テーマになるぞ。世界でも日本でも難民の世紀が来るんだ」という先見の明があった。そういう仕事をしてたから当たり前と言えば当たり前だけど。僕にもそういう予感はあった。それが形になったのが「2nd GIG」。でも僕が神山(健治)に持ち込んだわけじゃなくて、神山が勝手に食いついただけ。

現代の「敵」はどこにいるのか

押井:そういう時代背景なしにエンターテインメントの世界の映画を語るということは私に言わせればあり得ない。この連載の「ウィンター・ソルジャー」のときにアベンジャーズが超国連組織だという話はしたでしょ。

勝手に国境を越えて戦争をする米軍みたいだという話でした。

押井:アベンジャーズは米軍だけど、009とガッチャマンは言ってみれば国連だよ。ガッチャマンの南部博士が所属する「国際科学技術庁」という組織は科学者の国連だよね。009だって、各国の代表……実はブラック・ゴーストがさらってきたわけだけど(笑)……が集まって紛争の解決にあたるわけでしょ。その時々で戦う相手は変わるけど、影には本来国連が対処すべき悪の国際組織がいる、という構図なわけじゃん。

押井監督も以前映画で「サイボーグ009」をやりかけたことがありました。あのときの敵というか悪の国際組織みたいなものは、何を想定してたんですか?

押井:神山がやった「009 RE:CYBORG」(12)にその痕跡が残ってるけど、僕はもともとあのサイボーグ9人のうち、何人かを選抜してあとは全部死んでるところから始めるつもりだったの。生き残ってたのは001の脳みそと、002のジェットと、003のフランソワーズと、004のハインリヒと、009のジョー。

ギルモア博士は?

押井:とっくに死んでる。舞台が現代なんだから当たり前じゃん。原作の時代から何年たったと思ってるの。フランソワーズは普通の人間よりは老齢化が遅いんだけど、もうすっかりおばちゃんになってて、ジョーだけが永遠の17歳。彼は完全義体だから。ハインリヒはドイツの刑務所に監禁されている。人間核兵器だから、やばくて殺しようがない。意思ひとつで核兵器を発動できる男。手のマシンガンとか膝からミサイルとか、そういうちゃちいもんじゃないんだよ。だから残す意味があると思った。

フランソワーズはなぜ残したんですか?

押井:彼女は電子戦に特化してるから。人間シギント(SIGINT=通信や電子信号などの傍受による諜報・防諜活動)だよ。しかもスタンドアローンのシギントで、世界中の情報が全部入ってくる。001は脳みそだけで十分。だから赤ん坊の体はとっくに腐ってて、脳みそだけをあるものに入れて、フランソワーズが連れて回ってるという、そういう話だよ。

 いろいろあるけど、原作者サイドも配給会社もフランソワーズをおばさんにしたのが一番衝撃的だったみたいね。中年女性と少年の恋愛をやってみたかったんだけどさ。

僕は面白そうだと思いますけど(笑)。

押井:002(ジェット・リンク)をなぜ僕が選んだかというと、あいつがNSA(米国国家安全保障局)で働いてるという設定なんだよね。CIAでもいいんだけど。僕が構想していた作品のなかでの敵役はズバリCIAです。というかアメリカ合衆国そのもの。アメリカの覇権という話なの。バックグラウンドとしてそういうふうに考えた。冷戦以降で考えたら米国の覇権というものが最大の脅威だから。

いろんな国に出張って行って、武力を行使する存在としての米国。

押井:今、国境を無視して戦争をやってるのは米国と、あとはイスラムの原理主義者、そのふたつだけ。ロシアなんてウクライナに侵攻しただけでもあれだけの騒ぎになる。それを平然とやってるのはあいつらだけなんだよ。だからサイボーグたちが戦う相手としてはそれしかあり得ない。いまさらブラック・ゴーストでもないでしょ。そもそも武器商人なんてかつてのような悪役たり得ないよ。もはや国が武器を売ってるんだから。ロシア、中国、フランス、ドイツ、イタリア、みんなそうだよね。売ってないのは日本ぐらいのもんで、フランスなんて最大の輸出国だよ。中国だってアフリカにどんだけAKを輸出してるか。現金の代わりにAKで払ってるんだからさ。だからそういうことは考えた。

日本人を主人公とした国連的な組織が、米軍のような超巨大な組織にどう立ち向かうか、ということですか。

押井:「米国と戦う資格があるのは誰だ?」ということ。002はアメリカ合衆国の正義の体現者だから、要するに009と002の確執の物語。チーム解散以降、ジェットという男は米国のために働いてる、「アメリカの正義」を信じてる男だよ。原作にもそういうくだりがあって、007(グレート・ブリテン)あたりに皮肉を言われてるんだもん。「やっぱりお前はアメリカ人だ」みたいな。

スコットランドの野蛮人

押井:話を戻すと、007シリーズというのは一連の冷戦をベースにしたスパイ作品の本家本元で、それに影響されたアニメは山ほどある。ロボットものだって、あしゅら男爵(「マジンガーZ」(TV/1972~74))とか悪い科学者とか、ああいう言ってみれば戦争という表舞台じゃなくて舞台裏で暗躍する組織。それと正義の主人公が超兵器で戦う、という構図はまんまジェームズ・ボンドだよ。ボンドガールがいるかいないかという話。

ボンドガール的な主人公側のヒロインも、その手のアニメには結構な確率でいますよね。「マジンガーZ」の弓さやかとか。

押井:ジェームズ・ボンドと言えばボンドガールと秘密兵器。あと酒とメシというのもあるんだけどさ。ジェームズ・ボンドって典型的なイギリス男だから。ジョンブルというかスコットランド人だよね。「スカイフォール」を見ればわかる。どこから見たってスコットランドだもん。ハイランダー(スコットランド北部のハイランド地方の住民)の末裔じゃないの。それがイングランドで教養を身に付けたというタイプだよね。だからイングランドの上流階級に収まらない、どこかしら野蛮人なんだよ。

初代のショーン・コネリーもスコットランド人です。

押井:ショーン・コネリーという役者は典型的なスコットランド人だよ。こないだスコットランド分離独立問題のときに、ショーン・コネリーも分離派で表に出たじゃん。ショーン・コネリーがジェームズ・ボンドをやるのは必然性があったし、たぶん最初は好きだったはずだよ。だけど途中で嫌になっちゃった。

どうしてですか。

押井:だいたいジェームズ・ボンド役者は「俺はこの役をいつまでやるんだ?」っていう葛藤に悩むんだよ。三代目(ロジャー・ムーア)はわりと長くやってたから、性に合ってたんだろうね。ちょうどいい役者だったんだよ。ショーン・コネリーは大役者になりすぎて、ジェームズ・ボンドで収まらなくなっちゃった。ダニエル・クレイグは前任者たちを知ってるから、最初から辞め時を考えてたはずだよ。ずっとやり続ける気はなかったと思う。「スカイフォール」という大成功作があるから、いつ降りてもいいと思ってるはず。「スペクター」なんかダニエル・クレイグもちょっと太っちゃって、スーツが画にならない。ボタンが引っ張られちゃってパツパツなんだもん。こんなに太っちゃダメでしょ。

太ってましたか(笑)。

007は英海軍出身者

押井:彼はもともとイギリス映画でギャングとかチンピラをやってた人だからね。最初は「どう見たってKGBの殺し屋にしか見えないじゃん」と思ってたけど、なんとなくジェームズ・ボンドに収まっちゃった。

 ジェームズ・ボンドというのはなんとなくもったいつけてて、酒とメシにうんちく傾けて、女好きで、博打好きでという典型的なイギリス男だよ。そのキャラクター自身を考えると、イングランド的上流階級からはみ出る男。もともと海軍の軍人だけど、イギリス上層階級のはみ出し者で問題児という設定じゃん。

海軍中佐で第2次世界大戦に出征、終戦後にMI6入り、と公式ではなってますね。

押井:イギリスの海軍軍人は外の世界を知ってるからね。はっきり言ってイギリスで「軍隊」と言ったら、海軍のことなんだよ。もともと海軍国だから。ここからは軍事的なうんちくになるけどさ、イギリス陸軍というのは国軍じゃないんですよ。

そうなんですか。

押井:女王陛下の海軍はある。女王陛下の空軍もある。陸軍はいちおう国軍の体裁は取ってるけど、郷土軍だったんですよ。郷土ごとに軍隊があって、そこの名士が郷土を守るために組織してた。

誰から守るんですか?

押井:もちろんイングランド国王からだよ。それがもともとの陸軍の起源なんだよね。そこは米国とちょっと似てる。米国も連邦軍を持ちたくなかった国で、連邦軍の力をどうやって抑えるかというのが初期の大統領たちのテーマだったんだよ。なぜかと言ったら軍隊は必ず独裁化、暴走する。どんな国でも陸軍は問題児で悩みの種なんだよ。軍事クーデターを起こすのは基本的に陸軍だから。南ベトナムの場合は空軍がクーデターを起こしたという珍しい歴史があるんだけどさ、空軍はクーデターを起こしにくい。

どうしてなんですか。

押井:空軍は爆撃とか対地攻撃はできるけど、占領も制圧もできないから。最後は銃剣の間合いで権力を押さえるというのは陸軍にしかできないんだよ。だからイギリスにも海兵隊というのは昔からある。海軍だって艦砲射撃をするだけじゃないから。海兵隊の本家本元はイギリスだからね。世界中に海軍を派遣してたけど、必ず陸戦隊(海軍の水兵によって編成された陸上戦闘部隊)を積んでたの。薩英戦争とかもそうだよ。アメリカはそれをまねしただけ。ペリーも陸戦隊を積んでた。ちゃんと上陸して行進してる。海兵隊というのは、そういう派遣軍として作られたもので、海軍とは切っても切れない関係。もれなくセットなんだよね。海兵隊が独自の勢力になっちゃったのはアメリカだけ。あれは第4の軍隊になったから。

MI6は女王陛下の組織

押井:だからイギリスでは陸軍はマイナーなのよ。郷土軍だったから。戦争のために国軍を作っただけであって、イギリスでは対外戦争のためにしか存在を許されないんだよ。国防軍という発想はイギリスにはもともとなくて、国防という戦いをするために必要とあらば郷土軍の連合を作ればよかった。独立戦争や南北戦争のときの米国に似てる。

島国だから基本的には陸軍は必要なかったわけですね。

押井:イギリスは大陸に派遣するという以外に陸軍の存在理由なんかないんだよ。空軍はロイヤルエアフォースがやたら有名になっちゃったけど、あれは第1次大戦でツェッペリン飛行船に爆撃されなければ永遠に存在してなかった。有名なおっさん(ヒュー・ダウディング)が、バトル・オブ・ブリテンの直前に「やばい」って慌ててファイターコマンド(戦闘機軍団)を作った。それまでは爆撃のための空軍、つまり戦略空軍しかなかったの。だから海軍こそがイギリス軍そのもの、女王陛下の軍隊ということだよ。イギリス海軍がスペインの無敵艦隊に勝ってなかったら今のイギリスはなかったんだもん。その直系、末裔がジェームズ・ボンドだよ。

「女王陛下の007」(69)というシリーズ第6作もありますね。

押井:MI6は誰のために働いてると思う? 政府じゃないよ、という話なの。女王陛下なんですよ。そういう意味で言えばイギリスのエスピオナージというのは米国と典型的に違う。MI6は仕える主人が常に明快だから。CIAは時の政府の敵になったり、影の権力になったりいろいろある。

たしかに、映画によってCIAは善玉にも悪玉にもなりますね。

押井:これがまたエスピオナージの面白いところでもあるんだけど、イギリスの場合は「忠誠心」というものがテーマになってる。その枠であれば敵の女スパイとよろしくやってもなんでもOKなわけ(笑)。結果さえ出せばいいよというのはイギリスの伝統でもある。体面を重んじているようで、じつは裏で何をやってもよろしいというのがイギリスの国是、伝統だよ。

本当ですか(笑)。

押井:まあ、そういうイギリスらしさが007シリーズに横溢していたのも冷戦時代がピークでさ。敵と戦って結果を出せるなら何をやってもOKだったころの作品だから「ロシアより愛をこめて」を今回挙げたわけ。若大将もそうだったけど、ある時期までの007のどれを選んだって同じ。だけど冷戦が終わっちゃったあとは、007シリーズの苦悶が始まるわけだよね。

日本のアニメや特撮にも「謎の悪の組織」はパロディ以外は登場しなくなって久しいですからね……。

(後編に続きます。来週掲載予定です)

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