國井:今日はお忙しいところ、ありがとうございます。
今井:議員会館、セキュリティーが厳しくて大変じゃなかったですか。久しぶりにお会いできるのを楽しみにしていました。
國井:そもそも絵理ちゃん…いや今日はかしこまって、今井さんと初めて会ったのは…。
今井:私がSPEEDのメンバーとして、國井さんが関わっていた、世界で子どもの命を救うためのイベントに参加させていただいて。
國井:かれこれ10年近く前になりますか。
今井:わ、そんなになりますか(苦笑)。
國井:今井さんたちが参加してくれて、たくさんの若い人たちに関心を持ってもらうことができました。そして、今はお母さんになられて、参議院議員になられて。遅ればせながら当選おめでとうございます。
今井:ありがとうございます。
國井:芸能界から政界へ。かなり戸惑うことも多いんじゃないですか?
今井:すべて初めてのことなので勉強の毎日ですが、芸能界での経験と重なるなと思うこともあります。
國井:例えば?
今井:選挙活動をしていた時、ああ、これはアーティストのコンサートツアーと通じるなと思ったんです。私は12歳でデビューして、北から南まで日本中に、歌を通して元気を届ける活動をしてきました。そして、選挙活動中も北から南まで、自分がやろうとしていることを演説して、思いを届けてきました。何だか重なるなと。
選挙活動はさぞかし大変だったでしょうと言われるのですが、全国各地で話を聞いていただいて、それを認めていただくことができた充実感の方が強くて、いわゆる感動の涙も流れませんでした。もちろん、当選はとてもうれしかったのですが、それより、託していただいた責任の重さを改めて感じて身が引き締まって、涙が止まってしまったようで…。
國井:当選して大満足。あとは偉そうに威張り散らしているようじゃ困るからね(苦笑)。
子育てと政治が両立できる仕組みを
國井:政務と子育て。日々の生活も変わったでしょう? そういえば、議員さんたちは朝、早いよね。勉強会の講師などを頼まれることがあるけれど、朝8時から始めます、とか。
今井:朝の時間帯を有効に使うこと自体は悪くないんですが、子育てをしていると、その時間帯はなかなか大変。あまり早い時間だと保育園で預かってもらえなかったりというケースもあるので。
國井:そういうことは、どんどん声を上げていった方がいい。僕は普段、ジュネーブで仕事をしているけど、一緒に働くスタッフたちのワークライフバランスをしっかりマネージすることが求められます。
今井:スイスでも子育てしながら働いている人は多いんですよね。
國井:もちろん。日本より多いです。日本では、子育てを女性の役割と見るのがいまだに常識化しているけれど、スイスでは男性も女性も一緒に子育てをするという考え方なので、女性だけに負担が偏ることは少ないです。母親も父親も子供と一緒に過ごす時間を確保できるように、例えば、早朝の会議はやらないし、夜の会合なども原則、設定しませんよ。
今井:日本でも「働き方改革」を掲げて取り組みを始めていますが、例えば、率先すべき省庁の人たちが相変わらず深夜残業を続けているようでは、実現は覚束ないですよね。子どもと一緒に夕ご飯を食べて、会話をして、という生活を諦めない仕組みを整えていくことが必要だと思っています。
國井:国会議員は、いわゆる勤務時間というのが決まっていないそうですけど、だからこそ、子育てをしている人たちが無理なく、でもしっかり活動できる仕組みを整えることは重要ですよね。海外では、議員が子供を連れて議会に出席することが認められているところもある。何でも真似をすればいいわけじゃないけれど、日本も変えるべきところはどんどん見直していけばいい。それには、今井さんはじめ、実際に子育てを経験している議員がどんどん現場の声として発信していかなきゃ。
「聞こえないこと」について理解できる教育を
國井:政治家としてどんなことに取り組もうとしているのか、具体的に聞かせてください。
今井:与えていただいた6年間という任期は、一見長いようですが、何かをしっかり形にしていくには、それほど余裕のある時間ではありません。私はいわゆるオールマイティーな政治家ではなくて、特化した政治家になりたいと思っています。
國井:特化する対象は…。
今井:例えば「障がい」のこと。私の息子は聴覚障害があって、彼を育てながら、今の制度には何が足りないのか、どう変えていけばいいのか、議員になる前からいろいろ考える機会がありました。
しかし、議員になったからと言って、すぐにいろいろ変えられるわけではない。関係する省庁は多岐にわたります。教育に関することは文部科学省、支援サービスについては厚生労働省、障がい者にも様々な情報がしっかり届くよう保障すること…いわゆる情報保障については総務省。そういった様々な課題を一つ一つ、しっかり解決していけるような政治家になりたいと思ってやっています。
それと沖縄。やはり出身地ですし、様々な課題をどう解決していくか。支持していただいた皆さんの期待に応えたいと思っています。
國井:まず「障がい」について詳しく聞きたいのですが、そういえば以前、息子さんとお会いしたことがあって。
今井:そうそう、國井さんを囲む会に連れて行ったことがありましたね。
國井:すごくいい子ですよね。王子と呼ばれていて。今、小学校の…
今井:いやいや、4月から中学生です。「もう一緒には歩かないですよ」とか大人口調で言われてます(笑)。
國井:ティーンエージャーってね、テンの10歳、イレブンの11歳じゃなくて、サーティーンの13歳から始まるんです。この年頃になると、ぱっと変わるからね。
今井:本当にすね毛とかも濃くなって、何だかすごく切ない(笑)。
國井:僕はすね毛とか生まれつき薄いから、男としてはそれはそれで切ないものでね……。まあ、いいんじゃない。親離れの時期だから(苦笑)。
改めて「障がい」について。今井さんの以前のインタビューなどを拝見すると「昔は自分も偏見があった」と。
今井:ことさらに差別しようとか、そういうことではなかったのですが、息子を育てながら、いろいろ気づかされることがあって、あぁ、以前の自分はいろいろな偏見に捉われていたんだなと…。
國井:僕はこれまで海外で仕事をしてきて、虐げられた人たち、辺縁に置かれた人たち、貧しい人たちがたくさんいる現実を目の当たりにして、どうやって差別をなくし、偏見をなくしていったらいいのかと、いつも考えながら活動しているんですが、今井さんは具体的にどうしたらいいと思いますか。
今井:私は今、文教委員会での活動に力を入れているのですが、それは「教育がすべてだ」と思ってのことです。
息子がまだ3歳ほどのときに1年間、保育園に通わせた時期がありました。そこは90%の子が健常者、いわゆる“普通の子ども”たちで、10%が耳が聞こえない子どもたちという構成で。息子は生後6カ月ぐらいから専門機関で聴覚の訓練を受けていたのですが、そこと連携した保育園だったんです。
先生たちも、耳が聞こえないとはどういうことかとか、補聴器の仕組みだとか、よく理解していて、安心して預けることができました。その保育園での経験から、あぁ、そういうことかと思ったのは、そこに通う子どもたちには、耳が聞こえないことを差別する意識がないんです。先生は、耳が聞こえない子どもたちとの接し方を心得ていて、耳が聞こえる子どもたちも、自然と接し方を身につけていく。
國井:息子さんの様子はどうでしたか?
今井:笑顔が増えて、表情も豊かになって。
障がいに対する偏見とか差別というのは、知らないがゆえに起きていることなんだなと。日本人ってシャイな性格もあって、例えば車いすの方が困っていても、どうやって手助けしていいのか、声を掛けていいのかが分からないまま、何か溝のようなものを感じて、距離ができてしまう…ということが多いんじゃないのかなと思うんです。
だからまずは教育上、小さい頃から、いろいろな人がいるんだよということを教えて、接し方なども教える機会を作りながら、交流できる場所をもっともっと増やしたいなと。
それは保育園なのか幼稚園なのか、あるいは、そういった交流ができるようなスポーツも含め、文化も含め、新たなスペースや施設なのか。いろいろ検討の余地があると思うのですが、とにかくぜひ、皆が笑顔になれる場所を作りたいと思っています。
一緒に考え、解決する「栃木方式」で
國井:分けるのではなく、一緒に過ごすことで互いに理解を深めていく。
今井:そう。それは健常者の方が何でも先回りして、何でもやってあげる、というのとも違うんです。
障がい者の方も、もっと自分のことをしっかり周囲に伝えていけるようにならないと。自分はこういう障がいを持っていて、コミュニケーションはこのような方法を使います、といったことを堂々と言える環境を整えることが大事になる。
國井:障がい者の側が壁をつくってしまうのもいけない。
今井:障がい者の教育において、もちろん国語、算数などの勉強は大事なのですが、自分の障がいについて、しっかり理解する勉強もまた重要だと思うんです。現状、そこが足りないなら、変えていかないといけないと思っています。
「障がい者」と一括りにされる存在ではなく、皆それぞれのアイデンティティーがある。障がいもその人の個性のひとつなのだから、その特徴を自分で理解して、説明できるようにしなきゃ。
國井:障がいとはちょっと違うんだけど、昔、栃木県にある病院で仕事をしていた時のことを思い出しました。
当時、外国人労働者がどわっと日本に入ってきた時期で、バングラディシュやらイランやらいろいろな国から来た人が、いわゆるきつい、汚い、危険の「3Kビジネス」に就いていて。彼らが病気になったり、怪我をした時、言葉が分からないために、私が当時勤務していた病院などで十分な対応ができないという事態になったんです。
今井:どう対応したんですか?
國井:NGOを作って外国人の医療問題の相談に乗るための「インターナショナル・ライフライン」を作ったんです。最初は、病気や怪我をした人の国の言葉が分かる人に病院に来てもらって通訳してもらい、来るのが難しいケースでは、携帯電話で言葉の分かる人とつないで通訳してもらって。携帯電話といっても、今みたいに薄くて小さいのを皆が持っている時代じゃなくて、大きなお弁当箱を肩にかけて運ぶようなやつでね(苦笑)。
そうこうしているうちに、皆で対訳表を作ろうということになって。色々な言語で、診察に必要な用語を訳した表を作って、それを病院やら関係機関に配って、現場ではそれぞれの項目を指さしながら対話しながら医療問題やその検査・治療を確認していく。
そうしたら、色々な国の人が、患者だった人も含めて、ボランティアに参加してくれて、僕の国のを作るよ、といって対訳表が増えていって。日本人も自分に何ができるかわからないけど、付き添いでも、介助でも、できることやらせて、ってボランティアが増えていってね。
最初は、彼らは「外国から来て、病気になると助けてもらえない可哀そうな人たち」で、自分たちは「何とか助けたいけど、やり方が分からなくて困っている人たち」だったけれど、一緒に何とかしようとやってみたら、どんどん輪が広がっていって、お互い学び合いながら、成長していくんです。
これって、さっきの今井さんの話とも通じるんじゃないかな。
今井:一緒に解決していく。まさに通じますね。
私は障がい者への「情報保障」についても改善したいと思っています。日本では、特に災害時、命に関わる情報がすごく少ない。
東日本大震災の時も、視覚や聴覚に障がいのある人に必要な情報が届かず、被害に遭われたケースがありました。その後も熊本などで大きな地震が起き、首都圏でも直下型地震が想定される中で、災害対策のひとつとして障がい者への情報保障というものをしっかり確立させていかなければいけません。
國井:まさに国全体の課題として考えて行かなければいけない。
今井:そのためには、障がいというものを「一括りにしない」ことが重要です。
聴覚障害、視覚障害、発達障害…例えば、発達障害にもいろいろなケースがあって、一つ一つの障がいによって支援の仕方、教育の方法も違うはずで、「いわゆる障がい者支援は…」と一括りにしていては、現実に対応できません。
これから関連する勉強会を立ち上げて、様々な人に参加してもらいたいと思っています。解決する側の人が、困っている人を助けてあげるというのではなくて、当事者の人たちにもどんどん参加してもらいたい。専門的に取り組んでいる団体の人も、そういう組織に参加していない人も加わってもらって、それぞれの視点から課題を見つけていって、皆が当事者になって、違いを越えて一緒に解決していく。
國井:栃木方式で(笑)。
今井:はい、頑張ります(笑)。
「手話」も言語。みんなのものに
國井:そのほかにも、いろいろ関心をお持ちだと思いますが、例えば…。
今井:手話について、そのあり方をしっかり整理したいなと思っています。
國井:今井さんご自身も以前、NHK「みんなの手話」の司会をやっていたよね。
今井:今は手話が広く認められていますが、歴史的に見ると、かつては、なるべく手話は使わないようにと教えられている時代もあったんです。例えば、残された聴力がある人は補聴器を活用して健常者と同じようにしゃべりましょう、という訓練がなされていて、手話を使わないように手を縛って口で話すように教えていたなどという話もあって。
國井:手話もコミュニケーションツールの一つだから、禁止するというのは違和感があるけど…。
今井:読み書き話す「言語」というものがまずあって、手話というのは、それとは別の特殊な手段という考え方だったわけですね。
それが「障害者権利条約」に「『言語』には、手話その他の形態の非音声言語も含む」などの条文が盛り込まれて、日本もそれを2014年に批准して、多くの自治体で手話言語条例を定めるようになっています。多くの人に広く手話を理解してもらう、また公共施設の窓口に手話通訳士を配置するというようなことが広まっていこうとしています。
國井:さきほどの情報保障という観点からも、良い変化ですね。
今井:でも、まだ課題はたくさんあります。まず手話には2種類あって…。
國井:え、勉強不足ですみませんが、日本国内でも2種類あるんですか?
今井:日本手話と日本語対応手話というのがありまして、一つ一つの手の動きは一緒なんですが、文法が違うんです。ざっくりいうと日本手話は英語的で、日本語対応手話は日本語的。
國井:日本人には日本語の語順に合っている方が使いやすそうだけど…。
今井:ろうの方の場合は、まず映像なんです。文法的に言葉を重ねるのではなく、見える映像を基に言葉を重ねていく。すると日本手話の方がしっくりくる。一方、いったん日本語で伝えたいことを組み立てる人が、それを手話で伝えようとすると、しっくりこない。
國井:そういうことも一般の人はなかなか知る機会がない。
今井:今、ドイツやスウェーデン、オーストラリアなど海外の事例なども勉強しているんですが、国として、法体系の中で手話というものの位置づけを明確にしていきたい。人々の生活の中で手話が「普通のこと」として根づくようにしていきたいと思っています。
子どもたちを置き去りにしないために
國井:もう一つのテーマは「沖縄」、ですよね。私も沖縄の大ファン、大好きな場所ですから、このテーマには大いに関心があります。
今井:沖縄は歴史的にもいろいろ難しい問題があって、軽々しくこうすれば一気に解決できる、というようなものではありません。一つ一つ、丁寧に対処していかなければいけない。
私は沖縄で生まれて、育って、12歳で東京に来ましたから、いわゆる内地では「沖縄出身の人」と言われるけれど、沖縄では「もう内地の人」と見る人もいます。でも、私は沖縄が好きだし、沖縄がもっと魅力的な場所になってほしいと思っています。沖縄だけ、内地だけではなく、両方を知っていることで、見えてくることもあるし、できることもあるはず。そう思っています。
國井:具体的には?
今井:例えば「貧困」の問題。もっと具体的に言うと、シングルマザーをしっかりサポートできるようにしたい。
國井:確かに沖縄はシングルマザーは多いようだけど、昔ながらの、家族や地域の人が子供の面倒を見てくれるとか、内地よりそういう文化があって。それはなくなってしまったの?
今井:今でもそういう意識は強いし、そういうサポートを受けて頑張っている人は多い。でも、見方を変えれば、そういうサポートに頼ることで、本来、政治がサポートすべきことが足りないままになっているということもあるんじゃないかと思うんです。
國井:僕は伝染病対策などで世界の熱帯地域に行くんだけど、そこで思うのは、暑い地域はどこも男が働かないんだよね。
アフリカに行くとね、家づくりまで女性の仕事で。こう、土で壁を塗ってね。水を汲みに行くのも女性。頭に甕を乗せて、歩いて往復6時間なんていうところもあった、それを毎日。
今井:その間、男の人は?
國井:一応、放牧の仕事。ライオンに牛や羊が喰われないように見張ってるんだ、とか言ってるんだけど、適当に牛のお尻をはたいたりしているだけで、実際は何もしていない(苦笑)。
今井:沖縄の女性も働き者で、私の友達にも、看護師の資格を取って、シングルマザーとして子育てしながら自分で稼いで、という人が幾人もいて。周囲の人の協力を得られる人もいるけれど、そうもいかない人もいるし、子どもを育てながら働くこと自体がなかなかうまく行かない人もいます。
私自身もシングルマザーで、シングルマザーなりの苦労ということに共感するということはあるけれど、視点としては、単に苦労している女性たちを助けたいというより、子どもたちが不当に苦しい環境に置いて行かれないようにしたいんです。
國井:未来を担う子どもたちを置き去りにしない。大事な視点だね。
今井:私が政治家を志した原点は何かと言えば、子どもの笑顔です。うちの息子は障がいを持って生まれてきて、昔ながらの世間的な言い方だと五体満足じゃない、ということになりますが、私なりにすごく愛しているし、大切に思っている。彼が笑顔になれば、私も笑顔になる。子どもの笑顔には、周りの人たちを元気にする力があって、つまり、社会をよりよくしていく原動力になると思うんです。
でも、悲しいことに、子どもたちから笑顔を奪う環境もあります。例えば「虐待」。これについては障がい者だから、健常者だから、ではなくて、絶対的に理不尽な扱いを受ける子どもたちが現実にいる。その重い現実をなんとしても変えたい。
例えば、通報制度が整えられることで、虐待の実態が分かって、救える子どもが増えるのはすばらしいこと。でも、絶対数を減らしていかなければ。
架け橋になれる政治家を目指して
國井:バイオレンスというのは、残念ながら世界各地にあって、僕が支援のために訪れた国でも、子供の虐待、それには性の虐待もあるし、人身売買もある。そうしたバイオレンスは身体的にも心の中にも、消し難い傷を残すことになる。
現状は、女性の問題、子どもの問題として、彼らを守るための対応策は考えられているけれど、そもそも問題の原因となった、加害者側の男性に対するアプローチが見えない。
今井:はい。
國井:被害者救済は大事ということは大前提として、さらに一歩踏み込んで、加害者男性に対して、どう行動を変えさせるのか、そのためのプログラムなどを整えて行かないと、結局、悲劇が繰り返されることになる。
今井:児童虐待で言うと、シングルマザーが加害者になるケースも少なくありません。内縁の夫との関係の中で、ふたりで子どもを虐待するというようなケースも。
國井:なるほど。子どもたちが早期に避難できる仕組みづくりなどは、政治的な取り組みが求められるところだね。
今井:法的には児童虐待防止法がありますが、対応、保護に重きが置かれ、防止策というのがあまりないんです。でも私たちがやらなきゃいけないのは、子どもを取り巻く大人たちが虐待をしてしまう前に防ぐこと。その仕組み作りこそが、本当の児童虐待防止につながるのではないかと思っています。
國井:ぜひ前に進めてください。
今井:はい。また暴力としての虐待ではなくても、シングルマザーも一人の女性ですから、恋に落ちて、相手の男性が、子供はいらないといった時にどうするか。母として生きるのか、女として生きるのか、葛藤の中で、男性に嫌われたくない、一緒にいたいとなれば、犠牲になるのはやっぱり子供になってしまう…。
私もシングルマザーとして恋もしてきましたが、やっぱり根本には息子がいるんです。息子ありきで、この人は息子を大事にしてくれるか、一緒に遊んでくれるかということがまず大事で。
これは政治としてというより、迷えるシングルマザーのサポートというかケアというか、そういうことも必要だなと思っています。
國井:今井さんだからできること、というのをよく考えていますね。しばらく会わないうちにすっかり議員さんらしくなって、頼もしい(笑)。なんかオーラを感じるね。
今井:ありがとうございます(笑)。
障がいについても、シングルマザーについても、ともすれば「劣等感」みたいなものを抱え込んで、苦しんでいる人がいると思うんです。広く言えば、沖縄も、内地に対して、経済的な格差などから、そういう感情があるかもしれない。
でも、それぞれ違いがあって当たり前。全く同じ人なんていないし、それぞれの違いを互いに認め合って、助け合って、良い面を引き出していけばいい。違いがあることをネガティブにとらえるのではなく、それぞれの個性としてポジティブにとらえていく。あきらめないでやってみる。そういうことが大事なんだと思います。
例えば、安室奈美恵さん。
國井:沖縄が生んだ大スターだね。
今井:今でこそ、沖縄出身のアーティストがたくさん活躍していますが、安室さんがデビューする前は、沖縄から内地に出て行って、東京で成功するなんてとても無理、と言われていたんですよ。
國井:そうなんだ。
今井:それを安室さんが変えたんです。意味のない劣等感なんて吹き飛ばして、自分の可能性を信じて、架け橋になる人が出てきて、私たちも含め、それに続く人たちに道ができて。
私も政治家として、架け橋になりたいと思っています。
働くお母さんと政治の、沖縄と本土の、あるいは私の歌を聞いてファンでいてくれる若い人たちが政治に関心をもってくれるきっかけとしての架け橋にもなれたらうれしいです。
國井:絵理子ちゃんならできる。人の痛みや辛さを自分やわが子の痛みとして感じながら、誰一人として置き去りにしないような世の中を作っていくために頑張ってくださいね。それこそ、本当の「議員のあるべき姿」だと思います。頑張ってね。
今井:頑張ります。
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