クレーンで川から引き揚げられる路線バス(写真:新華社/アフロ)
クレーンで川から引き揚げられる路線バス(写真:新華社/アフロ)

 最近のショッキングなバス事故は、日本でも話題になった重慶路線バスの転落事故だろう。重慶市の22号路線バスが10月28日、万州長江二橋から約50メートル下の川に転落し、運転手および乗客15人が死亡した。31日にバスが川から引き揚げられ、地元警察がカメラ付きドライブレコーダーなどを確認したところ、転落の原因は48歳の女性の乗客と運転手が殴り合いになり、運転を誤ったことと判明した。道路工事の影響でバスが路線を変更、女性が降りたかったバス停に止まらなかったことで怒り出し、運転手に自分を降ろすように要求したが、運転手は「バス停以外で止まることができない」と拒否。口論から殴り合いに発展したのだった。

 この一部始終が車内のビデオカメラに映っており、それがネットに流出したことが、より事件の注目度を高めた。女性の乗客が携帯電話を持った右手で運転手の右側頭部を殴ると、運転手も右手をハンドルから離して女性の首を殴り返す。すると女性はさらに運転手の右肩を殴り返し、運転手も右手で女性の右上腕をつかんだ後、右手を戻してハンドルを左に切ろうとしたところ、進路がずれて対向車線の小型車にぶつかり、川に転落したのだった。警察は「乗客に攻撃されたときは反撃せずに運転に集中すべきであった」として、運転手は重大な公共交通運転手職業規定違反に該当すると指摘。女性の行為も安全運転妨害に当たるとしているが、この二人とも死亡しているので、彼らの罪が司法で問われることはない。小型車の運転手はケガをしたが、一命を取りとめた。

 国際社会がびっくりしたのは、実はこれは決して特殊な話でもないということだった。この事件から2週間に発生した、バス運転手と乗客が喧嘩したことが原因の事故、トラブルは新聞に報じられているだけで15件。いずれも死者が出なかったことは幸運であっただけで、死者が出ても不思議ではなかった。重慶の死亡事故に関連して各地方紙も類似のトラブルを報じたのであって、従来なら報じられることもなかっただろう。バス運転中に乗客が運転手の態度に腹を立てて、殴りかかったり、首を絞めたりすることは、日常茶飯事なのだ。

 中国の最高人民法院ビッグデータ研究院が最近発表した調査によれば、バス運転手と乗客のトラブルで刑事事件に発展したケースは2016年1月から18年10月までに223件、2017年は2016年より4.8%増えた。立件された事件の7割で被告は公共安全危害罪および故意の傷害罪に問われた。56%のケースで乗客が運転手を攻撃している。54.5%が営業運転走行中に起きており、うち46%のケースで運転手が急ブレーキを踏むなどの緊急措置で対応しているという。トラブルの原因の6割は乗車賃や乗降車地点を巡るもの。4割のケースで死傷者が出ているという。立件された9割で被告人は懲役刑判決を受け、半数近くが3~5年の懲役刑、10年以上の長期刑も1%ほどある。

自動運転システムの実用化への期待

 こういう事故や関連するデータを見ると、中国のバス事故の背景には、運転手や乗客の“民度”、つまり人としての成熟度や文化レベルの問題が大きい、というのは中国人自身が指摘している部分である。中国の交通事故件数や死亡者数は信頼できるデータがないのだが、日ごろ見かける事故現場の多さを勘案すれば相当の交通事故大国であることは間違いなく、やはりその理由のほとんどが交通ルールに対する意識の問題であったり、運転手や乗客の性格や質の問題であったりするといわれている。

 中国で自動運転システムの実用化が早急に望まれているのは、自家用車保有が人口の多さや国土の広さに比してまだまだ少ない(自家用車保有1.7億台)のに交通事故大国、渋滞大国と言われており、これ以上運転人口が増えた場合、目も当てられないからではないか。このような状況を解決するにはAI制御による自動運転および道路交通システムに頼るほかない、というわけだ。少なくとも運転手がいなければ、乗客が運転手を殴ることによる交通事故は防げる。

 11月14~18日、深圳で行われた中国国際ハイテク技術成果交易会でも自動運転車、AI交通システムなどの技術が特にクローズアップされていたように思う。アリババと並ぶ中国IT企業集団の一つ、テンセントが本拠地を置く深圳は、中国のハイテク見本市都市だ。深圳バス集団は昨年12月、無人自動運転バス・アルファバ4両の試験導入を福田保税区で開始、現在すでに試運転時間は300日を超えている。これは一般の乗用車や通行人が往来する公道における無人路線バスの試運転としては世界初の試みだとか。今後さらに2両の導入も決まり、来年から普通の乗客を乗せ始めるらしい。

 また深圳運輸当局は10月末に自動運転車を一定の範囲内、一定の規則のもとテスト導入することを通達している。深圳の九つの行政区域をまたぐ19本の道路計124キロで、自動運転車の運行がテストされる。道路を横切る人や突然車線変更する車に自動運転車がどのぐらいの反応速度で対応できるかなどのデータが取られると、記者会見では説明されている。

 深圳以外でも北京や上海、広州などの大都市で自動運転車テスト導入が始まっている。広州では区間と時間を限定し、係員を乗せた上で自動運転タクシー3台を試験導入。中国において自動運転でもっとも研究が先行しているとされる百度はレベル4(特定の場所での完全システム化)の自動運転小型バス「アポロン」(14人乗り)量産を開始し、北京、雄安新区、深圳、福建・平潭、湖北・武漢ほか、海外では東京での商業運用を始めると今年7月に発表している。テンセント、アリババなどが百度を追随しており、テンセントはレベル3の自動運転ソフトをすでに商品化、アリババは自社開発のレベル4の自動運転技術の物流車応用の実験を加速させている。

 レベル4以上の自動運転に必要な技術というのは、中国国産だけではまだ賄えない。百度の自動運転システム研究プロジェクト・アポロ計画(国家プロジェクト認定)はざっくり130以上の企業が関与しているし、その中にはフォード、ボルボ、ダイムラー、エヌビディア、インテル、マイクロソフトといった多国籍企業も50以上含まれる。日本のトヨタやホンダも関わっている。コアの半導体はインテル、エヌビディアが提供している。

 米貿易戦争が派手に展開されて、米国としては全力で中国の自動運転技術も含むハイテク技術国産化戦略「中国製造2025」を潰そうとしているとも見えるのだが、実際のところこの戦略を支えているのも米国を含む多国籍企業で、トランプ政権がいかに怒ってみせても簡単にアシ抜けできないぐらいのがっつりした関わり方だ。日本に至っては政府自身がこうしたハイテク企業に日本の技術系企業が関わることが、国家の安全保障問題に直結するという意識すらないかもしれない。中国は当然こうした合弁企業の技術は、すでに中国のもの、という考え方だ。

中国人知識人が抱く危機感

 こういう現状に対して一番危機感を持っているのは、やはり中国人知識人ではないか、と私は感じている。政治プロパガンダとして「中国のハイテクはすごい!」とメディアが宣伝する一方で、シンクタンクや企業関係者に聞けば、彼らは必ずしも中国のハイテク開発に対して楽観的ではない。

 米国次第で「中国製造2025」が潰される危険があることも分かっている。米国政府が、中国大手電信機器メーカー・ZTEに見せしめ的に米国産半導体輸出を一時停止して以降、この危機感は一層強くなっている。中国は前にもまして半導体開発のための技術者集めや研究に金をつぎ込むよう指示。「自力更生」(毛沢東が打ち出した政治方針)を今更引き合いに出して習近平は、半導体を中心とするコア技術の完全国産化を急がせている。

 自動運転用AI向け半導体「崑崙」(百度)や「昇騰310」(華為技術)などの発表が最近相次いだのも、そうした背景を受けてのこと。華為はこの10年売上の10~15%(累計4000億元)と、あり得ないペースで研究開発費をつぎ込んできているし、今年に限っていえば1000億元を、半導体を中心とする研究開発に突っ込んだと報じられている。

 米国が「中国製造2025」をひねり潰すのが先か、中国がこの圧力に耐え抜いて「自力更生」するのが先か、それが米中貿易戦争に象徴される米中新冷戦の行方を決めるカギ、ということになる。そうなると10年単位の長期戦になる可能性もあろう。

 ところで中国の人工知能開発スピードがものすごい、深圳をみろ、杭州をみろ、という中国スゴイ派と、中国のいびつな発展状況では経済崩壊や社会不安定化は免れないという悲観派は中国国内にも分かれて存在する。実際のところ、この両方は共存する。

 中国のAI開発スピードがおそらく今後米国を越えて加速することは事実だ。中国が圧倒的に有利なのはその市場規模の大きさ。トップの決定にボトムが絶対に異論や反対を唱えられない(上部組織に下部組織は絶対従う)という共産党独裁体制の支配力の強さ。そして、中国人の汚点として中国人自身が指摘する“民度”“文化レベル”の低さすら、有利に働く。

支配されることに慣れた中国人

 米国ではUberやテスラの自動運転車の死亡事故が相次ぎ、その責任の所在や倫理基準をめぐり議論が起きた。だが中国の場合、そういう世論が感じる躊躇というものが比較的少ない。人工知能が人の代わりに判断し、人をコントロールすることに人が漠然と感じうる不安を中国人はあまり感じないのだ。

 むしろ、運転中の運転手と喧嘩をおっぱじめるような大衆は、AIによって完璧に監視され、コントロールされ、独自の判断力を持たせない方がよいのだ、と言う。だから、AI付き監視カメラの導入によって普通の人々が監視されて生活することも、社会信用システムで市民がランク付けされることも、ウイグル人や特定の人々の人権が侵されていることも比較的受け入れやすく、置き引きやスリが減った、テロや犯罪が未然に防げてよかった、という評価に傾きやすい。

 中国人は、すでに支配されることの楽さに慣れきっている人が多いし、長きにわたる思想統制の結果、信仰や哲学的思考が真空となっている。おかげで、自由な民主主義社会の人々が科学の発展途上で必ず感じる躊躇や迷いをほとんど経験せず済むのだ。AIだけでなく、移植医療や遺伝子医療、デザインベイビー、クローンといった倫理的な葛藤を伴うはずの科学も中国が進んでいるのはそういう背景だ。

中国でコア技術が生まれにくい理由

 その一方で、ノーベル賞を受賞できるレベルの研究や発見、地道な研究を重ねた末にたどり着けるコア技術はなかなか中国で生まれない。それには自由にものを考えられる環境が必要だからだろう。中国で発展が進むのはあくまで応用科学の方、と中国のアナリストや専門家たちも言う。

 そうなると中国のハイテク産業が世界でどこよりも先端をいき、巨大なビジネスチャンスを生む市場になる可能性もあれば、いつまでたってもコアな技術で自由社会を追い越せるだけの実力は持てず、早晩、米国にハイテク産業がことごとく潰されて、長期的な経済停滞期に突入するかもしれない。ただ言えるのは、どこの国よりも人がコントロールされ、自由にものを考える機会を奪われた息苦しい世界になるのではないか。

 中国のハイテク応用技術は、おおむね人民を信じず、人民から判断権限を奪い、支配と監視を強化することでしか安定が得られない、という発想のもとに開発されている気がする。

 さて、日本企業にはぜひ中国ハイテク市場で利益を挙げてほしいと私は願っている。だが、中国と技術協力をするとき、その技術が人を支配するためではなく、自由な人間に奉仕するものであるという視点だけは、失ってほしくない、と思う。たとえ、どんなに“民度”の低い人たちであっても、一方的に支配されるような社会は異常なのだ。

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