甲高い声でテレビショッピングの世界を席巻したジャパネットたかたの髙田明前社長。ところが、2004年3月に顧客リストの流出事故を起こし、番組は中止となってしまう。その裏で、何を考え、経営者としてどんな教訓を得たのか。経営の真髄を滔々と語ってくれた。

(聞き手は本誌編集委員、金田信一郎)

髙田明(たかた・あきら)氏 ジャパネットたかた前社長、V・ファーレン長崎社長
髙田明(たかた・あきら)氏 ジャパネットたかた前社長、V・ファーレン長崎社長

日経ビジネスが創刊50周年を迎えまして、今、「会社とは何か」というシリーズ企画をやっています。2月は、挫折を味わった企業や経営者にご登場していただこうかと。

髙田:いろいろ不祥事がありましたね。

そこでダメになった企業もあるんですが、失敗から学んで、組織が強くなった会社も少なくありません。ジャパネットたかたでも、2004年に情報漏洩事件が起きました。

髙田:そうですね。情報流出の04年は特殊な1年でしたね。05年に個人情報保護法が完全に整備されるんですが、当時は、今みたいにデータ管理が発展していない時代なので、経験のないことでした。

 今でも(事件が)消えたわけじゃないので、100年たってもその反省は残っていきます。それは今、会社を引き継いだ旭人社長(注:髙田氏の長男)も理解しています。

反省は、トップが代わっても続いていく。

髙田:社長交代が15年1月でしたが、その時に「不易流行」という言葉を言いました。「不易」、つまり変えちゃならないものがある、と。企業も、理念が長い年月の中で形骸化した時に、不祥事が起こったりするんじゃないか。だから、常にその理念は時代に即応した形に変えながら、経営していかなければいけない。クレド(信条)だけでは足りないよ、と。そこに研修制度を設けたり、管理職の教育をもっと強化していったりとか、課題が出てくる。

 でも、あの時は売り上げが、どーんと落ちましたけどね。

150億円の減収と試算されていました。

髙田:はい。でもそれは意識してなかったんですよ。もう、それを考えたら結論が出ないんですね。だから、当時、女房とやっていて、共通認識として思っていました。売上利益が企業の目的じゃない、と。あくまで手段である。

日経ビジネスの2月11日号特集「敗者の50年史」では、日経ビジネスが創刊以来50年に渡って追い続けた企業事件の中から、失敗の本質を突き止めている。

あの時は、新聞記者が流出している顧客リストを持ってきて、「明日の朝刊に出します」と言ってきた。

前例なき事件

髙田:はい。まあ事実ですからね。それは、もう変えようがないことです。でも、社内で完全に信頼していましたから、犯人をね。(容疑者として逮捕された2人は)会社の行事にしょっちゅう顔を出していましたから。やっぱりショックを受けました。

 でも、私はそのことに気付かずに、一心不乱にビジネスに集中していた。そこはトップとしての反省がありました。人は環境によってどうにでもなりますから。

社員が顧客情報を抜き取っていたのは1990年代後半でした。

髙田:ですから、それが犯罪になるという意識さえも、なかったのかなと、今になって思うところもありますね。

巨大な顧客データの流出は、当時は前例がほとんど出ていませんでしたね。

髙田:ちょうど同じ時期に、ソフトバンクさんの顧客情報が流出したんですよね。でも、当時はうちとソフトバンクさんぐらいですから。情報が企業の中で大切なものだという認識が出てき始めたときです。今は情報管理の大切さは広まっていますがね。当時は電話帳を見ても、たいていの名前と住所、電話番号が載っていたわけですから。

そうですね。かつては当たり前のように電話ボックスや喫茶店に置いてあって、個人の住所も分かりました。だいぶ個人情報をめぐる状況は変わりました。

髙田:体制を万全にしていても起こり得ることだという前提で、企業経営をしていかなきゃいけない。便利になる反面、難しくなりますね。そこに投資をしていかなきゃいけないしね。情報を守るというのは、人件費と同じような、必要経費だと。「余計なカネが掛かった」と思っていたら、情報は守れない。

事件後、監視体制を早い段階で整備しましたね。

髙田:監視カメラを部屋にばーっと付けた。でも、その時、社員が「監視されているんだ」と思うか、僕は結構考えましたね。それで、「そこに監視カメラがあるから、あなたたちは間違いない仕事をしていると証明されて、守られるんだ」と言ったんです。社員やお客さんを守るためにやる。それは正解だと僕は今でも思っています。今は監視カメラのない世界ってないですから。

 かなり投資しましたよ。どうしたら流出しない仕組みができるんだということで、プロを呼んで、脆弱性をチェックしてもらう。情報セキュリティーの審査を、事件から14年目ですけど、今でも続いています。

しかし、ほぼ前例がない中で、どう対応を決めていったんですか。

髙田:やっぱり理念だと思います。だから、最近の不祥事で、データ改ざん事件とか、これは利益(確保)でしょうね。それを防ぐには、やっぱり理念ですね。「何のために自分たちが、この商品を扱っているんだ」ということです。いろんな会社が、それぞれ事情があるんでしょうけれど。

 時代がどんどん変わっていって、やっぱり難しいんですよ。去年やったことが2~3年続くわけじゃない。だから、(情報管理の)専門部署を設けてやっていかなきゃいけない課題じゃないかと思いますね。

「見えない客」が見える

髙田さんは、事件前からテレビやラジオでしゃべって、その結果で売り上げが大きく跳ね上がったというエピソードがありました。

髙田:売れないこともあったんですけど(笑)。

でも、売れたり、売れなかったりしながら、見えない視聴者と対話をしていた。だから、事件でも顧客に対しての想像力があったのではないか、と。

髙田:そうですね。30年近くラジオ、テレビをやってきて、見えていないけど、見えているというのが僕の主義でしたから。「じゃあ、何で見えているんだ」と言われますが、心の目で見ているんです、と。声の中に見えているものがあるということを言っていました。

ですから、経営者でありながら、ほぼ現場ですよね。先頭に立ってトップセールスみたいな感じでやっていた。やっぱり経営者が常に客にどう受け止められているか、感じ取っていかないと。

髙田:そうです。要するに現場に立つことはすごく大事で、一番(顧客の)姿が見えるということなんですよね。だから、経営者でも何でも、人を感じる心です。これがすごく人間、大事だと思うんです。相手が何を今考えているのかと。会話していても、その表情から読み取る。

 だから、「いい上司」というのは、仕事の関係だけじゃないんですよ。仕事はやっていても、その子が「何かあるんじゃないか」ということを感じられる。現場に立つということは、その人を感じなきゃいけないんです。そして社員は成長していくんです。そうしたら企業が成長していく。だから、人を感じるということは、お客さんを感じることと一緒だし、そういう部分がやっぱりいるのかな、と。

で、事件の時、テレビ出演を中止した。その後、出演頻度も減りましたね。

髙田:2カ月ぐらいはもう出なかった、まったくね。出演していない間は、第一に考えたのは、なぜ(事件が)起きたのかの解明です。だから、2カ月間は警察の方がしょっちゅう出入りして、我々も情報を調べてどんどん出していった。それで04年6月に逮捕されたわけですよね。情報流出されたままだったら、「また流出するんじゃないか」という心配もある。そこを解明しました、対策も打ちましたと言える状態にならないと。

 テレビに出演して、のうのうと語れないので自粛したということですよね。その後は、CSなどは若い社員に任せて、僕は地上波の方に復帰していった。

そのころからテレビに社員の方を出しているんですか。

髙田: 事件当時、すでに社員5人ぐらい、テレビでしゃべっていました。適した人を私が指名してしゃべらせていった。しゃべるプロじゃないけど、「この子だったら、人を感じる力があるな、人間性を出していけるな」という人を中心に僕は選んできましたね。

「孤独な決断」が100年企業を作る

その後、15年に旭人さんが社長に就任します。かなり組織を固めていったんですか。

髙田:特にステップはなかったです、正直言って。やろうと思えば、僕が80歳まで社長ができるんですよ。でも、若い人が経営を継いで100年企業になるには準備期間もいる。

なぜ、100年企業にするには、80歳までやってはいけない?

髙田:経営者としての修行がいるんですよね。トップは何がきついかといったら、孤独なことだと思う。すべての決裁をしなければいけない、どんなに大きい問題でも。その決裁はすべて社長にかかっている。30代、40代からそういう経験をたくさん積んでいくことが、会社を成長させていくことにもなるわけです。会社の成長というのは世の中のためになる。それで、息子が35歳の時に継いだ。

大企業を30代で継いだのだから苦労された。

髙田:その時、売り上げは1500億円を超えていましたからね。それは大変なことだったと思うんですよ。今、彼は39歳で今年は2000億円を超えたようです。で、60歳ぐらいになったら新しい人に継ぐのかな。

そんなに早く新陳代謝させるんですか。

髙田:だって、僕も辞めてわかったけど、ジャパネットだけが人生じゃないですから。まあ、彼は不易の部分、そこをまじめに考えている。そこは100年経っても会社が引き継いでいってほしい。

 「迷惑を掛けちゃいけない」「世の中のためにやらなきゃいけない」という会社になる理念は持っている。事業承継はそこだと僕は思うんです。どんなにスキルがあっても、変わらない理念につながったマインドを持っている人でないと、事業は継承させられないんです。違った感覚でやられてしまったら、企業の理念ってすぐ潰れちゃう。

不易の理念をきちんと持っていないと、会社が間違った方向に進んでしまう。不祥事企業に見られる現象ですね。

「勝った、負けた」は関係ない

髙田:大きい不祥事を見ていたら、理念がぶれたのかなとちょっと思ってしまうところがありますよね。利益優先とか。

 実は、僕は地元のJ2リーグ、V・ファーレン長崎の社長を2年前からやっています。そこでも、「勝ち負けは手段であり、目的じゃない」と言っています。目的は、サッカーを通してファンとどういう夢をつくっていくか。それは僕がジャパネットを経営していた時とつながっているんです。

 僕はサッカーができないけど、目指すものは一緒です。理念はもうすべて一緒。ただ手段が違うだけ。ボールをけるか、物を販売するかの違いだけです。

実際にやってみて、やはり同じだなと思うところは。

髙田:みんな同じです。僕はテレビでしゃべっているときも、シューズを売れば歩く人の健康になる姿を想像するし、カメラを売ったら写真を通して家族の人生がどう変わるかと考える。サッカーを通して来る人の笑顔を見れば、人に生きる力を与えることが目指す所だと再確認できます。頑張らなきゃいかんなと思いますね。勝っても負けてもそういうものをつくり出すのが、サッカーチームの課題ですよね。

それまでチームは債務超過で大変だったと思いますが、髙田さんが社長に就任して、その年末にJ1に昇格を決めました。

髙田:まだ、やっぱり勝負という部分が大半を占めているんですよね。「そんなことを言っているからJ2に落ちた」と言われるかもしれないけど(笑)。

いやいや、1回上がっただけでも奇跡です。

髙田:そういう声もあるんですけれどね。まあ、そこは真摯に受け止めてやっていく。勝ち負けより、一生懸命やる姿の中に感動があると。「愛と平和と一生懸命」だと。

 そうしたらみんな考えてくれて、相手をリスペクトするという、「正々道々」と言うようになってきました。そういう中で「一生懸命」の結果として強いチームができてくる。だから、勝つチームをつくることが目的じゃないんですよね。

 「強いから応援する」と「応援してくれるから強くならなきゃいけない」。同じように聞こえるんだけど、「強いから応援する」だと、弱くなったときに応援する人がいなくなるじゃないですか。やっぱりたくさんの人が応援に来るから強くなろうというのがいい。

まずお客さんがあって、応援してくれるのだから、その人に自分たちができることをやっていく。それが一生懸命のプレーなんでしょうね。

髙田:そうですね。僕はスタジアムで会話をしますから、皆さんと。

そうなんですか。

髙田:もう何万人と会話をしたか分かりません。ほとんどの試合に行っていますから。相手のスタジアムに行って交流するんですよ。

珍しいですね。

髙田:相手のチームのサポーターと握手したり、サインしたり、写真を撮ったり、歩くだけで何百人と話します。そうしたら長崎に来てくれる人がものすごく増えましたね。

ここでも現場でトップセールスですか。

髙田:だから、V・ファーレンというのは名前だけはかなり知っていただくようになったんですよ。あるとき、75歳ぐらいの奥様が来られて、「社長、実は私、1年前大病をしまして、ある機会があってサッカーに来たら、すごく元気になった」って言うんですよ。やっぱりそういうことなんですよ。サッカーというスポーツが持つ力は。

しかし、相手チームのサポーターと交流するって、そんな社長はいないんじゃないですか。

髙田:私は各地に友達がいっぱいいますよ。知り合いになって、それからこっちに来たときなんかは、土産を持ってきてくれたりね。

 何でかって、サッカーも敵味方となれば戦って、それだけで終わってしまうんですよね。でも交流すると、V・ファーレンのサポーターと向こうのサポーターが一体化する。そうしたらサッカーの人を元気にする力が10倍になってくるんですよ。交流人口を増やすということで、長崎にその方たちが来たら宿泊しますね。消費も観光もしてくれる。

 J1での初勝利は、清水エスパルス戦だったんですよ。勝ったのに相手チームの熱烈な応援団のところに入っていって、「どうもどうも」とあいさつしていたら、「あんな所に入る人、おらんですよ」と。でもファンの皆さんは、僕にそんなこと言う人はいなかったですよ。「いや、今度は勝つからね」とか、「負けたー」とか言う人ばっかりで、握手してもらったんですよ。それで話していたら、今度は、長崎の試合に来てくれた。最終戦でしたが、「チャーターで行くよ」と。

そういう交流があるんですね。

髙田:何百人ですけど、一部は飛行機をチャーターして長崎に来たんですよ。川崎フロンターレさんも、バスで駐車場に来たので、そこにうちのマスコットと迎えに行って一緒に写真を撮ったりね。

 だから、敵味方はないです。そうしたらいつの間にかV・ファーレン長崎のファンと向こうのファンが友達になっている。そういう変化が昨年1年間だけですごく起きました。そこが目的ですよね。

これって、海外などでサッカーチームのファン同士がけんかしている映像が流れますが、かなり違いますね。社長が相手のスタジアムに行って、相手のファンにあいさつして回って、それで一体になっていくアプローチですか。

髙田:あんまりなかったのかな?

聞いたことないですね。

髙田:清水エスパルスさんに行ったときに、ピッチ上でちょっとあいさつしたんですよ。それも「あり得ない」と言われたんですよ。でも、知らなかったから普通に「どうも」ってあいさつしたんですよ。だから僕、最終戦に来た清水の社長に、「今度は社長がしゃべってください」と言ったんですよ。それも面白いじゃないですか。

 うちのスタジアムのスクリーンには、相手が入れたゴールシーンも流すんです。そうしたら、一緒に見ていた相手の社長がやってきて、「私はびっくりした、相手チームのゴールを再生して流すってどういうことですか」と言われて。「いや、それって珍しいですか」と。「もう、私は何十年とサッカークラブの社長をしているけど、あり得ない」と言われて。

髙田さんの考え方でいくと、サッカーの試合はそれ自体が1つのパッケージ商品だから、敵も味方もないんですね。

髙田:そういう所は、もっとスポーツで変化をもたらしていかなきゃいけない所かもしれませんね。やはり、「勝った、負けた」ではないんですね。その先に、見てくれた人に何をもたらすことができるのか。そこが本当の目的です。ジャパネットとまったく同じです。だから、両チームのファンが一体となって熱狂し、スタジアムの外でも交流し、元気になることができる世界をもっと広めていきたいと思っています。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。