282回 鳥山明死去
「『ドラゴンボール』で好きなのはラディッツ来襲からベジータとナッパ敗退までの一連の流れなんだけど、戦士たちがなすすべもなく敗れていくとこがすごくハードで絶望感があったし、悲しくなったよね。あの可愛い餃子があんな死に方をしたり、天津飯が一矢報いることもできなかったり。サイヤ人編、ほんとに怖かったな」
というようなことを友達と話していたのだが、
「ピッコロ大魔王編でクリリンが殺されたり、当時最強の一角を占めていた亀仙人が死んだ時だって、十分絶望感あったし、悲しかったよ! あんたはクリリンや亀仙人に興味がないから平気だったんだろ! さっきから聞いていれば天津飯と餃子の話ばかり。あんたは単なる鶴仙流だよ!」
と言われたのだが、確かに私は天さんと餃子が好きなだけだし、「さよなら、天さん…」のところを思い出すたびに切なくなるのが好きなだけの人間かもしれない。
亀仙人が「もうちっとだけ続くんじゃ」と言った時、「もうすぐ、終わるんだろうな」と素直に思っていた。第23回天下一武道会での悟空とピッコロとの激闘に決着がつき、悟空とチチが筋斗雲で去っていくコマは本当に大団円感があって、「これで終わりでもいいよ」と思っていたのだが、まさかあんなに長く続くとは全く考えてなかった。その後の各編のラストも「これで終わりでいいよ」と思わせられる大団円感があるのだけれど、そこで終わることなく連載は続いていった。
サイヤ人編以降、バトルの連鎖と強さのインフレが延々と続いていくわけだが、高校生だった自分は稚拙なりに「大人の事情」みたいなものに意識がむくようになっていたので、前述の亀仙人の台詞を思い出しながら、「なんか無理矢理続けているような気がするな。鳥山先生が辞めたくても辞められんだろうな」というふうに感じることもあった。
実際にそんな感じだったのは後々の先生の発言や文献などからわかることになるのだけれど。
サイヤ人編は今までの物語があってこそ光る
こんなことを言うのは「トンカツは肉だ!」ぐらい当たり前のことで恥ずかしいのだが、鳥山先生の絵は本当に凄い! 馬鹿みたいな言い方だが本当に凄い。『Dr.スランプ』の頃から、鳥山先生の描く表紙とか扉とかプラモの箱絵とかの一枚絵がとにかく良い。一枚の絵で、そこに物語を感じさせるような絵がとにかく上手いのだ。別に台詞なんて書かれていないのに、思わずそこでの会話が脳内に浮かんできてしまうような、そんな絵を描く人だ。